76 癒やしの湯と紫紺の装い
精霊王の姿が消え、最上階に静寂が戻った。
だが、今のカリナが纏う空気は、塔に来る前のそれとは明らかに異なっていた。肌は内側から発光するように透明感を増し、その身に纏う魔力はどこまでも清浄で、かつ濃密だ。
「……すごいにゃ、隊長」
物陰から恐る恐る出てきた隊員が、カリナを見上げて目を丸くした。
「なんかこう、ピカピカしてるにゃ。神様みたいにゃ。近くにいるだけで身体の奥から元気が湧いてくるにゃ!」
「ふふ、そうか? 自分ではあまり分からないが……確かに、身体は羽が生えたように軽いな」
カリナは自身の掌を見つめ、握りしめた。
精霊達の声が、五感を通してダイレクトに響いてくる。風の囁き、石の鼓動、遠くの海の飛沫。世界そのものが味方になったような、全能に近い感覚。これが精霊王の加護なのだと、彼女は静かに噛み締めた。
「さて、長居は無用だが……手ぶらで帰るわけにはいかないな」
カリナは床に散らばる獄炎騎士アグノス・レギウスの残骸へと歩み寄った。主を失った『反転精霊装備』。不気味な赤黒い紋様が刻まれた黒鉄の鎧と大剣。そして、奴の中心核となっていたであろう、ドス黒い『闇の魔法結晶』。これらは敵の技術体系を知るための重要なサンプルであり、動かぬ証拠だ。
カリナはこれらをアイテムボックスへ格納した。この世界にデータ送信などという便利なものはない。現物を持ち帰るしかないのだ。
「帰ろう、隊員。カナミが待っている」
「了解にゃ。お腹空いたにゃ!」
カリナは塔の縁に立ち、広大な夜空に向けて手を翳した。
「来い、ガルーダ!」
喚びかけに応じ、紅蓮の翼を持つ神鳥が星空を割って現れる。カリナは隊員を抱えてその背に飛び乗った。
「ワダツミへ。全速力で頼む」
ガルーダが力強い雄叫びを上げ、夜の海へと滑空していった。
◆◆◆
ワダツミに戻った頃には、街はすっかり夜の帳に包まれ、家々の明かりが星のように瞬いていた。海沿いの高台にある「白い家」。その玄関先には、提灯の明かりの下、心配そうに空を見上げるカナミの姿があった。
「カナミ!」
ガルーダから飛び降りたカリナを見て、カナミの顔に安堵の色が広がった。
「カリナちゃん! ああ、よかった……無事だったのね!」
駆け寄ってきたカナミは、しかしすぐに表情を曇らせ、悲鳴に近い声を上げた。
今のカリナの格好は、凄惨と言ってよかった。黄色いリボンのコートは斬撃でボロボロになり、フリルのスカートも煤け、あちこちが破れている。治癒魔法で傷は塞がっているとはいえ、激闘の痕跡は隠しようもなかった。
「なんて格好なの……。どれだけ無茶をしてきたのよ、もう!」
「ああ、少しばかり手強い番人がいてな。だが、目的は果たしたぞ」
「話はあと! まずは身体を休めるのが先よ。……ほら、お風呂沸いてるから」
カナミは有無を言わせぬ勢いでカリナの手を引き、屋敷の中へと連れ込んだ。
◆◆◆
広々とした檜風呂の脱衣所。甘い湯気が立ち込める中、カナミは甲斐甲斐しくカリナのボロボロになった服を脱がせていく。
「ちょ、ちょっと待てカナミ! 自分で脱げるから!」
「いいからじっとしてて。もう、こんなところまで泥だらけじゃない。私の可愛いカリナちゃんが台無しよ」
抵抗するカリナだったが、カナミの手際の良さにあっという間に丸裸にされてしまった。
薄桃色に上気した、幼さの残る白磁のような肌が露わになる。未発達ながらも均整の取れた肢体は、壊れ物のように華奢だ。カリナは顔を真っ赤にしてタオルで身体を隠した。
「……なぁ、カナミ。お前も入るのか?」
「当たり前でしょ? 背中流してあげるわよ」
カナミ自身も既に巫女装束を脱ぎ捨てていた。そこにあるのは、カリナとは対照的な、成熟した女性の肉体美だ。豊かな胸の膨らみ、くびれた腰、滑らかなヒップライン。タオル一枚では隠しきれないその艶めかしい曲線に、カリナは思わず視線を泳がせた。
「いや、でも……今は私も見た目はともかく、一応……その、一緒に入るのはまずくないか?」
もじもじとするカリナを見て、カナミは呆れたように、しかし慈愛に満ちた瞳で笑った。
「カリナちゃんってば。今更何を言ってるのよ。所詮、この世界の私達の姿なんて、ゲームのアバターに過ぎないじゃない」
「それはそうだけどさ……」
「そりゃあね、あの変態ネカマのエクリアと一緒に入れって言われたら全力で拒否するわよ? あいつは隙あらばセクハラしてくるに決まってるもの。でも、カリナちゃんは特別」
カナミはカリナの手を取り、そっと自身の豊満な胸元へと抱き寄せた。柔らかい肌の感触と、女性特有の甘い香りがカリナを包む。
「この姿のアンタは昔から私の妹分みたいなものだし、それに……その可愛い姿なら、見てても癒やされるだけだから大丈夫! ほら、行くわよ」
「……サバサバしすぎだろ。もう少しデリカシーというものをだな……」
観念したカリナは、カナミと共に浴室へ入った。檜の芳醇な香りが充満する湯船に、二人の身体が沈む。熱い湯が、戦いで張り詰めていた神経を優しく撫で、海風で芯まで冷え切っていた身体をじんわりと解きほぐしていく。
「ふぅ……生き返るな」
「でしょ? ワダツミの温泉は美肌効果も抜群なのよ。……ほら、こっち向いて。髪洗うから」
カナミはカリナを洗い場に座らせると、自身の膝の間に彼女を囲い込んだ。まるで幼子を扱うかのように、たっぷりの泡でその赤髪を洗い始める。指先が頭皮を優しくマッサージし、カリナの背筋がぞくぞくとした心地良さに震えた。
「それにしても、カリナちゃんの髪って本当に不思議よね。……あれ? ゴムとかリボンで結んでるわけじゃないの?」
カナミは泡だらけになったカリナのツインテールを触り、不思議そうに首を傾げた。結び目を解いたわけでもないのに、髪はふわりとした独特の形状を保っている。
「ああ。これは何も縛ってない。ただの癖っ毛だよ。放っておくと勝手にこうなるんだ」
「ええっ!? これ、地毛の癖でこうなってるの!? すごっ、もこもこしてて綿菓子みたい!」
カナミは面白がって、泡がついた手でカリナの髪をもにゅもにゅと揉み込んだ。
「いいだろ。これは私のチャームポイントなんだ。あんまりいじるなよ」
「はいはい。あ、このアホ毛! 泡つけてもピンと立ってる! 可愛い~っ!」
カナミはカリナの頭頂部で揺れるアホ毛を指でつんつんと弄んだ。まるで生き物のように跳ね返る感触に、カナミはクスクスと笑う。
「遊ぶな。くすぐったいぞ」
「ふふっ、ごめんごめん。……でもね」
不意に、カナミの手が止まった。彼女はカリナの細い肩を抱きしめ、その背中に頬を寄せた。濡れた肌同士が密着し、鼓動が伝わってくる。
「……本当によく無事で帰ってきてくれたわ。あの塔はきっと危険な場所だって思ってたから、ずっと心配してたのよ」
「カグラ……」
「もう、無茶しないでね。カリナちゃんがいなくなったら、私、泣いちゃうんだからね」
耳元で囁かれる甘い声と、背中に感じる豊かな弾力。カリナは顔を赤くしながらも、その温もりに身を委ねた。
「ああ……。すまない、心配をかけたな」
湯気の中で、二人の絆はより深く、温かく結び直された。
◆◆◆
入浴後、さっぱりとした浴衣姿に着替えた二人は、広間で遅めの夕食を囲んだ。温かい鍋をつつきながら、カリナは精霊の塔での出来事、そして獄炎騎士との死闘を詳細に語った。
「……裏階級の悪魔、獄炎騎士アグノス・レギウス。奴は、精霊の力を物理的な熱量に変換し、無効化する装備を持っていた」
カリナはアイテムボックスから、回収した『反転精霊装備』の一部を取り出し、畳の上に置いた。ズン、と重い音が響く。それを見た瞬間、カナミの目が鋭く細められた。
「……何これ。ひどい気配」
「分かるか?」
「ええ。精霊の紋様を逆に刻んで、魔力の循環をわざと壊してる。……精霊への冒涜もいいところね。こんなものを作るなんて、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム……絶対に許さない」
普段は朗らかなカナミが、怒りに震えている。それは同じ術士として、そして精霊と共に生きる者としての純粋な義憤だった。カリナは頷き、自身の胸に手を当てた。
「だが、精霊王は私に力を貸してくれた。精霊王の加護……『レグナ・スピリトゥス』だ」
「レグナ・スピリトゥス……!?」
「ああ。この加護は、単なる防御結界ではない。ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムが使う『虚無』の概念攻撃、そしてこの反転装備による魔力無効化に対し、絶対的な『存在優位性』を取ることができる」
カリナは言葉を継ぐ。
「さらに『王の循環』という効果もある。私の魔力が尽きかけても、周囲の大気や精霊から自動的に魔力を補填し、循環させるシステムだ。つまり、奴らの領域内であっても、私は無尽蔵に術を行使できる」
「すごい……。それなら、敵のアンチ魔法フィールドも無効化できるってことね」
二人は頷き合うと、エデンのカシューへの連絡を入れた。 通信機越しに、カシューの声が響く。
「やあ、カリナ。カナミから君が精霊の塔へ向かったと聞いていたけど、無事だったかい?」
カシューは既に事情を知っていたようだ。
「ああ、カシュー。心配をかけたな。報告がある。精霊王に会い、無事に加護を授かった。これで敵の『反転精霊装備』に対抗できる」
カリナの報告と加護の詳細な説明に、通信の向こうでカシューが息を呑む気配がした。
『精霊王の加護……! まさか本当に成し遂げるとはね。さすがだよ、カリナ。待っていた甲斐があった』
「それと、敵の装備も回収した。現物はアイテムボックスに入れてある。エデンに戻り次第、アステリオン達解析班に渡すつもりだ」
「ああ、データ送信なんてできないからね、現物があるのは非常に助かる。かなり厄介な代物のようだけど、攻略の糸口は見えたね」
カシューの声は明るく、そして頼もしかった。
「素晴らしい戦果だ。これで我々の切り札が揃った。各国の軍も準備を進めている。決行の日は近いよ」
「ああ。こちらも準備は万端だ」
通信を終えると、カナミが真剣な表情で切り出した。
「ねえ、カリナちゃん。エデンに帰る前にもう一箇所、寄って欲しいところがあるの」
「ん? どこだ?」
「ここから北東、この大きな大陸の平地にある『陰陽国ヨルシカ』よ」
「ヨルシカ……。VAOの初期五大国の一つだな。陰陽師や相克術士、呪術士なんかのスタート地点となる、あの場所か」
「そう。あそこの国王とは、ちょっとした知り合いでね。今回の世界の危機に、ヨルシカの力も借りたいの。彼らの結界術や封印術は、対悪魔戦において大きな助けになるわ」
カナミは扇子を開き、自信ありげに微笑んだ。
「もう私の式神を飛ばして、話は通してあるわ。明日の朝、一緒に行きましょう。私の可愛いペットに乗せていってあげる」
◆◆◆
翌朝。
小鳥のさえずりと共に、爽やかな朝日が部屋に差し込む。 カリナは布団から身を起こし、大きく伸びをした。今日はヨルシカへの出発日だ。昨日の戦闘でボロボロになった服はさすがにもう着られない。
カリナはアイテムボックスから、新しい衣装セットを取り出した。
今日は少し趣を変えて、シックな色合いのものを選んだ。 まずは純白の下着の上に、鮮やかな紫色のニーソックスを穿く。柔らかい布地がつま先からふくらはぎ、そして膝上へと滑り上がり、白い太ももを優しく締め付ける感触が心地よい。スカートとソックスの間に生まれる絶対領域は、少女特有の健康的な色気を醸し出す聖域だ。
次に、水色をベースに白と黒の幾何学模様があしらわれたワンピースに袖を通す。身体のラインに程よくフィットしつつ、スカート部分はふわりと広がる可愛らしいデザインだ。胸元のリボンを整え、スカートの裾をぱんぱんと払う。
足元は、白を基調に紫のラインが入った編み上げブーツ。 紐をきゅっと結ぶたびに、ふくらはぎが固定され、これから始まる旅への気合が入る気がした。
そして仕上げに、紫を基調とした黒と白のデザインのロングコートを羽織る。襟元が立ち上がったクールなデザインだが、ワンピースの可愛らしさと相まって、カリナの凛とした魅力を引き立てていた。
「よし、完璧だな」
「かっこいいにゃ、隊長」
鏡の前でくるりと回ってみせる。スカートとコートの裾がひらりと舞い、紫と水色の色彩が美しく調和した。
庭に出ると、既にカナミが待っていた。彼女の隣には、巨大な赤い鳥が待機している。燃え盛るような朱色の羽毛、長く美しい尾羽。その姿は、伝説に語られる四神『朱雀』そのものだ。
「おはよう、カリナちゃん! ……あら? 今日の服もすっごく可愛いじゃない!」
カナミが目を輝かせて駆け寄ってくる。
「ふふ、昨日の黄色も似合ってたけど、今日の紫と水色のコーデも素敵よ。大人っぽさと可愛さが絶妙なバランスね! そのニーソックスの色使いとか、すごくセンスいいわ」
「そうか? 予備の衣装だが、悪くはないかな」
褒められて少し照れくさそうに鼻を鳴らすカリナ。
「……で、カナミ。これが『ペット』か?」
「ええ、私の自慢の式神よ! 紹介するわ、朱雀の『ちゅん太郎』よ!」
「……ちゅん太郎?」
カリナはずっこけそうになった。神々しい伝説の霊鳥につける名前が、あまりに庶民的すぎる。そのギャップに頭痛すら覚える。
ピィーッ!
ちゅん太郎と呼ばれた朱雀は、嬉しそうにカナミに頭を擦り付けた。どうやらこの名前を気に入っているらしい。
「さあ、乗って! 北東の平地にあるヨルシカまではひとっ飛びよ!」
「やれやれ……。お前のネーミングセンスには脱帽だ」
カリナは苦笑しながら、隊員と共にちゅん太郎の背中に乗り込んだ。羽毛は見た目に反して熱くはなく、陽だまりのような温かさがある。カナミも軽やかに飛び乗る。
「行くわよ、ちゅん太郎! 目指すは陰陽国ヨルシカ!」
ピィィィィーッ!!
朱雀が高らかに鳴き声を上げ、力強く羽ばたいた。一気に高度を上げると、眼下にはワダツミの街並みが広がり、その先には広大な大陸がどこまでも続いている。
「すごいにゃ! 速いにゃ! ガルーダと同じくらい速いにゃ!」
「ふふっ、でしょ? 快適な空の旅を約束するわ!」
風を切って進む朱雀の背で、カリナは進行方向である北東の空を見据えた。精霊の塔での試練を乗り越え、精霊王の加護を得た。そして次は、この巨大な大陸の平原にある陰陽と呪術の始原の地での新たな同盟。仲間達が集い、力は結集しつつある。
――待っていろ、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム。そして災禍伯メリグッシュ。――必ず、この世界から叩き出してやる。
カリナの瞳に、揺るぎない決意の光が宿った。一行を乗せた朱色の翼は、希望を乗せて北東の空へと消えていった。




