66話:周囲の恐怖
――各国。
その日、大陸全土に張り巡らされた諜報網は、かつてない異常なノイズを検知していた。
各国の王都、重鎮たちの執務室。そこにある机の上には、呼吸を忘れるほどに凄まじい密度の報告書が、次々と、あるいは雪崩のように積み上げられていた。
届けられる情報は、どれもがこれまでの軍事常識を根底から覆すものばかりだった。
重なり合う情報の束。だが、それらを精査すればするほど、現場の指揮官や分析官たちは、ある一つの「解」に辿り着けずにいた。
内容が、あまりにも噛み合わないのだ。
「……早すぎる。何かの間違いではないのか」
列強国の一つ、その参謀本部。地図を睨みつけていた老将軍が、掠れた声で低く呟いた。
「もう三つの領地が落ちただと? 最後に報告が上がってから、まだ半日も経っていない。行軍の速度すら計算が合わん」
「確認の魔法通信は三度行いました。間違いありません」
副官が、青ざめた顔で声を重ねる。
「抵抗の形跡すら……防衛の準備すら、させていないようです。門を閉ざす暇もなく、気づけば城内に敵の管理官が入り込んでいた、と」
沈黙。
会議室に集まった将星たちの間に、得体の知れない寒気が走った。
理解できない。
あり得ない。
そんな言葉が、喉元まで出かかっては飲み込まれる。
あまりにも速すぎる。
あまりにも正確すぎる。
過去の歴史に刻まれた凄惨な戦記にあるような、泥沼の攻城戦の記録が、今回の報告にはほとんど存在しないのだ。
どちらがどれだけの損害を出し、どちらがどれほどの武勇を示したか。そんな「物語」を語る余地など、そこには欠片もなかった。
被害も、混乱も、略奪の報告すら上がってこない。
ただ――冷徹な「結果」だけが、記号のように並んでいる。
奪取。
掌握。
完全確保。
それだけだ。まるで、古くなった備品を新しいものに置き換えるかのような、無機質な事務作業の結果。
「これは……。我々が知っている戦争とは、根本的に何かが違う」
誰かがようやく口を開き、この状況を説明するための適切な言葉を探した。
だが、どれほど語彙を尽くしても、目の前の異常な事態に当てはまる表現が見つからない。
やがて、その沈黙を切り裂くように、一つの答えが誰の口からともなく落ちた。
「これは侵略ではない」
否定するように、しかし、抗いようのない確信を持って。
「……ただの、“拡張”だ」
その一言が放たれた瞬間、室内の空気が一気に冷え切った。
戦争ではない。
意志と意志のぶつかり合いでも、領土を奪い合う剥き出しの闘争でもない。
ただ、そこに「空白」があるから、あるいは「非効率」があるから。
あふれ出した水が低い場所へ流れ落ちるように、あるいは植物の根が土壌を侵食していくように、ただ自然に、当然の権利として広がっているだけなのだ。
流れのように。
意志を持った、止まらない仕組み。
誰もが、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
防ぐ手段がない。
壁を作っても、軍を並べても、あの「仕組み」は水のように隙間から入り込み、内側からすべてを書き換えてしまうだろう。
気づいたときには、すでに――。
もう、すぐ隣まで来ている。
彼らの耳には、自分たちの平和な日常を解体し、再定義しようとする、あの冷徹な「足音」が聞こえ始めていた。




