65 怪しい遭遇
「うわぁ、凄い流れですにゃ。落ちたら溺れるにゃ」
「泳いでいくしかなさそうだな。だが……」
カリナは自身の服――メイド隊が丹精込めて作った猫耳フードのローブを見た。この激流に服を着たまま飛び込めば、水の抵抗で動きが鈍るし、何よりこの服が台無しになってしまう。ルナフレアは「側付き」としてカリナに尽くしてくれているが、その愛が重い分、服を粗末に扱うと後が怖い気がする。
「脱ぐぞ、隊員」
「へ? ここでですかにゃ?」
「ああ。濡れた服は重りになる。それに服をダメにしたらルナフレアに何を言われるか分からん」
カリナは躊躇なくローブとインナーを脱ぎ捨て、全裸になると、それらを素早く畳んでアイテムボックスに放り込んだ。隊員も自分の装備をしまう。
「しっかり掴まってろよ!」
「はいにゃ!」
カリナは裸のまま隊員を胸に抱くと、助走をつけて暗い水面へと躍り出た。
バッシャァァンッ!!
突き刺すような冷たさが全身を包む。流れは速いが、カリナの身体能力ならば制御不能というほどではない。彼女は水流に身を任せつつ、出口を目指して激流に流され続けた。
◆◆◆
数十分後。暗い水路の先に光が見え、カリナ達は勢いよく外の世界へと吐き出された。
ザバァァァッ!
顔を出したのは、世界樹の森の一角にある静かな泉だった。結界の外に出たようだ。カリナは浅瀬に上がり、濡れた髪をかき上げた。太陽の光が濡れた肢体を照らし、水滴が真珠のように白い肌を滑り落ちる。
「ぷはぁ、冷たかったな。風邪を引く前に拭かないと」
アイテムボックスからバスタオルを取り出し、隊員と自分の水気を拭き取っていると――不意に背後の茂みが揺れ、人の気配がした。
「……誰だ」
カリナはタオルで身体を拭きつつ、鋭い視線を向ける。そこに立っていたのは、深緑のローブを目深に被り、顔を隠した男だった。男は一瞬息を呑み、呆然とカリナを見つめていたが、やがて低い声で尋ねてきた。
「……お前は、精霊か?」
森の奥深く、清らかな泉に佇む全裸の美少女。その神秘的な光景に、男は人ならざるものを見たような錯覚を覚えたようだった。だが、カリナは冷静に首を横に振る。
「いや、私は冒険者だ」
「隊長は最強の召喚士にゃ、控えおろうにゃ」
「……そうか。すまない、あまりにも精霊のように美しかったもので、見間違えたようだ」
男はフードの下でバツが悪そうに視線を逸らした。だが、カリナの心中には警戒心が芽生えていた。
「なぜそんなことを聞く?」
「以前、精霊を怒らせて追い回されたことがあるんでな。警戒しただけだ」
「精霊を怒らせた、だと?」
カリナは眉をひそめた。精霊とは本来、自然そのものであり、特定の縄張り意識を持つような存在ではない。あるがままに漂い、世界に溶け込んでいるものだ。それを「怒らせて追い回される」など、よほどの禁忌を犯すか、精霊そのものに危害を加えない限りあり得ない。
こいつはただの旅人じゃない。
男はカリナの視線に気づいたのか、短く「失礼した」と言うと背を向けた。
「俺はただの薬草採りだ。これから村に帰る。邪魔をしたな」
そう言い残し、男は足早に森の奥へと去って行った。カリナはその背中を見送りながら、即座に「生体探知」を発動させた。
男の魔力波長をマーキングし、居場所を特定する。村に帰ると言っていたが、この近く、世界樹の森に村などあるはずがない 。そして、反応は何かを探すかのようにうろうろと動き回っている。
カリナは急いで体を拭き、再びあの猫耳フードのローブと、ワンピース、ガーターベルト付きのニーハイソックスを身に着けた。
「行くぞ、隊員」
「あいつ、怪しいにゃ」
「ああ。精霊に嫌われるようなことをした奴が、こんな森の奥で『薬草採り』なんて嘘くさいにも程がある。お前は後からついて来い、戦闘になる可能性もある」
「了解ですにゃ」
カリナは気配を遮断し、男の後を追い始めた。森の緑に、鮮やかな衣装が溶け込んでいく。神樹の神が言っていた「精霊を捉える無粋な連中」、その尻尾を捕らえたかもしれない。
カリナとその男のやり取りを気配を消して眺めていた一人の影があったが、カリナはまだ気づいていなかった。
男の背後を距離を保ちながら追跡する。しばらく進むと開けた場所に出た。そこにある泉の中の岩の上で、安らいでいる精霊の姿が見えた。男はそれを確認すると、腕に仕込んでいた短刀を出し、精霊に襲い掛かった。
「やはりか! うわっ?!」
飛び出そうとしたカリナだったが、木の根に足を取られ体勢を崩す。しまったと思ったとき、男の前に白い狩衣に袴姿の男が、長い棍を持って現れた。彼は男の短刀を棍で鮮やかに防ぐと、岸辺で相対する。
「あれは一体……?」
「やはり現れたか、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの尖兵。ここで捕らえる」
「相律鎮禍連か。面白い、ならば止めてみせろ!」
双方が激しい撃ち合いを始める。その武器のぶつかり合いの音で、精霊は泉の中に姿を消した。
「相克術、水。氷針!」
印を結んだ相克術士から、鋭い氷柱の様な塊が数発発射される。それを躱しながら武器で破壊する怪しげな男。
「ちっ、鬱陶しい!」
だが、術の発動後の隙を突いて、距離を詰めた男の短刀が相克術士の肩口を浅く切り裂いた。
「くっ、まだだ! 相克術、流水縛!」
泉の水を媒介にして、男の足元から伸びて来た水流の渦が男を束縛する。その戦いを見ていたカリナだが、鮮やかな相克術の腕前に感心した。
「ぐ、くそっ!」
「これでもう身動きは取れまい。さあ色々と吐いてもらおう」
そう言って男に近づこうとした相克術士が、突然膝を着いた。
「う……、これはまさか、毒か……?!」
相克術士が毒の影響で倒れると、流水縛の束縛が解け、男は自由を取り戻した。
「相律鎮禍連に相克術士や陰陽術士がいることは知っている。残念だったな。さらばだ」
男は相克術士の黒髪を掴んで引き起こし、その首筋に短刀を向けた。
「マズい、出ろ! ホーリーナイト!」
物陰からカリナが叫ぶと、男とトドメを刺されそうな相克術士の間に巨大な白銀の盾が出現し、男は弾き飛ばされた。 部分召喚。本体のみでなく、その装備や一部だけを召喚する。カリナの術のレベルが高いがゆえに可能になる技術である。
後ろに飛ばされて驚きを隠せない男の前に、腕組みをしたカリナが現れる。
「お前は、先程の少女か?」
「そうだ。どうやら色々と聞きたいことができた。お前達の組織について話してもらうぞ」
「話すことなどない。その必要もない。お前もここで消せばいいだけの話だ」
「く、そうだ、逃げろお嬢ちゃん……」
倒れた相克術士が絞り出すように言う。
「心配するな、すぐに終わらせてやる」
背後の相克術士はまだ辛うじて意識を保っている。治療のためにも勝負を急がなくてはならない。だが人間相手に剣を抜くのは危険だ。カリナの力では相当手加減しなければ肉塊にしてしまう。ならばと格闘術の構えを取り、闘気を集中させる。
「どうやらやる気だな。手加減はせんぞ!」
「いいだろう、その自信を粉砕してやる」
カリナは地面を蹴って距離を詰めると、闘気を込めた拳を次々に叩き込む。その華奢な体からは想像がつかない重い一撃に、男は一瞬で劣勢に追い込まれる。
何という重い連撃。しかもその一撃一撃の拳に凄まじい闘気が乗せられている。カリナの拳に膝を着いた男は、更にカリナが攻撃を加えようと迫った瞬間、麻痺毒の込められた小瓶を握り潰した。周囲一帯が煙に飲まれる。巻き込まれた者の自由を奪う攻撃用のポーションである。
「これで、先に自由を取り戻して退散する……」
男は自らも痺れながら、懐から麻痺解除のポーションを取り出そうとした。その瞬間、全身を強烈な麻痺の衝撃が襲い、まるで金縛りにあったような感覚に襲われ、男は叫び声を上げて地面に倒れた。
「狙いは悪くなかったな。だが、私には効かんよ」
見上げる男の目に映ったのは、左目が黒く染まり瞳孔が金色に光るカリナの姿。魔眼解放、麻痺拘束。
「まさか、魔眼だと……? だが、この毒煙の中でなぜ動ける……?」
カリナは右手の甲を見せつけるように男に向けた。刻まれた神聖な紋章が淡く輝いている。
「妖精の加護……か。まさかそんなものを持っているとは……」
「そうだ、状態異常は私には効かない。さて、怪我人もいる、お前は眠っていろ」
ドスン! と男の首筋に手刀が振り下ろされる。その衝撃で男は意識を失った。後ろで倒れている白い狩衣に袴姿の相克術士の容態を見る。毒は回っているが、まだ意識はある。カリナは両手を広げ、ワルキューレのエイルを召喚し、治療に当たらせた。
「ピュアリファイ・ヒール」
エイルの手から放たれた温かい浄化の光で、毒も傷も回復した相克術士は目を覚まし、立ち上がった。
「治療完了しました、主様」
「ああ、ありがとうエイル。また頼む」
「はい、主様もお気をつけて」
光と共に送還されるエイル。その姿を見た相克術士は頭を下げた。
「ありがとう。救われたよ。君は召喚士なのか?」
「ああ、私は召喚士のカリナ。悪魔の動向と、そいつらと組んで精霊を襲っているヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの素性を追っている」
「そうか、私は相律鎮禍連の一員、シフトだ。改めて礼を言わせてくれ」
その時、カリナの後をつけていた、まるで天狗の衣装のような山伏風の装備を纏った金髪の女性がシフトの側に駆け寄って来た。
「ごめんなさい、後をつけさせてもらいました。私は相律鎮禍連のフラックスよ。シフトを助けてくれてありがとう」
「ああ、私はカリナだ。こいつらの素性を追っている」
「とりあえずこの近くに我々のキャンプ地がある。話はそこでしよう。こいつを拘束しないとな」
二人は慣れた手つきで倒れた男の全身を拘束すると、担架のようなものを取り出して乗せた。
「じゃあ行こう」
「ええ、カリナさんも一緒に来て下さい」
「いいのか? 私はこいつらを追っているとはいえ部外者だぞ? 大丈夫なのか?」
「ここの支部長は気さくな方です。それにヴォイド・リチュアル・サンクトゥムに敵対する同志なら温かく迎えてくれるでしょうから」
シフトにフラックスという名は恐らくコードネームだろう。敵組織に名前を知られないように構成員が名乗っているに違いない。追いついて来た隊員と共に、カリナは彼らのキャンプ地へと案内された。
森の中にある小さなキャンプ地には薪で火が灯され、テントが数個設置されていた。敵の尖兵を運んでキャンプに立ち入ったカリナ達に構成員が声を掛けて来る。
「おお、無事だったか。それにそれは敵の兵か? それとこのお嬢ちゃんに、その猫はケット・シー?」
「ああ、やられそうになったところを救われた。少女だが実力は保証する。支部長に面会したい。こいつから情報も聞き出したいからな」
「ああ、ちょっと待ってくれ。今聞いて来る」
シフトの言葉に構成員の一人が一際大きいテントへと向かった。周囲ではそろそろ日が暮れて来る時間帯なので、薪で料理をする者達もいる。誰もが相克術士や陰陽術士、呪術士の装備を身に纏っている。皆それなりの使い手なのだろう。
「支部長から許可が出た。その少女も一緒に連れて来てくれとさ」
「ありがとう、じゃあカリナさん行きましょう」
フラックスに促され、テント内に束縛した組織の尖兵を運び込む。そこには中年の相克術士が椅子に座っていた。
「おかえり、シフトにフラックス。よく敵兵を捕えてくれた。それとお嬢ちゃん、彼らを救ってくれたらしいな。感謝する。俺はこの相律鎮禍連の精霊の森の支部長、ノードだ」
「カリナだ。こいつは召喚体のケット・シー。よろしく。でもいいのか? 部外者の私を招いて」
「ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムと敵対する者なら仲間も同然だ。さて、先ずはこいつから情報収集するか。シフト、水をぶっかけろ」
広いテントの奥に転がしたヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの構成員に、シフトが相克術で出した冷水を大量にかけた。意識を取り戻した男が、拘束されたまま目を覚ます。
「ここは……? そうか、俺は相律鎮禍連の連中に捕まったのか……」
「そうだ、ここは相律鎮禍連の支部。これからお前達の組織について吐いてもらう」
「はっ、断る。どの道捕まった俺は処罰されるだろう。ここで死ぬか、後で殺されるか、大差はない」
悪魔と通じている組織ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム。それに殉じる覚悟を見せる尖兵。こいつは自分が悪魔と繋がっていることを知っているのだろうか? だが、捕らえた以上は少なくとも何かしらの情報を得る必要がある。
カリナは気付かれないように左耳の通信機に魔力を注いだ。




