43 影霊子爵ヴァル・ノクタリス
カリナの指先から放たれた真紅の閃光は、邪竜の心臓を抉り取るように貫いた。ぽっかりと空いた大穴。自らの死すら理解できぬまま、影虚竜シャドウ・ヴォイド・ドラゴンは最後の咆哮を上げる。
「――――!!?」
黄金の蠍に射抜かれた邪竜は、音もなく崩れ落ち、さらさらと灰になって風に溶けた。
「どうだ、黄金の蠍の一刺しは効くだろう? ……まあ、もう聞こえてはいないか」
後方の仲間達は、自分たちでは足止めすら叶わなかったであろう影虚竜を一撃で沈めたカリナの姿に、言葉を失っていた。
「何という威力なんだ……!? あの巨体を一撃で灰にしてしまうなんて」
「ああ、何が何だかわからねーが、とんでもねえってことだけはわかるぜ。よっしゃ、これならあの悪魔にも勝てる!」
「ええ、彼女がこれまでソロで悪魔を討伐してきた理由がわかりました。あれ程の力を秘めていたのですから……」
「あれが『聖衣』……。なんて荘厳で美しい鎧なの。召喚術の真髄を見た気がするわ」
カーセル、カイン、ユナ、テレサ。ルミナスアークナイツの面々は、畏敬の念すら込めて感嘆の息を漏らす。
「ふふん、さすが隊長にゃ。あの程度のトカゲにゃんて、『聖衣』を纏った隊長の敵じゃにゃいにゃ!」
まるで自分の手柄のように胸を張るケット・シー隊員。 誰もがその姿に目を奪われる中、カリナは玉座から立ち上がった影霊子爵ヴァル・ノクタリスへ向き直った。
「もうお前の下僕共はいない。次はお前の番だ」
カリナは左耳のイヤホンに魔力を注ぎ、カシューに繋ぐ。
「聞こえてるか?」
「うん、聞こえてるよー」
「これから悪魔との一戦だ。今回も情報収集頼んだ」
「オッケー」
カシューとのやり取りを済ませると同時に悪魔が喋り始める。
「ククク、カカカッ! 素晴らしいぞ。我が最強の配下をこうも容易く屠るとはな。小娘よ、貴様は最高の『素材』になる。だがまずは名乗らせてもらおう。我が名は影霊子爵ヴァル・ノクタリス。魔界の権威ある貴族である」
胸に手を当て、仰々しく一礼をする悪魔。彼らにとって、これから殺す相手に名を刻み付けるのは貴族としての礼儀であり、矜持なのだ。
「知っている。私は召喚術士のカリナ。そしてお前の命運は今日ここで尽きる」
「ククク、大きく出たな小娘。ならばここまで辿り着いた礼だ。我自らが相手をしてやろう」
悪魔が前に進み出ると、その影が半歩遅れて追随する。不可解な歩法だが、今のカリナには些細な問題だった。
「まずはこれを受けてみるがいい。闇の衝撃を、シャドウ・レクイエム」
影霊子爵が静かに手を広げると、足元から黒い紋章が回転しながら浮かび上がる。周囲の影が息を吸うように一点へ収束し、次の瞬間、弔いの鐘のような重低音と共に闇が爆ぜた。光を持たない衝撃波が同心円状に広がり、触れたものの影を引き裂きながら吹き飛ばす。
衝撃は後方のカーセルたちにまで及んだ。
「がはっ、これは? 影を媒介にして対象そのものを攻撃しているのか!? まずい、みんな下がれ!」
カーセルの指示で全員がさらに後退する。白騎士達が壁となり、かろうじて直撃を防いだ。だが――輝く聖衣を纏ったカリナは、その爆心地を平然と歩いていた。黄金の輝きは、微塵も揺らいでいない。
「な……なぜ我の技が効かぬ? 一体どうなっている?」
ヴァル・ノクタリスの仮面のような顔に、初めて焦燥の色が浮かぶ。
「黄道十二宮にある天の精霊達は、言わば太陽の通り道に座す高位精霊。その程度の闇で、この黄金の聖衣が穢れると思ったか?」
「な、何だと……?」
「じゃあ今度は此方の番だな。心配するな、一撃では殺さない。お前達悪魔には聞くべきことが山ほどあるからな。さあ、受けろ! 黄金の蠍の真紅の衝撃を!」
赤く輝くカリナの左人差し指から、真紅の光弾が放たれる。
「スカーレット・スティンガー!」
ビッ! ビビッ!
「ぐおっ!?」
放たれた衝撃は僅か三発。だがそれは悪魔の硬質化した皮膚を容易く食い破り、深々と肉体に突き刺さった。影霊子爵は傷口を押さえ、嘲笑うように口を歪める。
「何だ、今のは? ただの小さな針如きで我の歩みを阻もうとは愚か――!? ぐ、ぐあああああっ!!!」
余裕を見せていたヴァル・ノクタリスだったが、遅れて襲ってきた灼けるような激痛に膝をついた。
「スカーレット・スティンガーは黄金の蠍の猛毒をその身に撃ち込む技だ。たかが小さな傷口だと甘く見たな」
「く、何だこれは……、まるで蠍の猛毒が血管を食い荒らしているようだ……!」
「分かったようだな、ならばもう一度受けろ。スカーレット・スティンガー」
ビシッ! ビシビシッ!!!
「ぐっ、ぐおおおおおっ!」
更に三発。激痛に耐え切れず、悪魔が地面に両手をつく。その表情は苦悶と屈辱に歪んでいた。
「だが心配するな。この技は蠍座の星の数、合計十五発を撃ち込むことで相手を確実に死に至らしめる。それまでに降伏か死かを選ばせる慈悲深い技だ。さあ、色々と吐いてもらうぞ。お前達の主とやらは誰だ。そいつは何処にいる?」
見下ろすカリナの言葉に、影霊子爵のプライドが悲鳴を上げた。彼は憤怒と共に立ち上がり、貴族の衣装を引き裂いて真の姿――異形の悪魔へと変貌する。
「よくも……よくも我をここまで侮辱してくれたものだ! ならばこれを喰らってみよ、ノクターン・スラッシュ!」
影霊子爵が手の甲をなぞると、影が鋭利な刃となって伸びた。黒曜石のように鈍く光る刃は、振るうたびに残像を残す。影を先に切断し、遅れて実体にダメージを与える因果逆転の高速斬撃だ。
だが、カリナは瞬歩と空歩を駆使し、紙一重で回避し続ける。VAOにおける戦闘は、ステータス以上にプレイヤースキルが物を言う。そのスキル次第で、上のランクの相手に勝つことも不可能ではない。
カリナのプレイヤーとしての素体――それは、かつて日本サッカー界の至宝と呼ばれた父の血を引き、自らも超一流のアスリートとして、日本サッカーの未来を嘱望された存在。ユース世代から世界の猛者と渡り合った身体能力とメンタルだ。常人離れした空間把握能力と、極限状態でも揺らがぬ精神。ゲーム内で強化された身体能力と合わさり、その回避行動は芸術の域に達していた。
影霊子爵の斬撃は空を切り、その間に黄金の蠍の毒が確実に蝕んでいく。
「ぐあああああっ! おのれ小娘……、貴様は一体……?」
「どうした? 動きにキレがなくなってきているぞ。じゃあ更に喰らってみるか? 真紅の衝撃を!」
ビッ! ビシビシィ!!!
更に三発。
「これで九発。そろそろ身体の感覚がなくなってくる頃だが、さすがに侯爵レべルだけあってしぶといな。さっさと吐け。そうすれば楽にしてやる」
「ククカカカッ!!! よもや人間風情に此処まで追い込まれるとはな……。ならば致し方ない。大量の魔力を消費する大技だが、貴様ほどの相手になら惜しくはない。さあ、絶望に飲まれるがいい! エクリプス・ドミニオン!!!」
「なっ?!」
影霊子爵が指先で空間を切り裂くと、黒い月輪が虚空に描かれた。それが砕け散ると同時に、影が滝のように流れ落ち、円筒状の結界となってカリナを閉じ込めた。 影が支配する絶対領域である。
「おいおい、どうなっているんだ、ありゃあ?」
「黒い結界だと……?」
「カリナさんが結界に飲まれました! 魔力探知、反応消失!」
「これがアイツの奥の手だっていうの? 大丈夫よね……?」
「これはマズいにゃ! 隊長の魔力が封印されたにゃ! 魔力は精霊力を引き出すための燃料にゃ。あの中では隊長は力を発揮できないにゃ! お前達、直ぐにあの結界を破壊するにゃ!」
カーセルたちが攻撃を加えるが、結界には傷一つ入らない。
「我が全ての力を持って邪なる者の結界を浄化せよ、光の聖域! 神聖術、ルーメン・サンクチュアリ・ライト!!!」
テレサが発動できる神聖術の中では最高位の結界術だ。聖なる光が、悪魔の結界と激しくせめぎ合う。
「く、はあああああああ!!!」
魔力の過剰行使により、テレサの目や鼻から鮮血が流れる。
「やめなさい、テレサ! そんな高等術、使い続けたらアンタが先に倒れるわよ!」
「カリナさんは私達を何度も助けてくれました。ここで助けられなかったら、私達は何のために此処にいるんですか!」
「テレサの言う通りだ。僕達の魔力も使ってくれ!」
「ああ、テレサに魔力を注げ!」
「ったく、仕方ないわね!」
カーセルたちは手を繋ぎ、残る全魔力をテレサへ託す。光の輝きが増し、悪魔の結界をこじ開けようとするが――内部のカリナは、既に限界を迎えていた。
「くっ、魔力が練れない……。こんな奥の手を残していたのか……?」
「主よ、マズイぞ。魔力が無ければそれを糧にする精霊力を維持できない。聖衣の防御性能も保てん。速くこの場から脱出するのだ」
カルディアの声が響くが、足元の影から伸びた無数の腕が下半身を拘束し、身動きが取れない。迂闊だった。これほどの結界術を行使する悪魔がいるとは。魔力が練れないため、カシューとの通信も遮断された。
「ククク、形勢逆転だな。この結界内では、我以外のあらゆる魔力が無効化される。勝負あったな。さて、どのように嬲ってやろうか?」
「くそっ……! だが私はまだ倒れていない。勝負はまだ着いてはいないからな」
「つくづく強情な小娘よ。ならばこいつで絶望を教えてやろう。出でよ、アビス・ハンド!」
影霊子爵が拳を握り込むと、カリナの足元の影が海のように広がり、そこから巨人のごとき漆黒の腕が伸び上がった。 巨大な掌がカリナを掴み上げ、黒い霧を漏らしながら万力のように締め上げる。魔力供給を断たれた聖衣に亀裂が走り、カリナの口から血が溢れた。
「がはっ、……こんなところで、負けてたまるかよ」
「どこまでも強情な小娘よ。だが、人間にしてはとても美しい。その彫刻のような肉体に傷を刻んでやろう」
近づいて来た影霊子爵が、長く鋭い爪で、宙に吊るされたカリナの頬を撫で、切り裂いた。白い肌に赤い線が走り、血が滴る。悪魔はその血をひと舐めし、恍惚の表情でさらにアビス・ハンドの圧力を強めた。
「ぐああああっ!」
圧迫され悶絶するカリナ。聖衣に覆われていない太腿に爪が食い込み、肉を裂く。悪魔の領域内では彼の力が増大しているのか、あるいは毒の効果すら無効化されているのか、スカーレット・スティンガーを撃ち込まれたはずの影霊子爵が平然と残虐な行為を楽しんでいる。
「さて、そろそろトドメを刺してやろうか? もう少し貴様が苦しむ姿を愛でていたかったが、貴様は危険だ。ここで消しておかなければ後々我等の脅威になりえる」
「その我等ってのは誰のことだよ? お前の主とやらと関係があるのか?」
バキィ!
「うがっ!」
悪魔の拳がカリナの右頬を捉えた。
「無駄なことを囀るな。どうせ貴様は此処で死ぬ。さあ、どうやって仕留めてやろうか? 首を撥ねてその美しい顔を我のコレクションに加えるか、心臓を抉り出して生き血を啜ってやるか……」
その時、結界が軋む音が響いた。テレサたちの神聖術が、必死に抵抗し、支配権を奪おうと押し合いをしているのだ。
「ふん、小癪な……。虫けら共が、貴様ら如きに何ができる! 我が結界よ、さらに強固となれ!」
バリバリという音と共に、結界の輝きが増す。均衡は一瞬で崩れた。強化された悪魔の結界が光を弾き飛ばし、テレサの術は霧散した。
魔力が尽き、崩れ落ちそうになるテレサ。だが、その身体を後ろから支える、温かな手があった。
全員が振り返る。そこには、戦場には似つかわしくないほど清廉で、しかし誰よりも力強い瞳をした聖女が立っていた。
「せ、聖女様……?」
「「「サティア様?!」」」
ルミナスアークナイツのメンバーは息を呑んだ。いつも教会で穏やかに微笑んでいた彼女とは違う。その瞳に宿るのは、友を救わんとする鋼の決意が滲んでいる。
「よく頑張りましたね、ルミナスアークナイツ」
「サティア……、あの中に隊長が閉じ込められたにゃ! 魔力を封じる結界にゃ! あれじゃあ聖衣の力も発揮できにゃいにゃ!」
ケット・シー隊員の悲痛な訴えに、サティアは静かに頷いた。そして、長い間封印していた聖女の力を――真の神聖術を解き放つべく、メイデンロッドを掲げた。




