出会い
「じゅんこ!」
男の人が叫んだ。
私は思わず振り返った。
振り向くと——おおかた走り出してしまったのであろう——父親と思われる男性が小さな女の子をおいかけていた。父親が女の子に追いつき抱き上げると、そのまま肩車をし女の子は喜んで笑っていた。
その微笑ましい光景に純子は微笑んだがすぐにその笑みは悲しげな表情へと変わった。
あの人が呼んでくれた名前……。
もう一度あの人の声で呼んで欲しい。
だけど、呼んでくれるあの人はもういない……。
「出席をとります。名前を呼ばれたら返事をして下さい」
桜咲く季節。私はこの時間が嫌いだった。
新学期のこの時期、各教科毎に教師が違うため、一週間に何度この時間があるんだろう。
私の名前は神崎純子。
純子と書いて『すみこ』と読む。
決して珍しい名前ではないと思っているが一度で呼ばれた試しはない。
学校に提出してある名簿には読み仮名をふって出しているのだが……。
教師達はちゃんと見ているのかしら?毎回読み間違えられた名前を言い直すのを純子はうんざりしていた。
また言い直すのか…。
そんな思いで名前が呼ばれるのを待っていた。
「——じゃあ次、神崎『すみこ』さん」
「先生、『じゅんこ』じゃなくて『すみこ』です」
名前が呼ばれた途端、あまりよく聞きもせず訂正を口にした。
大抵の教師は「あっごめん、すみこさん…ね」と謝るのだが今回の教師は何も言わない。
顔をあげ教師を見た。
「だから神崎『すみこ』さんよね?」
教師がキョトンとした顔で聞き直した。
「……はい」
「素敵な名前ね」
教壇に立っている教師はにっこり微笑んだ。
「次は——」
教師は出席を続けた。
名前を間違わず呼ばれたのは二度目だった。
初めて間違わずに呼ばれたのは小学校四年の時。
その先生は定年間近のおじいちゃん先生だった。
——「キレイな名前だね」
初めて間違われずに名前を呼ばれたのと、自分の名前が誉められたら嬉しさで心がいっぱいになった思い出がある。
授業終了を知らせるチャイムがなり教師は教科書と出席簿をもち教室を後にする。
「先生!」廊下へでた純子は教師を呼び止めた。
「先生、さっきはすみませんでした」
純子が謝ると教師はにっこりと微笑み
「いいえ、素敵な名前ね。大切にしてね」
と言い職員室へ歩いていった。
「じゅんこ」
呼ばれて振り向くと西根修一が歩いてくる。
「す・み・こ!何度言えばわかるの?あーあ、修一のせいでせっかくの気分が台無し」
と文句を言ってやった。
修一は高校生の時やっていたバイト先で知り合った一つ年上の男性。友達以上恋人未満という微妙な関係であった。
受験に集中するため数ヶ月前にバイトを辞めてしまったのだが、大学の入学式でばったりあい、お互い初めて同じ大学だと知ったのだった。
「いいじゃん。別に減るもんじゃないんだし」
修一にはバイト中に何度も名前を間違えられ、いちいち訂正するのも億劫になってきた純子はそのままにしていたのだ。それゆえ純子を『じゅんこ』と呼ぶのは修一しかいないわけだ。