67 霧の街とゴシックドール
世界樹の森を後にしたカリナは、ペガサスで休憩をはさみながら北上を続けた。
日が傾き、空が茜色から群青色へと変わる頃、眼下に霧に包まれた幻想的な街並みが見えてきた。目的の街、リシオノールだ。
街から少し離れた街道沿いにペガサスを降ろし、労いの言葉と共に送還する。そこからは隊員を連れて徒歩で南門へと向かった。
リシオノールは「霧の街」の異名を持つ。五大国の一つである陰陽国ヨルシカの和風の文化圏に近い影響を受けており、夕刻になると立ち込める白い霧の中に、瓦屋根や木造の格子戸といった和の風情を感じさせる建物が浮かび上がる。
石畳の道もしっとりと濡れ、軒先に吊るされた提灯の淡い光が、幻想的な静寂を演出していた。
南門には松明が焚かれ、数人の衛兵が警備に当たっていた。
「止まれ。これより先はリシオノールだ。身分証の提示を願う」
槍を持った中年の衛兵が、怪訝そうにカリナを見る。無理もない。霧の中から現れたのは、フリル付きの緑の衣装を纏ったあどけない少女と、二足歩行の猫なのだから。観光客にしては軽装過ぎ、冒険者にしては可憐過ぎる。
「冒険者だよ。通ってもいいかな」
カリナは懐からギルドカードを取り出し、衛兵に手渡した。衛兵は事務的にカードを受け取り、ランタンの光にかざして確認する。そして次の瞬間、目を丸くして二度見、三度見と繰り返した。
「なっ……ええっ!? Aランク……!? こ、この歳でか!?」
衛兵の声が裏返る。詰所にいた他の衛兵達も何事かと顔を出した。
「おい、どうした?」「こ、これを見ろ! 本物のAランクだ! しかも名前は……カリナ。ああ、あの噂の『緑の戦乙女』か」
ざわめきが広がる中、衛兵達の視線が尊敬と畏怖、そして驚愕の入り混じったものに変わる。
「し、失礼しました! どうぞお通りください!」
衛兵は慌てて最敬礼し、道を開ける。カリナはカードを受け取りながら、ふと足を止めた。
「すまない、ついでに聞きたいんだけど」
「は、はいっ! なんでしょうか! 何でもお答えします!」
「この街で飯が美味くて、静かに休めるお勧めの宿はあるかな? できれば浴場が広いところがいいんだけど」
カリナの問いに、衛兵は少し考えてから、自信ありげに答えた。
「それでしたら、『樹霧の庵亭』が良いでしょう。大通りから少し外れた静かな場所にありましてね。ここの文化を取り入れた造りで、料理は地元の川魚や山菜を使った絶品ですし、何より庭園を望める大浴場が自慢です」
「『樹霧の庵亭』か。分かった、行ってみる。ありがとう」
「いえ! ごゆっくりお過ごしください!」
衛兵に見送られ、カリナは霧の街へと足を踏み入れた。
街の中は、過激派組織の支部があるとは思えないほど落ち着いていた。魔法の灯や提灯の柔らかな光が霧を照らし、着物や作務衣に似た服を着た人々が穏やかに行き交っている。
教えられた通りに進むと、やがて趣のある数寄屋造りの宿が見えてきた。入り口には松の木が植えられ、『樹霧の庵亭』と筆で書かれた暖簾が静かに揺れている。
引き戸をガラガラと開けて中に入ると、カランコロンと風鈴のような音が響き、奥から元気な声が飛んできた。
「いらっしゃいませー! ……あらっ、まあっ!」
パタパタと小走りで駆け寄ってきたのは、和風のエプロンの前掛けを締め、頭に三角巾をつけた若い女性。この宿の若女将だ。彼女はカリナを見るなり、目を輝かせて頬を紅潮させ、両手を組んだ。
「なんて可愛らしいお客様! まるでお人形さんみたい! それにその猫ちゃんも可愛い! ウチは大歓迎ですよ!」
「あ、ああ……一人と一匹だよ。空いてるかな?」
「もちろんです! 私は若女将のチェルシーと言います。お客様のお名前は?」
「カリナだ。こっちは相棒の隊員」
「カリナちゃんに隊員ちゃんですね! ようこそお越しくださいました!」
チェルシーの圧倒的な「可愛いもの好き」オーラと勢いに押されつつ、カリナ達は手続きを済ませた。丁度夕食時で、奥の食堂からは食欲をそそる良い香りと賑やかな声が聞こえてくる。
「お食事はどうされますか? お部屋の準備もすぐにできますが、食堂なら出来立てをすぐにお出しできますよ!」
「隊長、お腹ペコペコにゃ。食堂で食べてから部屋に行きたいにゃ」
「そうだな。じゃあ、先に夕食にするよ」
「承知しました! こちらへどうぞ!」
チェルシーに案内され、一階の食堂へと足を踏み入れる。 そこは木の温かみを感じさせる広い和室で、畳敷きの小上がりとテーブル席があり、多くの宿泊客や地元の客で賑わっていた。
しかし、カリナが入った瞬間、場の空気が一変した。
ザワッ……。
フリル付きの緑のドレスコートを着た美少女と、二足歩行の猫。その異質な組み合わせと、カリナの目を奪うような美貌に、食事の手を止めて見入る者が続出したのだ。
「おい、見ろよあの子……。すげえ美人だぞ」 「お人形さんかと思った……。どこの国のお姫様だ?」 「あの猫、ひょっとしてケット・シーか? 賢そうな顔してるな」
男達の溜息交じりの称賛と、女性客からの「可愛い!」という囁きが交差する。カリナはもう慣れた視線に気づかないふりをして、案内された奥のテーブル席に着いた。
「お待たせしました! 当宿自慢の『霧の国御膳』です!」
すぐに運ばれてきた料理に、周囲の視線などどうでもよくなった。
お盆に所狭しと並べられた料理は、どれも絶品に見える。 メインは『川魚と森野菜の竹の葉包み蒸し』だ。
竹の葉を開くと、湯気と共に芳醇な香りが立ち上る。ふっくらと蒸し上がった白身魚に、彩り豊かな季節の野菜が添えられ、特製の味噌ダレがかかっている。
他にも、山菜の天ぷら、出汁の効いた茶碗蒸し、艶やかに光る白米、そして具沢山の味噌汁。
「んー……美味い。素材の味が生きているな」
魚を口に運ぶと、淡白ながらも上品な脂の甘みと、味噌ダレのコクが絶妙に絡み合う。白米が進んで仕方がない。
「ほっぺたが落ちるにゃ。このタレだけでご飯三杯はいけるにゃ。天ぷらもサクサクにゃ」
隊員も器用に箸を使い、尻尾をパタパタさせながら猛烈な勢いで食べている。その愛らしい食事風景に、周りの客たちもいつしか頬を緩めていた。
「あんなに細いのに、気持ちのいい食べっぷりだな」 「見てるだけでこっちまでお腹が空いてくるわ」
旅の疲れが吹き飛ぶような温かい食事と雰囲気に、カリナは心から満足して箸を置いた。
食後、チェルシーから部屋の鍵を受け取る。木札に部屋番号が書かれた、古風な鍵だ。
「お部屋は二階の『松の間』です。ごゆっくりお寛ぎください」
「ありがとう。ご馳走様」
通された部屋は、い草の香りが心地よい畳敷きの和室だった。障子を開けると、手入れの行き届いた和風の庭園が広がっている。
「ふぅ……。これは落ち着くな」
剣を置き、一息ついたところで、カリナはタオルを持って立ち上がった。
「よし、自慢の風呂に行くとしようか」
「はいにゃ」
脱衣所で服を脱ぎ、湯気で満たされた浴室へ入ると、そこには岩造りの広々とした湯船があった。壁一面のガラス戸の向こうには、ライトアップされた庭園が霧に煙り、幻想的な風景を作り出している。
先客として数人の女性客がいたが、カリナが入ってきた瞬間、視線が一斉に集中した。
透き通るような白い肌、引き締まった華奢な肢体、そして腰まで届く鮮やかな赤髪に金の毛先。湯気に濡れたその姿は、同じ女性でも見惚れるほどに美しかった。
「まあ……! なんて可愛いお嬢さんなの」「本当、お肌が真っ白でツルツル……妖精さんかしら?」
一人の年配の女性が声を掛けると、他の若い女性客達もわっと集まってきた。
「ねえねえ、お名前は? 一人旅?」 「背中、流してあげましょうか? こんな綺麗な髪、洗うの大変でしょう?」 「あら、こっちへいらっしゃいよ。いい入浴剤の香りがあるの」
あっという間に女性陣に取り囲まれるカリナ。戦場では無敵の戦乙女も、裸の付き合いとなると勝手が違う。
「あ、いや、自分で洗えるから……ちょ、ちょっと、触らないでくれ……!」
「うふふ、遠慮しないで。あらー、本当にお肌スベスベ! 羨ましいわぁ」 「可愛いわねぇ、お人形さんみたい」
結局、親切なお姉様方に背中を流され、髪を梳かされ、湯船では「こっちの方が眺めがいいわよ」と特等席を譲られ、存分に可愛がられることになった。
逆上せた顔で湯から上がったカリナは、脱衣所で冷たい水を飲みながら溜息をついた。
「ふぅ……。戦うより疲れたかもしれん……」
しかし、その表情は風呂で癒されて満更でもなく、体も心も芯まで温まっていた。
◆◆◆
翌朝。
朝日が霧を晴らしていく中、カリナは新たな衣装セットを取り出した。
「……今日はこれか。また随分と攻めたデザインだな」
広げた瞬間に、黒と赤のコントラストが目に飛び込んできた。
黒を基調とし、裏地に鮮やかな赤を使ったフリルたっぷりのゴシック調コート。インナーは身体のラインを露わにする赤いチューブトップのワンピースだ。更に足元は、黒地に白の繊細なレースデザインが入ったニーハイソックス。それをガーターベルトで太腿に固定するという、絶対領域を強調する仕様。靴は白黒のツートンカラーがお洒落なショートブーツだ。
「隊長、セクシー&キュートですにゃ。小悪魔的な魅力で敵もメロメロ間違いなしにゃ」
「うるさいぞ。機能性は高いから文句は言わないが……この太腿のスースーする感じが、いつになっても慣れないな」
カリナは恥ずかしそうにコートの裾を整えながらも、身だしなみを完璧にして一階へ降りた。朝食の配膳をしていたチェルシーが、階段を降りてくるカリナの姿を見て、持っていたお盆を取り落としそうになった。
「きゃあああっ! か、カリナちゃん!?」
チェルシーが目をハートにして駆け寄ってくる。
「昨日の森ガール風も素敵だったけど、今日のゴシック風も破壊的に可愛いわ! 黒と赤が白い肌に映えて……もう、ウチの看板娘になってほしいくらい! ねえ、ちょっと回ってみて!」
「いや、遠慮しておく。……行ってきます」
朝からハイテンションなチェルシーに圧倒され、カリナは顔を真っ赤にして焼き魚定食をかき込むと、逃げるように宿を飛び出した。
外の空気は冷たく澄んでいる。
ゴシックな衣装を翻し、カリナは大通りを歩く。すれ違う人々が、その異質さと美しさに振り返る。
街の総合組合へ到着し、重い扉を開けて中へ入ると、朝の依頼受注で賑わっていたロビーが一瞬で静まり返った。
荒くれ者の男性冒険者達が、ポカンと口を開けて見惚れる。
「おい、見ろよあの子……」「すげえ美人……どこの貴族のお嬢様だ?」「ゴスロリ……? なのに、なんて威圧感なんだ」
一方で、女性冒険者達からは歓声が上がった。
「きゃあ! 見てあの服、すっごく可愛くない!?」「本当だ! 黒と赤のゴシックなんて、なかなか着こなせないわよ。どこのブランドかしら?」「お人形さんみたい……でも、あの立ち振る舞い、只者じゃないわね」
ローブを着た魔導士風の女性が、眼鏡を押し上げながら息を呑む。男性陣が美貌に呆気にとられる一方で、女性陣はそのファッションセンスと愛らしさに黄色い声を上げ、一部の実力者は彼女が纏う桁違いの魔力に気付き始めていた。
そんな好奇と称賛の視線の中を、カリナはコツコツとブーツの音を響かせて真っ直ぐにカウンターへ向かった。
「組合長に会いたい。緊急の用件なんだ」
受付嬢がAランクカードを見て顔色を変え、すぐに奥へと案内する。通された部屋で待っていたのは、眼鏡をかけた知的な若い女性、組合長のエレナだった。
「Aランク冒険者のカリナさんですね。噂は聞いています。私はここリシオノールの組合長のエレナです。今日はどのような用件で?」
エレナの穏やかな問いかけに対し、カリナは単刀直入に切り出した。
「この街の地下に、『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』の支部がある。場所も特定済みだ」
その言葉に、エレナの表情が一瞬で引き締まる。
「……そう、ですか。各国からの情報で潜伏の可能性は疑っていましたが、まさかこの街の地下に……」
「これから潰しに行く。協力をお願いしたい」
「もちろんです! すぐに衛兵隊と精鋭の冒険者を招集し、突入部隊を編成します!」
エレナが椅子から立ち上がるが、カリナはそれを手で制した。
「いや、突入は私一人でやる」
「えっ? しかし相手は過激派組織です。一人では危険過ぎます!」
「奴らがどんな罠を張っているか分からないし、人質を取るような卑劣な手を使うかもしれない。大人数で動けば犠牲が出る。私なら一人で制圧できるし、何かあっても対処できる」
カリナの瞳には、揺るぎない自信と覚悟が宿っていた。その可憐な見た目とは裏腹な、歴戦の勇者だけが持つ圧倒的な覇気。エレナは言葉を呑み、やがて深く頷いた。
「……分かりました。では、我々は地上の包囲と逃走防止、そして事後の確保に全力を注ぎます。どうか、ご武運を」




