91 神獣の翼撃
タワーの最上階、実験室のさらに奥にある巨大な鉄扉を、セリスの剣技が切り裂いた。
「アイアンクリーバー!」
轟音と共に鉄扉が両断され、カリナとセリスは教団の中枢――『虚無の祭壇』へと踏み込んだ。
そこは、ドーム状の広大な空間だった。中央には禍々しい紫色の炎が燃え盛る祭壇があり、その前に一人の男が立っていた。ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの本拠地を管理する最高責任者、教祖ゾルフだ。
「ここまで来たか、エデンの走狗共よ」
ゾルフが振り返る。その顔は痩せこけ、瞳は異様な光を放っている。彼は追い詰められているにも関わらず、狂気じみた笑みを浮かべていた。
「アモ・フォン公爵が敗れたのか? ……だが、時間は稼げた。儀式の準備は整ったのだ!」
「儀式だと? これ以上、何を犠牲にするつもりだ!」
カリナが叫ぶ。
「犠牲? 違うな、これは融合だ! 大いなる虚無の力と私が一つになり、この世界を浄化する神となるのだ!!」
ゾルフは祭壇の紫色の炎を、あろうことか自らの口へと流し込んだ。ゴク、ゴク、と喉が鳴る。直後、彼の肉体が痙攣し、膨張を始めた。
「グガッ、ギギギ……アアアアアッ!!」
皮膚が裂け、内側から黒い筋肉と紫色の体液が溢れ出す。背中からは不格好な翼が生え、腕は丸太のように太くなり、顔は原形を留めないほどに歪んでいく。悪魔化だ。だが、それは生まれながらの悪魔とは対極の、制御を失った醜悪な暴走だった。
「チカラが……溢れル……! コワレる……世界ガ、コワレるゥゥゥッ!!」
理性を失った怪物が咆哮する。その衝撃だけで祭壇の間が激しく揺れた。
「くっ、制御できていません! ただ暴れまわるだけの化け物です!」
セリスが剣を構えるが、怪物が適当に振り回した腕の風圧だけで、彼女の体勢が崩される。
「セリス、下がってくれ。……こいつは私が終わらせる」
カリナが一歩前に出る。その瞳には、憐れみと、王としての決意が宿っていた。彼女は刀を構えず、左手を天に掲げた。
「ホーリーナイト! 詠唱の間、奴を抑えろ!」
カリナの召喚に応じ、純白の騎士団が顕現する。彼らは巨大な盾を構え、暴れ狂うゾルフの攻撃を受け止めた。その隙に、カリナは厳かに祝詞を紡ぐ。
「――天を統べし蒼穹の王、
獣の王たる獅子の力、
鳥の王たる鷲の眼を宿す神獣よ」
空間が震え、黄金の風が巻き起こる。
「――山岳を越え、雲海を裂き、
正義と誇りを翼に刻みし守護者よ」
天井のステンドグラスが砕け散り、神々しい光が降り注ぐ。
「――我は契約を以て名を呼ぶ。
その黄金の翼を広げ、我が前に顕現せよ
――神獣グリフォン!」
カリナの呼びかけに応え、天井を突き破るほどの輝きと共に、黄金の翼を持つ獅子の如き巨獣が舞い降りた。
「召喚に応じました、我が主よ」
グリフォンが威厳ある声で告げる。
「ああ、お前の力を貸してくれ」
カリナが頷くと、グリフォンは光の粒子となって分解し、カリナの身体を優しく包み込んだ。光が弾けると、そこには新たな姿のカリナがあった。純白と黄金色を基調とした、まるで羽毛のような意匠の聖衣。背中には光り輝くエネルギーの赤い翼が展開し、カリナの体がふわりと浮き上がる。
「あれが……召喚獣と真に心を通わせた召喚士だけが纏えるという、伝説と言われる聖衣……!」
初めて見るその姿に、セリスが驚愕の声を漏らす。精霊そのものを身に纏い、一体化する。それは高い実力と、召喚体との深い絆を持つ召喚士にしか許されない奇跡の具現だった。
「ガアアアアアッ!!」
怪物が本能的な恐怖を感じたのか、ホーリーナイト達を弾き飛ばし、滅茶苦茶に触手を伸ばして襲い掛かる。だが、聖衣を纏ったカリナは、突風のようにその懐へと潜り込んだ。
「遅い!」
カリナの左手が、怪物の胸板――魔力の核がある中心部に触れた。ただ、軽く触れただけだが、そこから流し込まれたのは、圧倒的な質量の精霊力と魔力。
ドォォォンッ!
膨大な力が敵の体内に叩き込まれ、中枢神経を一瞬で麻痺させる。
「ギ、ガ……ッ!?」
怪物の動きが一瞬にして硬直した。身動きが取れなくなった巨体を見上げ、カリナは両手に凄まじい風の精霊力を収束させた。
「空の彼方へ消え失せろッ!!」
直接掴むのではない。圧縮された暴風の塊を、至近距離から叩きつけ、両手を交差させ空へと放り投げる。
「グリフォン・フラップ!!」
ドオオオオオオオォンッ!!!
カリナの両手から放たれた暴風は、物理的な衝撃波となって怪物を天へと放り投げた。タワーの堅牢な天井が紙のように破れ、巨大な風穴が開く。怪物はその穴を通って、ロケットのように垂直に打ち上げられた。雲を突き抜け、その姿が見えなくなるほどの超高度だ。
そして、重力と風の追撃に引かれ、隕石のような速度で落下を始める。
「ア、アアア……ッ!!」
遥か彼方の荒野に、一筋の流星が激突した。
ドズズゥゥゥゥゥン……!!
その凄まじい運動エネルギーによって、怪物の肉体は原子レベルで崩壊し、光の粒子となって消滅した。後に残ったのは、地平線まで届くような轟音と、巨大なクレーターだけだった。
「ふぅ……。手荒だったが、これしか手がなかった」
カリナが床に降り立つと、聖衣が解け、再び光となってグリフォンの姿に戻った。カリナは労うようにグリフォンの首筋を撫でた。
「ありがとう、助かった」
「いえ主の力になれて光栄です。それでは」
グリフォンは一礼すると、光の粒子となって還っていった。セリスが目を丸くして駆け寄ってくる。
「凄まじいです……! あのような荒業で決着をつけるなんて、カリナさんは本当に規格外ですね」
「ああ。だが、これでここの責任者は消えた。……ん?」
静寂が戻った祭壇の奥。隠し扉のような隙間から、微かな人の気配を感じた。
カリナとセリスが警戒しつつ近づくと、そこには狭い小部屋があり、実験器具に埋もれるようにしてうずくまっている一人の男性がいた。白衣は薄汚れ、顔色は土気色で、酷くやつれている。その周囲には、忌まわしき『反転精霊装備』の設計図や、失敗した試作品が散らばっている。
それを見たカリナの表情が険しくなった。
「お前が……こんなものを作っていたのか?」
「……っ!」
カリナの問いに、男は怯えるどころか、激昂して立ち上がった。
「こんなものを! 好きで作って協力するわけがないだろうがっ!!」
「なんだと……? お前は一体誰だ?」
「私は錬金術師のベルガー。ただのガリフロンド公国の街の発明家だったんだ。だが、ある日、黒い服の男達がやってきて……妻と娘を攫っていった」
ベルガーは悔しさに顔を歪め、設計図を握りつぶした。
「『家族の命が惜しければ、組織の計画に協力しろ』と……! 断れば、妻と娘をなぶり殺しにすると脅されて……! 私に、どうしろと言うんだ……!」
血を吐くような叫び。カリナとセリスは息を呑んだ。そして、その背後にいる者達の顔を思い浮かべ、激しい怒りがこみ上げてくる。
「ドゥーカス公爵……そして、災禍伯メリグッシュ・ロバス……!」
カリナが憎々しげにその名を呼ぶ。ここを任されていたゾルフも、悪魔アモ・フォンも、そしてこの錬金術師も。すべては彼らの掌の上だったに過ぎない。
「どこまでも腐った連中ですね……。無関係な家族を人質に取り、こんな非道な研究を強いるなんて」
セリスもまた、静かな口調の中に激しい憤りを滲ませる。
「……待て、これは?」
カリナは机の上に広げられた地図と書類に目を留めた。 そこには、ここ以外の『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』の支部や、補給線の情報が詳細に記されていた。
「ここの研究データを、他の支部へ送る手筈になっていたんだ。……まだ送ってはいないがな」
ベルガーが吐き捨てるように言う。
「これは重要な情報だ。奴らのネットワークを叩く手がかりになる」
そこへ、優雅な足取りでカグラが入ってきた。
「カリナちゃん! セリスさん! 無事でよかったぁ!」
カグラは瓦礫を跨いで駆け寄ると、心底ほっとしたような表情を見せた。
「カグラ、悪魔はどうしたんだ?」
「ん? ああ、あんなの楽勝よ。私を誰だと思ってるの?」
カグラは事もなげに言い放ち、ふふんと胸を張った。そして、憤るベルガーと散らばる設計図を見て、すぐに事情を察したようだった。
「なるほどね。脅されて悪事に加担させられていたわけか……。この人の身柄は、エデンで保護させてもらうわ」
カグラはエデンの筆頭相克術士としての威厳を纏い、ベルガーに向き直った。
「安心して。エデンの保護下に入れば、奴らも手出しはできない。あなたは重要参考人だけど、事情が事情よ。情状酌量の余地はあるわ」
「あ、ありがとうございます……! ですが、妻と娘が……!」
「分かってる」
カリナがベルガーの肩に手を置き、力強い瞳で見据えた。
「私達はこれから、ガリフロンド公国へ攻め込む。その時、必ずお前の家族を助け出す」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、約束する。これ以上、奴らの好きにはさせない」
カリナの言葉に、ベルガーは崩れ落ちるように膝をつき、涙を流して感謝した。カリナは握り拳を作り、タワーの風穴から見える空を睨みつけた。
「待っていろ、ドゥーカス、メリグッシュ・ロバス。……お前達の罪、必ず償わせてやる」
こうして、敵本拠地の中枢タワーは制圧された。だが、戦いはまだ終わっていない。
タワーの外、左右の施設では、未だシルバーウイングの面々と、ルミナスアークナイツ、エデンとルミナスの騎士団による激戦が繰り広げられていたのだ。




