38 聖女サティア
大聖堂の重々しい扉を押し開くと、冷えた空気がひやりと肌を撫でた。内へ足を踏み入れた瞬間、頭上へと伸びる無数の尖塔アーチが視界を包み込み、天へ向かうかのような圧倒的な高さに思わず息を呑む。
色彩豊かなステンドグラスから射し込む光が、床の白大理石へ幾筋もの輝きを落としていた。赤、青、金。揺らめく光はまるで生き物のように波紋を描き、静寂の中で小さな祝福を振りまいているようだった。
中央の通路を進むほどに、荘厳な気配は濃くなってゆく。祭壇の前には無数の燭台が置かれ、揺らぐ炎が淡い金色の輪郭を描きながら空気を震わせていた。その奥――。
白銀のヴェールをまとった女神像が静かに立っていた。細い指先は祈る者へ差し伸べられるように柔らかく開かれ、その顔には母のような慈愛と、どこか厳粛な威厳が同居している。光を受けた瞬間、女神像の背後にある金色の装飾盤が淡く輝き、その存在を一層神聖なものへと変えていた。
堂内を満たすのは、風が通るわずかな音と、祈りのために灯された炎の微かな揺れだけ。まるで世界がここだけ止まっているような沈黙の中、祭壇と女神像はひとつの宇宙のように荘厳な重みを放ち続けていた。
奥へと進むと備え付けられた座席に座って祈りを捧げる人々が多くいる。そしてその最前列に冒険者らしき数人の男女と彼らに癒しの神聖術を施している僧侶、その中に見知った顔があった。
聖女サティア、エデンの特記戦力であり。神聖術に聖女専用の術も扱うエキスパート。白いローブに身を包み。長い黒髪を後ろで三つ編みにして一つに纏めている。額には白銀のサークレット。ローブの前は開けており、その中にも白を基調とした水色や黒のデザインが施された、聖職者クラスが身に付けるものとしては高ランクの装備を身に付けている。
見つけた――。
彼女に何があったのかは知らないが、先ずは話を聞く必要がある。カリナはケット・シー隊員を引き連れて女神像の前で冒険者達に治療を施しているサティアに声を掛けた。
「やあ、久し振りだなサティア。お前を探してエデンからここまで来たぞ」
カリナの方を見たサティアは一瞬驚いた顔をして、すぐに表情を綻ばせた。
「カー、いやカリナさん?! まさかエデンからここまで来たのですか?」
「ああ、今は行方不明の特記戦力であるお前達を探し出すのが私の任務だからな。それに色々と気になることもある。できれば二人で話したい」
「……分かりました。では少々お時間を下さい。今この街の高ランクギルドのメンバーが負傷して戻って来たところなので。治療が終わってからなら大丈夫です」
「わかった。じゃあ待たせてもらうよ。因みにそのギルドの冒険者達はルミナスアークナイツか?」
ファンシーな衣装を纏って二足歩行の猫を連れている不思議な少女、その少女がサティアと対等に話しているのを、治療を受けながら見ていた冒険者達の中の一人がカリナの言葉に反応した。
「お嬢ちゃん、そのルミナスアークナイツの団長が僕だ。何か用があるのかい?」
柔らかい口調で話しかけて来た青年は、短めの金髪碧眼で白い全身鎧を身に纏っている。カリナのメインキャラだったカーズと同じ聖騎士クラスだろう。席には大盾に太い片手剣も立て掛けられている。
「ああ、私はカリナと言う。これでもAランクの冒険者だ。組合長のローザから手紙を預かって来た。これを」
「態々ギルマスから? ありがとう。僕は団長のカーセルだ。よろしくカリナちゃん」
「ああ、よろしくカーセル」
カリナから受け取った組合長の印が押された封を開けて、カーセルは手紙を読んだ。
「この度は組合から依頼があります。
これを持って来た少女はエデン出身で、かの聖騎士カーズ様の妹君カリナさんです。彼女は凄腕の召喚士。妹ジュリアのカリンズの悪魔や、これまでに侯爵レベルの悪魔をソロで討伐して来た実績があります。彼女と協力し、遺跡の悪魔の討伐をお願いします。
ですが、無理強いはしません。命を第一に行動すること。
それでも無理な場合はカリナさん一人が討伐に向かうことになるでしょう。できれば彼女に協力してくれることを信じています。 ルミナス組合長 ローザ」
カーセルは周囲にいる彼の仲間達にも聞こえる様に声に出して読んだ。それを聞いていたカリナは心の中で笑った。さすがはジュリアの姉である。無理強いしないと言いつつも逃げ場を失くすような内容だ。まともな正義感がある高ランクギルドのメンバーならカリナの様な少女をソロで討伐に向かわせるなど危険だと判断するに違いない。
「参ったな……。さっきも撤退して来たばかりだってのに。これじゃあ断れないじゃないか」
カーセルは溜息を吐くと、逃げ場を塞がれたことに困って頭を掻いた。
「いや、無理はしなくても構わない。元々は私一人で討伐に向かう予定だったからね」
カーセルはカリナの言葉に少し考え込んだが、すぐに気持ちを切り替えた。
「いや、是非同行させてもらうよ。ソロでそこまでの戦力なら僕達は奴の取り巻きに専念できる。どうだい、みんな?」
カーセルとカリナのやり取りを見ていた他のメンバーは、その言葉に賛同した。
「ああ、今日はしっかり治療して傷を癒そう。明日リベンジと行こうじゃないか。あ、俺は槍術士のカインだ。よろしくカリナちゃん」
青い長髪をなびかせた爽やかなイケメンだ。青い鎧、恐らく青銀石というレアな鉱石で作られた一品だろう。更に中々の業物のスピアを手にしている。
「ふん、勿論私も行くわ。こんな少女を一人で行かせて見殺しにでもさせたら後味が悪過ぎる上に、ルミナスアークナイツの名折れよ。あ、私は陰陽術士のユナよ。よろしくカリナちゃん」
どうもツンデレな波動を感じるこの女性もAランクの冒険者メンバーなのだろう。陰陽術士とは思えないような薄いピンクのロングヘアである。クセ毛なのだろうか、毛先がくるくると跳ねている。平安時代以降の貴族が着る衣装で狩衣と呼ばれる装備を身に付けているが、下半身は赤い短めの袴の様なスカート姿である。
「じゃあ当然私も行きます。今は魔力切れで役には立たないけど、神聖術の使い手は必須のはずでしょうから。私は僧侶のテレサ、よろしくね、カリナさん」
最後の一人もカーセル達ギルドメンバーに賛同した。紫のショートボブに僧侶クラス独特の白いローブである法衣に頭にはビレッタと言われる帽子。四角い形で、上部に4つのひだと、中央にポンポンの房がついていることが多い帽子だが、彼女のものにはその房が付いていない。丁寧な口調で礼儀正しい印象である。
「ああ、助かるよ。でも相手は侯爵レベルだ。防御を最優先にしてくれ。心配しなくても私の召喚体でお前達は必ず守る。じゃあよろしく頼んだ」
それぞれのメンバーと「よろしく」と握手を交わす。先程の無法者の件があったため、心配していたカリナだが、それは杞憂に終わりそうである。
「じゃあ、みんなはそのまま治療を受けていてくれ。私はサティアと話して来る」
「ああ、また後程」
ルミナスアークナイツの面々に挨拶をして、サティアが待っている部屋の奥に向かう。そこから彼女に案内されて、サティアが与えられている自室へと向かった。
◆◆◆
教会の奥に進むと、そこには住み込みの聖職者達の居住区があった。その中でも一回り広いサティアの部屋に入る。
「ちょっと散らかってるけど、我慢してくれる?」
「気にしないよ。どうせ本当に散らかってるんだろ?」
サティアは物臭である。聖女として持て囃されているが、その実、エデンでも彼女の部屋はいつも散らかっていた。100年経っているとはいえ、その癖が直っているとは思わない。
「ま、まあね、いやあ、人間中々悪い癖は直らないものだわ。それにしてもフレンドリストの光った名前がカリナさんだったんだから」
「運悪くこのキャラでインしたときに巻き込まれたんだよ。しかもほんの数分ログアウトしてただけだってのに」
「それは運が無かったわね……」
室内は予想通り、積み上げた本や脱ぎ散らかした衣服で乱雑な有様だった。カリナはテーブルに案内され、そこの席に座った。サティアは近くにあった自分のベッドに腰掛ける。
「さて、100年振りなんだよな? 私は最近この世界に来たばかりだから何もわからないけどさ」
「まあ、ね。それにしてもどうしたの? ずっと「俺」って言ってたじゃない?」
「それか、側仕えのルナフレアに口うるさく言われたんだよね。その姿でその口調はないって。だから一人称だけ「私」に変えてるんだよ。後は別に何も変わってないさ。変わったのはお前の方じゃないのか?」
「ああ、あの妖精族の彼女ね。そっか、みんな元気にしてるのね……」
懐かしむ様な言葉とは裏腹に、彼女の表情は暗い。
「ああ、エデンの特記戦力は今エクリアしかいない。私のメインキャラのカーズは行方不明扱いだし、他にもカグラやグラザにエウリーヌもいない。今また五大国襲撃事件のようなことが起きればエデンは壊滅する。サティア、一緒にエデンに帰ろう。カシューもお前の帰りを待っているぞ」
「そうなのね……。でも、私にはもう戦うのは無理かもしれない」
そう言って顔を逸らすサティア。何があったのだろうか。これはカシューにも話を聞いてもらう必要があると思い、カリナは左耳のイヤホンに魔力を注いだ。
「聞こえるか?」
「うん、どうしたんだい?」
「今ルミナス聖光国のサティアの部屋にいる。どうやら悩み事がありそうだ。お前にも話を聞いて欲しい」
「わかったよ。サティア聞こえてるかい?」
イヤホン兼スピーカーにもなっている装置からサティアにもカシューの声が響く。
「え、カシューさん? どうなってるの?」
「カリナの耳に取り付けてある魔法工学のイヤホンの性能だよ。で、何があったの? ひょっとして僕嫌われてる?」
「お前は人をこき使うからな。嫌われていても同情はしないぞ」
二人のやり取りにサティアは懐かしさを感じたのだろう、くすっと笑った。それを見てカリナは少し安心した。どうやらカシューやエデンが嫌と言う訳ではないらしい。
「で、結局どういうことなんだ? もう戦えないって」
「そうですね……。あなた方にはちゃんと話しておくべきでしょう。このVAOの世界が現実になったあの時のことを……」
◆◆◆
100年前の五大国襲撃事件。その余波は各地のPC達の国にまで飛び火した。空を覆う悪魔の群れ。討伐のためにその時いなかったカーズ以外の全ての戦力が戦場に向かった。
命を持った存在となったNPC達や兵士達が街や戦場で次々に犠牲になった。流れる血に斬り飛ばされた四肢。それは正しく戦場だった。サティアも戦場で多くの血が流れるのを目にした。救いたくても助けられなかった命もたくさんある。
聖女として、神聖術のエキスパートとして尽力したが、死者を蘇生する術はVAOにはない。普通のRPGには大抵ある、復活の魔法や術がVAOには存在しないのだ。リアルを追求したVAOの仕様である。死ねば近くの街の教会の女神像の前で復活するだけである。
だが、あの日以降、死は本当の死になった。インしていたのに消えたフレンドもいる。必死の抵抗で、多くの犠牲を出しながらもエデンは救われた。だが、サティアの心には癒えることのない傷ができてしまった。救えなかった命を思うと、今でも身体が震える。
最早戦場に立つことは不可能だと思った彼女は、襲撃の負傷者を助けるために被害の大きかった五大国の中で、自分に縁の深いルミナス聖光国を選んだ。教会で負傷した冒険者の治療をしたり、祈りを捧げる者達に聖女の術で祝福を与えるということに自分の存在意義を見出した。戦えなくても、癒すことはできる。
そうして彼女は此処ルミナスで、戦場に立つこともなく、ずっと教会に救いを求める者を助け続けて来たのである。それが力を有しながらも戦うことができない彼女なりの、あのとき助けられなかった人々への贖罪だったのである。
◆◆◆
「そうだったのか……。確かに多くの死を経験した兵士は日常に戻るのが大変だとか話は聞くな」
「ええ、私にはもう今の世界をゲーム感覚で楽しんだりすることはできません。エデンの他の戦力の方々には申し訳なく思っています。でも、もう誰かの死を、血が流れるのを見たくないんです」
VAOがゲームのときには血が流れるなどという演出はなかった。それがリアルになったのである。戦場に出れば当然、味方や敵でさえ血が流れる。たとえそれが魔物であったとしてもだ。
「なるほど……。それはPTSDに近い、いや寧ろその症状だろうね。分かったよ、サティア。無理に帰って来いなんて言わない。君にはそこでやるべきことがあるんだろう。100年も経ってしまったんだ。それぞれがこの世界で自分の生き方を見つけていても不思議じゃないさ」
カシューはサティアの意志を尊重することにしたらしい。それも一つの選択肢だろう。
「私もお前の苦しみは理解できたよ。同じ思いをしていたら、そんな気持ちになることだってあるだろう。今ここにお前の居場所があるのなら、それを大切にしたらいいと思う。だが私はあるPCから言われて思ったんだ。力があるのなら、それを誰かを助けるために使おうって。自分の手が届く範囲ならできる限りその手を伸ばそうってね。今悪魔共がその主の復活を企んで暗躍している。そしてそれに組する人間が精霊を襲ったりとかしてるらしい。黙って見過ごすわけにはいかない。だから私は明日遺跡の悪魔の討伐に向かう。お前は自分の道を行くといい。それじゃ、邪魔したな」
そう言って部屋を出て行くカリナの背を見つめるサティアの瞳には、涙が溢れていた。




