すき
1ヶ月経つ頃には仕事にも慣れてきた。
閉店後「はいコレ、少ないけど」
純子は瀬戸から1ヶ月分の給料をもらった。
「ありがとうございます」
渡された袋を胸に抱き純子は喜んだ。
瀬戸はカウンターの向こうからミルクティーを出した。純子がコーヒーを飲めない事を知らされているので特別メニューだ。
「いただきます」
純子はこのミルクティーが好きだ。口の中に広がる甘さが心を満たしてくれる。
瀬戸と向き合ってミルクティーを飲んでいると瀬戸が純子に聞いてきた。
「修一くんはなぜ純子ちゃんを『じゅんこ』って呼ぶの?」
純子はフフっと笑って理由を話した。
「——そうだったのか。履歴書ってやつを書いてもらってないから分からなかったよ。唯一許したってことは純子ちゃんにとって修一くんは『特別』なんだね」
純子は顔を赤くして
「そんなんじゃないですよー」と言った。
『特別』イコール『好き』?好きなの?
夏の暑さが盛りになってきた。
外のアスファルトは夏の太陽に照りつけられ陽炎が立っていた。
「純子ちゃーん、悪いけど裏からシロップとってきてくれる?」
「はーい」
瀬戸に言われ純子は店の奥にある倉庫として使っている部屋へシロップを探しに言った。
「よっ……うーん…」
いくら手を伸ばしても届かない。
「なにやってんの?取ってやるよ」
買い出しから帰ってきた修一はひょいと手を伸ばすと、いとも簡単にシロップが入った箱を取り純子に渡した。
「あっありがとう。また背が伸びた?」
「成長期だからね」
修一はニカッと笑った。
その時、シロップの箱を取った弾みで棚の荷物がグラッと傾いた。背中を向けていた純子は気がつかない。
「純子危ない!」
振り返ると頭上に棚の荷物が迫っていた。純子は衝撃に耐えようと体に力を入れた。
ドサッと言う音と共に純子に衝撃が……思ったほどの衝撃は来なかった……。
ふわっと修一のコロンの匂いがする。目を開けると修一が純子に覆い被さっていた。
純子はその広い胸に守られ無傷だった。
「修一!大丈夫?」
「痛ってー」
埃で頭から白くなった修一。その腕から血が流れる。
「大変!」
「大丈夫だよこんくらい。それより純子は大丈夫?」
「あたしは大丈夫。ちょっと待ってて」
純子は急いで救急箱を取りに行った。
「いっ……!」
修一は苦痛に顔を歪ませる。
「我慢して」純子は切れた腕に消毒液をつける。
ふと見ると純子の顔が近い。
束ねた髪がサラサラと落ち長いまつげを揺らした。
「—…ねえ、病院に行かなくて大丈夫なの?」
「ん?ああ、こんくらい平気だよ」
純子は仕上げにガーゼを張り
「さっきはありがとう」
とお礼を言った。
「いや、突差に動いただけだよ」
ちょっと照れて修一は笑った。
純子は救急箱を片付け、散らかった荷物も片付け始めた。
「なあ純子……」
その後ろ姿に修一は話し掛けた。
「ん?」
「お前はさ……誰か好きな奴いる?」
ドキッとした。
「えーっどうだろう?修一はいるの?」
質問に質問で答えた。
「俺はいるよ」
その答えを聞いて純子は内心穏やかじゃなかった。
「ふ、ふーん。誰?学校の人」
「お前」
「純子、俺お前が好きだ」
「えっ」
振り返ると修一が自分を真っ直ぐ見ている。純子はその視線から目が離せなかった。
「おはようございまーす」
次の日の土曜日、純子は朝からバイトに出た。
「おはよう純子ちゃん」
開店準備をしている瀬戸に挨拶をし着替えに行った。
部屋のドアをそっと開け中を覗いた。まだ修一の姿はなかった。
「まだいないか」
独り言を言ってドアにかかっている札——着替え中開けられないように純子が付けたもの。裏には『着替え中。開けるな!』と書いてある——をひっくり返して中に入った。
『俺お前が好きだ』
昨日の事を思い出し一人で赤くなりながら着替え、部屋の外でキョロキョロしながら身支度を整えていると
「何?なにか探し物?」
と後ろから突然声がした。
「うわっ…しゅ、修一おはよっ」
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
「顔赤いぞ、熱でもあんのか?それとも拾い食いでもして腹壊したか?」
「そ、そんなことしないわよ!」
「ふーん」といい修一は着替えの為部屋に入っていった。
なんであんたは普通にしてるのよー!
あたしだけバカみたいじゃん!
修一も着替え終わり店へ出た時、純子はせっせとテーブルを拭き客に呼ばれて注文を取りに行った。
注文を取り瀬戸にオーダーを言いに戻ってきた。
「なに怒ってるの?」
と修一が聞くと
「怒ってない!」
と返事が返ってきた。
「ほら怒ってるじゃん」
純子はジロっと修一をにらむと瀬戸が作ったコーヒーをお盆にのせ大股でテーブルに運んでいった。
「修一くん、純子ちゃんに何かした?」
「いえ、心当たりはないですよ」
瀬戸と修一は顔を見合わせ「女って訳わからん」と肩をすくめた。
あの告白のせいだろうか。
最近修一が他の女の子と一緒にいるのを見るとなんだかイラっとしている自分に気がついた。
そんな時サークルの飲み会があり純子はその会に参加した。
純子はその苛立ちをお酒で紛らそうとし、元々飲めない酒を飲みあっという間に酔いつぶれて寝てしまった。
「ちょっと……純子どーする?」
困ったように女子が口々に言う。
その様子を見ていたサークル内の男子が眠っている純子に近づいてきた。
「俺、こいつんちの近くだから」
と寝ている純子を抱きかかえようとした。
そこへ誰かが連絡したのか修一が姿を現した。
「悪いな、純子は俺の女なんだ」
介抱しようとした男子を睨み付け修一は眠っている純子を無理やり起こし店を後にした。
純子は修一に引っ張られまだ半分眠りながらふらふらと歩いていく。
近くの小さな公園のベンチに座らされ修一に手渡されたペットボトルの水を無言で飲んだ。
冷たい水を飲み大分しっかりしてきた純子に修一は小言をいった。
「お前、飲めもしない酒を無理に飲むな!」
「いいじゃん、修一には関係ないでしょ。彼氏でもないのに……ほっといてよ!」
修一をみたらあのイライラが蘇ってきた。
それは突然だった。
頬が熱い。
酒に酔っているせいもあるが左頬だけが非常に熱い。
修一に叩かれた。
「なにすんのよ!」
酒の勢いもあり純子は叩かれた頬に手を当て修一にくってかかった。
「付き合ってないと心配しちゃいけないのかよ!」
肩を掴まれ痛さに顔が歪む。修一は本気で怒っている。
「痛いっ」
「俺はお前が好きだ。心配して何が悪い!」
乱暴にキスをされ修一は行ってしまった。
純子は叩かれたたうえにいきなりのキスに呆然としベンチから動けなかった。
しばらくすると「家まで送る」とブスッとした顔で修一が戻ってきた。
少し間を開けて歩く2人。何とも言えない気まずい空気が漂い2人とも無言のままだった。
修一が先に口を開いた。
「さっきはごめん」
「叩いたこと?キスしたこと?」
「両方」
「あたしファーストキスだったのに。夢にまでみたファーストキスがあんななんて最低だ……」
「だからごめんて……」
修一は純子との距離を縮めながら言った。
「あの後、お前すげー不自然だったぞ。俺だって……。でも二人揃ってキョドってたら不自然だろ。それにあのままこの関係が崩れるのがいやだったから俺は自然に振る舞ってたのに、お前は顔もまともに見てくれないし……」
「しかもお前、無防備すぎ!」
そう言うとまた無言になり歩き続ける。
アパートの前までくると修一は「じゃあな」と言って純子の返事を聞かないまま帰って言った。
「純子と西根さんって付き合ってたんだ」
三日後あの時同じ居酒屋にいた友達に聞かれた。
「なんで?」
「だってねえ……この間!」
「西根さん結構ポイント高かったからショックだわ」
「あの時の西根さん格好良かったー!『純子は俺の女だ』って」
キャーっと女友達は顔を見合わせながらはしゃいでいる。
修一がポイント高い?
普通じゃない?
ってか『俺の女』?
休講の時間、純子は修一を見つけると手招きし
「いつからあたしは修一の『女』になったの?」と聞いた。
「えっ?俺はお前が好きだって前から言ってるし、あの後お前も了承したじゃん」
「いつあたしがあんたとの付き合いを了承した?」
修一はフフンと鼻を膨らましてにやけた。
「了承したも同然じゃんか。お前が俺を好きなの知ってるからな」
自分の気持ちを当てられた純子は赤面しながら「うっ…」と詰まった。
それを見た修一は純子の唇にチュッとした。
ここは大学の中庭。周りには学生や職員がいる。
「なにすんの!修一なんか大っ嫌い!」
耳まで真っ赤になりながら純子は手を振り上げ修一はそれをよける。
はたから見ればその様子は恋人同士が仲良くじゃれている様にしか見えなかった。