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5 等々力 ーカエー



「で、今日も会えなかったの? 電車の彼に」

「彼って言うわけでは……」

「じゃ、電車のキミ?」

「キミってがらじゃないし……」

「じゃあ何て呼んだらいいのさ」

「そう言われても……」



 名前すら聞いてなかったのだ。

 カエが携帯を届けて、そしてカエを痴漢から助けてくれた人。



 午前の授業が終わり、学食が余り好きではないカエとカエの友人・ナズナは、コンビニで買ったおにぎりを片手に、校内のベンチで座って食べていた。

 そして現在、カエは親友に詰め寄られておたおたしている。


「だいたいさ、初対面ならまだしも助けてもらった時にケーバンぐらい聞くでしょ!」

「……また会えると思って……」

「あんたっ、この東京に何千万人居ると思ってんのさ!

 昨日会えたから明日も会えるとは限らないんだよっ

 田舎の町とは違うの!!」

「ごめんなさい〜」


(って、私が謝るのも違うような……)


「とにかく! 目を皿のようにして電車の中を見るのよ!!」

「でもあの方向はレッスンのある時しか使わないし」

「いいから!! これから時間作って乗んなさいよ!

 じゃないとそのクタクタのチケット、間に合わないよ!」

「……ん。そうだね。ありがとう、ナズナちゃん」

「よしっ」


 大事そうにポケットにチケットをしまうカエを見て、ナズナはよしよしと腕を組む。


「カエは自分が純粋培養を絵に描いたような人である事を自覚する事! 出会いがあるだけでも奇跡なんだからね!」


 ふんっと鼻息をあらくして言い放つナズナ

に、そ、そんな事もないと……思うよ? とカエが言葉を疑問形で言葉を投げると、そんな事あんの! と断言されてお昼休みの時間は終わった。





 ************





(チケットといってもそんなたいそうなコンサートではなくて。大学の学生オケの発表会的な…)


 会えたらなんて言おう。

 突然こんなこと言って、変に思われるかな。

 でもお礼だって言えば……


 そんな事を思いながら二週間がたち、今、手に握っているのは今日渡せなければ意味のない紙くずになってしまうもの。


 練習もあって、カエが大井町線に乗れたのは午前7時前後と練習帰りの午後9時の時間。

 朝、登校する時間に、と思って電車に乗ってみたものの、サラリーマンと学生のラッシュで首も回らない車内。

 彼の制服もうろ覚えなカエが到底見つけられる筈も無かった。

 今も二子玉川と自由が丘を二往復してみたものの、当たり前だけど会えるものでもなかった。


 途方に暮れて、等々力のベンチに座る。


 前に後ろにと数分ごとに停まっては動いていく大井町線。


 最初はそれでも、と思って車内に目を向けていたけれど、変わりばえのない景色に次第に手元のチケットに沈んでいった。

 何の変哲もない明日の日付と開場・開演の時間が書いてある紙を、ただぼんやりと見つめる。


 アナウンスが聞こえて、大井町行きの電車がそろそろ到着する時だった。

 びゅう、と強い風が吹いて、カエは慌てて髪の毛を抑えると、誤ってチケットを落としてしまった。


「あっ」


 慌てて拾いに行こうとした時、つむじ風でチケットが線路の方にいってしまった。


「まってっ」


 急いで掴もうとした時、

 眩しいライトとけたたましい警笛。


 ぐいっと引き戻される身体。



「っぶねぇっての! 死にてぇのか!」



 へたり込んだカエの頭ごなしに飛ぶ怒声。

 滑り込んでくる電車。

 駆け寄ってくる駅員。


「安全確認が出来ましたので〜発車いたします。

 遅れまして申し訳ありません。

 大井町行き、発車いたします」


 アナウンスが鳴り、カエが接触しそうになった車輌が駅を離れて行く。

 カエはへたり込んだまま、声も出せず動けないでいた。


 命の恩人にお礼を言わなければならないのに、ただただ目の前の出来事が信じられなくて。


 そんなカエを尻目に、その恩人は声をかけて来た駅員と応対している。


「大丈夫っすよ。多分びっくりして動けないだけなんで。あ、はい、知り合いなんで、大丈夫っす」


 少しだけ早口に駅員と話しているのは、カエがこの一ヶ月ずっと探していて、会えなかった人。


 彼は何も言えずにいるカエを起こして、ひとまずベンチに座らせてくれた。



 ドッドッドッドッ


 これでもか、と跳ねる心臓は、九死に一生を得た出来事に対する反応だけでは、ない。


 はーーーーーーという深い息が聞こえた。

 そして強い目の色が飛び込んでくる。


「死にたかったのか?」


 はっとしてブルブルっと首をふる。


「なら良し」

「……チケットが」

「うん?」

「チケットが飛んでしまって」

「あぁ、それで取りに行こうとしたのか」


 こくんとうなずく。


「もうねぇな」


 カエがずっと握りしめていたチケットは、どこかへ消えてしまった。


「あなたに渡そうと思って……この間のお礼に」

「あぁ」


 納得した様に彼が頷いた。


「俺を探していたのか」


 こくん


 うなずいて、ぎゅっと自分の手を握った。


 チケットが無くては、誘えない。


「いつ?」

「え?」

「なんかのライブなんだろ? いつ?」

「あ、ライブではなくて……私の大学のコンサートなんだけど……」

「ふーん、あんたも出るの?」

「一曲だけ」

「ふーん。で?」

「え?」

「いつ? 何時?」

「明日の、6時から」

「場所は?」

「大学のホール。あの、来てくれるの?」

「ああ。明日は何もないし」

「…………ありがとう」


 なんだろう、なんでだろう。

 何故この人は、いつも私の前に。

 こんな風に。


「あ、わり。俺、今日まだ用事あるんだ。歩けるか?」

「大丈夫。もう、平気」

「ったく。この間といい、今日といい。しっかりしろよな」

「はい、ごめんなさい」


 すべりこんできた大井町行きに乗り込む彼を見送る。


「あ、そういえば、大学どこ?」

「えっ! あの……」


 ピーー


「扉が閉まります。ご注意下さい。

 とびら、閉まりま〜す」


「J音大!」


 プシューー


 扉越しにOKのサイン。


 最寄り駅とか、出演順とか、、


 伝えようにも


「〜〜〜〜〜っ」


 連絡先はおろか、


「名前も聞いてない……!」


 涙声で呟いた。




J音大……架空の音大でございます。

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