87 出撃前夜
決戦に向けた準備期間の一週間は、飛ぶように過ぎ去った。
その間、カシューは魔法工学で作られたイヤホン型の通信機器を駆使し、ルミナス聖光国のジラルド王、そしてヨルシカ陰陽国のソウガ王と連日連夜の会談を行った。
カリナが単身ルミナスへ渡り、かの国を脅かしていた悪魔を討伐した実績。それが元となった強固な信頼の礎、カグラの縁によるヨルシカとの繋がり、三国の同盟関係は揺るぎないものとなっていた。その信頼があったからこそ、軍の展開速度や補給線の確保といった詳細な調整もスムーズに完了したのだ。
そして、出発を翌朝に控えた夜。エデンの城下町は静まり返り、明日の出陣に備えて眠りについている。
城のバルコニーには、一人、月を見上げるカリナの姿があった。夜風が彼女の赤い髪と、フリルのついたドレスの裾を優しく揺らしている。
「――眠れないのかしら? カリナちゃん」
背後から、衣擦れの音と共に柔らかい声がかかった。振り返ると、月光に照らされたカグラが立っていた。昼間の騒がしさとは打って変わり、その表情は穏やかで、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。白の狩衣と紅の羽織が、夜の闇に鮮やかに映えていた。
彼女もサティア同様、ずっと留守にしていた自室で、側付や自分の代行との再会を果たしていた。
「カグラか。……いや、眠れないわけじゃない。ただ、風に当たりたかっただけだよ」
「ふふ、そう」
カグラは音もなくカリナの隣に歩み寄ると、手摺りに肘をついて同じ月を見上げた。
「さっきカシューから聞いたわ。ジラルド王ともソウガ君とも、話がついたって」
「そうか。流石はカシューだ。あのジラルド王と、ヨルシカのソウガ王を相手に、たった数日で完璧な連携プランをまとめ上げるなんてな」
カリナが感心したように頷く。
「ええ。ソウガ君ったら張り切っていたわよ。『カグラ姉様とカリナさんのためなら、ヨルシカ全軍をもって支援します!』ですって。……あの子の気持ち、少しは察してあげたら?」
「ん? あいつは本当に律儀でいい奴だったからな。困ったときはお互い様というやつだろ?」
カリナは心底不思議そうに首を傾げた。ソウガが自分に恋心を抱いているなどとは、微塵も気づいていない様子だ。
「……相変わらずこの子は、鈍感ねぇ」
カグラは苦笑しつつ、話題を変えた。
「北のガリフロンド公国は、予定通りソウガ君率いるヨルシカの本隊が結界で封鎖するわ。『天蓋封縛』……蟻一匹逃さない、国一つを丸ごと鳥籠に入れる大結界よ」
「そして南からは、私たちがハンマーとなって扉を叩き割る、か」
「ええ。袋の鼠になったヴォイド・リチュアル・サンクトゥムを、逃げ場のない地獄で焼き尽くす」
カグラの声色が、スッと冷えた。
「あいつらはやりすぎたわ。禁忌に手を染め、多くの精霊達を犠牲にし……あまつさえ、この美しい世界を穢そうとしている」
「……ああ。精霊達の悲鳴が聞こえるようだ。絶対に許されない」
カリナもまた、強く手摺りを握りしめた。精霊に愛された彼女にとって、精霊を犠牲にする行為は最も許しがたい暴挙だ。
「私の可愛い妹分の平穏を脅かす奴らは、私が一人残らず地獄へ送ってあげる」
カグラはそう言うと、いつもの甘えるような仕草で、カリナの肩に頭を預けた。するとそこへ、複数の足音が近づいてきた。
「やあ。二人とも、こんなところで夜更かしかい?」
「あら、カシューだけじゃないのね」
現れたのはカシューだけでなく、サティアとエクリアも一緒だった。サティアは穏やかな笑みを浮かべているが、エクリアはどこか頬を膨らませて不満げだ。
「ちぇっ、カシューは心配性なんだからよー。留守番なんて退屈で死んじまうぜ」
「ははは、拗ねないでくれエクリア。君がいるからこそ、僕達は安心して前に出られるんだ」
カシューがなだめると、サティアが一歩前に出た。
「私も……もう迷いません。一度は挫けましたが、カリナさんに多くの人達のおかげで立ち直れました。この世界を脅かす悪とは、最後まで戦い抜きます」
「サティア……。ああ、頼りにしてるぞ」
カリナが頷くと、カシューは感慨深げに夜空を見上げた。
「僕達三人がこの世界に来て、もう100年近い時が経った。……長いようで、あっという間だったなあ」
「そうねぇ。いろいろあったわね」
「ええ。カシューさん、カグラさん達と共に歩んだ日々は、エデンでは僅かの期間でしたけど、私にとっても宝物です」
カシュー、カグラ、サティアの「100年組」がしみじみと語り合う。その横で、エクリアが「俺はまだ30年だけどな」と小声でボソリと呟き、カリナは呆れたように肩をすくめた。
「おいおい、年寄り臭い話をするなよ。私はまだこの世界に来て日が浅いんだ。お前達と一緒にしないでくれ」
「あはは! そうだったね。カリナちゃんはピチピチの新人さんだった!」
「……茶化すなよ、カグラ。だが、覚悟の重さは変わらないぞ」
カリナは真剣な眼差しで、自身の掌を見つめた。
「私には魔法剣と召喚術、それに、『精霊王の加護』もある。……ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムが何を企んでいようと、必ず叩き潰す」
その力強い宣言に、全員の表情が引き締まる。カシューが右手の拳を突き出した。
「守ろう。僕達のエデンを、そしてこの世界の未来を」
それに呼応し、カリナ、カグラ、サティア、そしてエクリアも拳を突き出す。
「ああ。誰も傷つけさせない」
「邪魔する奴らは全員ぶっ飛ばしてやるわ」
「ええ、神聖なる光の加護を」
「留守は俺に任せとけ。帰ってきたら土産話、たっぷり聞かせろよな!」
月光の下、五人の英雄達の誓いが交わされる。過ごした時間の長さは違えど、通じ合う心は一つだ。そしてシルバーウイング、相律鎮禍連。ルミナスからは聖騎士団にルミナスアークナイツと最高の戦力が揃っている。こうして前夜は過ぎて行った。
◆◆◆
そして、翌朝。
早朝の冷気がまだ残る中、エデン城の正門前には、歴史的な軍勢が集結していた。
そこに馬の嘶きはない。ずらりと並んでいるのは、エデンの魔法工学の結晶――戦車隊が運用する、重厚な黒塗りの自動車部隊だ。その装甲は鋼鉄よりも硬く、高出力の魔導エンジンによる機動力は馬の比ではない。
初めて見るその鉄の塊に、シルバーウイングの面々が目を丸くしている。
「おいおいマジかよ……。これに乗ってくのか?」
ロックがおっかなびっくり車体を触る。
「すごいな。俺の斧でも傷一つつけられそうにないぞ、こいつは」
アベルがバンバンと装甲を叩いて感心している。
「揺れないといいのだけど……酔うのは御免です」
セレナが心配そうに言うと、団長のセリスが興味深そうにエンジン部分を覗き込んだ。
「これがエデンの魔法工学……。噂には聞いていましたが、実物は想像以上ですね。これなら長距離の移動も万全でしょうね」
「ああ。乗り心地は保証するぞ」
カリナがニヤリと笑って、彼らの乗る車両の座席へと促した。
車列の先頭に立つのは、戦車隊隊長のガレオスだ。彼は無骨な軍服に身を包み、先導車の前で直立不動の姿勢を取っている。
「陛下、全車両、機関始動準備完了しております!」
ガレオスの低い声が響く。カシューは頷き、見送りの近衛騎士団の精鋭と共に中央の指揮車両へと向かう。その脇を固めるのは、カリナ、サティア、カグラといった特記戦力達と、ライアンを筆頭に王国騎士団が続く。
そして、見送りの列の最前列。そこには、今回は留守を預かることになったエクリアの姿があった。昨晩の「俺口調」で不貞腐れていた様子は微塵もない。
公の場であるため、彼女は完璧な「淑女」を演じている。腰まで届く艶やかな金髪のロングヘアを風になびかせ、仕立ての良いドレスローブを纏ったその姿は、誰が見ても深窓の令嬢だ。
彼女は優雅にスカートの裾をつまんでカーテシーを披露し、聖女のような美しい微笑みでカシュー達を見つめた。
「カシュー陛下、そして皆様。どうかご無事で。勝利の栄光がエデンにあらんことを――」
鈴を転がすような美しい声で激励を飛ばす。だが、カシューやカリナ達と目が合って近づくと、その瞳に悪戯っぽい光を宿し、小声で言った。
「精々派手にやってきな。俺の分まで暴れてこないと承知しねぇからな」
その熱い闘志と信頼を受け取り、カシューは一度だけ振り返った。城壁の上に翻る旗を見上げる。朝日を受けて輝くのは、エデンの誇り高き国章――『黄金の獅子』だ。
彼は前を向き、高らかに号令を発した。
「全軍、進軍開始! 目指すはビィタールの谷! 我らの未来を切り拓くぞ!!」
ガレオスの合図と共に、魔導エンジンの重低音が唸りを上げる。黒塗りの車列が、黒い奔流となって動き出した。 エデン、ルミナス、ヨルシカ。三国の威信をかけた、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム討伐戦の幕が、今ここに切って落とされたのである。




