じょ!
はぁぁん!
おにいちゃん可愛いよおにいちゃん!
今日の寝顔もキュートだよ! おにいちゃんハアハア!
普段は少しだけくねっている色素薄目な黒髪が寝癖がついているせいでくるくる! 零れた髪から覗ける耳とか超ラブリー! 食べちゃいたいってこの事よね!
鼻もスッとしているし、唇だって…唇も美味しそう! 噛み付きたくなっちゃう! もちろん噛むといったって甘噛みだし、おにいちゃんが痛がるならそんな事しないよ? ああ、でも食べてみたいなあ、どんな味がするのかなあ…。
ああん、寝返りなんか打つからパジャマ見えちゃうじゃない。てぃ、ティーシャツで寝てるんだ…セクシーだよ…。細いけど実は力強い二の腕、舐めたいなあ。わずかに上下する胸に顔を埋めていたいなあ。おっと、我慢我慢。おにいちゃんのフェロモンで、ついやっちゃいそうになっちゃった。
でもちょっとだけ、匂い嗅いでも良いかな。良いよね。胸板温か――くんくん、くんくん。すー、はー。すぅー…はぁー…。
うぅ、すごいよ、素敵だよ。夢のようだよ――。ちょっと興奮してきちゃった。じゃあちょっとお手を拝借…うわ突然動かないで!? 心臓が、心臓がぁ〜。
うひゃ!? ああ、なんだ。寝言を言ったみたい。もう、おにいちゃんったら…心臓の音で目が覚めちゃうよ? 今、何の夢見ているんだろう。わたしの夢かな? そうだったらいいなあ。夢か。
夢を見ているという事は、名残惜しいけど今日はそろそろ撤退。睡眠が浅くなってきているという事は起きる可能性があるって事。欲のままに行動していたらばれてしまうもの。今日おにいちゃんを見続けるために、明日おにいちゃんを見れなくなるなんて本末転倒でしょ? そのへんの自制はしっかり出来るの。ふふふ、すごいのよわたし。
ああ、また後でねおにいちゃん。わたしのかっこ可愛いおにいちゃん。
わたしのおにいちゃんは世界一! 宇宙だって飛び越えちゃえるくらいなんだから!
兄貴が起きてきた。目は開いているのかいないのか。開いていないだろう。
「おはよう」
朝食を作っている私も兄貴におはようと返す。淡白な、会話と言えないようなやり取りだが兄貴は気を良くしたようだ。前々から兄貴は妹への愛が溢れ溢れていたようだが、最近になってそれを隠さず直接表現するようになった。勘違いだろうと言い聞かせていた私の努力は無駄になり、今は如何に兄をやり過ごすかを考えている。
「にーちゃん」
にーちゃんとは私の事で、私の名前がにいなのだ。新居と書いてにいと読むのだが、恥ずかしい名前だと思う。小学校の頃はまだ馬鹿にされ笑われたりする程度で済んでいたが、高校に入ってからは女受けするようで小動物のような女子からよく懐かれるようになった。別に名前だけのせいでも無いのだろうが、それを悪化させる原因になっていることは間違いがない。とにかく困った名前だ。実の兄からにーちゃんなどと呼ばれるのは特に。
当然生まれた時からそう呼ばれているし、兄に呼ばれることぐらい慣れてもいいし実際慣れていたのだが。私に対する兄の態度が急に変わってからはまた何か不自然な新鮮さが残るようになった。
「にーちゃん」
なんだ。私が返すと、へへっと笑った。
「なんでもない」
知っている。これも毎朝している会話。
不意に、兄貴が抱き着いてきた。後ろから、背中に頭を擦りつけられる。ぐりぐり。うわあくすぐった気持ち悪い。私の方が身長が高いので、姉に甘える弟のような図だが、兄貴は不純で変な感情があるので実際は全く違う。振り払ってちゃぶ台を指さして、座っていろと言った。物足りないような顔だったが、おとなしく従ってくれたのでよしとする。ふう、どうして朝からこんな恥ずかしい思いをしなければならないのか。
安いちゃぶ台に着いた兄貴に、出来立ての朝食を出した。味噌汁と焼き鮭にご飯。どうも、家は裕福とは言えないようで、こんなもので精いっぱいなのだ。家も、ぼろいアパートで、部屋が大小三つに一つはキッチンと繋がっている。まあ、トイレもお風呂もあるからまだいい方だと思うが。
ご飯を終えて、私は自室へ戻る。食卓、兄の室、私の部屋。生活に必要なものが全て食卓に収まるわけでもないので、それぞれ生活用品を分割して部屋においている。と言っても大したものはないから困るわけでもない。
学校へ行く準備をしようとしたその時、後ろから兄貴が現れて、私は押し倒された。急に、しかし優しく。
「にいちゃあん!」
非常事態について行けなかったが、兄貴の侵略行為に嫌でも喚起される。背中の上でもぞもぞと、何か明確な目的を持って動き回る兄に悲鳴を上げる。
ぎゃあっぁぁあ! 退け! 触るな! 離せ離せ離せったら離せというに!
十数センチ身長差があるのに、私の抵抗に兄貴は動じない。揉み合ううちにうつ伏せでいた私は仰向け、その上に兄貴が覆いかぶさる形に。兄貴の片手で私の両手は拘束されて、もがく私に構わず兄貴が私の首元に鼻を埋める。
ぞわぞわするくすぐったさが兄貴の鼻によって展開され、
「いい匂い…」
とても気持ちが悪い! っひゃあ!? 首に蛞蝓が這ったような感触が感じられ、兄貴の舌だ、これは! 生暖かいそれから逃れようとするが、どうにもうまくいかない。そうこうしていると、次に兄貴は耳に唇で甘噛みをかましてきた。ひぃ。身体がびくりと反応して、私の膝が跳ね上がる。兄着にぶつかり鈍い音を立て、あれ…、…今度は兄貴が身悶えを始めた。呻いているのでそんなに痛かったかと心配になるが、自業自得だざまあみろと思い直し、この隙に急いで支度をした。隙、というか、割と余裕が出来たので服や髪の乱れをしっかりチェックした。
なんとか立ち上がろうとしていた兄貴に近づいて声をかけたら、スカートの中を覗かれたので蹴り飛ばした。しゃがんだのは私が悪いかも知れないが、露骨に凝視した上に色を呟くのにはイラッとしたし当然の仕打ちだと思う。
「妹に欲情して襲いかかったのはまずかったかもしれない。でもさあ、今までも何回かやってるんだぜ? まさかの仕打ちだよなあ」
「うるさいよ変態。下らない理由で遅刻しておいて。反省しろ」
安樂満、高校三年生。郡町枝子、同じく三年生。どちらも160?前後の身長で、満の方が若干1、2?高い。
「それにしても新居ちゃんが可哀想だ。朝から変態と食事を共にしてさらに襲われるなんてな」
「前から思ってたんだけどお前の喋り方にーちゃんに似てるよなあ」
「お前懲りてないだろそして死ね変態」
二人は学食へ足を運んでいて、というのは別に、二人の仲が特別いいからとか男女的な関係にあるとかそういう事ではない。
学食の前で、一年生の新居とその友達の羽前岳夏子と合流する。新居は170?を超えていて、夏子は150台ぎりぎり前半。この二人は友達だから一緒に食事を摂るが、他の友達と一緒に食べないのは、上級生の満と枝子が居るからだろう。この四人で食事を摂るのは、この四人の仲が特別いいからとか、何か同じ集団(部活など)に属しているとかそういう事ではない。それぞれの人間の単純な思惑の糸が四本上手く絡まった結果である。
そうなるに至ったを簡単に示すなら以下である。
夏子はお昼を学食で済ませている。基本的にお弁当を持ち寄る女子は、ホームルームで食べるので、それでは夏子が一人。寂しい。新居やそのほかの友達を連れて学食へ。
枝子がたまたまお弁当を忘れて学食で済ませた。その時に新居を見かける。ホームルームへ戻った時に新居の兄である満にそのことを話す。
次の日から、それを聞いた満が新居と食事を摂るために学食へ。先輩に遠慮した夏子の友達らがついてこなくなり、それでも夏子が新居だけを引っ張り学食へ。
枝子が満から昼食時の様子を聞き、新居に悪いことをしてしまったと思い満の行動を抑制するために一緒に学食へ行くことに。
四人での食事が習慣になる。
「こんにちは」
「こんにちは〜」
新居が枝子に挨拶をした。それに答えたのは満だった。嫌そうな顔をする新居。枝子と夏子が挨拶を交わす。
夏子以外はお弁当なので、三人が席に座る。六人掛けの席の端に座った新居だったが、満が隣に座ったので席を立って反対側へ移動した。満も席を立ったが、枝子が新居の隣をキープする。なので、仕方がないといった風に新居の向かいに座りなおした。新居が枝子に礼を言い、枝子がそれにいいのよと言って二人で会話が始まる。
夏子が来て満の隣、枝子の向かいに座り、二人の雑談に混ざった。
弁当の包みを開けながら、満が女子三人の会話を断ち切って話題をだす。
「はい、静かに。どうしたら妹が兄貴にデレるのか会議を始める」
「妹の前ですることじゃない」
「食事中だからやめてくれ」
枝子と新居で一刀両断にされるも、慣れたもの。汚い話題扱いされても、気にしないくらいには同じことを繰り返している。
「俺はお兄ちゃんと呼ばせることから始めたい」
「食事を作ってもらっているだけでありがたいと思わないのか?」
「兄貴はまず感謝の言葉から始めるべきだ」
そこで、夏子が口を挟んだ。
「お兄ちゃんって呼びましょうか?」
「夏子!?」
「夏子ちゃん!?」
今までこの手の会話にはあまり口を出さなかった夏子の信じられない発言に驚愕の声が上がるが、満は一人納得している。
「なるほど…良い作戦だ…」
「いや、作戦って」
「じゃあ夏子ちゃんは俺をお兄ちゃんと呼ぶことで新居への心理作戦を遂行してくれ」
「む、無駄だからな」
「お兄ちゃんと呼びたくなるか、もしくは友達に実の兄をお兄ちゃんと呼ばれることにジェラシーを感じさせることが出来れば作戦は成功だ」
「ジェラシーてお前」
「この作戦! 名付けて、ええと…『にーちゃんにお兄ちゃんと言わせよう作戦!』」
作戦は、特に意味もなく実行されていた。
「お兄ちゃんはにーちゃんの事が大好きだよね」
「夏子…お前本気か?」
放課後、帰り道。
「え? 見ればわかるじゃない」
「いや、そうじゃなくて。あんな兄貴のいう事を聞く必要はなあ…」
「そのこと? 私から言い出したことだし」
「そもそもどうしてあんなことを言いだしたんだ」
アパートは学校から徒歩十五分ほどで、学生を応援した貸住居だ。新居たちの高校から、いつの年も必ず使用者がいる。部屋が八つしかない小さなアパート。今は三部屋が学生だ。安樂兄弟に、夏子に、枝子。お互いが簡単に打ち解けたのには、実はこの貸住まいが一役買っている。
「いや、満先輩を…お兄ちゃんをお兄ちゃんって呼ぶだけならいいかなって思って。にーちゃんに向かって、にーちゃんのお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼ぶっていう意味じゃなかったんだけど…」
「じゃあ良いじゃないか、律儀にしていなくても」
「んー、断りづらかったし何となく…」
「夏子が良いなら構わないけど」
「うん」
二階建てのアパートの、一階端が安樂兄弟。真上が夏子、二階反対端に枝子。枝子は階段側である。
それぞれに分かれ、新居は一息ついた。
「…?」
荷物を置こうとして、違和感を覚えた。なんだか朝とは物の配置が微妙に違うような、でも違いが判らない違和感。
音がした。小さく、小さく。まるで間違って音を出してしまったような。ガラス窓を、閉める音。隣戸か? いや違う、安樂兄弟が借りている部屋からだ。違和感をぬぐえぬまま自室に入ると、それはより強くなった。兄に感じる気持ちの悪さではなく、恐々とした気持ち悪さを演出している。何かが自分の領域に侵入してきたという自覚。時に吐き気を催す奇妙な感覚。
ドサリ、と鞄をその場に置き、注意深く部屋を観察する。窓は、鍵がかかっていない。だが新居にはしっかりと締めた記憶もない。貧乏丸出しのアパート、物取りもいないと思ったが。
それ以外には? それほど物のある部屋ではないので、違和感を感じるという事は、全貌が大きすぎて気が付かないという事だ。大きく、かつ繊細な違い。
服をしまっている戸棚を開けた。
…服はこんなふうに畳んでいたか? こんな並びだったか?
思い出せない。意識して行っている事でもないから、思い出せないというか知らないと言っても過言ではないのだ。
でも何となく違うような気がする。
下着の入っている引出しをあけた。
「な!」
荒らされている。荒らされていた。
ぐちゃぐちゃ、
だ。
窓ガラスを見る。怖くて、開けられない。近づけそうにもなかったが、何とかカーテンを閉めるために歩み寄り、手が届くところからサッと閉めた。
曇りガラスなので中が見えるわけでは無いが…。新居はふと思い出し、カーテンの隙間から手を差し入れて鍵を閉めた。
だくだくと心臓がなっている。まるでおでこの中に心臓があるかのような錯覚を覚えた。
「兄貴」
兄、満の部屋はどうなっているだろう。変わりないだろうか。
生活の為に毎日のように出入りしているとはいえ、兄に興味があるわけでは無いので部屋の変化に気づけるとは思わないが…。
兄の部屋のふすまに手をかけると、心臓が両の目の外側にあるかのようだった。鼓動が二つに分裂して、視界の周辺を赤いような白いような色に染める。
思い切って、ふすまを滑らせた。
「兄貴、布団敷きっぱなし…」
敷かれたままの敷布団。その上に丸まった掛け布団。
他に、おかしなところは。…いや、おかしい。布団を片付けていないなら掛け布団は起き抜けの形か、敷布団の外に蹴られているはず。何故わざわざ敷布団の上に丸められているのか? 兄貴の無意味な行動? だとしたら構わない、しかし。
掛け布団を掴み、のぼせた息を落ち着かせる。
そのまま引っ張った。
コロン…パサ。
タオルケットが現れ、そのタオルケットに包まれていたものがばらけた。
「――ッ!」
新居の、下着の塊だった。上も、下も、不自然に皺の付いたものもある。
「ただいまー」
ちょうど満が帰ってきた。
「…――ころす」




