44 聖女覚醒
外から干渉していたテレサの神聖術が弾け飛び、霧散した。だが、カリナはまだ諦めずに、鋭い視線を影霊子爵へと向けていた。
「ククク、外からこの結界を破壊などできまい。さあ貴様の最期が近づいて来たな」
ヴァル・ノクタリスの勝ち誇ったニヤケ面に対し、カリナは血を吐くように言い放つ。
「いいや、不可能などはない。それに、私はまだ諦めてなどいない……っ、はあああああああ!!!」
アビス・ハンドに掴まれ、宙に吊るされた状態で、カリナは残る闘気を振り絞る。魔力が封じられた今、頼れるのは鍛え上げた己の肉体のみ。気迫だけでアビス・ハンドの指をわずかに押し広げる。
「無駄だ。この結界の中では我は無敵。見事な闘志だが、この拘束を破ることなどできん」
影霊子爵が掌に力を込めると、ミシミシと嫌な音を立てて拘束が強まる。それでも、カリナの瞳に宿る闘争心は萎えるどころか、さらに鋭く燃え上がっていた。
「決めたぞ。まずその反抗的な眼球から抉り出してやろう」
悪魔が長く鋭い爪をカリナの瞳に近づけたその時だった。結界が大きく軋んだ。先程とは比にならない、空間そのものを揺るがすほどの衝撃。外からの強烈な神聖術の干渉だ。
「おのれ……、まだ足掻くか。ならば貴様らにも絶望というものを見せてやろう」
影霊子爵は苛立ちと共に、結界をさらに強固にすべく魔力を注ぎ込んだ。
◆◆◆
「あの中に、カリナさんが閉じ込められているのですね」
「はい……。ですが私の結界術では、外からの干渉は不可能です。全員の魔力を注いだルーメン・サンクチュアリ・ライトでも、ヒビ一つ入れられませんでした……」
テレサの目や鼻からは、魔力過剰行使による鮮血が流れている。他のメンバーも疲労困憊で、立っているのがやっとの状態だ。サティアは静かに頷き、メイデンロッドを構えた。
「この者達の傷を癒し、新たな活力を与え給え。ブレスド・メイデンズ・グレイス」
サティアが僅かに微笑んだだけで、巨大な癒しの波動が全員を包み込んだ。それは聖女だけが扱える神聖術の最上位互換。瞬時にテレサの出血が止まり、全員の身体に力が満ち溢れる。
「なんていう威力の癒し……。これが、サティア様の聖女としての力……」
「サティア様、カリナちゃんを助けてやってくれませんか? 僕達の力ではあの結界に傷一つつけられない」
「ああ、ここまで自分の無力さを感じたことはねえよ」
「サティア様、お願いします! カリナちゃんを助けて!」
ルミナスアークナイツの悲痛な懇願に、サティアは静かに、しかし力強く頷いた。
「無論、そのつもりです。私の大切な友人を、決して失うことなどしません。――我が力を解放します。エピファニー・オブ・セイント・メイデン!」
詠唱と共に、サティアの背中に幻の光翼が出現する。聖女の神聖術を最大出力で行使するための、自己強化術式だ。
「なんて美しい姿……」
ユナはその幻想的な光景に、思わず息を漏らした。
「さあ、不浄な結界を解除します。天よ刮目せよ、あらゆる邪悪を打ち砕く清浄なる聖域をここへ! カノン・オブ・ザ・ディヴァイン・ブライド!!!」
カッ!!!
閃光が奔った。聖女サティアを中心に、神聖な空気が波紋のように広がる。「神の花嫁」と呼ばれる聖女にのみ許された究極儀式。世界規模で癒し・祝福・浄化をもたらすとされる伝説級の結界術である。その光は、悪魔の展開した結界と押し合うことすらせず、優しく包み込むようにして中和した。
パキィン……ッ!
エクリプス・ドミニオンに亀裂が走り、次の瞬間、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
「な、何だこの強大な術式は? いや、結界術のレベルではない。これは世界の浄化か? まさか我が領域を強制解除するほどの人間が存在するなど……!」
アビス・ハンドの拘束が解け、地面に着地したカリナは、ふらつきながらも不敵に笑った。
「存在するんだよ。それが、私の友人の聖女サティアだ」
「聖女だと?! おのれ、忌々しい光の使徒めが……、!? ぐあああああっ!!!」
悪魔が怒号を上げようとした瞬間、激痛にのたうち回った。
「やはり結界の中ではスカーレット・スティンガーの効力も抑え込まれていたか。だが、お前が気付かない内に、蠍の毒は確実に回っていたようだな」
苦悶に顔を歪める悪魔の視界に、カリナの背後へ走り寄る白い法衣の姿が映る。こいつが、我が結界を破壊した者か。どう見ても年端も行かぬシスターにしか見えない。これ程の使い手が、この辺境に潜んでいたというのか。
ダメージで膝をつきかけたカリナを、サティアは後ろから優しく抱きしめた。
「全く、あなたと言う人はいつも無茶が過ぎますよ」
「まあな。でも、お前がきっと来ると信じていた。聖女サティアは、そんなにやわじゃないとな」
「やはりあなたには敵いませんね。今すぐ癒します。レクイエム・エンブレイス」
聖女の奥義。抱擁によって、死の淵にある魂すら呼び戻すと言われる究極の回復術。 二人の身体が温かな光に包まれ、カリナの肉体に刻まれた無数の裂傷、圧迫された内臓へのダメージが一瞬で修復される。魔力が再燃され、それを糧に精霊力が爆発的に燃え上がった。亀裂が走っていた聖衣が光と共に修復され、黄金の鎧はかつてないほどの輝きを取り戻す。
「ぐうううううう、おのれ……! あと少しだったものを……!」
痛みに耐えて立ち上がる影霊子爵ヴァル・ノクタリス。まだ戦意は消えていない。
「その悪魔貴族としての矜持は称賛に値するが、相手が悪かったな。ここにいるのは神聖術のエキスパートだ。このフィールドでは、最早お前の結界術など発動すらできまい。まずは鬱陶しいその動きを封じさせてもらう。リストリクション!」
カリナの指先から放たれた波動が影霊子爵に巻き付き、光り輝くリングとなって幾重にも拘束する。
「な、何だこの光の輪は? 身体が、動かせぬ……!?」
「そうだ。お前は最早、指一本動かすことはできない。さあ、色々と吐いてもらうぞ」
「クククカカカ、この程度で誇り高き我が簡単に口を割るとでも思ったか」
カリナは冷徹な瞳のまま、左耳の通信機を起動する。
「聞こえるか?」
「うん、途中で切れたから何かあったのかと思ったよ」
「色々とな。だがサティアに救われた。これから悪魔を尋問して、仕留めるところだ」
「わかったよ、じゃあ聞いておくね」
カシューとの回線を確認し、カリナは悪魔に指先を向けた。
「さて、ここまで九発撃ち込んだ。残りは六発。どこまで耐えられるかな。受けろ、スカーレット・スティンガー!!!」
バシュッ! ビシュビシュッ!!!
更に三発の毒針が撃ち込まれる。
「うぐああああああ!!!」
身動きも取れず、影霊子爵はただの的となるしかない。
「そろそろ全身の感覚が麻痺して来ただろう。さあ言え、お前達の根城は何処にある。主とは誰だ。そして人間を使って精霊を襲っている連中もいるな? 全て吐いてもらうぞ」
「ぐ、うぐおおおおおおっ!!! そう簡単に、口を割ると思うな……」
猶も虚勢を張る悪魔に対し、カリナは無慈悲にもう二発撃ち込んだ。その瞬間、悪魔の身体に穿たれた十四の穴から、どす黒い血飛沫が噴き出した。
「ぐおっ?! こ、これは一体……?!」
「遂に肉体が耐え切れずに悲鳴を上げたか。さっさと喋れ。さもないと、お前は流れ出る血液と共に五感を失い、廃人同然になるぞ」
サティアは聖衣を纏ったカリナの圧倒的な威圧感に息を呑んだ。以前も目にしているが、やはりこの姿の彼女は凄まじい。
「さっさと情報を吐きなさい。あなた達悪魔のせいでどれだけの罪のない人達が犠牲になったか……、百年前の五大国襲撃事件を私は忘れてはいませんよ」
サティアもまた、ターコイズブルーに輝くメイデンロッドの先端を悪魔に向けた。
「ぐ、グアアアア……! 例え五感が失われようとも、人間ごときにひれ伏す訳には……」
「強情な奴だ。だが、もう一撃しか残されてはいない。次のスカーレット・スティンガーは蠍の心臓部に当たるアンタレス。これを喰らった者は、例え神であろうと必ず死に至る。さあ、降伏か死か。今すぐ選べ!」
後方で見守るルミナスアークナイツたちには、勝負は決したとしか思えなかった。だが、カリナはトドメを刺さない。
「どうしたんだ? まだトドメを刺さないのか?」
「隊長は悪魔から情報を集めているにゃ。だからギリギリまで追い込んでいるにゃ。その気ならとっくにあの悪魔は消し炭にゃ」
「うーん、でもじれったいわね。御主人ったら、さっさとやってしまえばいいのに」
「セイレーン、主にも事情があるのよ。今は見守りましょう」
ケット・シー隊員にセイレーンとウィスプ、召喚体達の会話を聞きながら、カーセルたちは固唾を呑んだ。
「ウガアアアアアア!!!」
激痛と薄れゆく意識の中で、影霊子爵ヴァル・ノクタリスは思考を巡らせていた。次の一撃を受ければ死ぬ。このままでも失血死する。脱出する方法はないか。
「遂に耐え切れず発狂したか。仕方ない。カシュー、これ以上の情報収集は無理だ。トドメを刺す」
「わかったよ、仕方ないね。どの道悪魔を生かしておくわけにはいかないし」
「そういうことだ。十秒だけ猶予を与えてやる。その間に話さなければトドメの一撃をぶち込む」
「が、はぁはぁ……。分かった喋る。だから待ってくれ!」
悪魔が懇願した。プライドよりも生への執着が勝ったのだ。
「我らの根城はこの世界の南西部……、そこにかつては人間の王国があった……。そして、悪意ある人間共を利用して精霊を襲わせ、その精霊力を奪う……、その組織の名は災禍伯メリグッシュ・ロバスが率いる『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』……。そして我らが主のことだけは口にはできぬ……。言えばこの身体は業火に焼かれる。貴様も目にしたであろう。イペスやベロンが裏切り、その身を焼かれたことを……」
「なるほど、そんなことまで知っているとは。悪魔の情報網は伊達ではないのだな。私が屠った連中の名前まで把握しているとは……」
「まだです、カリナさん。こいつらは平気で嘘を吐く連中です。裏を取る必要があります。それに、主の名が言えないのなら質問を変えます。あなた達の『今の』総大将は誰ですか? 主はまだ完全復活していないと聞きました。ならば指揮を執る代行者がいるはず。そいつの名を吐きなさい」
「それもそうだな。おい、今の話に嘘はないだろうな?」
カリナは左親指を煌めかせながら詰問する。
「嘘は吐いておらぬ……。魔界の貴族の名に懸けてもだ……」
「そうか。ならば先程のサティアの質問に答えろ。今、悪魔軍の指揮を執っている最高責任者は誰だ?」
「それは……、『ネグラトゥス・ヴォイドロード』。今の全軍の指揮を執る最高責任者……。地位は深淵公。主に次ぐ序列第二位のお方だ……」
「深淵公……。悪魔の最高幹部……。そんな存在がいるなんて……」
驚愕するサティアの横で、カリナは無慈悲に左指を突き付けた。
「よく喋ってくれた。だが最早五感も薄れ意識も曖昧だろう。今楽にしてやる」
カリナがトドメの一撃を見舞おうとしたその瞬間、空がどす黒く染まり、サティアの展開した聖域までもが闇に侵食され始めた。
「愚かな……。我が命可愛さに人間に魂を売るとは。貴様には我が直々に処罰を与える」
深淵の底から響くような異形の声が轟く。同時に、影霊子爵の足元に禍々しい魔法陣が展開された。強制転移だ。
「くそ、此処まで来て逃がすか! 喰らえ、スカーレット・スティンガー・アンタレス!!!」
放たれた必殺の赤光は、既に位相がズレていた影霊子爵の身体を虚しくすり抜けた。この場を生き延びた悪魔が、薄れゆく意識の中で最後に不敵に笑う。
「貴様のことは覚えたぞ、召喚士カリナ。そして聖女サティアよ。これからは世界中の悪魔が貴様達を狙うことになろう。さらばだ、所詮貴様ら人間風情に勝ち目などないのだ。クククカカカッ……!」
哄笑を残し、影霊子爵ヴァル・ノクタリスは闇の転移陣に飲み込まれ、完全に消失した。




