50 王城からの招待
教会の自室でサティアは目を覚ました。少し酒気が残ってはいるものの、自分の殻を破った高揚感で心は満たされている。彼女はベッドから起き上がると身だしなみを整え、いつもの聖女のローブを身に纏った。
「帰国する前にこの部屋は片付けないとね……」
散らかった室内を見渡し、サティアは溜息を吐く。物臭な自分の性格が恨めしい。普段は清廉な聖女として振舞っているが、素の彼女はカリナ達と同年代のVAOを楽しんでいた一プレイヤーに過ぎないのだ。
「まあ、いざとなったらアイテムボックスに突っ込めばいいかな」
サティアは半ば諦めるように気持ちを切り替え、部屋を後にした。昨夜は遅くまで祝勝会だったため、今日は遅めの起床である。聖堂に着くと、既に参拝客達が女神像に祈りを捧げており、シスターや神父達が業務をこなしていた。
「おはようございます、サティア様。今日は遅かったですね」
「ええ、昨日は夜更かしをしてしまったから。ごめんなさいね」
挨拶をしてきたシスターに答え、他の人々にも声を掛けてから、近くの神父に尋ねる。
「マシュー神父長はどこかしら?」
「えー、そうですね、今は書類関係の業務で事務室にいらっしゃるかと」
「そう、ありがとう。行ってみます」
居住区とは逆に位置する、礼拝堂の裏手にある事務室へ向かう。ドアをノックすると、中から老神父の威厳ある声が返ってきた。
「サティアです。入りますね」
入室するとマシューは事務仕事の手を止め、立ち上がってサティアを迎えた。
「おはようございます、サティア様。さすがに今朝はゆっくりでしたな」
「ごめんなさい。それとお礼を言いに来ました。昨日はありがとう、マシュー。あなたの御陰で、私は大切な友人を失わずに済みました。あなたの厳しい言葉がなければ、私はきっとまた後悔していたでしょう」
「さてさて、何のことでしょうかな? 私は少し背中を押しただけです。立ち上がったのはサティア様ご自身の意志。それに遺跡の悪魔も討伐された。結果的に良ければそれで良いのですよ」
「あなたはあんなに幼かったのに、これほどまでに成長していたのですね。私はずっと自分の時を止めていたのでしょうね……」
「ふふ、私にとっては今でも貴女は実の母のような存在です。それはこれからも変わらないでしょう」
「母と呼ぶのは止めて下さいね。姿が変わらないとはいえ、私はまだ若いつもりですから」
サティアは苦笑しながら、少し真面目な表情に戻った。
「それと、こちらでの残務をこなしたら故郷のエデンに帰国するつもりです。寂しくなりますが、ここは私にとっては第二の故郷のような場所。何かあればすぐに駆け付けます。今後はエデンを拠点に、世界に迫る悪魔やその組織と戦うつもりです」
「目に力が戻ったようですな。いつも笑顔を絶やさずとも、貴女は何処か遠い目をされておられました。……わかりました。この街の人々にとっては辛い別れになるでしょうが、今生の別れだとは思ってはおりません。貴女が進むべき道を進んで下さい。此処のことは私達で何とかしましょう」
「ありがとう。感謝します。では今日の業務を始めましょうか」
「はい、お願いします」
マシューはこれから訪れる別れを寂しく思いながらも、彼女が自分の進むべき道を見つけたことを嬉しく思った。互いに一礼し、サティアが事務室を出ようとしたその時、若い神父が慌ただしく駆けつけて来た。
「聖女様! たった今、王城からの使いが参りました。この度の悪魔討伐の件に関してのことです。既に外には馬車が待機しておりますので、都合が付き次第向かって下さいとのことです」
「やはり来ましたか……。わかりました。では行って参りますね」
そう言ってサティアは、覚悟を決めた足取りで迎えの馬車へと向かった。
◆◆◆
午前遅くに起床したカリナは、王城からの使いが来るだろうと予想して、それなりに上品な衣装に着替えていた。
白地に裏地が金色のコート。インナーは白を基調に黒や紫の意匠を凝らしたゴスロリチックなシャツで、首元には紫のファーがあしらわれている。ボトムスは同じく上品なデザインの紫のスカートを選んだ。跪いたときに下着が見えると困るので黒いストッキングを穿き、足元は白に黄色のデザインが入ったブーツで固める。仕上げに、頭には紫の花飾りを着けた。
姿見で確認する。これなら呼ばれても失礼な感じはしないだろう。その他の身支度を済ませ、ケット・シー隊員を起こしてから、階下の食堂に向かった。
「おはよう、カリナちゃん。今日はお寝坊さんだね」
「ああ、おはようルーシー。そうだな、昨夜は遅かったし。取り敢えず朝食をお願い。昨日は食べ過ぎたから軽めのを」
「おはようにゃ。おいらはフィッシュパイがいいにゃ」
「はいよ、ちょっと待ってな」
朝食を済ませ、食後のコーヒーを飲んで寛いでいると、金砂の舞踏亭の扉が開き、白銀の軽鎧を纏った騎士達が入って来た。王城からの使いだろう。やはり来たか、とカリナはうんざりした気分になったが、こればかりは仕方がない。恐らく他のメンバーも呼ばれているはずだ。
「失礼する。我々はルミナス聖光国騎士団。此処に冒険者カリナ様が宿泊されていると聞いた。今いらっしゃるだろうか?」
突然現れた騎士団に店内はざわつき始める。若女将のルーシーが彼らを出迎え、カリナの下へ案内した。カウンターに腰掛けているカリナの傍らで、彼らは恭しく跪き、用件を伝えた。
「冒険者カリナ様。この度は悪魔の討伐に対し王城からの招待がなされています。我々と一緒に来て頂けますか」
さすがは五大国の騎士団。礼儀がしっかりしている。カリナは席から立ち上がると、彼らに答えた。
「まあ来るとは思っていた。でも先に支払いをさせてくれ」
「了解致しました。では済みましたら外で馬車を待たせてあります。既に聖女サティア様とルミナスアークナイツの方々も一緒です。では待たせて頂きます」
「ああ、すぐに行く。ちょっと待っていてくれ」
騎士団は店内に一礼すると退出して行った。
「すまないルーシー。騒がせたな。お代は此処に置いておくから」
「ああ、ありがとうよ。王城ねえ、全く仰々しいもんだ。今夜はきっとお城でパーティだろうね。いいものを食べておいで。気を付けて行くんだよ」
「ありがとう、行って来る」
「ありがとにゃ、ルーシー」
カリナと隊員は店外に出た。外は既に太陽が高く昇り、穏やかながら気持ちのいい気候だ。二頭の馬に引かせた大きく豪華な馬車が止まっている。彼らはカリナと隊員が出て来ると、その扉を開けて中へとエスコートしてくれた。
「や、おはよ、カリナちゃん」
中には言われた通り、既にルミナスアークナイツのメンバーとサティアが車内に腰掛けていた。明るくユナが声を掛けて来る。
「おはようユナ。それにみんなも。なんかさっき別れたばかりなのにな」
「おはようカリナちゃん。組合に行ってたら騎士団が来てね」
「おはようございます、カリナさん。まさか王城に呼ばれるとは思いませんでしたよ」
「おはよう、カリナちゃん。全くだ。俺は堅苦しいのは苦手なんだけどな」
カーセル、テレサ、そしてカインが次々に挨拶をして来る。彼らには予想外だったようだ。そして一番奥の窓際にはサティアがいた。
「おはようございます、カリナさん。やはり呼び出しはありましたね。逃げなくて良かったんですか?」
「おはよう。ぶっちゃけ逃げたいが、ここで上手く立ち回ればエデンとのパイプができるしな。それに失礼にならないような衣装は着て来た」
カーセル達はいつもの冒険者装備、サティアは聖女のローブに身を包んでいる。一同はカリナの白で纏めたコーディネートを見ると、感嘆の声を上げた。
「それではこれより王城へ向かいます。多少揺れるかもしれませんがご容赦下さい」
扉を閉めると、騎士団の隊長格の男がそう告げ、馬車が走り始める。多少は揺れるが、戦車隊隊長のガレウスの運転に比べたら穏やかで問題はない。それに向かい合った席は広く上質な造りで、クッションが効いている。悪くない乗り心地だ。
窓の外では、道行く人々が何事かと思って此方を見ている。周囲には護衛の騎馬に乗った騎士達が馬車を取り囲むようにして進んでいた。内部で他愛もない会話をしている小一時間の内に、一行は東門を抜けて王城前へと到着した。
「もう着いたんだ? さすが馬車は速いわね」
「そうだな、広い街だ。歩いていたら日が暮れるだろう」
ユナに応えていると、馬車の扉が開けられた。
「到着しました。此処からは徒歩になりますので、お降り下さい」
騎士達はカリナ達女性陣が降りるときには手を差し伸べてエスコートしてくれた。やはり教育が行き届いている。初対面で剣を抜いて来た、エデンの近衛騎士団長クラウスとは大違いだな、とカリナは内心で苦笑した。
「どうしたの?」
「いや、インしたときにエデンに行ったときのことを思い出してな」
「まあ、何か面白いことでもあったのね」
「いやまあ、そのときのことに比べたらここの騎士団はしっかりしてるなと思ってね」
サティアと話しながら、騎士団に案内されて城門へ向かう。遠くからも見えていたが、さすがに五大国の一つだけあって城も荘厳で巨大である。VAOの世界とはいえ歴史を感じさせる。設定上はアルカディア歴2225年。襲撃事件で恐らく損害はあったのだろうが、綺麗に修復されているようだ。
王城の巨大な扉が開かれた瞬間、カリナの視界を埋め尽くしたのは、目が眩むほどの『白』と『光』の世界だった。
エントランスホールは、城の外観から想像していた広さを遥かに超えていた。床も壁も、一点の曇りもなく磨き上げられた最高級の白大理石で覆われており、窓から降り注ぐ陽光を反射して、空間全体が自ら発光しているかのような輝きを放っている。
見上げれば、首が痛くなるほど高い天井には、精緻なフレスコ画と共に巨大な水晶のシャンデリアが吊るされていた。昼間だというのに、それは魔法の明かりを灯し、虹色の光の粒子を空間に撒き散らしている。
荘厳にして清廉。埃一つ落ちることすら許されないような神聖な空気が、カリナたちの肌をビリビリと刺した。
「うおー、すげえ雰囲気だな。初めて入ったぜ」
「そうだね。外からしか見ることはなかったから、まさか自分が入ることになるとは思わなかったよ」
「中も綺麗なのね。さすが王城って感じだわ」
「ええ、まさか一介の冒険者の私達が案内されるとは。それほどまでに悪魔の影響は大きかったのですね」
ルミナスアークナイツのメンバー達は口々に感想を言う。だがサティアは非常に落ち着いている。
「さすがに五大国の一つだけはあるな。エデンとは比べ物にならない広さだ。サティアは来たことがあるのか?」
「ええ、何度か王城の人々の体調不良などを診るのに呼ばれたので。安心して下さい、国王は気さくな人ですよ」
初期五大国は、VAOではPvPでは絶対に勝てない程の強さだった。だが、あの程度の悪魔に梃子摺る程戦力が落ちているのだろう。無敵を誇ったNPC達ももういないのだ。知らずに過ぎ去った100年という歳月の重さを思い、カリナは複雑な気分になった。
「ではこれからルミナスの国王陛下との謁見になります。此処からは近衛騎士団がご案内致します」
ここまで案内してくれた騎士達に代わり、近衛騎士団が現れた。見た目の装備はそれほど違いはわからない。
「お待ちしておりました。国王陛下がお待ちです。こちらへ」
全身を白銀の鎧で包んだ近衛騎士達がカリナ達を出迎え、彼らの案内で、カリナたちは城の奥へと歩き出す。
靴音が反響する白大理石の床には、まるで血管のように深紅の絨毯が一直線に伸びており、視線の先が霞むほど遠くまで続いている。
回廊の両脇には等間隔に高い列柱が並び、その隙間にある巨大なステンドグラスからは、極彩色に染められた光が差し込んでいた。光の中を歩くたび、カリナの赤い髪や白い衣装が七色に煌めく。
この広さを掃除するだけで何日かかるんだろうか――そんな庶民的な感想で現実逃避しつつも、カリナは背筋を伸ばし、涼しい顔を作って歩を進めた。
すれ違う衛兵や侍女達が、カリナ達の姿を見て立ち止まり、畏敬の念を込めて深く頭を下げる。その視線が痛いほど突き刺さる。
やがて、一行は回廊の突き当たりに鎮座する、一際巨大な両開きの扉の前へと辿り着いた。扉には黄金で聖光国の紋章である『太陽と剣』のレリーフが施されており、その圧倒的な重厚感は、ここから先が国の心臓部であることを無言のうちに物語っている。
扉の両脇を守る衛兵が、槍の柄を床に突き立て鳴らし、腹の底から響くような声を上げた。
「――英雄カリナ殿に聖女サティア様、並びに一行、到着!」
重々しい地響きと共に、玉座の間への扉がゆっくりと開き始める。隙間から溢れ出したのは、先ほどの回廊をも凌駕する、まばゆい黄金の光だった。




