72 王の決断と精霊の塔
騎士王カシューが建国した国、エデン。
その執務室で、カシューは耳に装着したイヤホン型の通信機に指を添えた。 微量の魔力を流し込むと、通信機が淡い光を放つ。フレンド相手の砕けた態度は鳴りを潜め、その表情は一国の主としての威厳に満ちていた。彼自身の鋭い瞳が、虚空を見据える。
通信が繋がると、重厚で威厳ある壮年の男性の声が鼓膜を震わせた。
「……カシュー殿か。定時連絡には早いが、何か動きがあったのか?」
ルミナス聖光国の国王、ジラルドだ。カシューは背筋を正し、恭しく、しかし対等な国家元首として口を開いた。
「ええ、ジラルド陛下。緊急の報告があり、通信させて頂きました。……例の『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』と『災禍伯』の件について、新たな、そして決定的な情報が入りました」
「ほう……?」
音声だけでも、ジラルド王の纏う空気が張り詰めたのが分かった。カシューは手元の資料――カリナから提供されたばかりの情報のメモを読み上げた。
「先ほど、我が国の特記戦力であるカリナから通信がありました。彼女は潜入していたリシオノールの街で、組織の支部を単独で壊滅させました」
「カリナが単独でやったのか? ふむ、さすがだ。あの娘の仕事は確実だな」
ジラルドの声に、呆れを含んだ称賛が混じる。彼はカリナの実力を高く評価している。
「はい。そして、その支部から押収した情報により、組織の本拠地が判明しました。場所はチェスター街の北東、貴国との国境にも近い『ビィタールの谷』です」
「ビィタールの谷か……。あそこは険しい渓谷で、人の立ち入らぬ場所だ。灯台下暗しとはこのことか。……だが、場所が割れただけであれば、カシュー殿がここまで声を荒げることもなかろう?」
「ご明察です。問題は、彼らのスポンサーです」
カシューは一呼吸置き、最も重い事実を告げた。
「組織と災禍伯メリグッシュ・ロバス……奴らの後ろ盾として、ビィタールの谷の北部、『ガリフロンド公国』のドゥーカス公爵が関与していることが判明しました」
「なっ……!?」
ドンッ、と何かが叩かれる音が通信越しに響いた。玉座の肘掛けか、あるいは机だろうか。
「公国の一貴族が、悪魔の……それも災禍伯の手先となっていると言うのか! 何者かと組織との繋がりは疑っていたが、まさか国家の中枢にいる公爵が……! なんたる愚行!」
ルミナス聖光国は、光の女神と精霊を崇め、神聖術士達を育てる宗教国家だ。悪魔との契約など、彼らにとって最も忌むべき大罪である。王の激怒はもっともだった。
「私も同感です。ですが、相手は国家権力を盾にしています。迂闊に手を出せば国際問題になりかねない。……そこで、陛下に提案がございます」
カシューは手元のペンを置き、力強く告げた。
「我が国エデンとルミナス聖光国、そして有志による連合軍を結成し、一気にビィタールの谷を制圧したいと考えております」
「連合軍、か」
「はい。こちらの戦力は、情報源であるカリナとその召喚体軍団。そして……驚かないでください。長らく行方が知れなかった我が国の特記戦力、『カグラ』をついに発見しました。彼女が率いる『相律鎮禍連』という術士部隊も参加します」
「カグラ……? ああ、サティアから聞いておるぞ。エデンの初期メンバーであり、長らく行方不明になっていたという、術士か」
現在、ルミナスに滞在しているサティアから話を聞いていたジラルドは、すぐに納得の声を上げた。
「無事に見つかったとは朗報だ。彼女も参戦するのであれば、戦力として申し分ない」
「ええ。さらに、これからチェスターの『シルバーウイング』にも使者を送り、協力を要請する予定です」
「シルバーウイング……あの新興ギルドか。噂は聞いておる」
「はい。私はまだギルド団長のセリス殿とは面識がありませんが、カリナが彼女の剣技と指揮能力を高く評価しておりました。彼女達の力も借りたいと考えております」
「ふむ……カリナがそこまで言うのならば間違いあるまい。そして、我が国からは当然、『ルミナスアークナイツ』を出せと言うのだろう?」
王の言葉に、カシューは力強く頷いた。
「はい。彼らならば、この任にこれ以上ない適任者です。カリナと共に戦えるとなれば、彼らの士気も上がるでしょう」
「良かろう。精霊と民を脅かす悪魔、そしてそれに魂を売った売国奴……見過ごすわけにはいかん」
ジラルド王の承諾する気配を感じ、カシューは話を確信へと進めた。
「して、その大規模な作戦……名付け親はカリナですが、『対魔連合戦線』と称しております」
「ぶははははっ!」
ジラルドは豪快に笑った。
「『対魔連合戦線』か! 捻りも飾り気もない、実にあの娘らしい剛直な名前だ! 気に入った、我々もその名の下に集おうではないか!」
「ふふ、私もそう思いました。分かりやすくて良い名です」
カシューもまた、口元に微笑みを浮かべた。ひとしきり笑った後、ジラルドの声は再び冷徹な為政者のものへと変わった。
「武力による制圧は承知した。カーセル率いるルミナスアークナイツ、そして我が国の聖騎士団を派遣しよう。……だが、カシュー殿。相手が公爵となれば、政治的な根回しも必要であろう?」
「流石は陛下。お察しの通りです」
カシューは深く頷いた。ここからが、国家元首同士の本領発揮だ。
「軍を動かす準備をしている間に、私の方から手を回そう。五大国の一角である我がルミナスの名において、ガリフロンド公国のヴィクトール大公、および周辺の有力貴族達に使いを出す」
「ドゥーカス公爵を孤立させるおつもりで?」
「うむ。証拠はカリナが持っているのであろう? 『ドゥーカス公爵が悪魔と通じ、国を売ろうとしている』という情報を、公国の最大勢力ヴィクトール大公や対立派閥の貴族にリークするのだ。小国であるガリフロンドが、五大国からの圧力と内部の不信感に耐えられるかな?」
ジラルド王の声には、熟練の策士としての凄みが宿っていた。
「ドゥーカス公爵への支援を断ち、奴を政治的に孤立無援にする。奴が助けを求められるのは、もはや悪魔だけ……という状況を作り出してやろう」
「ありがとうございます。それが決まれば、ビィタールの谷への介入も『国際平和維持活動』として正当化できます」
「うむ。互いに準備には多少時間がかかるが、必ず包囲網を完成させてみせる。……カリナによろしく伝えてくれ」
「了解しました。では、吉報をお待ちしております」
通話が切れると、カシューはイヤホンへの魔力供給を断ち、いつもの顔に戻って深く息を吐いた。
「ふぅ……。よし、これで外堀は埋まる。あとは……」
カシューは執務室の窓から、遠く西の空を見上げた。
「カリナとカグラが、無事に戻ってくるのを待つだけだね。……きっと、最高の状態で帰ってくるはずだ」
カシューはベルでアステリオンを呼び出し、次はチェスターへ向かわせる使者の選定に入った。
世界が、反撃のために動き出している。その中心にはいつも、あの小柄で強大な召喚士がいるのだと思い、カシューは頼もしげに微笑んだ。
◆◆◆
西の海の孤島。
海面から突き出るように聳え立つその島は、常に濃い霧と神秘的な魔力の光に包まれていた。上空から舞い降りた神鳥ガルーダは、塔の入口の広場に静かに着地した。
「ありがとう、ガルーダ。お前の役目はここまでだ。ゆっくり休んでくれ」
カリナが隊員を抱えて地面に降り立つと、ガルーダは短く鳴いて光の粒子となり、送還された。残されたカリナの目の前には、雲を突き抜けるほどの高さを持つ白亜の巨塔が鎮座している。その表面には古代の文字が刻まれ、虹色の光が脈打つように循環していた。
「でかいな……。遠くから見えたときも大きいと思ったが、直に見ると圧倒される」
「隊長、あそこを見るにゃ。入口の前に何かあるにゃ」
隊員の視線を追うと、塔の巨大な扉の前には、揺らめく光の膜――強力な『結界』が張られていた。これこそが、カナミですら通ることができなかった、精霊王の拒絶の壁だ。
カリナは静かに歩み寄り、その光の膜の前に立った。肌がピリピリするほどの濃密な拒絶の意思を感じる。ただ魔力が強いだけでは、あるいは力ずくでこじ開けようとすれば、この光に弾かれるだろう。
「試されているのか……」
カリナは深呼吸をし、ゆっくりと左手を結界に差し出した。脳裏に浮かべるのは、これまで共に戦い、旅をしてきた召喚体達の姿だ。彼らは道具ではない。召喚士として心を通じ合わせ、魂を分かち合う、かけがえのない相棒達だ。
通してくれ。私は意味もなく来たんじゃない。……精霊達を守るための力が欲しいんだ。心で念じながら手を伸ばす。
カリナの指先が光に触れる。バチッ、と一度だけ弾けるような音がした後、結界の光が急速に柔らかいものへと変化した。
拒絶から、受容へ。
光はカリナの黄色いコートを優しく包み込み、そして音もなく左右へと開いていった。
「……開いたにゃ! すごいにゃ!」
「ああ。どうやら、客として認めてもらえたようだな」
カリナが安堵の息をつくと同時に、塔の巨大な石扉が地響きを立てて開いた。そして内部に足を踏み入れる。
塔の内部は、外観からは想像もつかないほど広大な空間が広がっていた。空間拡張の術式のようなものが施されているのだろう。天井は遥か高く、螺旋階段が壁沿いにどこまでも続いている。床や壁は白く輝く石材で作られているが、所々に水晶が生え、空中に浮遊する光の粒子が照明代わりとなっている。
「綺麗な場所にゃあ……でも、何か来るにゃ!」
隊員の警告と同時に、虚空から複数の影が現れた。全身が青白い結晶で構成された人型のゴーレム――『クリスタル・ガーディアン』だ。その数は五体。
「塔の守護者か。精霊王への謁見には、力も示せということらしいな」
カリナは不敵に笑い、フリルのついたスカートを翻して構えた。両足に闘気を集中させる。
「隊員、後ろに下がっていろ!」
「了解にゃ!」
先頭のガーディアンが、重い結晶の拳を振り下ろしてくる。だが、カリナの動体視力にとって、それは止まっているも同然だった。
「遅いッ!」
踏み込み一閃。カリナは敵の懐に滑り込むと、黄色のリボンが揺れる袖の左拳をガーディアンの腹部に叩き込んだ。
ドォォォォンッ!!
ただの拳ではない。土属性の魔力を乗せた『格闘術・烈衝拳』だ。硬度を誇るはずのクリスタル・ガーディアンのボディが粉々に砕け散り、光の粒子となって消滅した。
「次ッ!」
残り四体が一斉に襲い掛かる。カリナはその場から跳躍し、空中で回転しながら回し蹴りを放った。
「薙ぎ払え、裂空旋脚!」
脚から放たれた真空の刃が、二体のガーディアンの首を鮮やかに切断する。着地と同時に、迫りくる残る二体に向けて掌を突き出した。
「燃やし尽くせ、紅蓮掌!」
掌から爆発的な炎が噴出し、触れたガーディアン達を一瞬で溶解させた。戦闘時間、わずか十数秒。Aランクの魔物に相当する守護者達を、カリナは召喚術を使うまでもなく、自身の体術だけで葬り去った。
「ふぅ、……準備運動にはなったかな」
乱れたコートの裾を直し、カリナは先を見据えた。
「行くぞ隊員。上はまだまだありそうだ」
「さすが隊長! 素手でも強過ぎるにゃ!」
◆◆◆
その後も、カリナは塔を駆け上がった。階層が進むごとに、出現する魔物は強力になっていく。
中層エリアに差し掛かると、炎を纏うリザードマンの戦士や、風の刃を操るハーピーの群れが現れ始めた。流石に素手では分が悪いと判断したカリナは、ここで愛刀の柄に手をかけた。
「ここからは剣技で行く」
襲いかかるリザードマンの大剣を、カリナは抜刀と同時に弾き返した。神速の抜刀。その勢いのまま刀身に青白い雷の魔力を纏わせる。
「喰らえ、魔法剣技、雷閃斬!」
横薙ぎの一閃。刀から放たれた雷撃の刃が、硬い鱗を持つリザードマンを両断し、背後のハーピーたちをも巻き込んで焼き払った。
「キリがないな……! 出ろ、シャドウナイト! ホーリーナイト!」
更に上層、敵の数が増えたところで、カリナはついに召喚を行った。漆黒の騎士と白銀の騎士が現れ、カリナの左右を守る。
「露払いを頼む! 私は本命を叩く!」
シャドウナイトが影の刃で敵を牽制し、ホーリーナイトが盾で魔法を防ぐ。その隙を突き、カリナは敵陣の中央へ飛び込んだ。左手で聖剣ティルヴィングを引き抜き、右手に持ち替えた刀と合わせる。二刀流の構えだ。
「どけぇぇぇッ!!」
立ちはだかる巨大なゴーレムに対し、まずは左手のソードで強烈な突きを見舞って体勢を崩させ、がら空きになった胴体に右足の回し蹴りを叩き込む。格闘で隙を作り、剣で仕留める。変幻自在の戦闘スタイルこそが、召喚魔法剣士カリナの真骨頂だ。
「これで……終わりだッ!」
刀身が紅蓮の炎に包まれる。カリナは全身のバネを使い、炎を纏った刀を振り上げた。
「魔法剣技・紅蓮鳳凰斬!!」
不死鳥が羽搏くような炎の斬撃が、巨大な敵を一刀両断にした。
数え切れないほどの階層を突破し、幾多の守護者をなぎ倒し、カリナはついに最上階へと続く巨大な扉の前へと辿り着いた。そこからは、これまでとは桁違いの、神々しいまでの精霊力が溢れ出していた。
「……ここか」
カリナは息を整え、刀を鞘に納めた。黄色いコートは戦闘で煤けてしまったが、その瞳の輝きは失われていない。扉の前で暫し休息を取り、補給をする。
そしてここから先で何が起こるかわからないため、ここまで温存していた、サティアに渡されていた赤い突然の負傷のショックを和らげるポーションを飲んだ。精神が落ち着き、研ぎ澄まされて行く感覚が全身に行き渡る。
「よし、隊員、準備はいいか?」
「いつでもいいにゃ。……中の気配、とんでもないにゃ」
「ああ。精霊王……話が通じればいいんだがな」
カリナは覚悟を決め、重厚な扉に手をかけた。ズズズ……、と重い音を立てて扉が開く。この眩い光の向こう側で、世界の真理を知る王が待っている。




