32 自由が丘 ーショウゴー
「あ、やべ、忘れてた。これ、皆さんで食って下さい」
姉との会話をかいつまんで話していたら、持たされた手土産の存在に、一時間も経った後に気付き、慌てて荷物から取り出して紙袋を和さんに渡した。
和さんは、おー、ありがとうございます、お姉さんにもよろしく伝えて下さい、と言って大振りの皿に盛ってカウンターに出してくれた。
シンジは、やりぃ! 腹減ってたんだよねー、と早速つまんでいる。
でもさ、と行儀悪くもさもさとドーナツを食べながら、シンジは感心したように頷いた。
「さすが、分かってるよなぁ、ショウゴのねーちゃん」
「何が?」
「黙ってろって話」
「……自分は黙ってられずに別れたのにか?」
姉を褒められて面白くなく、ショウゴがぶつっと言うと、和さんが、いや、わからんでもないなぁ、とやたら首をうんうんと何度も振って頷いた。
「まぁ、分かっててもいろいろあったんだよ。もしかしたら彼氏との事で気がついたのかもしれないしね」
「和さん、やたらショウゴのねーちゃんの肩もつねー、惚れた?」
「いやいや、そんなんじゃないけどさ。気持ち、分かるって話」
「和さんも、そんな経験あったんすか?」
ショウゴは目を見開いて和さんを見ると、いやいや俺の話はいいからさ、と顔の前で手を振ってお茶をにごした。
この目が細くていつも穏やかに笑っている、誰にでも好かれそうな優男の浮いた話を、今まで聞いた事がない。
そうだなぁ、と和さんは少しだけ軽く上を向いて目をつむると、またすぐに少しだけ開けてこちらを見た。
「夢を持つ者だったら、誰でも考えるし、誰かと付き合ったら必ず突き当たる問題って話だよ」
そう言って、うんうんとまるで自分を納得させるように腕を組んで頷いた。
シンジも、二個目のドーナツを手に取りながら、うんうん、と同じ様に頷いている。
「おめーはいっつも悩みもせず別れてんじゃねーか」
ショウゴが当然のように頷いているシンジに突っ込むと、当人は訳知り顔で、分かってないねー、と瓶に残っていたコーラをグラスに入れた。
「オレはぐだぐだ悩むのがイヤだから、付き合う前から言ってんの、ビリヤードの試合始まったら相手出来ないよーってさ。それまででいいっていう子と付き合ってんだからいーの」
「軽いなぁ」
和さんが苦笑したように言うと、シンジはまー、まー、オレの事はいーんで! と軽く流した。
「ショウゴはどうしたいのかって話。和さんやショウゴのねーちゃんは黙って見守ってろ案、オレはぐだぐだがイヤだから考えずに済むようにスッパリサッパリバイバイ案と出た。肝心のショウゴはどうする?」
「まあ、そうだな。これはあくまでも案な訳だ。こうした方がいい、という訳でもないしね」
カウンター越しからと、目の前にいる二人から答えを求められて、ショウゴは唸った。
正論からいくと、黙って見守ってろ案だと思う。それはショウゴでも分かる。でも、それだと苦しい。……会いたくなる。
唸って何も言わないショウゴに、和さんが苦笑して言った。
「ショウゴくん、会ってきなよ。どうせ、分かった、なんて言っていい顔したんだろ? そんな格好しないでさ、彼女と話し合っておいで」
「ま、そーね、我慢は良くないって事で」
「……さっきと言ってる事ちがくないっすか……」
真反対の事を言われてふざけてんのかと声が低くなると、そうじゃなくてさ、と和さんは穏やかな目でショウゴを見つめた。
「お姉さんや、俺たちの話を聞いても納得がいかないんだろう? それなら会って、二人で打開策考えなって話」
「そーそー、分かっちゃいるけど出来ないなら、分かって出来る案を採用ってねー」
シンジが茶化すように、でもわかりやすくショウゴの今の気持ちを代弁した。
ショウゴは、今度は二人に自分の気持ちを見透かされて悔しくて、唸って気の抜けたジンジャーエールを飲み干した。
「よし、そうと決まれば」
そう言うと和さんはカウンターの椅子から立ち上がり、中央のレジの所へ行ってレシートを見る。
「ショウゴくん、三十分も突いてないから今日はお勘定無しで」
「和さん、いいっす、俺……」
「マスターにはドーナツ賄賂で懐柔されたと申告しておくので大丈夫。その代わり落ち着いたら彼女連れて遊びにおいでよ」
和さんがにこにこして言うのに、シンジもソファから立ち上がってビリヤード台の方へ行きながら、くるっと和さんに身体を向けて茶化す。
「おっ! 上手い! 先に恩を売っておいて彼女もビリヤードやらせて、将来的に売り上げ増し増しってヤツね」
「さすがシンジくん、もうバレたね」
シンジが台に向かったのを見て、和さんはレシートに時間を書きながらショウゴに頷く。
「そういう訳だから。もし連絡つかなかったらまたここに遊びにおいで。シンジくんが帰ってたら俺が一緒に突くからさ」
もうすぐ十八時。マスターかママさんが店に戻ってきて二人体制になる。そうすると、一人で来たお客に請われれば、練習相手として店員が相手をしてくれるのだ。
ショウゴは和さんの心遣いに、小さく、あざまっす、と言った。
そして、少し黙った後、和さんを見た。
「あざます。でも、たぶん」
「大丈夫そう?」
「うっす」
「わかったよ」
和さんは大きく頷くと、シンジくんには俺から伝えるな、と言って細い目をさらに細めて笑った。
ショウゴがシンジの方を向くと、もう玉を転がして集中していた。
いつ頃からか、シンジは玉を突く時に喋らなくなった。
ショウゴと遊びながら突く時はうるさいぐらいにペラペラ喋るくせに、練習と、試合の時は別人のように何も喋らない。
シンジは来春、今のランクより一つ上の試合に出ようとしている。
何も言わないが、最近和さんと突く事が多くなってきた。店主催のBC戦でも、最近優勝回数が増えてきている。
ショウゴは黙って、声をかけずに店の入り口に向かう。
「またなー」
背中に、気のない声が聞こえた。
ショウゴが振り向くと、シンジがブレイクショットを打つ所だった。
派手な音がした後、玉が何個かポケットに入った音がした。
シンジはチョークをキュー先につけながら、目は台の玉を眺めている。
ショウゴは黙って手を上げて、入り口のドアを開いた。
少しだけ冷えた外気の中、階段を足早に駆け下りる。
喧騒に出るまでに、尻のポケットから携帯を出して片手で開いた。
短縮を押そうとして、すぐには出られないかもしれない、という声を思い出す。
「……そんなん、知るかっ」
メールなんてまどろっこしい事、してらんねぇよ。
会いてぇんだよ。
ショウゴはぎゅう、と短縮のボタンを押した。
上段の画面上に番号が流れた。
番号が点滅したのを見て、携帯に耳を当てた。
作中に出てくるBC戦について
ビリヤードではアマチュアの試合に出るとき、自己申告制で級を申請します。
SA級 プロ並み
A級 めっちゃ上手い
B級 まずまず上手い
C級 初心者
作中に出てくるBC級戦というのは、初心者とちょっと上手い人の総当たり戦です。
Aリーグ Bリーグと分かれて総当たりをし、その中で一位、ないし、一位、二位を取った人がトーナメント形式で、試合をし、優勝を決めるという形。
それぞれの店でたまにやっていて、常連さんだけでなく、飛び入り参加もOK。
B級の上の方になってくると、常に打つ店の他に、他店を転々と巡るようになって行きます。
いろんな人と打って実力を上げて、A級に上がれるかどうかを見極めます。
シンジは、いまこの段階。
ショウゴはB級の真ん中ら辺ぐらいの実力です。
ちなみに和さんはA級。でもまだプロにはなれていません。マスターの元で修行中です。




