<番外> 倒れる
あの事故から三年たった。
わたしの記憶の断片は未だに戻らないまま。
修一が写っている写真は一枚もない。
修一が写真嫌いだったから……。
無理やり一緒に撮ったプリクラも、友達に頼んで撮って貰った写真もあの事故でなくなってしまった。
修一を心から愛し修一からも愛されていた記憶はある。
耳に心地いい低い声、修一が気に入っていつもつけていたコロンの香り、広くて安心する腕の中の感覚も全て覚えいる。
しかしかし修一の顔は未だに思い出せなかった。
今も年に数回病院へ定期的に通っている。
今まで何もなかったが、ここ1ヶ月頭痛が続いている。
来月の定期検診で担当医に聞いてみよう。そう思っていた。
だけど私にそんな余裕はなかった。
冬の足音が聞こえ始めた頃、純子は上司に頼まれ会社のお使いに行っていた。
その途中、突然立っていられないくらい激しい頭痛に見舞われた。
「うっ……痛っ……」
頭を押さえながら片方の手で壁に手を突き座り込む。
「大丈夫ですか?」
通り掛かかった通行人がズルズルと座り込む純子を心配した。
「痛い……頭が…痛……い」
激痛に目がくらむ。
目をつむり頭を押さえているとドクンと心臓が高鳴った。
その瞬間脳裏には三年前最後に見た修一の顔がはっきりと浮かんだ。
「修一……」
一瞬目を見開いた純子はその場に崩れた落ちた。
救急車が到着した時にすでに純子の意識はなかった。
『純子が倒れた』
その連絡を聞き修一は病院に駆けつけた。
「お義母さん、友達から連絡をもらって。純子は?」
「修一さん……」
純子の母は手術中と書かれた文字が光っている扉をみた。
「外出の途中で倒れたらしいの。まだいつ出てくるのかわからないの」
閉まった扉を心配そうにみる修一の背中に純子の母親は話しかけた。
「修一さんにもこんなに迷惑をかけてしまって。本当に申し訳ありません」
「迷惑だなんて、そんなこと全くないですよ。今は純子を待ちましょう」
「今まで何ともなかったのに。何で……」
純子の事もあり、数年前に比べ大分年を取り頭が白くなった純子の母親は独り言のように言った。
修一は廊下に置かれている椅子に腰を下ろし、開く気配のない扉をじっと見つめ純子の無事を祈った。
数時間後、「手術中」と書いてある電気がパッと消えた。
担当医が出てくると「もう心配ありませんよ」と笑顔で言った。
「ありがとうございます」
純子の母親は涙を流しながら医師にお礼を言った。
少しして手術室からベッドに寝た純子が出てきた。
「純子、純子」
純子の母親はベッドに寝ている純子に呼びかけて頬をなでた。
「集中治療室に連れて行きますね。目が覚めたらお呼びしますので治療室の前でお待ち下さい」
看護士は純子を集中治療室へ運ぶためエレベーターに乗り込み先に行った。
残った看護士に治療室の場所を教えてもらった。
「場所はわかりました。あとで行きますので……」
母親にそう言うと修一は一旦病院の外にでた。
久しぶりに見た純子があの姿だった事は修一にとって辛過ぎた。でも、無事でよかった。
夕焼けで真っ赤に染まった空を見上げて修一は涙を拭った。
「目が覚めましたよ」
看護士が廊下にいる修一達に告げた。
「ありがとうございます。会ってもいいですか?」
「少しだけなら大丈夫ですよ」
修一も促された。
「いえ、俺は……。純子にとって俺はまだ『知らない人』ですから」
「純子大丈夫?」
「…うん」
「気分は?」
「なんか変な感じ」
「眠りなさい」
「うん、ありが……と」
一週間後、術後の経過が良い純子は一般病棟へ移された。
「どう、調子は?」
お見舞いに来た雪絵が尋ねた。
「うん、すこぶる快調だよ。ありがとね、遠いのに」
「遠いから合いにきたのよ。近かったら『いつかいつか』って来れなかったかもよ」
ふふっと笑った。
「髪の毛切られちゃってショックだわ。また伸ばさないと……」
「短いのも似合うわよ」
チラッとドアへ目をやるとドアのガラスに修一の姿ががスッと映った。
「しゅ……」
「どうしたの?」
雪絵が声を掛けドアを見た。
「ううん、何でもない」
雪絵に笑顔を向けると純子はさっきの話を続けた。
夜、ベッドの中目をつむっていたがなかなか眠れずにいた。夕方みた修一に似た人の事が頭を離れない。
「修一……」
突然の頭痛に倒れ目を覚ました時、純子は修一の顔を思い出していた。
「修一は?」
誰かに聞きたかった。
でも誰も修一の話を一切しない。皆純子に気を使って話さないのだ。
これ以上修一のことで純子が苦しめられるのは辛いだろと。
やはり修一はあの時死んでしまったのだろうか?
一度は夫婦になったのに……。
しかし、記憶をなくして三年。
例え修一が生きていたとしても、とっくにどこかに行ってしまっただろう。もうあたしの事など忘れて、違う人と結婚し幸せな家庭を築いているかもしれない。
今更思い出してももう遅いのだ。
もし生きているのであれば会いたい……。
しかし修一には修一の人生がある。自分のわがままで彼の人生を狂わせるわけには行かない。
いや、あの事故で既に彼の人生を狂わせてしまったのかもしれない。
もし万が一……考えたくないがもうこの世に修一がいないのならお墓参りだけでも……。
「ごめんね修一」
純子は涙を流した。
「修一……修一待って!」
笑顔の修一が純子に気付かず通り過ぎていく。
「修一ってば……ねえしゅうっ……」
振り返った修一は怪訝そうな顔で純子をみた。
「どちら様ですか?」
「修一!」
純子はハッと起きると涙を流していた。
この3年間、修一はどんな思いで過ごしていたんだろう。
愛した人に気付かれないなんて辛すぎる。




