62 戦場の女神
ヒースの部屋を出てロビーに戻ると、そこは殺気立った空気に包まれていた。 負傷している者、装備を点検して飛び出していく者。怒号と悲鳴が飛び交う中、数人の冒険者が地図を囲んで深刻な顔で話し合っているのが耳に入った。
「南西の防衛線が危ない! 急造の砦を築いて凌いでいるが、魔物の数が多すぎる!」 「正規軍の騎士団も限界だ。このままじゃザラーまで雪崩れ込んでくるぞ!」
彼らの会話を聞いたカリナは、迷わず彼らの元へと歩み寄った。
「その南西の砦、私が加勢に行こう」
凛とした声に、冒険者達が振り返る。だが、彼らの目に映ったのは、フリルたっぷりの緑のドレスコートを着た、深窓の令嬢のような美少女と、二足歩行の猫だった。
「はぁ? なんだお嬢ちゃん、迷子か?」 「悪いが今は遊んでる場合じゃねぇんだ。お人形さんごっこなら他所でやってくれ」
男達は呆れたように手を振って追い払おうとする。無理もない。この血生臭い状況に、カリナの姿はあまりにも不釣り合いだった。
「遊びじゃない。私は冒険者だ。その砦に向かうと言っているんだ」
カリナが出口へ向かおうとすると、男達が慌てて立ちはだかった。
「おい待て待て! 死にに行く気か!?」 「そこはピクニックに行く場所じゃねぇんだぞ! そんなフリフリの恰好で戦場に行ってみろ、魔物の餌になるだけだ!」 「悪いことは言わねぇ、家に帰ってママのミルクでも飲んでな!」
「隊長は凄いのにゃ! お前達こそ控えおろうなのにゃ!」
彼らは本気で心配し、必死に止めようとしている。根は良い奴らなのだろう。だが、今は一刻を争う。カリナは懐からAランクのギルドカードを取り出し、彼らの目の前に提示した。
「忠告は感謝する。だが、心配は無用だ。私はAランク冒険者のカリナ。組合長ヒースからも直々に討伐の許可を得ている」
黄金色に輝くカードを見た瞬間、男達の顔色が変わり、ロビー中がどよめいた。
「え、Aランク……!? この歳でか!?」 「ま、待てよ、カリナって……あのルミナス聖光国を救ったっていう、エデンの凄腕召喚士か!?」
噂はここまで届いていたらしい。彼らの表情が、驚愕から縋るような希望へと変わる。
「あんたがあの英雄なのか……?! 俺達じゃどうにもなんねぇ数なんだ! 頼む、仲間達を助けてやってくれ!」
「ああ、任された。吉報を待っていてくれ」
「任せておくにゃ」
カリナは力強く頷くと、呆気に取られる彼らを背に組合を飛び出した。街の外れにある広場まで走ると、周囲に人がいないことを確認して空を見上げる。
「天翔ける翼よ、我が元へ! ペガサス!」
光と共に舞い降りた天馬に隊員と共に跨り、カリナは一気に空へと舞い上がった。緑のコートを風になびかせ、一路南西へ。
数分も飛ぶと、眼下には土煙と黒い魔物の群れ、そして急造された砦で必死に抵抗するアレキサンドの騎士達の姿が見えてきた。
「見えたぞ、あそこだ! 行くぞペガサス!」
カリナは戦場の最前線、まさに今、巨大なオークが負傷した騎士に棍棒を振り下ろそうとしている地点へと急降下した。
ズドォォォォンッ!!!
ペガサスの着地と同時に発生した衝撃波が、オークを吹き飛ばす。土煙の中から現れたのは、神々しい白馬に跨った、緑の衣装の美少女。
「な、なんだ……!?」 「天馬……ペガサスだと!?」 「待て、あの姿……、噂の戦女神、召喚士カリナか?!」
必死の防戦を強いられていた騎士や冒険者達が、驚きと歓喜の声を上げる。だが、彼らの多くは傷つき、疲労困憊していた。
「加勢に来た! 怪我人は下がれ、すぐ治療する!」
カリナはペガサスから降りると、両手を広げて祝詞を紡いだ。
「癒しの光よ、戦士達の傷を塞ぎ、命を繋げ! ワルキューレ・エイル!」
魔法陣から現れたのは、白いスカートに黄金の鎧を纏った慈愛に満ちた戦乙女。ワルキューレの中でも回復魔法を得意とするエイルだ。彼女は戦場に降り立つと、主の意志を汲み取り、両手から温かい光を放った。
「|サンクチュアリ・ヒール《聖域治癒》」
広範囲に広がる柔らかな光の雨。それが傷ついた兵士達に降り注ぐと、裂傷が塞がり、折れた骨が繋がり、彼らの顔に生気が戻っていく。
「おお……傷が、消えていく……!」 「体が軽い! これならまだ戦えるぞ!」
奇跡のような回復魔法に、兵士達が歓声を上げる。
「感謝する、カリナ殿! 貴公の噂は聞いている! ルミナスの英雄が来てくれるとは心強い! 我らも共に戦おう!」
指揮官らしき騎士が剣を掲げるが、カリナはそれを手で制した。
「いや、あなた達は砦の守りを固めてくれ。攻め手は私が引き受ける」
「なっ、しかし敵は大軍だぞ!?」
「問題ない。――来い、私の軍勢よ!」
カリナの魔力が爆発的に膨れ上がる。彼女の前方に次々と魔法陣が展開され、圧倒的な威圧感を放つ召喚体達が姿を現した。
漆黒の重装甲に身を包み、大剣を構えるシャドウナイト達。エイルを含む美しい翼を持つワルキューレ七姉妹。そして長女のヒルダを含めた全員がカリナに跪く。
「主様、召喚に馳せ参じました。なるほど、魔物の大軍ですか」
「話が早くて助かる。お前達の力を借りるぞ」
「承知致しました。姉妹達よ、主の敵を討つ! 準備せよ!」
「「「「「「はい!」」」」」」
武器を取り、構えるワルキューレ達。そして初めて召喚する氷の女王を喚び出す祝詞を唱える。
「静寂よ、王冠を掲げよ
凍てつく白よ、誇りを映せ
永凍の玉座に座す者
氷花を戴き、静寂を統べる女王
我は命じず、跪かせず
盟約により、その名を呼ぶ
王として王を迎え
共に在ることを選びし今
氷晶よ、花開け
白き静寂よ、顕現せよ
――来たれ、氷晶女王フロストリア!」
展開された氷のような魔法陣から、凍てつく凍気を纏い、周囲に氷の結晶を降らせながら『氷晶女王フロストリア』が姿を現す。
「我が王よ、早くも私の出番ですか?」
「ああ、よく来てくれた。敵はこの砦と背後のザラーの街に迫る魔物の群れだ。率いているのは悪魔らしい。お前の力を貸してくれ」
「御意、我が王よ。汝の敵を屠りましょう」
そして極めつけに、カリナと砦の周囲を取り囲むように、白銀の巨大な盾を持つ重装歩兵、ホーリーナイトの軍団が現れる。
「さあ、蹂躙の時間だ。やれ!」
カリナの号令と共に、戦場は一方的な虐殺へと変わった。 黒騎士達の大剣が一振りされるだけで、オークやゴブリン、コボルドの集団がまとめて吹き飛ぶ。
フロストリアが指先を向ければ、数百の魔物が一瞬で氷像へと変わり、砕け散る。
空からはワルキューレ達が光弾を雨のように降らせ、敵の後衛を壊滅させた。
敵の必死の反撃も凄まじかったが、それらは全てホーリーナイト達が掲げた輝く盾によって弾き返された。傷一つ付かない鉄壁の守りである。
「て、敵の攻撃が全く通じない……」 「あれが……召喚士の力なのか……?」
アレキサンドの騎士達は、ただ呆然とその光景を見守ることしかできなかった。それは戦いではなく、一方的な掃討戦だった。
魔物の群れが壊滅し、戦場の空気が変わったその時。
敵陣の奥から、歪んだ魔力と共に、巨大な影が姿を現した。身長は5メートルを超え、赤黒い肌にねじれた二本の角、そして身の丈ほどもある巨大な戦斧を持った悪魔だ。
「ほう……。雑兵共が消えたと思えば、面白い人間がいるではないか」
その悪魔は、踏み潰された魔物の死骸を意に介さず、悠然と歩み出てきた。その全身からは、これまでの魔物とは桁違いの瘴気が立ち上っている。
「我が名は剛力の総裁バズズ・ゲシャズ。――貴様が、我が軍勢を葬ったのか?」
総裁バズズ・ゲシャズ。その威圧感に、背後の騎士達が息を呑む。だが、カリナは不敵な笑みを崩さず、腕組みをして真っ直ぐに悪魔を見据えた。
「そうだ。そしてお前も、ここで葬り去る」
「人間風情が大口を叩きおって、笑わせるな!」
総裁ということは恐らく男爵レベルの階級。あの悪魔辞典に書いてあったのは事実だったのか。だとしても侯爵レベルを屠って来たカリナにとっては敵ではない。
「情報を吐けば命は見逃してやらなくもない。お前より遥かに上の階級の侯爵イペス・ヘッジナ、堕落男爵ベロン・シェイドグリムを葬り、そして影霊子爵ヴァル・ノクタリスを半殺しにしたのは私だ。お前如きでは相手にならん」
カリナは左耳に魔力を注ぎ、カシューとの通信機を起動させる。
「聞こえるか?」
「うん、また厄介ごと?」
「ああ、アレキサンド領のザラーの街近くに悪魔だ」
「階級は?」
「総裁だと。男爵レベルの只の雑魚だ。だが情報を得る機会ではある」
「了解、聞いておくよ」
カリナの屠った相手の名前に戦慄していたバズズだったが、すぐに切り替えたのか、高笑いを始めた。
「なるほど、貴様が噂の召喚士カリナか。ならば貴様を討てば我の階級は一気に上がるだろう。ククク、何という僥倖」
「やめておけ、お前では相手にならんと言っただろう。さっさとこちらの聞きたい情報を吐け」
「断る。口を割らせたければ力づくで来い!」
「そうか、後悔するなよ」
カリナは左手で愛刀の天羽々斬を抜くと、相反する魔法属性を刀に集中させる。
「喰らえええええいっ!!!」
力任せに振り下ろされた戦斧をひらりと後ろに回転しながら躱すと、その反動を利用して瞬歩で一気に距離を詰める。
「魔法剣、風 × 光 × 雷! 魔法剣技、天雷光翼陣!!!」
ザヴァアアアアアッ!!!
刀身に宿った光と雷が風になり、螺旋状に敵を巻き上げて斬り裂く。悪魔の鎧を一撃で破壊し、左脇腹から肩口までを一気に深く抉った。黒い血飛沫が舞い、バズズは苦悶の表情をして、膝を着いた。
「バカな……、これほどの力を持つ人間が存在するとは……!」
一撃を入れたカリナは既に距離を取っている。
「だから言っただろう。お前程度では相手にならん。さあ、吐いてもらうぞ、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの本拠地は何処にある?」
「それは、災禍伯メリグッシュ・ロバス様が率いる組織……。なぜ貴様がそんなことを知っている?!」
「影霊子爵が吐いたんだよ。さあ、質問しているのはこっちだ。本拠地はどこだ」
「クククカカッ! 知らぬ。我等末端の悪魔には人間の街や村を襲撃する任務しか与えられておらんからな。それにこの程度で誇り高い悪魔貴族が屈服するとでも思ったか!」
深い傷を負いながら、立ち上がり再び戦斧を振るうバズズ。カリナはその大振りな攻撃を舞う様に躱しながら、カシューに話しかける。
「どうやら只の下っ端だ。このまま仕留める。いいな?」
「うん、いいよ。どの道無視はできないからね」
巨大な戦斧を振り回す動きに徐々にキレがなくなって来る。出血と致命傷に近い一撃で、バズズには最早力は残っていないようだ。
「いいだろう、聖衣を纏うまでもない。お前程度は魔法剣で仕留めてやる」
「何だと? 貴様は召喚士ではないのか?!」
「私は召喚魔法剣士カリナ。どうやら情報不足だったな。今楽にしてやる」
「ウガアアアアアアッ! ふざけるな! 人間如きが!」
戦斧を振り被り、渾身の一撃を見舞おうと突進してくるバズズに狙いを定める。そしてその振り下ろしを空中に飛んで躱し、上段から渾身の魔法剣技を叩き込む。
「火 × 光 × 風! 天照焔翔斬!!!」
ズガガアアアアアッ!!!
「ば、バカな……」
眩い光を纏った炎の翼で刀が燃え盛り、更に暴風で加速して聖炎を敵に刻み込む絶技。バズズは脳天から真っ二つに断ち斬られ、自らの黒い炎に包まれて燃え尽きた。
「終わったぞ、また何かあれば繋ぐ」
「了解」
凄まじい剣技で悪魔の頑強な硬皮を両断したカリナに、召喚体達が称賛を送る。
「さすがでございます主様。我々も負けずに鍛錬したいと思います」
「ありがとうヒルダ。だが、お前達の御陰で助かった。鍛錬は程々にな」
「さすが私が認めた王ね。この程度の悪魔なら聖衣を纏うまでもないなんて」
「フロストリア……、そうだな、最低でも伯爵レベルじゃなければ剣技でも何とかなる。お前の力はまた今度借りるとしよう」
「さすが隊長にゃ。この程度の悪魔にゃんて敵じゃにゃいのにゃ」
主を失った残りの魔物は蜘蛛の子を散らす様に退散した。役目を終えて送還される召喚体達。それを見た後ろで守備を固めていた騎士団や冒険者達が、砦から一斉に駆け出してくる。
「おおおおおっ!! 勝った! 我々の勝利だ!」 「カリナ殿、万歳! 緑の戦女神、万歳!」 「すげえ……本当に一人で、あの大軍ごと悪魔を倒しちまったぞ……!」
騎士や冒険者達が歓喜の声を上げ、カリナを取り囲む。彼らの瞳には、恐怖ではなく、救世主を見る熱い信頼と称賛が満ち溢れていた。 いつの間にか戦乙女やら戦女神などと呼ばれているが、気にするほどではないだろう。
血生臭い戦場に咲いた緑の花は、圧倒的な力で街を、そして人々を救ったのだった。




