80話:帝国連鎖
――各地。
広大な版図を誇った大陸の至る所から、同じ断末魔のような報告が、しかし別々の場所から、絶え間なく上がり続けていた。
「村に人がいない。みな、住み慣れた土地を捨てて消えた」
「物流が完全に途絶した。街道を走る馬車の音すら聞こえない」
「中央からの命令が届かない。伝令は途中で消息を絶ち、あるいは届いたところで誰も従わない」
崩壊のきっかけは、地域によって異なっていた。ある場所では飢饉が引き金となり、ある場所では防衛線の放棄が、またある場所では経済の心停止がその原因となった。しかし、現れた結果は驚くほどに酷似している。秩序という名の強固な織物が、端の方から音を立てて解け始めていた。
――帝国。
かつて大陸の覇者として君臨した帝国において、国家を支えるべき「徴兵」というシステムは、もはや無意味な数字の羅列へと成り下がっていた。兵を集めようにも、対象となる若者たちは流民となって霧散し、あるいは自衛のために村に閉じこもっている。
流通という血液は止まり、地方という四肢は壊死し、中央との繋がりを失って切り離された。帝国に残されたのは、肥大化した「中枢」という名の心臓だけ。しかし、送り出すべき血液も、動かすべき手足も持たない心臓が、いつまで単体で拍動を続けられるというのか。
――北方。
北方連合は、いまだに地図の上ではその形を保っている。加盟国の旗は並び、同盟の誓約も破棄されたわけではない。だが、その実態は空虚であった。
「連携」という言葉は、各国の利己主義の前に霧散した。それぞれが、己の領土だけを、己の部族だけを守るために、勝手に動き、そして行き詰まって勝手に止まる。隣国が火に包まれていても、それを見ようともしない。一つとしてまとまることのない集合体は、もはや組織としての体をなしていなかった。
――王国。
一方、王国はすでに「止まって」いた。
かつての優雅な伝統も、厳格な騎士道も、今や日々の糧を確保できないという物理的な限界の前に沈黙している。外と繋がらない。経済が回らない。体制を維持できない。ある一点を超えたとき、王国という装置は完全に機能を停止し、ただの静止画となった。
――違う国。
それぞれに違う構造を持ち、違う歴史を歩んできた。
崩壊の理由も、ある国は政治の腐敗であり、ある国は資源の枯渇であり、ある国は防衛の失敗であった。
だが――。
行き着く先は、すべて同じだった。
ドミノ倒しのように連鎖するこの崩壊は、もはや「戦争」という言葉では説明がつかない。敵軍が攻めてきて、城を落とすというような人間的なドラマではない。それは、重力に従って物が落ちるような、あまりにも自然で抗いようのない「現象」であった。
支える力を失った構造物が、ただ下に落ちる。
自立する手段を持たない共同体が、ただ消える。
感情の介在しない、ただの物理的な収束。
――帝国中枢。
帝都の城は、今も変わらずそこに立っている。
尖塔は高く、城壁には帝国の象徴たる大旗が風にたなびいている。
内部には精緻な官僚機構が残り、膨大な数の制度が記された法典も書架に並んでいる。
だが――。
帝国中枢ですら維持できない規模で人材が抜けた
それらは何一つとして、生きて「動いて」はいない。
執務室の机の上には、各地から届いた(あるいは届くはずだった)書類が山のように積み上げられている。
それは処理されることはない。決裁の印が押されることもない。
時折、中枢の住人たちが、何らかの「決定」を出すこともある。だが、その紙片が城門を出ることはなく、仮に出たとしても、それを実行に移す力を持つ者は、もう帝国のどこにも存在しない。
「……次はどうする」
誰かが、暗い会議室の片隅で力なく呟く。
その問いに答える者はいない。
答えを出したところで、それを現実に反映させる「手足」がもはや存在しないのだ。意味のない議論、意味のない決定、意味のない時間。無力感だけが、冷たい霧のように部屋に満ちていた。
――廊下。
豪華な装飾が施された城の廊下には、まだ役人や兵士たちの姿がある。
だが、誰も急ぎ足で歩く者はいない。
かつての喧騒は消え、皆が亡霊のように緩慢な動作で立ち尽くし、あるいは目的もなく歩いている。
急いでも、何も変わらない。
命令を聞いても、何も救えない。
すべては終わっているのだという確信が、彼らの足取りを重くさせていた。
――帝国。
それは、まだ地図の上には存在し、歴史の教科書にはその名が刻まれている。
だが、その実態はもはや――。
形を保っているだけの、抜け殻であった。
繋がらない。
動かない。
維持できない。
中身を失い、昨日までの慣性だけで辛うじてそこに在る国家。
それは、もはや国家とは呼べない。
かつての栄華を閉じ込めた、ただの――。
巨大な、残骸であった。
崩壊は完成に近づいている。
音を立てることもなく、ただ世界が一つずつ、静かにその輪郭を消していく。
帝国連鎖。
それは、一つの時代が完全に砂へと還るまでの、短くも絶望的な、最終楽章であった。




