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聖衣の召喚魔法剣士  作者: KAZUDONA


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81  閉ざされた屋敷の妄執

 大陸北西部に位置する小国、ガリフロンド公国。  


 その領土の北端、険しい山岳地帯の奥深くに、世界から忘れ去られたかのような古びた屋敷が存在する。かつては公国の軍事を一手に担い、鋭い牙として恐れられた名門、ドゥーカス公爵家の居城である。


 だが今、その屋敷は異様な静寂に包まれていた。  


 窓という窓は分厚い鉄板と重厚なカーテンによって閉ざされている。外界との接点を極限まで拒絶し、まるで巨大な墓標のように聳え立つその屋敷は、常に鉛色の雷雲に覆われ、昼なお暗い影を落としていた。


 屋敷の最深部。あらゆる光と音を遮断した執務室に、男の狂気だけが腐臭のように充満していた。


「ええいッ! どいつもこいつも、裏切りおって……!! 恥知らず共がッ!」


 男の名は、ゴートス・ドゥーカス。  


 豪奢な刺繍が施された椅子を蹴り倒し、彼は手にした羊皮紙の束を暖炉の火へと投げ込んだ。乾燥した羊皮紙は瞬く間に炎に巻かれ、黒い灰へと変わっていく。燃え上がる炎が、彼の端整だが病的なほど青白く、血管の浮き出た顔を不気味に照らし出した。


 灰になったのは、近隣の貴族達、そしてあろうことか主君であるはずの大公ヴィクトールから届いた、事実上の『絶縁状』であった。


 内容は簡潔かつ、慈悲の欠片もない通告だった。  


 ――ドゥーカス領への物資供給の即時停止。主要街道の完全封鎖。そして、今後一切の軍事連携の拒否。  


 昨日までゴートスの顔色を窺い、彼の軍事力と『裏のコネクション』を恐れて媚びへつらっていた連中が、申し合わせたかのように一斉に掌を返したのだ。


「物資を止めるだと? 干上がらせるつもりか? あの臆病者のヴィクトールごときが、この私に牙を剥くとは……! 恩を仇で返すとはまさにこのことだ!」


 ゴートスは自身の爪が肉に食い込むほど拳を握りしめ、ギリギリと歯ぎしりをした。口の中に鉄錆のような血の味が広がるが、彼は気にも留めない。


 彼はまだ知らない。その裏で、大陸のパワーバランスを揺るがすほどの巨大な包囲網が敷かれていることを。精霊信仰の総本山であるルミナス聖光国、数多の英雄を擁する騎士王の国エデン、そして東方の神秘を操る陰陽国ヨルシカ。これら三大国が手を組み、彼を――否、彼の背後に潜む『闇』を討つために動き出しているという事実を。


 外界からの情報を遮断し、自分に都合の良い報告書だけを読み漁ってきたゴートスに見えているのは、あくまで矮小な現実だけだった。「近隣諸国と大公家が、自分の才能を妬み、疎ましく思って結託し、陰湿な嫌がらせを始めた」という程度の認識。  


 だが、その認識の狭さこそが、かえって彼の狂気を加速させていた。


 ゴートスにとって、この薄暗い屋敷の中こそが世界の全てであり、安住の地であり、絶対的な王国だ。ここから一歩でも外に出ることは、死に等しい恐怖を意味する。  


 外の世界の情報は、彼自身の恐怖心によって都合の良いように歪められるか、あるいは彼自身の妄想によって書き換えられ、真実は決して彼の精神(こころ)には届かない。


「愚かな……実に愚かだ。彼らは気づいていないのだ。私がただの公爵などという枠に収まる器ではないことを。羊どもがどれだけ群れようと、獅子である私には傷一つつけられんというのに」


 ゴートスは歪んだ笑みを浮かべ、自身の胸を強く鷲掴みにした。そこには、かつては弱々しく、今にも止まりそうだった心臓が、今は力強く、まるで別の生き物のようにドクンドクンと脈打っている。不自然なほど強力な鼓動は、彼の肋骨を内側から叩き、全身に滾るような力を送り込んでいた。


 ふと、視界の隅で暖炉の炎が揺らめく。その揺らぎが、忌まわしい過去の記憶を呼び覚ました。


 ――ゴートス、お前は身体が弱い。――ドゥーカス家の次期当主は無理だ。弟に譲るがよい。――お前は隅で大人しくして、本でも読んでいればいいのだ。余計なことをして、弟の邪魔をするな。


 幼き日の記憶が、呪いのように脳裏に蘇る。生まれつき病弱だった彼は、長男でありながら一族の中で『透明人間』のように扱われた。父も、母も、使用人達さえも、誰も彼を見なかった。


 彼らの視線の先には、常に健康で快活な弟がいた。弟が剣を振れば称賛され、ゴートスが本を読めば「それしかできない」と嘲笑される。期待もされず、愛されず、ただ「そこにいるだけの荷物」として扱われた屈辱。優秀な頭脳があっても、誰よりもドゥーカス家を思う燃えるような野心があっても、身体が弱いという一点だけで人格の全てを否定された絶望。


 あの日の冷たさを、ゴートスは今でも鮮明に覚えている。  咳き込み、血を吐きながら、冷たい石畳の上で孤独に死を待っていた夜。窓の外からは、宴を開く家族の笑い声が聞こえていた。誰も、自分の部屋になど来ない。このまま誰にも知られず、埃のように消えていくのだと悟った瞬間。


 その時、その「影」は現れたのだ。美しく、恐ろしく、そしてとろけるように甘美な闇。彼女は、死にかけた少年の耳元で囁いた。『力が欲しいか?』と。『お前を見下した者たちを、見返してやりたくはないか?』と。ゴートスは迷わず、震える手でその闇を掴んだ。魂を差し出した。健康な肉体を、自分を否定した世界をねじ伏せる力を得るためならば、人間であることなど喜んで捨てた。


 それ以来、彼は変わった。悪魔の契約によって奇跡的な回復を遂げた彼は、まず目障りな弟に濡れ衣を着せて追放し、父を、母を、彼を蔑んだ者達を次々と『病死』に見せかけて排除した。そうしてドゥーカス家の当主に上り詰めたのだ。  


 だが、それでも満たされない。公爵という地位ごときでは、彼の心の底に空いた巨大な空洞――肥大化した承認欲求と、世界への復讐心は癒やされないのだ。


「私は選ばれたのだ……。あのヴィクトールのような凡俗とは違う。私は、特別な存在だ。私は、神になる男だ」


 ゴートスは虚空に向かって手を伸ばす。何かを掴もうとするその指先が震えているのは、興奮のせいか、それとも心の奥底にへばりついた恐怖のせいか。その時、部屋の隅の闇がねっとりと渦を巻き、まるでインクが滲み出るように一人の女性が音もなく姿を現した。


「――おやおや。随分と荒れているわね、私の可愛い『王』よ」


 鈴を転がすような、しかし聞く者の背筋を凍らせる妖艶な声。  


 現れたのは、夜の闇そのものをドレスに仕立てたような、この世ならざる絶世の美女だった。床まで届く波打つ豊かな銀髪、陶磁器のように白く冷たい肌、そして深淵を覗き込むような妖しい光を宿した紫色の瞳。その背中には、コウモリを思わせる巨大な黒い翼が、実体と幻影の狭間で揺らめいている。


 魔界の爵位を持つ上位悪魔、災禍伯メリグッシュ・ロバス。彼女こそが、幼き日のゴートスに力を与え、彼を狂気と破滅の道へと導いた元凶であり、今のゴートスにとって唯一無二の理解者であった。


「メリグッシュ!!」


 彼女の姿を認めた瞬間、ゴートスの表情が一変した。先程までの傲慢な公爵の顔は消え失せ、母親にすがる幼児のように、あるいは主人を見つけた捨て犬のように、彼女の元へ駆け寄る。そこには公爵としての威厳など欠片もない。あるのは、彼女への盲目的で病的な依存だけだ。


「聞いてくれ! 周りの連中が私を裏切った! ヴィクトールめ、他国と結託して私を孤立させようとしている! このままでは物資が尽きる! 食料も、魔法石も!」


「ふふ、可哀想なゴートス。よしよし……」


 メリグッシュは優雅な仕草で、すがりつくゴートスの頭を抱き寄せた。香水と死臭が混ざり合ったような甘い香りが、ゴートスの鼻腔をくすぐる。彼女の豊満な胸に顔を埋め、ゴートスは安堵の息を漏らした。この冷たい体温だけが、彼の震えを止める鎮静剤だった。


「人間というのは、風向きが変わればすぐに旗色を変える。浅ましく、愚かな生き物ね。貴方がこれほど尽くしてやったというのに」


「そうだ! その通りだ! 彼らは私の価値を何一つ理解していない!」


「でも、心配はいらない。貴方には私がついているもの。世界中が敵に回っても、私だけは貴方の味方よ」


 囁きながら、メリグッシュの指がゴートスの髪を梳く。その指先は鋭く尖っており、少し力を入れれば容易く彼の頭蓋を貫けるだろう。だが、ゴートスはそれを慈愛の感触として受け取っていた。


「貴方が提供してくれた莫大な資金と、実験場のおかげで、我らが『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』の研究はついに完成の域に達したわ」


「ほ、本当か!? あの計画が……!」


 ゴートスが顔を上げる。その瞳は、涙と狂信的な光で濡れていた。


「ええ。『ビィタールの谷』に集められた精霊達の嘆き……そこから抽出されたエネルギーは素晴らしいわ。あれを使えば、貴方を裏切った国など、指先一つで消し飛ばせるでしょう。軍隊など必要ない。貴方はこの屋敷から一歩も出る必要はないの。ただ玉座に座って、窓の外で世界が灰になるのを眺めていればいい」


 甘い毒のような言葉が、ゴートスの脳髄を痺れさせる。  


 彼は屋敷から出ないのではない。出られないのだ。長年の引きこもり生活と、メリグッシュへの依存によって、外界への恐怖と嫌悪が骨の髄まで染み付いている。太陽の光さえ、彼には火傷を負わせる凶器に感じるほどだ。だからこそ、「ここから出ずに世界を支配できる」という言葉は、彼にとって何よりの福音であり、救済だった。


「おお……! やはりお前だけだ、私の真の価値を理解してくれるのは! そうだ、力だ! 圧倒的な力で、私を馬鹿にした奴ら全員を跪かせてやる! そして私が……このゴートス様が世界の王になるのだ!」


「そうよ。貴方こそが王に相応しい。貴方を蔑んだ連中に、思い知らせてやりなさい。貴方がどれほど偉大で、恐ろしい存在になったのかを」


 メリグッシュは慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべ、ゴートスの額に口づけた。その唇は氷のように冷たく、まるで死者からの接吻のようだったが、ゴートスにはそれが心地よい。彼は恍惚の表情を浮かべ、彼女の腰に腕を回した。


 だが、ゴートスの視界に入らない場所で――メリグッシュの顔から、笑みが消失した。その紫の瞳は、獲物を値踏みする爬虫類のように冷酷に細められ、底知れぬ侮蔑の色を宿していた。  


 彼女の内心にあるのは、ゴートスへの愛情など微塵もない。あるのは、壊れかけた玩具を見るような嘲笑と、道具としての無機質な評価だけだ。ああ、なんて滑稽で愛らしいのかしらと。


 メリグッシュは内心で舌なめずりをする。幼少期のコンプレックスにまみれ、復讐心と承認欲求だけで肥大化した自我。閉鎖的な環境で培養された、純粋培養の悪意と怯え。  悪魔にとって、これほど御しやすく、そして『主』の糧として良質な「負の感情」の供給源は、数百年探しても見つからないだろう。


 世界の王? 馬鹿を言わないでほしいと、メリグッシュは嗤う。この男はただの「財布」であり、実験のための「隠れ蓑」であり、そして最後には使い捨てられる「生贄」に過ぎないのだから。


 彼が集めさせた『反転精霊装備』や、ビィタールの谷で行われている実験の真の意味。それは彼に力を与えるものではなく、この世界の法則を破壊し、全てを「虚無」へと還し、悪魔の主とも呼ぶべき最悪の存在を呼び覚ますための儀式。  ゴートスが抱く希望、野望、そしてそれが裏切られた瞬間の絶望こそが、その儀式を完成させるための最上のスパイスなのだ。


「メリグッシュ、すぐに準備を! ヴィクトールらが兵を向ける前に、奴らを返り討ちにしてやる!」


「ええ、任せておいて、私の王。……ああ、そうそう。少しばかり『お客様』が来るかもしれないけれど、気にすることはないわ」


「客だと? こんな時にか?」


「ええ。東のエデンという国から、少し目障りな羽虫が一匹……『カリナ』という名の召喚術士よ」


 メリグッシュが何気ない風を装って告げると、ゴートスは興味なさそうに鼻を鳴らした。


「エデン? あの騎士王の国か。野蛮な連中め。召喚術士など、我が最新鋭の反転精霊魔導兵器の前では無力だ。蟻のように踏み潰してくれるわ」


「ふふ、そうね。貴方の前では、どんな英雄も霞んでしまうもの」


 メリグッシュは、ゴートスには決して真実を教えない。その「虫」が、獄炎騎士アグノス・レギウスをも単独で打ち斃し、精霊王の加護を得た規格外の存在であることも。  


 エデンだけでなく、聖光国ルミナス、陰陽国ヨルシカまでもが手を組み、精鋭達をこの屋敷へと送り込もうとしていることも。


 真実を知れば、この臆病な男は恐怖で発狂し、使い物にならなくなるかもしれない。彼には最後の瞬間まで、自分は無敵の王であるという甘い夢を見させておかねばならない。絶望の落差は、高ければ高いほど美味なのだから。


「さあ、私の王よ。興奮して疲れたでしょう? 今日はもうお休みなさい。目覚めた時、世界は貴方の庭になっているわ」


 メリグッシュが何か呪文のような言葉を囁きながら、指先でゴートスの瞼を撫でる。すると、強烈な睡魔がゴートスを襲った。彼の意識は急速に混濁し、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。それをメリグッシュは抱き留めることもしない。男の体はドサリと無様に絨毯の上に転がった。


 寝息を立て始めた公爵を冷ややかに見下ろし、悪魔は興味を失ったように窓の方へと歩を進めた。重厚なカーテンを指先一つで開け放つ。


 分厚いガラスの向こう、暗雲が垂れ込める空の彼方。ビィタールの谷の方角で、不気味な紫色の稲妻が瞬いているのが見えた。それは自然の雷ではない。世界を蝕む病巣の輝きだ。


「器は満ちたわ……。間もなく、あの方……『虚無の主』がお目覚めになるでしょう」


 ガラスに映る自分の顔を見つめ、メリグッシュは恍惚の表情を浮かべる。


「そうすれば、この男も、あの忌々しい精霊の加護を持つ小娘も、全ては等しく虚無に飲み込まれる。ああ、楽しみだわ。この世界が悲鳴を上げて壊れていく音が」


 悪魔は美しく、そしてこの上なく残酷に微笑んだ。その唇の端が裂けるように吊り上がり、美しい相貌が悪魔の本性を露わにする。


 孤立無援の公爵。彼が抱く哀れな妄想と、肥大化した自己愛を燃料として、世界を終わらせるカウントダウンは進んでいく。  


 誰にも知られることなく、静かに、しかし確実に。破滅の時は、もうすぐそこまで迫っていた。

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