61 緑の戦乙女
エデンを飛び立ち、ペガサスに乗って北西へ。眼下には雄大な景色が広がる。高度が上がるにつれ風は冷たくなり始めていたが、ペガサスの発する魔力の加護と、ルナフレアから渡された厚手のコートのおかげで、空の旅は快適そのものだった。
やがて右手遠くに、堅牢な城壁に囲まれた巨大な都市が見えてきた。無数の塔と城壁が幾重にも連なる、武骨ながらも美しい石造りの国。
「あれが初期五大国の一つ、今の騎士国アレキサンドか……」
かつてゲーム時代、メインキャラであるカーズも、そしてこのサブキャラであるカリナも、冒険のスタート地点として選んだのがこの国だった。騎士や剣士など、物理防御と攻撃に特化した兵科を多く輩出する国。兄設定であるカーズがカシュー達とエデンを建国するずっと前、初心者時代に剣の腕を磨いた場所でもある。懐かしい景色に目を細めつつ、カリナはそこを通過し、さらに西へと進路を取った。
何度か地上に降りてペガサスを休ませ、隊員と軽食をとりながら進むうちに、太陽は西の地平線へと沈みかけ、空が紫と茜色のグラデーションに染まり始めた。
「隊長、そろそろ日が暮れますにゃ。お腹も空いたにゃ」
「そうだな。夜間の飛行は視界も悪いし、今日はこの辺りで宿をとろう」
カリナは眼下に見えてきた街の近くにペガサスを降ろした。労いの言葉と共に送還し、隊員を連れて徒歩で街の南門へと向かう。
見えてきたのは、高い石壁に囲まれた街。近づくにつれ、カリナは違和感を覚えた。記憶にあるここ「ザラーの街」は、ゲーム開始直後のプレイヤーが集まる、のどかで開放的な初心者用の街だったはずだ。
だが、目の前にあるのは、無数の傷跡が刻まれた分厚い城壁と、物々しいバリケード。100年という時は、平和だった始まりの街を、魔物の脅威に晒される最前線の拠点へと変貌させていたのだ。
石造りの門の前には、二人の兵士が立っていた。槍を持ち、アレキサンドの紋章が入った鎧を着ているが、その眼差しは鋭く、妙に殺気立っている。
「止まれ。これより先はアレキサンド領ザラーの街だ。身分証の提示を」
「ああ、冒険者だ」
カリナは首に掛けていたギルドカードを外し、兵士に手渡した。兵士は事務的な手つきでカードを受け取り、そこに刻まれたランクと名前を確認する。そして次の瞬間、その目が驚愕に見開かれた。
「えっ……Aランク!? それに、名前はカリナ……まさか、あのルミナスに現れたという噂の!?」
「ここを通ってもいいかな?」
「は、はいっ! 大変失礼しました! どうぞお通り下さい!」
兵士は慌てて最敬礼し、道を開ける。隣にいたもう一人の兵士も、まじまじとカリナを見つめていた。Aランク冒険者がこんな辺境の街に来ること自体が稀なのだろう。
「随分と物々しいな。昔はもっと穏やかな街だった記憶があるんだけど」
「はっ! 近年は『魔大陸』方面からの魔物の動きが活発でして……。このザラーも防衛拠点としての重要性が増しているのです」
「なるほど……」
門をくぐり、街の中へと足を踏み入れる。
かつて多くの初心者プレイヤー達が闊歩し、露店でポーションを買い求めていた大通りは、今は補修された石畳と、増築された石造りの建物で埋め尽くされていた。
木造だった可愛らしい家々は姿を消し、実用重視の堅牢な建築物が並ぶ。だが、活気がないわけではない。夕刻ということもあり、武装した冒険者や傭兵達が行き交い、酒場からは賑やかな声が漏れている。
変わったものだ。ここがあのザラーだとは言われないと気付かない。カーズとして初めてこの世界に降り立った時の、あのワクワクした空気感とは違う、ヒリついた「現実」の空気がそこにはあった。
「この街でお勧めの宿はあるかな? できれば飯が美味いところがいいんだけど」
カリナが近くにいた商人に尋ねると、彼はカリナの容姿に驚きつつも親切に教えてくれた。
「それでしたら、『月兎の微笑亭』がお勧めですぜ。大通りを直進して、広場の手前を右に曲がれば看板が見えます。昔からある老舗で、料理の評判も良いですよ」
「分かった、ありがとう」
礼を言って歩き出す。道中、すれ違う人々が次々に振り返る。
「おい見ろよ、あの子……凄く可愛くないか?」 「ああ、お人形さんみたいだ……。それにあの衣装、見たことない素材だぞ。高ランクの冒険者なのか?」 「後ろにいる猫、あれケット・シーだよな? 二足歩行してるぞ」 「すげえ美人……。どこの貴族のお嬢様だろう」
殺伐とした前線の街に似つかわしくない、輝くような赤髪の美少女と、二足歩行でトコトコ歩く猫。この組み合わせは、嫌でも目立った。好奇と憧憬の視線を一身に浴びながら、カリナはコートのフードを目深に被り、教えられた道を急いだ。
「隊長、みんな見てますにゃ。やっぱり隊長は人気者にゃ」
「目立ちすぎるのも考え物だよなあ……」
広場の手前を右に曲がると、可愛らしいウサギが三日月に腰かけて微笑んでいる絵が描かれた看板が見えた。『月兎の微笑亭』だ。
周囲が石造りの建物に変わる中、ここだけは昔の面影を残す木造の温かみのある外観を保っていた。補強はされているが、知らずに過ぎ去った100年前の記憶にある「この街の宿屋」の雰囲気そのままだ。
カランカラン
ドアを開けると、香ばしい料理の匂いと共に、活気ある喧騒が流れ込んできた。一階はどの宿屋も同じの食堂兼酒場になっており、多くの冒険者達で賑わっている。カウンターの中にいた恰幅の良い女将さんが、カリナ達を見て明るく声をかけてきた。
「いらっしゃい! おやおや、可愛らしいお客さんだねぇ。食事かい? 泊りかい?」
「宿泊を頼むよ。二人……いや、一人と一匹かな」
「よろしくにゃ」
「はいよ! 猫ちゃんも一緒かい。ひょっとして召喚士かい? 歓迎するよ」
手続きを済ませ、カリナは再び驚かれたAランクカードをしまってから、空いている席に座った。部屋の中は暖かいので着ていた厚手のコートを脱ぐ。
「さーて、夕食は何にするかね。お勧めはアレキサンド名物『根菜と地鶏のクリームシチュー』だよ。創業当時からの秘伝の味さ」
「じゃあそれを頼むよ」
「おいらも同じのですにゃ!」
程なくして運ばれてきた料理は、期待以上に素晴らしいものだった。深皿にたっぷりと盛られたシチューは、白く濃厚な湯気を立てている。ゴロゴロと入ったジャガイモや人参、そしてアレキサンド名産の地鶏が顔を覗かせる。
スプーンですくって口に運ぶと、濃厚なミルクのコクと野菜が溶け出した甘み、そしてホロホロになるまで煮込まれた鶏肉の旨味が、口いっぱいに広がった。
「ん……美味い。冷えた体に染みるな」
ゲーム時代、ただのデータ上の「回復アイテム」でしかなかった料理。それが今、確かな温かさと味を持って五臓六腑に染み渡る。
「ほっぺが落ちそうにゃ。このパンもふわふわで最高にゃ」
セットの黒パンは外はカリッと香ばしく、中はモチモチしており、シチューにつけて食べると絶品だった。変わってしまった街並みの中で、変わらない温かさを提供してくれるこの宿に、カリナは少しだけ救われた気がした。
周囲の冒険者達がチラチラとこちらを見ている視線を感じつつも、カリナと隊員はその美味しい夕食を心ゆくまで堪能した。
満腹になった二人は、浴場で旅の汚れを流し、あてがわれた清潔な部屋で旅の疲れを癒し、翌日の出発に備えてベッドで泥のように眠った。
◆◆◆
翌朝。
宿の窓から差し込む朝日で目を覚ましたカリナは、ベッドの脇に置かれた――昨日、ルナフレアから渡された「リア達メイド隊からの餞別」である衣装セットの一つを開いた。
「……相変わらず、リア達の趣味全開だな」
広げた瞬間に深い溜息が漏れる。
そこに入っていたのは、フリルがたっぷりとあしらわれた鮮やかな緑色のコートと、それと同色で仕立てられた可愛らしいワンピース。足元は清楚な白いニーハイソックスに、光沢のある黒い編み上げブーツ。
機能性は高そうだし、エデンの魔法工学による防護魔法も付与されているのだろうが、どう見ても森の妖精か、深窓の令嬢がピクニックに行くような恰好だ。
「森に行くから緑、というのは分かるが……あいつら、絶対に私を着せ替え人形だと思ってるよな」
カリナはブツブツと文句を言いながらも、他にこれといった選択肢もないため袖を通す。鏡に映った自分の姿は、赤髪と緑の衣装の対比が鮮烈で、悔しいほどに似合っていた。
身支度を整え、隊員を連れて一階へ降りる。食堂では既に多くの冒険者達が朝食をとっていたが、階段を降りてきたカリナの姿を見た瞬間、ガタリと椅子を引く音が響き、視線が一斉に集中した。
「おい、見ろよ……」 「森の妖精か? いや、どこかの御令嬢か……?」 「あんなフリフリでまさか冒険者なのかよ。可愛すぎるだろ……」
殺伐とした前線の街・ザラーに咲いた一輪の花。そんな言葉が似合う可憐な姿に、荒くれ者達の頬が緩み、あるいは赤らむ。
女将さんが「あらあら、とってもお似合いだよ!」と持ってきてくれた朝食の焼きたてパンとオムレツを、カリナは周囲の視線など気にも留めずに平らげた。会計を済ませ、宿を出る。
「行くぞ、隊員」
「はいにゃ! 今日も隊長はキマってるにゃ!」
マップを確認し大通りを歩く。朝日を浴びて歩くカリナの姿に、すれ違う兵士や商人が足を止め、二度見し、そして道を譲る。まるで王族のパレードのような道中を経て、カリナはこの街の総合組合へと到着した。
重厚な扉を開け、中に入ると、早朝から依頼を受ける者達でごった返していたロビーが、カリナが入った瞬間に静まり返った。この場に不釣り合いなほど可憐な少女と、二足歩行の猫。だが、その少女が纏う空気はただ者ではない。
カリナは真っ直ぐに右奥のカウンターへ向かい、受付の女性にAランクのギルドカードを提示した。
「すまない、組合長に会いたいんだが」
「えっ……A、Aランク!? し、少々お待ちください! すぐに確認して参ります!」
受付嬢が慌てて奥へ走る。程なくして、「どうぞこちらへ」と応接室へ案内された。
通された部屋で待っていたのは、眉間に深い皺を刻んだ中年の男性だった。白髪交じりの髪をオールバックにし、歴戦の戦士のような鋭い眼光をしている。彼がこのザラー支部の組合長、ヒースだ。ソファーに向かい合って座り、ヒースが口を開く。
「……話は各国の組合から聞いている。Aランク冒険者のカリナ、だな。まさかこんな子供だとは驚いたが」
ヒースはカリナのカードと本人を交互に見比べながら、重々しく口を開いた。
「私がここの組合長のヒースだ。単刀直入に聞こう。この街に何か用か? ただの観光なら、今は時期が悪い。早々に立ち去ることを勧める」
「世界樹の森へ向かう途中だよ。だが、この街の様子が気になってね。何か起きているのか?」
カリナの問いに、ヒースは深く溜息をつき、テーブルの上の地図を指さした。
「世界樹へ向かうなら、なおさらだ。……現在、ザラーの南西、魔大陸方面から魔物の群れが押し寄せている。それも、ただの群れじゃない」
「ただの群れじゃない?」
「ああ。統率されているんだ。ゴブリンやオーク、それに下級の魔獣達が、まるで軍隊のように連携して動いている。そして、その群れを率いている指揮官がいる」
ヒースの表情が険しくなる。
「斥候の報告によれば、群れの中心に人型の高位の魔物――『悪魔』らしき姿が確認された」
「またここでも悪魔、か……」
カリナの瞳が鋭く光る。ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの手先か、あるいはその眷属か。いずれにせよ、見過ごすわけにはいかない。
「正規軍と連携して防衛線を張っているが、相手の統率が見事すぎて後手に回っている。Aランクの君がいるなら喉から手が出るほど助力を願いたいが、相手が悪魔となれば命の保証はない」
「問題ない。悪魔退治なら専門分野だ」
カリナは不敵に笑い、緑のフリフリコートを翻した。
「その悪魔の討伐、私が引き受けよう。ついでに群れごと片付けてやる」
「……本気か? 相手は軍隊だぞ。君一人と、その使い魔だけでどうにかできる数じゃない」
「数など関係ないよ。それに、私には頼もしい仲間達がいるからね」
カリナの揺るぎない自信に、ヒースは一瞬呆気にとられ、やがてニヤリと笑みを浮かべた。
「ハッ、いい目だ。Aランクの看板は伊達じゃないらしいな。……頼めるか?」
「ああ、任せておけ。すぐに準備して向かう」
カリナが部屋を出ていく背中を見送りながら、ヒースは震える手で煙草に火をつけた。少女の見た目とは裏腹な、歴戦の勇者だけが持つ圧倒的な覇気に気圧されたのだ。
かくしてこの街の運命は、あの緑の戦乙女に託されたのだった。




