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34 等々力 ーショウゴー

 



 意を決してかけた電話に振られたショウゴは、カエが今いる場所が大学なのか家なのか分からず、初めてカエの家に電話をかけると、やたらめったら明るく喋るカエのかーちゃんに捕まった。


 あらー! ショウゴくん?! いつもカエがお世話になってますー! から始まった電話は、延々十分、カエ母のマシンガントークで占められた。


 ほんとにカエのかーちゃんかと思うぐらいの軽妙なトークの中、何とかまだカエが大学から帰ってきて居ない事を聞き出し、どうもありがとうございました、と無理矢理話をたたんで、ひとまず自由が丘の駅前でもう一度携帯に電話をかける。


 出ない。まだ練習中かもしれない。


 携帯を耳に当てながら改札を通ると、二子玉川(ふたこたまがわ)行きの大井町線が到着するアナウンスが入った。

 ショウゴは一旦電話を切って駅構内の階段を走って上がり、線路の上を横切るように渡っている廊下を走ってまた階段を駆け下りる。


 降りていく途中でもう、大井町線がホームに滑り込んで来るのが見えた。

 足早に一番最後の乗客の後ろについて乗り、混み合っている車内からメールを打つ。


 何時間でも待つつもりだった。

 今日会わないと、だめだ。


 うまく言葉に出来なくて要件のみを打った。

 そうしたら、すぐに返信が来た。


「っしゃッ」


 思わず小さく呟いた。


 尻のポケットに携帯を突っ込み顔を上げると、尾山台(おやまだい)の小さな駅が左に流れていくところだった。ここで、初めてカエに出会った事をふと思い出す。


 あのっ、と大きな声を上げるのが、根が大人しいカエにとっては、けっこう勇気のいる事だったのだろうと、今のショウゴなら分かる。


 あの時はただ、携帯が戻ってきてラッキー、としか思わなかった。


 声を上げて、恥ずかしそうに上気した顔が可愛い子だったな、としか思わなかった。



「次は〜 等々力(とどろき)〜 次は〜 等々力〜」



 車内アナウンスではっと意識を浮上させた。顔を上げて反対側のドアを見ると、もう等々力の駅に到着する所だった。

 人の流れにそって電車を降りると、丁度向かいのホームに大井町行きが入って来た。

 ショウゴはじっと最終車両が入ってくるのを待つ。

 カエが大学からの帰り道で二子玉川から乗り換えてくるのならば、一番最後の車両に乗ってくる可能性が高い。


 電車が停車し、ドアが開くと、左手に楽器を抱え、右手に携帯を持ったカエが思った通り、最終車両から最後に降りて来た。


 すぐに顔を上げてショウゴを認めた。


 顔がこわばっていて、口がへの字だ。


「よっ」


 ショウゴは軽く手を上げた。

 久しぶり過ぎてぎこちない。

 ぎこちないけれど、嬉しさの方が優った。


 カエが、うん、と笑おうとして、顔がくしゃくしゃとくずれた。

 そしてうつむいた。


「カエ、どうした」


 慌てて近づくと、彼女は小さくごめん、なさい、と涙声で言った。


 ちらちらとこちらを見ていく乗客の目に、ショウゴはカエの右手を握って、カエ、ちょっと場所移動しよう、と顔を覗き込んだ。


 茶髪でところどころにメッシュが入ったショウゴが、黒髪をすっきりとまとめて着ている服もいいとこのお嬢さん、といったカエと並んでいると、たまに、ん? という目で見られる。

 いつもはカエがにこにことショウゴを見てくれるから、その目も直ぐにふっと消えて日常に戻るのだが、流石に今日みたいにカエが泣きそうな顔をしていると、こいつが泣かしたのか? という非難な目が飛んできて、正直痛い。


 カエは左手で目を拭いながら、携帯を鞄に入れてこくりと頷いた。

 ショウゴの手をぎゅっと握る。

 その姿に、冷ややかな視線はすいっと消えた。


 ほっとけ、という気持ちと、自分がカエに似合わないのか、という気持ちとその時の気分で揺れ幅が違うのだが、今日はただ、カエの半べその姿を誰にも見せたくなくて、とにかく移動したかった。



 二人で改札を出て、右に曲がり、線路沿いの道を尾山台に少しだけ戻るように歩くと、左手に公共施設に付随した小さな広場があった。

 日は暮れてしまったけれど、ここなら駅からの照明も届いて明るく、もう施設は閉まっている時間帯なので人は少なくて話しやすい。二人掛けのベンチに座って、ショウゴは一息ついた。


 カエは、荷物を抱えて、うなだれて座っている。ショウゴはその姿を見て、カエには悪いが、逆に嬉しくなった。


 会えば手に取るように分かる。

 くしゃくしゃの顔。

 うなだれた頭は、ポニーテール。

 ショウゴが好きな髪型。


 今日会う予定なんかしていなかった。だから多分、いつもその髪型なんだろう。


「カーエーさん」

「う……」

「どした。練習してたんだろ? 今日、帰ってくるの早くね?」

「うん、先生から、ダメ出し……」

「へぇ、音大生でもダメ出しくらうのか」

「褒めてくれる事なんてないよ」

「へぇ。んで? 何て言われた?」

「楽しい曲なのに、音色……えっと、音が楽しそうな雰囲気じゃないって」

「へぇ」


 ショウゴには全然想像もつかない世界。いつか見たコンサートでのカエの必死な顔が思い浮かぶ。


「気合い入れすぎたのか?」

「ううん、そんな事ない」

「間違えたとか」

「ううん、大丈夫」

「なんで楽しそうに出来なかった?」

「……」


 カエは膝に置いている茶色い楽器ケースをきゅっと握った。そして、こちらを見ずにうつむいたまま、ショウゴくんと連絡取らなかったから、とぽそりと呟いた。


 その言葉を聞いたショウゴの腹に、じわり、と温かいものが広がる。


 なんだよ、会いたかったのかよ。


 カエのポニテが力無くゆれる。

 沈んだカエの様子がショウゴにはくすぐったく、しおれた髪をぐしゃぐしゃと撫で回したくなるが、いやまて、となんとか耐えた。


 とにかく話をしなければ始まらない。

 打開策。

 これからの事を。


 シーウォーターを出てからずっと考えていた、俺なりの打開策。

 俺とカエが、ずっと一緒にいる為の策。



「な、カエ。無理するの、やめね?」

「……無理?」



 カエはポニーテールを揺らしてショウゴを見た。不安そうに揺れる瞳に、ショウゴはにっと笑う。


「カエはさ、フルート、大事なんだろ?」

「うん」

「でも、フルートが手につかなくなるくらい、俺も大事。合ってるか?」

「……うん」


 ぽぽぽぽと音が出そうなぐらい分かりやすく赤面したカエは、それでも、ちゃんと頷いた。

 人見知りで、あまり上手く自分の事を伝えられないカエが頷いてくれた事に、ショウゴの胸はドクンと鳴る。


(それだけで顔、赤くするなよ……まだ何も言えてねぇっての)


 ショウゴは動かしたくなる手を握りしめて、カエに向き合う。ん、とカエに頷いて、ショウゴは力強く言った。



「フルートと、俺。どっちも大事な時は、どっちも大事にするんだよ」

「えっ! どっちも?!」



 ショウゴが言った言葉は、カエの中には無かったようで、普段から大きい黒目がこぼれ落ちそうなくらいに開かれた。

 驚きと共に、どうしたらいいのか分からないと、固唾を飲んでショウゴの言葉を待っている。

 ショウゴは再び頷くと、さらに続けて言った。


「ただし、パーセンテージを変える」

「パ……?」


 たぶんあまり想像がつかないのだろう。カエの目が左右に揺れたので、ショウゴは具体的に言うと、と、自分の手のひらにざっと丸を書いた。


「この丸がカエの中で大事なポイントとして、フルート、俺、そうだな、家、とかにするか。三つのカテゴリーが三分の一ずつあるとするだろう?」


 仮想の丸の中にショウゴは指で均等にドイツの有名な車のロゴみたいな線を引いた。

 カエはうんうんとショウゴの指を追いながら頷いている。


「何か重要な時は、パーセンテージを移動させるんだ。今なら、フルートを半分に占めるようにして、残りの半分を俺と家に分けてみるとかさ」


 ショウゴの右手がチョップで丸を半分に割ったのを見て、カエは生真面目に頷いている。いや、今のはツッコミどころなんだけどね、という思いは飛ばして、ショウゴはさらに右手をLの字の反対の形にして仮想丸に当てた。


「んで、重要な時が過ぎたら、この大きな部分を俺にすると」

「あっ」


 四分の三がショウゴ、というのにカエは大きく口を開けて、直後に恥ずかしそうに閉じたが、それでもまたすぐに薄く口を開けて頷いている。

 そして、だんだんと口元がゆるく左右に上がってきた。

 ショウゴの手のひらをじっと見ていた大きな瞳も、ショウゴの真正面に向き合う。


「会うのとか、電話とかやめるんじゃなくて、少なくすればいいんだね……」

「そゆこと」

「少ない分、オーディションが終わったら、たくさん一緒にいる。合ってる?」

「グッジョブ」


 ショウゴは頷くと、右手で親指を立てて、いいねーとカエの手の近くにやると、カエは、ん? という顔をして小首を傾げた。


 ショウゴは肩すかしな気分になりながら、同じようにやるんだよ、と左手でカエの細い指を包んで、いいね、の拳を作る。


 カエは戸惑った顔をしながら、いいねを身体の前にだしたので、ショウゴはトン、と拳を合わせた。


 カエがぱっと嬉しそうな顔をしたので、ショウゴは満足した。


「オーディション、いつだっけか」

「丁度、二週間後……」

「じゃあ、まだまだお預けだな」

「え? 何を?」

「教えねぇ」

「??」


 訳が分からないというカエの腕を取ってぐいっと立たせる。

 揺れるポニテを我慢できずにさらりと触った。迷って、でもやっぱりカエと同じく無理しない事を決めたショウゴは、その触った手のままに、ぐいっとカエの頭を引き寄せて抱きしめる。


 ポニテから香る、香水じゃない優しい花の匂いに、喉がひりつくような感覚になった。

 カエをこっそり盗み見ると、顔は見えないが、こくり、と喉をならして、口元はへの字になっている。


 ショウゴは、んあ……ダメか、と腹の中で苦笑いをして、ぽんぽん、と頭を軽くなでた。


「電話しなくていいけど、メールする事」

「う、うん」

「週末は電話。マスト」

「うん」

「会いたくなったら、平日でも週末でも我慢しない事。オーケイ?」

「……うん」


 緊張していた声が、温かみのある声音に変わった。ショウゴは少し力を込めて抱きしめると、名残惜しそうにゆっくりと離す。

 カエは、まだうつむいて、こちらを見ない。

 でも、今度は耳まで真っ赤なので、うつむいている理由は分かっている。


(……ほんと、手が出せねぇよ……なんだってこんなに純粋培養なんだよ……)


 この大学生にもなって初心(うぶ)過ぎる反応を示すカエに、なかなか手を出せないのがショウゴの悩み所だ。

 だがカエはそんな事知る由もなく、もじもじと胸の前で手を握りしめていて、その姿がさらにショウゴを苦しめるのだった。




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