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23 等々力〜大井町

 

 カン、カ、カン……


 階段を降りていく足取りが重い。


 朝晩が少しずつ風が入るようになったものの、マンションを出ると日差しが鋭く、折り畳みの日傘をささないとやっていられない。

 じっとりとした湿気に滲む汗、眉が歪んでいく。


 昨日も余り寝られなかった。

 土曜日に言われた言葉が頭の中を渦巻いていて、何をするでもなくただぼんやりと過ごした日曜日。明日の為にと早目に横になったのに、何度も寝返りを打って寝れない。

 ため息をついて身を起こし、枕元のタイマーを一時間早めた。

 最悪な気分で起きる事は間違いない。

 低血圧なタエ子は、朝の支度が人一倍時間がかかる。まず、身体を起こすのにすら時間がかかるのだ。

 いつもと同じ時間で起きて支度できる自信がなかった。

 案の定、時間的には十五分早く家を出たが、起きてから家を出る迄の時間は1時間半もかかってしまった。


 駅までの道が遠く、軽快に歩く人々に追い抜かされてホームへ到着した時には、結局いつもの同じ時間の電車。

 到着して乗り込み、人に押される様に中へ流れ込む。つり革に捕まってなんとか耐えるのだか、どんどんと気分が悪くなってくるのを抑える事が出来なかった。

 ドドドと人が降りる気配がして、座れる、と思い倒れ込む様に座った時にはもう自由が丘を出る所だった。しまった! と思った時には既に遅く、扉は閉まり緑が丘へ向かっていく。

 とにかく次で降りないと、と思うのだが、頭とは裏腹に身体は力が入らなくなっている。

 手を見ると少しの震えといつもより赤みのない色。

(ああ、まずい……)

 過去に数度ある倒れる寸前の兆候。

 そう思ってしまったら、さらにじっとりと発汗してきた。暑さの為ではなく、ゾクゾクする冷汗。

 何とか鞄の中から携帯を手繰り寄せ、上司に遅刻してしまう旨をメールする。

 力無くそのまま握っていると、すぐにバイブが鳴った。諾の短いメール。一先ず、ほっとしてパイプの手摺に寄っ掛かかる。

 土曜日から失態続き、尾を引いている。

 眉をひそめ目を瞑る。足元からどんどんと、身体が冷えていった。





 ********





 大井町線到着、ドア開き乗客を降ろす。

 終着のアナウンスをし、忘れ物、眠っている乗客等居ないか点検している時だった。

 前方で乗客がしな垂れ掛かって座っている。

 ケンは足を早めた。体調の悪い乗客の座り方だったからだ。


 その車両に入って直ぐに気が付いた。

 ドクッ という早鐘を押し殺し、片膝をつく。

「お客様、大丈夫ですか? ご気分が悪そうですが」

 虚ろな目をしているタエ子は気付いて居ない。すみません、とか細い声がした。

「立てますか?」

 と肘を支えようとすると、身体がぐらりと前に倒れた。ケンはがっと胸で支えると、失礼しますと鞄を預かり右肩にかけると、左腕を腰に回してぐっと支え上げた。

 タエ子はたたらを踏んだが、何とか歩ける様だった。

「背中に手を回して頂いて大丈夫ですから、駅控え室まで歩けますか?」

 はい……と辛うじて頷いたタエ子を支えながら下車をすると、駅係員と上さんが走ってきた。

「鞄を持とう、兼田くんは前田車掌に片桐車掌のこの旨を伝えてくれ。引き継ぎ無しだ」

 はい、と兼田が緊張の面持ちで走っていった。

「ありがとうございます」

「いや、だいぶ具合が悪そうだな、先に知らせてこよう。一人でいけるか?」

「大丈夫です」

 上さんが頷いて、駅係室の方へ走って行った。

 タエ子の歩調に合わせてゆっくりと改札右手の駅係室へ入って行くと、奥に長椅子が用意されていた。

 隅の方なので、駅の喧騒も少しは響かないといいのだが。

 靴を脱がせて横たえさせる。

 真っ白な顔色に、ケンは眉を潜める。汗で張り付いてる額の前髪を梳いてやりたいのだが、自分にはその資格が無い。

 ぎゅっと拳を握った。


「片桐、乗車まで二十分だからな」

 上さんが暗にまだ付いていていいと言う雰囲気で言った。はい、ありがとうございます、と応じて、また改めてタエ子を見る。

 意識は失ってはいないが、目を開けるのも辛いのだろう。

 暫くその場に言葉なく寄り添い、やがて、そっと呟くように声を掛ける。

「すみませんでした」

 タエ子は反応せず苦しげに息をしていた。

「片桐、時間だ」

 はい、と頷くと、駅係員に30分経っても動かなかったら救急車を呼んで下さい。と頼んだ。

 片桐の様子で知り合いと察したのだろう。駅係員も分かりました、と力強く頷いてくれた。

 手洗いを済ませ、次の乗務の準備をする。

 もう一度振り返り、また前を向いて上さんと共に大井町線へ向かう。

 次の休憩の時には居ないだろう。付いている事が出来ない事に、苛立ちを感じないかと言えば、嘘になる。

「大丈夫か」

 上さんが短く聞いてくる。

「大丈夫です。いざとなれば病院へ行ってもらいますから」

「バカ、お前がだよ」

「……大丈夫です」

 ぎゅっと制帽のつばを握って言うと、因果な商売だからな、俺らは、と珍しく上さんが業務中にくだけて言った。

 ケンは苦笑して、頷く。

「よし、行くぞ」

「はい」

 切り替えて前を向く。


 大井町線と、乗客の待つホームへ。



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