30 自由が丘 ーショウゴー
自由が丘の南口を降りると、人波をぬいながら慣れた道を奥沢方面に歩く。
喧騒から外れた小道に入り、雑居ビルの二階へ行く細い階段を上がって、〝ビリヤード・シーウォーター〟と書かれたガラス戸のドアを開けると、球が弾ける音が聞こえた。
広いスペースの奥にあるカウンターにショウゴは真っ直ぐ歩いて行くと、いらっしゃい、とエプロンをかけた長身の店員の和さんがにこやかに笑って迎えてくれた。
「ショウゴくん、久しぶりだね。三日? 四日ぶりぐらいかな?」
「うっす」
言葉少なげなショウゴに、店員は少しだけ笑みを深めると、構わずに聞いてきた。
「今日はスリーもポケットも空いているけれど、どうする?」
「ポッケ、二時間」
「了解。二番テーブル、どうぞ」
ショウゴは頷いて球が入ったトレイを受け取ると、二番テーブルと言われたポケットビリヤード専用の台のサイドテーブルに荷物を置いた。
そして首をこきこきと鳴らしながら壁にずらりと並んでいるキューの中で、いつもの定位置にある自分のキューを取る。
手にとって左手の人差し指で作る輪の中にキューを差し入れ、感触を確かめると、違和感なく指の脇を通って滑った。
その木の感触に満足して、台に戻ると、トレイに乗った全ての球を緑の台の上に無造作に転がし、コーナーポケットの近くに置いてある青いキューブ型のチョークをキュー先に手早く塗ると、止まった手玉の所にいって身体を折り、キューを構えた。
手玉と呼ばれる白い球も軽く転がして、止まった所から一番近い球をポケットに狙って打って行く。
ガコンガコンと気持ちよく全ての球を入れた所で、手玉だけ残してど真ん中を突いた。
前後に高速で動く球をみながら、ショウゴはチッと舌打ちをした。
二度、三度と手玉がクッションを押し返すたびに右へわずかにずれていく。
ど真ん中を突いたつもりなのに、若干中心から右を打っていたらしい。
(感覚がズレた)
ショウゴは黙々と手玉だけを転がした。
「あれ! ショウゴ居んじゃん、なんだよ連絡しろよ、みずくせーな」
後ろで声が聞こえてフォームを解くと、シンジがキューが入った黒く細長いバックをどこぞの忍者のように背負ってこちらへやってきた。
「シンジくん、ショウゴくんとやる?」
カウンター越しに和さんから声をかけられると、シンジはやりまーす、お願いしまーす、と軽く答えていた。
「おいっ、俺はやるっていってねーだろが」
「いーじゃん、久々だしやろうぜ!」
「俺が玉突くの久々なんだって」
「へ? 珍しい。彼女出来ても来てたのに。あ、もしかして、振られた?」
シンジの容赦ない突っ込みにぐぐっと唸る。
「やべ、地雷? 俺、ジライフンダ?」
「うっせ、振られてないわ! ……ちょっと会えないって言われただけだ」
「はい?! まじで?! あんなお前にぞっこんな彼女がぁ?!!!」
「なんだ、ぞっこんて、分かる言葉で言え。てか、会わせた事ねーだろが」
「会わなくても話でわかるわ、ってそれどころじゃねー! ぞっこんも知らねーわ、キュー筋は見てらんねーわ、かずさーーん!! オレら休憩ーーーー!!」
シンジの叫びに和さんは手を上げて、了解としてくれた。
「おまえ、勝手過ぎだろ、俺、まだ練習中だって」
「ブレッブレの球出ししてても意味ねって。休憩休憩! あ、ちなみにぞっこんはメロメロって事よ、覚えてね!」
じゃないとムーンに変わってオシオキヨ! とまた古い話を出して、シンジはさっさとカウンターの方に行ってしまった。
よくわからない軽口をいつも叩いているシンジだが、言っている事は的確だ。
自分の突いた球のブレを見抜かれた。
シンジのこういう所に正直、舌を巻く。
見ていないようでいつもこちらを見ている気がする。チームで試合をやる分には心強いが、対戦相手として相対すると執拗なほど弱い所をついてくる、敵としては嫌な相手だ。
しかしビリヤードの本質をよく分かっているとも言える。ビリヤードは、どれだけ相手のミスを誘いやすくし、自分に有利な場所へと手球を持っていくかが必勝方法だ。
どちらかというと真っ向勝負、自分の手球を使って全ての球を落としたい、という単純な欲だけを持っているショウゴは、シンジと対戦すると大体負ける。
でも、シンジは必ずその試合の後にショウゴに、あの場面こうすればオレは打てなかったとか、この球の位置参った、オレも出来なかった、と、一緒に考えながら話してくれる。
最初はふてくされて適当に相槌を打っていたショウゴも、その行為は実は誰もやってくれる事じゃないと気づいた時から、真剣に聞くようになった。
そんなショウゴの事を何となく分かっているシンジがビリヤードじゃラチがあかないとして、休憩宣言。
ショウゴはため息をついてキューを所定の位置に戻して、さっさと先に休憩スペースへ行ったシンジの後を追った。
****
ビリヤード・シーウォーターはビリヤード・プロがいる店だ。マスターが海が好きなのか、店の名の冠についている。
ショウゴは、父のビリヤード好きが高じて小さい頃からビリヤード場につれてこられていた。高校生になってからは一人で転々と店を回って、今は家と学校の中間にあるこの店を拠点にして遊んでいる。
シンジは転々と遊んでいた時に知り合ったビリヤード仲間。
高校生でこれにのめり込む奴は中々いないので、自然と話すようになった。
中央のカウンターを過ぎて店の奥にある休憩スペースのソファにどかっと座る。
シンジが俺コーラで、ショウゴはジンジャー? と声をかけるのに、ひらひらと手を振って答える。
和さんがトレイに乗せてくれた物をシンジは器用に片手で持ってローテーブルに置いた。
口の大きなガラスのコップに、お酒で使うような大振りの氷が入り、今時珍しくビンのコーラとジンジャーエールがトレイに乗っている。
シンジは斜めにグラスを傾けて泡が溢れないように注ぐと、こっこっと喉を鳴らしてぷはーっと飲んだ。
その慣れた手つきに、こいつぜってービール飲んでやがんな。とショウゴは思う。
「で? どしたの、先週までうっきうきだったんじゃ?」
「練習したいんだと」
「へ? 彼女もビリヤードやるの?」
「ちげーわ、フルート」
「へー! すっげ、美人で金持ちで楽器持ちか!」
「見せてねーだろがよ、なんだ、その美人設定」
「キンキンピカピカの横笛だろ? そんなん似合うの美人にきまってら」
「……」
「まじ美人なんだな、今度紹介してくれ」
「するかっ」
「ちげーよ、美人から友達を芋づる式に紹介してもらってだなー」
「しねーわ、俺のイメージも壊れるわ!」
「どんなイメージ持たせてんのよ、中身これなのによ」
「うっせ、いい加減黙れ」
ぽんぽんと投げ出される会話に、中央のカウンターに居た和さんがこちらに寄ってきた。
「なに、振られた?」
「ちがっ、和さん、勘弁してくださいよ」
「そーなんすよ、ショウゴのやつそれで意気消沈して球もブレブレ」
「おまっ、この野郎……」
聞き捨てならないシンジの軽口にショウゴが本気でイラッとした所に、和さんが、久しぶりだから感覚がブレただけだよ、と穏やかに割って入ってくれた。
シンジも悪いと思ったのか、すまん、と両手を顔の前で合わせた。
いつの間にか前にのめり出ていた身体をドサっとソファに沈ませる。
その様子にシンジがまぁねー、と男にしては細い身体をしなやかに伸ばしてのびをすると、両手を頭の後ろに当てて、空を見た。
「音大生だしねー、こっちを置いて練習したいって時点で彼女の本気も分かるしねー、でもないがしろにされてる気分も分かるしねー」
「ないがしろにはされてねぇ」
「連絡来ねぇんだろー」
「……」
「不器用さんだね、彼女」
最後に一言、微笑ましそうにいう、和さんに、おおー、理解ある大人男子がここにっ、とシンジがカウンターに振り向いて言い、ちなみに、とソファの背もたれから身体を乗り出して和さんの方に身体を向ける。
「ちなみに、和さんが同じ立場だったらどうしますー?」
シンジが、ショウゴが聞きたくても聞けなかった言葉を言った。
和さんはカウンター内の丸椅子に軽く腰掛けながら腕を組んで、そうだな、と一言呟いて一考した後、穏やかな声で言った。
「まぁ、黙って見守るかな」
その言葉に、ショウゴは重いため息と共に呟いた。
「姉貴にも、同じ事言われました」




