二話 ワンルーム水道ガス電気床板無しトイレ外付共同生活
私はカース少年に飼われるようになって、飼い慣らされる快適さを知った。
外敵から身の安全を保証してくれる籠。何もしなくても勝手に出る食事。カース少年とその友人の会話や、突拍子もない奇行を見ていると退屈も紛れる。
素晴らしい。今まで一瞬たりとも気を抜けなかった森の生活が嘘のようだ。
もちろん、このまま飼い殺されるつもりはない。野鼠から家鼠に昇格し、安全さと快適さで寿命は延びるが、それでも長く見積もって五、六年といったところだろう。せめてその百倍は生きたい。
ウタウスの指輪はカース少年が装備してしまったため、もはや指輪を使った起死回生は不可能だ。カース少年に横取りされたせいで魔神に戻る道こそ逃してしまったが、カース少年がいなければ今頃狐の腹の中だった。複雑な心境だ。余計な事をしてくれた、という殺意と、命を助けられた感謝が入り混じって自分でもワケがわからない。
とにかく、指輪がこの手から逃れた以上、別の方法を考える必要がある。
イン=ディ遺跡にある他のアーティファクトは強力ではあるが、寿命を延ばすのには役立たない。しかしアーティファクトを取ってきて、それを使い改めて他の遺跡へ寿命を延ばすアーティファクトを探しに行く、という手は十分アリだ。
あるいは迷宮に潜るのもいいだろう。遺跡シリーズの後継に当たる迷宮シリーズは、私が知る限り魔神の最先端の流行娯楽であると同時に、人間が魔神製の高度な道具、アーティファクトを手に入れる最もポピュラーな手段でもある。人間向けではあるが、鼠の攻略は禁止されていない。むしろ私が攻略を始めたら、魔神の半分は大笑いするだろう。
もっとも、これから何をするにせよ、今は療養が必要だ。前脚が折れていては移動するだけで一苦労である。安全に飼い慣らされ、カース少年に媚びを売りつつ回復までの時間を今後の計画に充てる。これが最も現実的だろう。
……療養している間にどこかに売り払われる危険もあるが。すぐに飽きて餌やりを忘れそうな子供に売られそうになった時は命の危機を感じた。その点、カース少年は私の食べっぷりに応じてマメに餌やりをしてくれるので大変助かっている。
カース少年は奇妙な人間だった。村から離れた森の端に粗末な家を建て、一人で暮らしている。同年代の友人二人以外は全く訪ねて来ないし、カース少年も森へ出かけるか家でグダグダしているかで、村へ行く事は全くないようだ。十四、五歳に見えるが、行動や言動からは別の年代の精神が伺える。
服を脱いで体を濡らした布で拭うのを見た時、彼の下腹にヘソが無いのを確認した。更に友人と話す内容には西暦二千年頃の日本の知識が伺える。十中八九、魔神の誰かが造ったホムンクルスだろう。ヘソが無いのはホムンクルスの特徴である。金髪碧眼もホムンクルスに使われる典型的な肉体だ。
そういえば十年ほど前、千五百年前の地球世界の日本の次元層から形質魔力の痕跡を発掘してくれという依頼があった。形質魔力の痕跡は、上手く処理すればそれを残した生物の形質魔力を再現できる。再現した形質魔力を適切な生物の肉体の脳に馴染ませればホムンクルスの完成だ。
俗に言う「転生処置」である。
友神は転生処置の事を「時空の狭間から魂を拾ってきて新しい肉体に入れる」などと説明していた。大雑把で不正確な説明だが、ニュアンスは間違ってはいない。
ホムンクルスは珍しい存在ではないが、どこにでもいる訳ではない。肉体年齢から考えても、恐らくカースは私の発掘物。
まさか鼠になって発掘物に助けられるとは、正に合縁奇縁。神生何があるか分からないものだ。
……いや、悪戯好きな魔神の誰かが仕組んだ出合いかも知れない。やりそうな奴に何人か心当たりがある。
自分の発掘物だと分かると、少しだけカース少年に愛着がわいた。自分の発掘したモノが実際に動いているのを見るのはなんとも形容しがたい感動がある。
千五百年前の日本では、彼はどんな人物だったのか。何を成し、何が魔神の目に留まり、転生処置を施される事になったのか。発掘を依頼されただけの私にはわからない。
ただ、一つだけ確実な事がある。
彼は頭がおかしい。
ある時、翼を怪我した小鳥を拾ってきた。怪我をした小動物を拾ってくるのが好きなお人好しだったのかと納得する私の目の前で、カース少年は自分の髪にねばねばした樹液と泥を塗りつけぐしゃぐしゃにして、そこに小鳥を乗せた。いつものように訪ねてきた友人二人にそれはなんだと尋ねられて返した答えが「鳥の巣頭」だ。何を言っているのか理解できない。友人達も半笑いだった。
半日後、カース少年の頭は小鳥が垂れ流す糞尿と臭いで酷い事になった。しかし本人は頭上から聞こえる鳥の鳴き声に無闇矢鱈と満足げだった。
そして翌日頭の上で小鳥が冷たくなって死んでいるのに気付いた後、悲しげに小鳥を埋葬し、頭を洗っていた。
気が狂っている。
他にもおもむろに自分の前髪を切って火にくべたり、熱心に狩りに行って毛皮を集め始めたと思ったら、家の壁一面を毛皮で埋め尽くして満足げにしていたりと、奇行が目立つ。それでいて友人に数学を丁寧に教える知能はしっかり持っている。知能的な狂人なのだ。
私は彼の思考を理解しようとするのは早々に諦めた。気が変わって殺されないのを祈るばかりである。
カース少年に飼育されるようになって一ヶ月。ある日、私は籠に入れられ、村の外れに連れて行かれた。そこには馬車が停まっていて、その前で商人風の中年の人間が商品を広げている。
私は悟った。とうとうこの日が来てしまった。名残惜しいが、次の飼い主が扱いやすい人間である事を祈るしかない。
カース少年は気さくに商人に話しかけた。
「ようトニー。この鼠、千シアンで買ってくれ。籠もつける」
「いきなりだな。鼠ってったってお前……ん? 白いな。それ鼠か?」
「鼠のアルビノだ。突然変異で色素を作る遺伝子に異常が起きて……」
「待て、お前の話は分からん。染めてるわけじゃないんだな?」
「ああ、この白は天然だ。買い取れるか?」
「いやァ、生き物はちょっとなあ。運んでる途中で死んだら利益パァだしな。俺は生き物にゃ手ェ出さない事にしてんだ」
「そうか……」
「おいまさか売るまで食い下がるつもりじゃないだろうな。銀時計の時は負けてやったが、今度はイカンぞ」
「いや、なんかやる気無くなった。売れないならいい」
カース少年は面倒臭そうに籠を開けると、私を持ち上げて「ほら逃げろ」と言い捨てて投げ捨てた。
草むらにぽさりと落ち、唖然とする。この別れ方は想像していなかった。最悪友人の乱暴な方に売られるものだと思っていた。
前脚はかなり治ってきているが、この一ヶ月全く運動をしていない。肥え太って鈍ったこの体で突然自然界に戻されても死しか見えない。「ほら逃げろ」? 逃げられる訳がない。
私はもうカース少年無しでは生きられない体にされてしまったのだ。責任をとってもらわなければならない。
草むらを走り抜け、カース少年の足元からズボンを駆け上がり、有無を言わさずポケットに潜り込んだ。顔だけ出してカース少年の顔色を伺うと、何やら驚いていた。不快そうではなかったので安堵する。私は哀れっぽい鳴き声を上げて媚び、全力で同情を誘った。さあ飼え。私を飼え。
「なんだこいつ戻ってきやがった」
「懐いてるんだろ。まあ飼ってやれよ」
そうだそうだ。もっと言ってやれ。
「飼う……? んー、芸でも仕込んでみるか?」
困ったように頭をガリガリかくカース少年はまんざらでも無さそうだが、調教されそうだ。
かつて人間の芸を見て楽しむ側の魔神だった身には屈辱だが、この際プライドは狐に食わせる。
私が一体どんな狂気的な芸を仕込まれるのかと暗い妄想をしていると、商人がカース少年の指の指輪に目ざとく気がついた。
「なんだその指輪。前はしてなかっただろ」
「……ああこれか」
自分が指輪をしている事を忘れていたらしく、返事に一瞬の間があった。
指輪の性能を全力で腐らせているカース少年にとってはその程度の価値しか無いのだろう。真価を発揮すれば欲深い人間共が血みどろの争いを繰り広げる程度の価値はあるのだが。
実にけしからん。私がどれだけそれが欲しいと思っているのだ。今なら怒りだけで狐を殺せそうだ。
「どこで手に入れた?」
「森で拾った」
「ほーん。ま、誰かの落とし物だろ。それなら買い取るぞ」
「いやこれは……」
「なんだ、気に入ってんのか」
「嵌めたら抜けなくなったんだ。売れるもんなら売りたいが、切り落とした指と一緒に売る事になる」
「指はいらねぇなあ」
「俺も指は売りたくないな」
カース少年は商人に毛皮を売りつけ、売った金を全て使って焼き菓子を在庫分全て買い占めると、さっさと帰途についた。
彼が去った途端に遠巻きに様子を見ていた六、七歳の子供たちが小遣いを手に商人に群がっていたが、数秒後に大きな叫び声をあげていた。大人げない誰かが焼き菓子を根こそぎ買っていったからだろう。背後に子供の悲痛な声を聞いても眉一つ動かさないあたり、神経の図太さを感じる。
家に戻ったカース少年は焼き菓子の山をさっそく貪り食いながら、私を毛皮の上に置いて言い聞かせた。
「いいか? お前は飼ってやる。ただし条件がある。餌は肉やるからそれ以外勝手に喰うな。木の実も干魚も駄目だ。逃げてもいいが家は荒らすな」
「ちゅー」
もちろんだ。餌をくれるだけでどれほど楽に暮らせるか。
「あとトイレはできるだけ隅の片付けやすい場所でしろ。それか外だな。壁板と柱は齧るな。分かったか?」
「ちゅー」
もちろんだ。飼い主の機嫌を損ねる愚行は極力避ける。
「分かったのか?」
「ちゅー」
もちろんだ。念を押されなくても分かっている。
「……言葉分かるのか? お前実は見た目は鼠頭脳は人間だったりするのか」
「…………」
迂闊。カース少年が疑いの目で見ている。
私の中身が魔神だと知ったら今度こそ売り払われそうだ。
沈黙の鼠になった私をしばらくジロジロ見ていたが、カース少年はまあいいか、と呟いて目線を外し、火を熾して焼き菓子を炙り始めた。私も地面に落ちた焼き菓子の欠片を齧り、御相伴に預かる。
うむ。これからも仲良くやっていこうではないか。




