230 姉貴分の温もりと休息
大理石が敷き詰められた特記戦力専用の浴場には、白く立ち上る湯気と、ほんのりと香る和の入浴剤の匂いが充満していた。
広い湯船の中で、カグラの豊かな胸に抱き締められたカリナは、完全に警戒を解き、心地良い微睡みに身を委ねていた。こくり、こくりと、リズミカルに船を漕ぐたびに、赤い髪が湯面に揺れる。
「……ふふっ、本当に疲れてるのね」
カグラは愛おしそうに目を細め、カリナの赤い髪をそっと撫でた。しばらくその穏やかな寝顔を慈しむように見つめていたが、やがて優しく声をかけた。
「そろそろ出ないと、カリナちゃんがのぼせるわね。……よっと」
カグラはお湯から立ち上がると、眠りこけているカリナをひょいっとお姫様抱っこで抱きかかえ、そのままザバァッと湯船から上がり、広い脱衣所へと向かった。
「ん……んん……」
「帰国したばかりで、無理もないわよね」
カグラは脱衣所の隅にあるクッションの効いた長椅子にカリナをそっと寝かせると、ふかふかの大きなバスタオルを手に取り、カリナの濡れた赤い髪や、華奢で白い身体を優しく丁寧に拭き始めた。
「ん……あれ?」
全身を柔らかなタオルで拭かれている感触に、カリナはようやくうっすらと目を覚ました。ぼんやりとした視界に、自分を覗き込むカグラの顔と、バスタオル越しの温かな感触が飛び込んでくる。
「ああ、悪い……。寝てしまったのか」
カリナはむくりと起き上がった。
「カグラがここまで運んでくれたのか。ありがとう。……でも、お前も一応術士のくせに、随分と力があるよな」
いくら今の自分の身体が軽過ぎるとはいえ、普通の女性が軽々とお姫様抱っこできるものではない。カリナが苦笑交じりに言うと、カグラは自慢気にふんすっと鼻を鳴らした。
「まあね! 私は術士でもあるけど、術の種類や戦況によっては、武器や体術を使ってゴリゴリの近接で戦うこともあるからね」
「あー、確かにそうだな」
カリナは納得して深く頷いた。
「しかし、カグラもサティアも、エクリアも……基本は術士や後衛職のくせに、妙に筋力や体術も鍛えてるよな。その辺の隙のなさは、さすが元VAOのトップランカー達の集まりだって感心するよ」
カリナは軽く伸びをして立ち上がった。
「そうね。VAOは、現実のプレイヤーの身体能力や反射神経も、アバターの動きにかなり色濃く影響するシステムだったからね。私達みたいな後衛職が、カリナちゃんみたいな生粋のアスリート系の前衛とやり合うには、そういう基礎的な部分も鍛えておかないと一瞬で距離を詰められちゃうのよ」
カグラはゲーム当時の熾烈なPvPの記憶を思い出しながら楽しそうに笑い、自分の身体や髪の毛をバスタオルで手早く拭き始めた。
「まあ、そうだな。そういう点では、私は元々身体を動かすのが得意だったから、結構のめり込み易かったもんな」
カリナは過去を懐かしむように呟き、自らのアイテムボックスから、ルナフレアから渡された衣装の包みを取り出し、中から淡い水色のショーツを出して穿く。カグラも慣れた手つきで、セクシーな黒のレースのショーツを穿いた。
二人共、今日はもう外に出る予定はないため、窮屈なブラジャーは着けないことにした。脱衣所の棚には、カグラの側付きであるリタが準備しておいてくれた、湯上がりに着るための浴衣が置かれていた。カリナの分は、以前この部屋に宿泊した時にリタが見繕ってくれた、少し小さめサイズの可愛らしい朝顔柄のものだ。
カリナが浴衣に袖を通すと、ショーツ姿のカグラが背後に回り、手際よく帯を結んでくれた。
「ふふっ、相変わらずカリナちゃんは浴衣も似合うわね」
「ありがとう。じゃあ、次はお前の番だな」
今度はカリナが、カグラに艶やかな紫色の浴衣を着せ、後ろに回って帯をキュッと結んでやる。薄手の浴衣生地を通し、二人ともブラジャーを着けていないため、胸の柔らかなふくらみや先端の形がうっすらと透けて見え、なんとも煽情的な姿になっていた。
「ふふ、ありがとうね、カリナちゃん」
カグラは帯の結び目を確認し、嬉しそうに微笑んだ。
「そう言えば、こういう着替えを手伝ったり、お風呂で洗いっこしたりとか……いつの間にか、私達の間ですごく自然にできるようになってるわよね」
カグラの何気ない一言。その言葉に、カリナはハッと我に返り、自分の手を見つめた。
「あ……ああ。そう言えば、そうかもしれないな」
カリナは困惑したように眉を寄せた。
「最初は、みんなにやってもらってばかりじゃ悪いから、お返しだと思って義務感でやってたんだけど……いつの間にか、そうだな。過労で休んでいた頃からかな……自然と、自分からするようになってる気がする……」
中身は異性であるはずの自分が、同性の着替えを何のためらいもなく手伝い、裸で触れ合うことへの抵抗感が完全に消失している。
これは、女性の肉体が精神に与える影響――女性としての自我が大きくなり、精神が侵食されている決定的な証拠であった。カリナ自身は、指摘されるまでそれが無意識にできるようになっていることに全く気付いていなかったのだ。
「……これは、マズイのかな。私の精神が、完全に女性になってきているってことなのか……?」
カリナが不安気に呟くと、カグラは優しく微笑み、カリナの頭をポンポンと撫でた。
「まあ、そう難しく考えないの。今は、立派な女の子の身体なんだから。それに、私達は仲間なんだし、気にすることじゃないわ。あんまり変に意識しすぎると、余計に頭がごっちゃになって苦しくなるわよ」
「そうだな……」
カリナはカグラの温かい手の感触に、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「変に難しく考えるのはやめよう。また精神的に変になるのは嫌だしな。……ありがとう、カグラ」
「どういたしまして」
カグラは魔導ドライヤーを起動し、温風でカリナの赤い髪と、自分の髪を手早く乾かしていった。
「あー、お腹空いたわね! リタはもう夕食、作ってくれたのかしら?」
「風呂に入る前に作り始めてたんなら、まだじゃないか? それより前から仕込んでたんなら、できてるかもだけど」
「まあ、そうね。じゃあ、とりあえず出ましょうか」
カグラはドライヤーを片付けると、カリナの手を引いて脱衣所を出た。
◆◆◆
リビングに戻ると、出汁と醤油の焦げたような、とびきり良い匂いが漂ってきた。
「あら、もう準備できてるかもね!」
カグラが嬉しそうにキッチンへ顔を出すと、エプロン姿のリタがにこやかに振り返った。
「お二人共、上がられましたか。もうすぐできますよ」
「さすが側付きだな。早くから準備してたんだな」
カリナが感心して言うと、リタは手元の火加減を調整しながら答えた。
「はい。料理は早目に作っておいて、カグラ様が食べたいタイミングですぐに一番美味しい状態でお出しできるようにしているんですよ」
「ルナフレアもそんな感じだな。本当に、特記戦力の側付きは優秀だ」
カリナが素直に褒めると、カグラはどこからともなく取り出した扇子をパチンと広げ、口元を隠して誇らしげに笑った。
「そうね。それに、妖精の加護もあるから、私達は戦闘中も彼女達に守られてるからね。いつも感謝してるわ」
「もったいないお言葉です。……もう少しでできますので、テーブルにお掛けになってお待ち下さい」
リタに促され、カリナとカグラはダイニングテーブルの席に着いた。
やがて、リタが腕によりをかけた純和風の夕食が次々と運ばれてきた。
カシューの尽力により開通した魔導列車のお陰で、内陸国であるエデンにも、ヨルシカやルミナスといった海沿いの国から、新鮮な海の幸が毎日届けられるようになっている。
今夜のメインは、『特大伊勢海老の鬼殻焼き』だ。国産ゲームだけあって和製の名称はそのまま通じる。真っ赤に焼き上げられた立派な殻の中に、ぷりぷりとした白身がぎっしりと詰まっている。特製の甘辛いタレが香ばしく焦げ、食欲をそそる香りを放っていた。
その隣には、『ルミナス産・旬の地魚の豪華お造り五点盛り』。角の立ったマグロの赤身、脂の乗った寒ブリ、透き通るような真鯛、コリコリとした食感のアワビ、そして甘みの強いボタンエビが、氷を敷き詰めた器の上で宝石のように輝いている。
サイドメニューには、『旬の野菜と海鮮の天ぷら盛り合わせ』。サクサクの薄衣を纏ったエビやキス、そして瑞々しい茄子や蓮根が、天つゆの香りと共に並ぶ。ご飯は『鯛めし』。土鍋で炊き上げられたご飯には、鯛の旨味と出汁がたっぷりと染み込んでおり、蓋を開けた瞬間に芳醇な香りが広がった。
「美味いな! やっぱり、カグラに出すから和食が多いのか?」
カリナが天ぷらを頬張りながら尋ねると、リタは嬉しそうに頷いた。
「はい。カグラ様は和食が大変お好きですから、私も日々かなり研究しております。それに今は海の幸が、魔導列車の開通の御陰で新鮮なままこの内陸のエデンでも手に入りますからね。お料理の幅が格段に広がりました」
「そうね。御陰で、いつもこうして美味しい海鮮が食べられるのは大満足よ」
カグラも伊勢海老の身を大きく頬張り、至福の表情を浮かべた。三人は、リタの作った絶品の夕食を心ゆくまで堪能した。
◆◆◆
食後の温かいお茶を飲みながら、カグラとカリナはリビングのソファーでくつろいでいた。
「そう言えば、アーシェラへの旅はどうだったの? カリナちゃんが寝てる間にサティアから通信でカリナちゃんの状態だけは聞いてたけどね。グラザと殴り合ってる最中にも少し通信したけど、最初から詳しく聞かせてよ」
カグラが興味津々で身を乗り出し、閉じた扇子でポンポンと自分の膝を叩く。カリナは記憶を辿りながら、ゆっくりと話し始めた。
「そうだな……。タドリアでは大公を討伐して、まずはフィンでのことだけど、あそこを治めてるPCの国王ドルガンと王妃レイラには、レナっていう子供のNPCがいてな。これがまた、凄く懐っこくて可愛いんだ」
「へえー、PCの間の子供はNPCなのね。なんだか不思議な感じだけど、平和そうでいいわね」
「ああ。それから、アーシェラに着いてからは、エリック達『ドラゴンベイン・オーダー』の連中と再会した。あいつらも随分と強くなってたぞ。その主力のメンバーの一人である『シャオリン』っていう魔人族の女性が、相克術士だったな。お前も相克術士であり陰陽術士だから、会えば話が合うんじゃないかと思ってさ」
「あら、ドラゴンベイン・オーダーの相克術士? 確かに、前のアレキサンドでの剣術大会には、そんな子来てなかったわよね。同業者なら、一度会ってみたいわね」
カグラは楽しそうに扇子を広げ、パタパタと扇いだ。
「それから、目的だったグラザの捜索だけど、あいつ、災禍六公の一柱であるネフロスってのを斃したんだけどな……その時の必殺拳が、凄まじい威力だったよ。長い座禅で悟りを開いた感じだった」
「災禍六公を一人で? さすがは脳筋とは言え『拳王』ね。その必殺拳、私も見たかったわー。まあ、その内見れるでしょ。悪魔とバトルすることは、今後も絶対にあるんだし」
「間違いないな」
カリナは深く頷き、お茶を一口飲んだ。
「あとは……ああ、エーヴァ温泉街は良かったぞ。完全に和の雰囲気で、建物も風呂も最高だった」
「エーヴァ温泉街ね、その時、カリナちゃんが寝てる間にサティアから通信があったわよ。和の雰囲気が凄く良かったって。いいなー、私もその内行きたいわね」
カグラが羨ましそうに言うと、カリナは苦笑した。
「ああ、お前なら絶対に気に入ると思うよ」
色々と話し込んでいるうちに、夜もすっかり更けていった。
「ふぁあ……、そろそろ寝ましょうか」
カグラが扇子をパチンと閉じて立ち上がり、カリナの手を引いて、奥にある広々とした寝室のキングサイズのベッドへと向かった。そして、後片付けを終えて湯上がり姿で戻ってきたリタにも声を掛けた。
「リタ、あなたも今日はここで寝なさい。もし夜中にカリナちゃんが不安定になったら、一緒に鎮めてあげましょう」
「はい、わかりました。……でも、カグラ様。『不安定』って、具体的にどういうことですか?」
リタが不思議そうに首を傾げた。側付きとはいえ、四六時中一緒にいるわけではないリタは、カリナの詳しい症状までは把握していなかったのだ。
こういう込み入った精神的な説明は、カグラはこれまでの感じからあまり得意ではない。カリナはカグラに代わって、NPCであるリタにも分かるように、慎重に言葉を選んで説明を始めた。
「私の今のこの身体は、まだ成長途中の、幼い思春期の少女のものなんだ。だからだと思うんだけど……以前、過労で倒れてから、その精神的な不安定さが出てくるようになってね。勝手に涙が出たり、強烈に誰かに甘えたい衝動に抗えなくなったりする時があるんだ。……大体、夜寝る前か、朝起きた時に起こりやすいんだけどな……」
「そうなのですね……」
リタは心配そうにカリナの顔を見つめた。
「確かに、カリナ様はいつも凛としてしっかりしていらっしゃいますけど、お身体はまだ幼い少女ですものね。そのアンバランスさが、精神に負担を掛けているのですね」
リタが深く納得したように頷いた、その時だった。
「そう! だから、私も『母乳』を出して、カリナちゃんを安心させるのよ!」
カグラが突然、浴衣の胸元をはだけさせ、豊満な胸をバーンと張って高らかに宣言した。予想外の単語に、リタは目を丸くした。
「……は?」
「サティアもルナフレアも、カリナちゃんを想うあまり母乳が出たのよ! 私に出せない道理はないわ!」
「え……? サティア様に、ルナフレアさんから、母乳が……? それは、いくらなんでも不思議ですね……」
リタは困惑しきった表情で、カグラの胸とカリナの顔を交互に見比べた。
「カグラはずっとあればっかり言ってるから、あんまり気にしないでくれ。あの二人から出たのも、何かの奇跡か、偶然だと思うし……」
カリナが呆れてフォローを入れるが、カグラは全く引く気配がない。
「いいえ! カリナちゃんを可愛い妹分として深く想っている私に、出せない道理はないわ!」
カグラは扇子をビシッとカリナに向け、力強く言い張った。
「ああ、わかったわかった。出たらいいな。……でも、できれば私は、あの状態にはなりたくないんだ。理性が飛んで、自分が自分じゃなくなる感じがして、すごく怖いからな」
カリナが本音を漏らすと、リタは優しく微笑んだ。
「そうですね。そんな不安な状態になってしまうのは、とても怖いと思います。わかりました。今夜は、カグラ様と私が、カリナ様を両側からしっかりと挟んで寝ますから、どうか安心して下さいね」
「そうね、じゃあ、寝ましょう」
三人はキングサイズのベッドに横になった。カグラがカリナの右側から、リタが左側から、それぞれカリナの小さな身体を優しく抱き締める。
「カリナちゃん、もし不安になったら、遠慮せずにすぐに言うのよ?」
カグラが耳元で優しく囁く。
「ああ、わかったよ。……ありがとう、二人共」
カリナは、二人の大人の女性の温もりと、圧倒的な柔らかさに両側から包み込まれ、深い安心感の中で目を閉じた。
こうして、カリナがエデンに帰国した初日の夜は、温かな愛情に包まれながら、静かに更けて行くのだった。




