79 三王の会談
カリナがペガサスに乗り、ヨルシカからエデンへの帰路についている頃。
エデン王城、国王執務室。
豪奢な装飾が施された高い天井と、壁一面に並ぶ古書。その厳粛な空間に鎮座する重厚な執務机の前に、エデン国王カシューは座っていた。
彼は左耳から、普段使用している通信用の小型魔道具――イヤホン型の通信機を取り外すと、それをデスクの中央にコトリと置いた。指先から微量な魔力を流し込む。すると、無機質な黒いイヤホンが淡い青色の光を帯び、内蔵された術式が展開される。音声を増幅するスピーカーモードへの切り替えだ。
ここには映像を映し出す水晶板もなければ、相手の顔を見るための魔法の鏡もない。あるのは、遠く離れた地にいる二人の王の「声」のみだ。だが、それで十分だった。声のトーン、息遣い、そして沈黙の間。それらを聞き分けることこそが、為政者たる者に必要な資質でもあるのだから。
「……通信状態は良好のようですね。お二人とも、聞こえていますか?」
カシューが穏やかに、しかしよく通る声で問いかける。
一瞬の静寂の後、デスクの上のイヤホンから、ノイズ混じりの、しかし力強い二つの声が響いた。
「うむ。感度良好だ。エデン王よ」
「ああ、こちらでもはっきりと聞こえている。エデンの魔道具か……声だけで遠方と繋がるとは、実に興味深い技術だ」
腹の底に響くような重厚で威厳のある声は、西の大国、ルミナス聖光国の王、ジラルド。若々しくも理知的で、張り詰めた糸のような鋭い響きを持つ声は、北東の陰陽国ヨルシカの若き王、ソウガだ。
「では、形式的ですが紹介させていただきますね。こちらがルミナス聖光国のジラルド王。そしてこちらが、今回新たにこの同盟に加わってくれた、陰陽国ヨルシカのソウガ王です」
普段の飄々とした雰囲気の中に、一国の王としての芯の強さと、同盟の盟主としての責任感を滲ませるカシューの言葉。それを受け、ソウガの声が響く。
「お初にお耳にかかる、ジラルド殿。ヨルシカ国王、ソウガ・ヨルシカだ。聖光国の武名は、遠く我が国にも轟いている。こうして言葉を交わせること、光栄に思う」
緊張を含みつつも、礼節を弁えた若き王の挨拶。対するジラルドも、声に好意的な色を滲ませて応じた。
「うむ。噂に聞く若き賢王か。声を聞くだけで分かる、芯の通った良い男のようだな。……ヨルシカは長らく独自の文化を守り、他国との軍事同盟を結ばぬと聞いていたが、よくぞ決断してくれた」
「恐縮だ。だが、今回の決断は私一人のものではない。我が国とも縁の深い『カグラ』殿、そして何より……エデンの『カリナ』殿の尽力によるものだ」
ソウガの声に、僅かに熱が籠もるのが分かった。
「世界の危機に立ち向かう彼女達の覚悟に、私の魂が揺さぶられたのだ。悪魔の脅威を前に、国境などと言っている場合ではないとな」
「はっはっは! 見事だ。その若さで大局を見極めるとはな。カシュー王といい、最近の若き王達は頼もしい限りだ。私のようなロートルもうかうかしてはおれんな」
ジラルドの豪快な笑い声が、執務室の空気を振動させる。 カシューは軽く口元を緩めた後、すぐに表情を引き締め、手元に広げられた大陸の詳細な軍事地図に目を落とした。
「さて、挨拶も済んだところで、本題に入りましょう」
その一言で、場の空気が一変する。和やかな空気は消え、鉄と血の匂いが漂うような緊張感が満ちた。
「敵の本拠地は、北西に位置する『ビィタールの谷』です。……そこに奴ら『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』の研究所兼要塞があることが判明しました」
カシューは地図上の、黒く塗りつぶされた一点を指先で叩く。
「そして、厄介なのはその地理的条件だけではありません。その背後には、谷の北部ガリフロンド公国の重鎮、ドゥーカス公爵がいる。彼は公国の軍事力を私物化し、組織に提供しているようです。……ジラルド王、公国側の動きはどうなっていますか?」
「うむ。その件だが、既に手は打ってある」
ジラルドの声が、鋭い切っ先のように冷徹なものへと変わる。そこには、数多の修羅場を潜り抜けてきた古強者の凄みが宿っていた。
「ガリフロンドの大公、ヴィクトールに極秘裏に接触し、裏を取った。あやつは気弱な男でな、ドゥーカス公爵の暴走に薄々勘付いてはいたものの、報復を恐れて見て見ぬふりをしていたようだ。情けない話だが、そこにつけ込む隙があった」
「なるほど。で、締め上げたというわけですね」
「人聞きが悪いな。『聖光国の加護と引き換えに、正しい道を選べ。さもなくば、聖光の剣は悪魔に加担する国そのものを焼き払うことになるぞ』と、王として道理を諭しただけだ」
カシューは苦笑した。それは「諭す」のではなく「脅し」に近い。だが、この切迫した状況下では、その強引さこそが必要だった。
「その結果、ヴィクトール大公と周辺の有力貴族達は、既にこちら側についた。ドゥーカス公爵への物資供給ルートを断ち、兵の招集も拒否させている。ドゥーカス公爵は今、公国内で完全に孤立している状態だ」
「なんと……! 流石はジラルド殿、仕事が早い」
ソウガが感嘆の息を漏らす。姿は見えずとも、彼が舌を巻いている様子が伝わってくるようだ。ジラルドは低い声で続ける。
「だが、ドゥーカスは追い詰められた鼠だ。孤立したからといって大人しく投降するようなタマではない。むしろ、破れかぶれになって悪魔の力を借り、何をしでかすか分からん。そこでだ」
通信機越しに、紙を広げるような音が聞こえる。おそらくジラルドもまた、同じ地図を見ているのだろう。
「我らルミナスとエデンは、地理的に敵の本拠地である『ビィタールの谷』に近い。ゆえに、我々が主戦力として谷へ正面から強襲をかける」
「はい。我等エデン騎士団と、ルミナス聖騎士団、そしてルミナスアークナイツによる合同作戦ですね。敵の主力と真正面からぶつかる、激戦が予想されます」
「うむ。そして、ヨルシカの位置はガリフロンド公国に近い。ソウガ王よ、貴国にはドゥーカス公爵の動きを封じる役割を頼みたい」
ジラルドの提案に、ソウガの声が即座に、力強く応えた。
「承知した! 我が国の精鋭陰陽師団を展開し、ガリフロンド公国境に大規模な封絶結界を張ろう。ドゥーカス公爵の私兵や、そこから逃げ出そうとする魔物共を一匹たりとも外には出さん。『包囲』と『封じ込め』は、我ら陰陽師の最も得意とするところだ。蟻の這い出る隙間すら与えぬことを約束しよう」
「完璧な布陣ですね。本丸を叩く私達と、退路を断つヨルシカ。これで敵は袋の鼠だ。……そして、この作戦の全ての鍵を握るのが」
「うむ、カリナだ」 「ああ、カリナ殿だな」
三人の王の声が重なった。その響きには、一人の少女への絶対的な信頼と、ある種の畏敬が込められていた。
「彼女は精霊の塔での試練を乗り越え、精霊王の加護を得ました。敵が使う『虚無』の概念攻撃や、魔力を無効化する『反転精霊装備』に対抗できる唯一の存在です。彼女が最前線で敵の理を無効化し、その隙に僕たちが叩く。それが勝利への唯一の道です」
カシューの言葉に、通信越しに重々しい同意の気配が伝わってくる。
国も、立場も違う三人の王。しかし今、彼らの中心には常に一人の少女――カリナがいる。彼女の存在が、この三国同盟の鎹となっていた。
「まったく、大したお嬢さんだ。私の自慢の聖騎士達も、きっとルミナスアークナイツの連中も、カリナのためなら命を懸けると息巻いておるよ。一国の王として嫉妬してしまうほどの人望だ」
「ふふ、分かる気がするな。カリナ殿には、人を惹きつける不思議な魅力がある」
ソウガの声色が、ふっと柔らかく、甘やかなものへと変わった。先ほどまでの軍議の緊張感が、春の陽だまりのように溶けていく。
「あの凛とした声、穢れを知らぬ丁寧な言葉遣い、そして何より……戦場に咲く花のような可憐さ。声を聞くだけで心が洗われるようだ……。ああ、彼女が我が国に滞在してくれた時間は、私にとって生涯の宝となった」
まるで詩を詠むかのように陶酔するソウガ。その声に含まれる、王としてではない「一人の男」としての熱量を、歴戦の王ジラルドは聞き逃さなかった。
「……ほほう?」
ジラルドの、低く、含みのある声が響く。
「ソウガ王よ。私には通信機越しでも手に取るように分かるぞ? 貴殿、今、随分とだらしない顔をしているのではないか?」
「なっ……!?」
ガタッ、と向こう側で何かが倒れる音がした。おそらく、図星を突かれたソウガが椅子から転げ落ちそうになったか、机の上の物を落としたのだろう。
「い、いや、これはその! 純粋な敬意というか、これから共に戦う戦友としての親愛というか……! け、決してやましい気持ちなど……!」
「はっはっは! 声が裏返っておるぞ! 隠しても無駄だ。わしにも若い頃があったからな、その浮ついた声色は聞き覚えがあるわ。……だが、相手はあのカリナ嬢だ。前途多難だぞ?」
「うぐっ……!」
図星を突かれ、ソウガが言葉を詰まらせる様子が手に取るように分かる。あの若き賢王が、恋心一つでこうも狼狽するとは。カシューは口元を抑えて笑いを堪えつつ、助け舟を出した。
「まあまあ、ジラルド王。ソウガ王のその情熱も、戦いのモチベーションになるなら良いことではありませんか。……もっとも、彼女にはとびきり鈍感なところがありますから、ソウガ王も苦労するでしょうけどね」
カシューの言葉に、ソウガは開き直ったように声を張り上げた。
「カシュー殿まで……! くそう、見ていろ! この戦いで武功を挙げ、必ずや彼女を振り向かせてみせる! ヨルシカ王家の名にかけて、彼女のハートも射止めてみせるぞ!」
高らかな愛の宣言に、机上の通信機からジラルドの豪快な笑い声が弾けた。
「よろしい! その意気だ、若造! 恋の炎で悪魔を焼き尽くすがいい!」
音声だけの繋がりだが、そこには確かに男同士の奇妙な友情と、強固な結束が生まれていた。世界の命運を賭けた同盟は、一人の少女への想いを通して、より人間味のある温かいものへと昇華されたのだ。
「――よし。では、各々準備にかかりましょう。決行の日は近いです」
カシューが凛とした声を響かせると、二人も即座に、恋する男の顔から、一国の王の顔へと戻った。
「ルミナスはいつでも動ける。聖騎士団の剣は既に磨き上げられている。後はルミナスアークナイツの招集のみ」
「ヨルシカも、陰陽師団の編成を急ごう。結界の準備に抜かりはない」
「頼みましたよ。……全ては、この世界を守るために」
「世界を守るために!」「世界を守るために!」
三人の王の誓いが重なり、プツリと通信は切れた。静寂が戻った執務室。魔道具の光が消え、黒い物体に戻ったイヤホンを見つめながら、カシューは深く息を吐いた。
彼は席を立ち、大きな窓へと歩み寄る。
ガラスの向こうには、どこまでも広がる青い空。その先には、今まさにこちらへ向かっているであろう、ペガサスに乗った少女がいるはずだ。
「頼んだよ、カリナ。君が繋いだこの絆、決して無駄にはしない」
カシューは空に向かって静かに呟いた。その瞳には、来るべき決戦への覚悟と、彼女への揺るぎない信頼が宿っていた。




