77 陰陽国ヨルシカ
朱雀の背に乗って空を翔けること数時間。夕闇が迫り、空が茜色から群青色へとグラデーションを変える頃、眼下に広大な城下町が見えてきた。
大陸の北東、海に面した平地に位置する『陰陽国ヨルシカ』。
国全体を囲むのは、黒い瓦屋根を戴いた白漆喰の長い城壁だ。街の中には木造建築が整然と立ち並び、各所に赤い鳥居や柳の木が見える。その光景は、まさに日本の古都そのものの情緒を湛えていた。
「着いたわよ! ここがヨルシカの都よ!」
「おお、これが今のヨルシカか」
カナミの指示で、ちゅん太郎は城門近くの広場に降り立った。巨大な霊鳥の飛来に、門番や通行人たちがどよめく。
「ご苦労さま、ちゅん太郎。戻っていいわよ」
カナミが札をかざすと、朱雀は炎となって消えた。一行はそのまま、堂々とした朱塗りの大門へと向かった。
「止まれ! 何者だ!」
槍を構えた門番が鋭く問う。カナミは優雅に扇子を開き、懐からギルドカードを提示した。黄金色に輝くそのプレートには、燦然と『Aランク』の刻印が刻まれている。
「Aランク冒険者、カナミです。観光と、商用で参りました」
「なっ……Aランク!?」
門番が驚愕に目を見開く中、隣に立つカリナもまた、無言で懐からカードを取り出し、提示した。そこにもまた、同じ黄金の輝きと『Aランク』の文字があった。
「えっ……!? こ、こちらの少女もAランク!?」
門番たちの動揺が走る。Aランク冒険者といえば、猛者となれば単独で災害級の魔物を討伐できる英雄クラスだ。そんな規格外の存在が二人、しかも美女と、まだあどけなさの残る美少女という組み合わせで現れたのだ。
畏敬と困惑が入り混じった眼差しを受けながら、門番達は慌てて道を空け、深々と頭を下げた。
「し、失礼いたしました! どうぞお通りください!」
三人は堂々と、ヨルシカの街へと足を踏み入れた。
◆◆◆
街の中は、夕食時の活気に満ちていた。
出汁の香り、炭火で焼かれる魚の脂が焦げる匂い、甘辛い醤油の香ばしい匂いが漂ってくる。提灯の明かりが石畳を照らし、着物や作務衣姿の人々が行き交う。
「ふふ、いい匂いね。お腹も空いたし、早速宿に行きましょうか」
カナミが案内したのは、海に近い港区画にある一軒の宿だった。
『灰石の航海宿』。
その名の通り、灰色のがっしりとした石造りの土台に、木造の和風建築が乗った独特の造りだ。一階は広い食堂になっており、活気ある声が外まで漏れている。
「いらっしゃい! ……おや!?」
暖簾をくぐるなり、厨房にいた強面の店主が目を丸くした。
「こりゃあ驚いた! カナミさんじゃねぇか! 随分と久しぶりだなぁ!」
「元気にしてた、親父さん? また美味しいお魚が食べたくなって来ちゃった」
カナミが親しげに手を振る。どうやら彼女はこの宿の常連であり、店主とも相当な馴染みのようだ。その時、食堂にいた客たちの視線が一斉に三人に釘付けになった。
紫紺のシックな衣装に身を包み、透き通るような肌をした人形のように愛らしいカリナ。王国訪問のために艶やかな着物風のドレスを纏った、大人の色香を漂わせる絶世の美女、カナミ。そして、ちょこんと足元にいる愛くるしいケット・シー隊員。
そのあまりに華やかで浮世離れした組み合わせに、荒くれ者の漁師や商人たちも箸を止め、見惚れてしまっている。特にカリナが放つ清浄なオーラと、スカートとニーソックスの間の絶対領域は、男たちの視線を強烈に引きつけていた。
「へへっ、相変わらずお美しいことで。……で、今日は連れも一緒かい? こりゃまたとびきりの別嬪さんだ」
店主がカリナを見て感嘆の声を漏らす。カリナは一歩進み出ると、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。カナミの友人のカリナと申します。お世話になります」
「お、おお……! こりゃあご丁寧に! こんな可愛らしくて礼儀正しいお嬢さんが来るとは、店が華やぐねぇ!」
店主は頬を緩ませ、嬉しそうに頷いた。
「ええ、私の大事な妹分よ。親父さん、いつもの一番いい部屋、空いてる?」
「当たり前よ! カナミさんのためなら、他の客を追い出してでも空けるさ! ささっ、二階の奥へどうぞ!」
店主は揉み手をして、最上級の歓待で一行を迎え入れた。
◆◆◆
通された部屋は、最上階にある特別な和室だった。真新しい畳の香りが鼻をくすぐる。床の間には掛け軸と生花が飾られ、障子の向こうには夜の海が広がっていた。
「おお……いい部屋だな。やっぱり和室は落ち着く」
カリナはブーツを脱ぎ、畳の感触を確かめるように踏みしめた。リシオノールの街やワダツミのカナミの屋敷でも畳は経験済みだが、宿としての設えや、窓から見える異国の港町の風景はまた格別だ。懐かしい日本の感覚を思い出す。
「やっぱり落ち着くわねぇ。ワダツミもいいけど、ヨルシカのこの『和』の雰囲気は、また特別よ」
カナミも座布団に腰を下ろし、ほうっと息をついた。彼女はこの世界に来て既に100年の時を過ごしている。
「私はもう、この世界に来て長いから……。正直、本当の『日本』の記憶なんて、もう曖昧なのよ」
「100年……。エクリアは『30年ほど前に来た』と言っていたが、カナミやサティア、カシューはそれよりも遥かに長いんだもんな」
カリナはエデンの災害級魔法使い、ネカマのエクリアの言葉を思い出しながら言った。
「ああ、変態エクリアね! あいつもこの世界に来ていたのよね。……実は私、この世界ではまだエクリアに会えていないのよねー」
カナミは少し残念そうに、しかし懐かしむように目を細めた。
「でも、サティアにエヴリーヌ、グラザは私と同じくらい長くこの世界にいるわ。あいつらとはエデンの防衛戦でも肩を並べて戦った、古くからの戦友だしね。……ふふ、あいつらも元気にしてるかしら」
現実世界の友人であり、同じエデンの特記戦力として共に戦う仲間たちの顔を思い浮かべるカナミ。その表情には、長い時を共に生きた者だけが持つ絆が見えた。
「私にとっては、この畳の匂いも、ヨルシカの風景も、もう『ゲームの再現』じゃなくて、ここが『故郷』みたいなものなのよね」
カリナは静かに頷いた。100年という重み。それは単なるデータではない、確かな人生の厚みだ。
「……そうか。なら、今日はその故郷で、ゆっくりくつろごう」
「ええ。ありがとう、カリナちゃん」
「それにエヴリーヌもグラザもまだ行方不明だ。早く見つけないとだしな」
「そっか、サティア以外の二人はまだなのよね」
しんみりとした空気を払拭するように、豪華な夕食が運ばれてきた。大皿には、透き通るような白身魚の薄造りが花のように盛り付けられている。ヨルシカ近海で獲れたばかりの鯛だ。
箸で一枚持ち上げ、特製の醤油に少しつけて口に運ぶと、コリコリとした食感と共に上品な甘みが広がる。
「んんっ! 美味い!」
「でしょ? ここのサザエのつぼ焼きも絶品よ」
炭火で焼かれたサザエから、磯の香りと醤油の焦げた匂いが立ち昇る。さらに、揚げたての天ぷら。衣はサクサクと軽く、中の海老はプリプリと弾ける。炊きたての白米と、出汁の効いた味噌汁。それは、日本人の魂を震わせる至高の晩餐だった。
「ん~っ! これこれ! やっぱり和食には日本酒ねぇ~」
カナミは熱燗をキュッと煽り、幸せそうに頬を染める。一方、まだ未成年の容姿であるカリナは、温かいお茶を啜りながら白米を頬張った。
「私はご飯が進むな。この味噌汁も絶品だ」
「カリナちゃんも飲めたらいいのにねぇ。でも、そのあどけない顔でお酒を飲まれても、なんだか背徳感があるから、お茶で正解かもね」
カナミはカリナの可愛らしい食事風景を肴に、さらに杯を進めた。
◆◆◆
食後は、宿の自慢である大浴場へ。
湯気が立ち込める檜の露天風呂。夜風が心地よく吹き抜け、眼下には月明かりに照らされた海が広がっている。だが、今のカリナにとっての最大の関心事は、目の前に迫る豊満な肢体だった。
「ほら、カリナちゃん。こっち向いて」
タオル一枚すら纏わぬ生まれたままの姿のカナミが、手にたっぷりの泡をつけて微笑んでいる。その豊かな胸は重力に逆らうように張りを保ち、くびれた腰から広がる骨盤のラインは、成熟した女性だけが持つ魔性の魅力を放っていた。
「か、カナミ……、自分で洗えるから……」
「だーめ。今日は私が洗ってあげるって言ったでしょ? サティア達とは対等な戦友だけど、その姿のカリナちゃんは妹みたいで本当に可愛いんだから」
カナミはカリナを抱き寄せるようにして、背後からその身体を洗い始めた。泡に包まれた滑らかな手が、カリナの細い首筋から肩、そして背中へと這う。
「ん……くすぐったい」
「あら、ここが弱いの? カリナちゃんの肌、本当にすべすべねぇ。マシュマロみたいで食べたくなっちゃう」
カナミは楽しそうに笑いながら、今度は手を前に回した。 泡だらけの手が、カリナの胸の膨らみを包み込むように撫でる。
「ひゃうっ!?」
カリナが素っ頓狂な声を上げて身をよじった。
「ちょ、どこ洗ってるんだよ」
「どこって、お胸よ? 発育のためにも、こうして優しくマッサージしてあげないとねぇ~」
カナミは悪戯な笑みを浮かべ、さらに指先で脇腹をくすぐるように洗う。泡のヌルヌルとした感触と、カナミの豊満な胸が背中に押し当てられる感触に、カリナは顔から火が出るほど赤くなった。
「こ、こらっ! そこは! んっ!」
「あはは、可愛い声出しちゃって。……ほら、お腹も洗うわよ」
カナミの手は止まらない。平らなお腹を円を描くように撫で回し、そのまま太ももの付け根、絶対領域の際どいラインへと指を滑らせる。
「っ、お前……。やってることはセクハラ親父だぞ」
「心外ね。これは愛情表現よ、愛・情・表・現! 100年も生きてるとね、こうやって可愛い妹分を愛でるのが一番の生き甲斐になっちゃうのよね」
カナミはカリナの耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。
「それに、カリナちゃんのこの反応……ゾクゾクするほど可愛くて、もっといじめたくなっちゃう」
「……この悪戯っ子め」
カリナは半泣きになりながら、されるがままに全身をピカピカに磨き上げられた。その後、湯船に浸かった二人は、逆上せて茹でダコのように赤くなった顔を見合わせ、夜空に響くほど笑い合った。
◆◆◆
翌朝。
朝の清々しい空気の中、カリナ達は宿を出発した。目指すは街の北、小高い丘の上に聳え立つ『ヨルシカ王城』だ。
堀にかかる朱塗りの橋を渡ると、巨大な石垣の上に、黒と白のコントラストが美しい五層の天守閣が鎮座しているのが見えた。屋根には金の鯱が輝き、威風堂々としたその姿は、まさに日本の名城そのものの威容だった。
大手門の前には、屈強な武者達が警備に当たっていた。
「止まれ。ここより先は王城である」
武者の一人が立ちはだかる。カナミは優雅に一歩進み出ると、扇子で口元を隠して微笑んだ。
「『相律鎮禍連』のカナミと申します。国王陛下に謁見を願い出ます」
「カナミ……? 相律鎮禍連……はっ! もしや、あの『カグラ』様の……!?」
名前を聞いた途端、武者達の態度が一変した。彼女は行方不明扱いのカリナのメインキャラ同様、トップランカーでこの世界では伝説の術士。エデンの特記戦力の一人として、100年前の五大国襲撃事件、その際のエデン大規模防衛戦で多大な功績を挙げた実力者だ。何より、この大陸における陰陽術と相克術の最高峰、当代きっての使い手として、その名は遠くヨルシカの地にも勇名として轟いている。
「カグラ様ですね! お話は伺っております! 直ちにご案内いたします!」
最上級の敬意を持って迎え入れられ、城内に入ると、そこは雅な空間が広がっていた。磨き上げられた鶯張りの廊下が続き、天井には美しい花鳥風月の絵が描かれている。
そして通されたのは、最上階にある『玉座の間』。
正面には金箔の襖絵に描かれた巨大な龍が睨みを利かせ、一段高い畳の壇上に、その人物は座していた。
ヨルシカ国王、ソウガ・ヨルシカ。
黒い束帯に身を包んだ、黒髪のまだ二十代半ばの若き王だ。凛々しい顔立ちの中に、知性と人懐っこさが同居している。
「――よくぞ参られた! 待っていたぞ、カナミ殿!」




