85 剣戟の響き
翌朝。
東の空が白み始め、朝靄がエデンの城郭を幻想的に包み込む刻限。騎士団の第二演習場には、張り詰めた冷気と共に、心地よい緊張感が漂っていた。
砂利を踏みしめる音と共に、カリナとリーサが姿を現す。 カリナは訓練といえども妥協はなく、フリルやリボンがあしらわれた、いつものファンシーかつ高性能なドレス衣装だ。対するリーサも、エデン王国の正式な術士であることを示す、刺繍入りの上質なローブを身に纏っている。
「おはようございます、皆様。早いですね」
リーサが声をかけると、演習場の中央で既に準備運動を終え、軽く素振りをしていた五つの影が振り返った。『シルバーウイング』の面々だ。彼らは動きやすさを重視した稽古着に身を包んでいる。
「おはようございます、カリナさん、リーサさん。朝の空気は気持ちが良いですね」
団長のセリスが、流れるような所作で木剣を止め、爽やかな笑顔を向ける。その額には既にうっすらと汗が滲んでおり、入念なウォーミングアップを済ませていたことが伺えた。
「ああ、おはよう。……へえ、準備万端って顔だな」
カリナの視線が、彼らの手に握られた武器に向けられる。 今回はあくまで訓練を兼ねた手合わせ。刃引きをした鉄剣ですら、彼らレベルの膂力で振るえば致命傷になるため、全員が堅牢な樫の木で作られた「木剣」を手にしていた。
剣士のエリアとセリスは標準的な片手木剣。スカウトのロックは、小回りの利く二振りの短剣型木剣。そして、普段は巨大な戦斧を操るアベルの手には、丸太のように太く長い、両手持ちの大剣型木剣が握られている。魔法使いのセレナだけは武器を持たず、訓練用の杖を手に、少し離れた位置で魔力の循環を確認している。
「当然よ。エデンの特記戦力のカリナちゃんと手合わせできるなんて、滅多にない機会だもの」
エリアが木剣をブンと振って笑う。
「俺としては斧が恋しいが……まあ、この丸太でも十分戦えるからな」
アベルが豪快に木剣を肩に担ぐ。
「さて、どうする? まずは一対一で回すのか?」
ロックが短剣をクルクルと指先で回しながら尋ねるが、カリナは首を横に振った。
「いや。先ずはセリス以外、お前達四人で同時に掛かってきてくれ」
その言葉に、場の空気が一瞬止まる。
「四人同時……? いくらカリナちゃんでも、それは無茶じゃないかしら?」
セレナが目を細める。
「ハンデだ。それに、私は今回『魔法』も『召喚術』も使わない。純粋な剣技だけで相手をさせて欲しい。……実戦での乱戦を想定した動きを確認したいんだ」
カリナは近くの武器棚から、何の変哲もない一本の木剣を手に取った。
魔法なし。召喚なし。それは、彼女の最大の武器を封じることを意味する。しかし、その立ち姿には慢心ではなく、冷静に自身を試そうとする求道者のような静けさがあった。
「……なるほど。そこまで言われて引くような私達じゃないわよ」
エリアの瞳に闘志の火が灯る。セリスは静かに一歩下がり、審判のように全体を見渡す位置についた。
「始め!」
セリスの凛とした声が、開戦のゴングとなった。
ドォンッ!!
初動は重戦士アベルだ。巨体に見合わぬ瞬発力で踏み込み、大上段から木剣を振り下ろす。それは単なる打撃ではなく、大気ごと叩き潰すような圧力を持った一撃。
「ふんッ!」
カリナは避けなかった。衝突の瞬間、手首を柔軟に返し、木剣の側面でアベルの一撃を受け流す。衝撃を殺しきれずとも、軌道を数センチずらすだけでいい。ズガンッ! と地面が抉れる音が響く。
「隙あり!」
アベルの攻撃で生まれた死角から、スカウトのロックが影のように滑り込む。左右の短剣による、目にも止まらぬ連撃。喉元と心臓を正確に狙った刺突だ。だが、カリナはアベルの攻撃を受け流した回転の勢いをそのまま利用し、コマのように身を翻した。
カカカッ!
乾いた音が連続して響く。カリナの木剣が、ロックの短剣を的確に弾き返していた。
「くっ、速い……!」
ロックがバックステップで距離を取ろうとした瞬間、カリナが追撃の一歩を踏み出す。その時。
「させないわよ!」「もらったわ!」
エリアの鋭い斬撃と、後方からのセレナの魔法弾が同時に迫る。エリアの剣は速さと鋭さを兼ね備え、セレナの放った『ウィンド・カッター』は不可視の刃となってカリナの退路を断つ。
完璧な連携。長年パーティを組んできた「阿吽の呼吸」が生み出す、必殺の挟撃陣形だ。見学していたリーサは、思わず息を呑んだ。四人の連携はあまりにも隙がなく、どこにも逃げ場がないように見えたからだ。
しかし、カリナの思考はクリアだった。 あの死闘を繰り広げた獄炎騎士アグノスとの戦いに比べれば、この刃の軌道は鮮明に見えている。
タンッ!
カリナのフリルのスカートがふわりと翻る。最小限の動きでエリアの剣を紙一重で躱し、そのまま懐へと潜り込む。すれ違いざま、エリアの木剣の鍔元を、自身の木剣の柄頭で強打した。
「あっ!?」
強烈な痺れに、エリアの手から木剣が弾き飛ばされる。
同時にカリナは身を低く沈め、背後から迫っていた風の刃を、バランスを崩したアベルの巨大な木剣の陰に隠れることでやり過ごす。ガガガッ! と風の刃がアベルの剣を削る。
「うおっ! 危ねえ!」
「よそ見は禁物だぞ」
アベルが体勢を立て直すよりも速く、カリナは彼の懐に踏み込み、その太い腕の関節を木剣の腹で制した。テコの原理で巨体を崩し、アベルは無様に膝をつく。
残るはロックとセレナ。ロックが再度の奇襲を仕掛けようと背後から肉薄する。
「そこだ!」
ロックの短剣がカリナの脇腹を捉えようとした瞬間、カリナは振り返りもせずに木剣を背中側へ回し、神速の払いを見せた。
パァンッ!
乾いた音が響き、ロックの短剣が二本とも空高く弾き飛ばされた。
「なっ……!?」
丸腰になったロックが呆然とするその一瞬の隙。カリナは疾風となって戦場を駆け抜けた。
――ピタリ。
風が止む。気がつけば、カリナは後衛にいたセレナの目の前に立っていた。その木剣の切っ先は、詠唱を終えようとしていたセレナの喉元、皮膚が触れるか触れないかのギリギリの位置で静止している。
「……チェックメイトだな」
カリナが静かに告げると、セレナは「参りました……」と両手を上げて杖を落とした。周囲を見れば、エリアは武器を失い、アベルは体勢を崩され、ロックは武器を弾かれている。 ほんの数分。魔法も使わず、剣技だけで四人を完全に無力化したのだ。
リーサは開いた口が塞がらなかった。召喚術士としてのカリナしか知らなかった彼女にとって、この圧倒的な「武」の才能は衝撃だった。魔法がなくとも、彼女はこれほどまでに強い。それが特記戦力なのだと、まざまざと見せつけられた思いだった。
「はぁ……はぁ……。完敗ね……」
エリアが乱れた息を整えながら、悔しそうに、しかし清々しい顔で木剣を拾う。
「さて。……準備運動は終わりだな」
カリナは四人に背を向け、静かに佇む最後の一人――セリスへと向き直った。場の空気が、ガラリと変わる。先程までの動的な熱気が消え、肌を刺すような静的な殺気が満ちていく。
「お待たせ、セリス」
「ええ。素晴らしい剣技でした、カリナさん」
セリスがゆっくりと歩み出る。彼女の構えには、一切の隙がない。自然体でありながら、どこからでも攻撃でき、どこへでも回避できる「無」の構え。
彼女はただの冒険者ではない。この世界で50年もの歳月を生き抜き、剣の道を極め続けたPCなのだ。その経験値は、才能やステータスだけでは埋められない重みを持っている。
「行くぞ……」
「はい、いつでもどうぞ……」
合図はなかった。二つの影が同時に消え、演習場の中央で火花が散った。
ズガガガガガッ!!
木と木がぶつかり合っているはずなのに、まるで鉄骨同士が衝突しているかのような重低音が響き渡る。
速い。あまりにも速過ぎる。リーサの目では、二人の動きを追うことすらできない。ただ、剣閃の軌跡と衝撃波だけが、そこで超常の戦いが行われていることを証明していた。
カリナの剣は、嵐のような猛攻だ。あらゆる角度、あらゆるタイミングから急所を狙う、野生の獣のような連撃。
対するセリスの剣は、静謐なる水面のようだ。 カリナの剛剣を柔らかく受け流し、その力を利用して鋭いカウンターを放つ。最小限の動きで最大の効果を生む、洗練の極致。
「くっ、流石だな……!」
カリナが笑う。顔には切り傷ができ、頬を鮮血が伝う。木剣の風圧だけで皮膚が切れているのだ。
「あなたこそ……! まさかこれほどとは!」
セリスもまた、余裕の仮面を剥がされ、必死の形相で剣を振るう。彼女の美しい銀髪が乱れ、肩口の服が裂けている。
互いに一歩も引かない。技術、身体能力、読み合い。全てが拮抗していた。カリナの若さと爆発力に対し、セリスの50年の経験と技術が真っ向から対抗する。
――楽しい。
二人の脳裏には、同じ感情が浮かんでいた。全力をぶつけ合える相手。命のやり取りに近い領域まで踏み込める好敵手。
「はぁぁぁぁッ!!」 「せやぁぁッ!!」
気合いと共に、二人の闘気が木剣に注がれる。樫の木が悲鳴を上げ、限界を超えた負荷にミシミシと軋む。
次の一撃。それが決着になる。互いに必殺の間合いに踏み込み、渾身の力を込めて剣を振りかぶり――。
――ピタッ。
二人の剣は、互いの首筋数センチのところで、同時に静止していた。そのあまりの勢いに、寸止めされた風圧が周囲の砂埃をドーナツ状に吹き飛ばす。
シーン……と、静寂が戻る。カリナとセリスは、互いの剣が喉元にあることを確認し、同時に息を吐き出した。
「……ここまでだな」
「ええ……、これ以上やったら、下手をすればどちらかが死ぬか木剣が砕け散ります」
二人は同時に剣を下ろし、脱力したようにその場に座り込んだ。引き分け。だが、その内容はあまりにも濃密なものだった。
「ははっ……! いやあ、驚いた。50年の年季は伊達じゃないな、セリス」
カリナが汗を拭いながら笑いかける。
「貴女こそ。……正直、最後の数合は寿命が縮む思いでしたよ。若いって素晴らしいですね。それに元トップランカーの実力の凄さを実感しました」
セリスもまた、肩で息をしながら、清々しい笑顔を返した。
そこには、全力を出し切った者同士にしかわからない、深い絆と敬意が生まれていた。
リーサは震える手で胸を押さえた。これが、特記戦力と……シルバーウイングの団長……。今の自分では、足元にも及ばない。次元が違う。魔法や技の有無ではない。剣一本に込める魂の重みが、覚悟の深さが違うのだ。
けれど、リーサの心に浮かんだのは絶望ではなく、燃えるような憧れだった。私も、いつかあの場所に立ちたい。カリナ様の隣に立っても恥ずかしくない召喚術士になりたい。
「完敗だな」
アベルが起き上がり、ニカッと笑った。
「やっぱ嬢ちゃんは化け物だ。だが、次はもう少し粘ってみせる」
「ええ。私達も、もっと精進しないと……カリナちゃんの背中は守れないわね」
エリアも、ロックも、セレナも。悔しさはある。だが、それ以上に彼らの瞳には「もっと強くなりたい」という向上心の炎が燃え上がっていた。
「みんな、いい顔してるな」
カリナは立ち上がり、差し出されたセリスの手を取った。
「今回の作戦、命を預けるに足る仲間達だ。……よろしく頼むぞ、セリス」
「ええ、こちらこそ。カリナさんとなら、どんな地獄でも切り抜けられそうです」
朝陽が完全に昇り、二人を照らす。汗に濡れた横顔は、どの宝石よりも美しく輝いていた。その光景を目に焼き付けながら、リーサは拳を握りしめ、新たな決意と共に、英雄達の輪の中へと駆け寄っていった。




