228 精霊王の啓示と王の威厳
和やかな空気が流れていたエデン王城の執務室。カシューはPC同士のフランクな会話を続けながらも、デスクの上に置かれた電話型の魔法通信機の受話器を手に取った。グラザの件は格闘術士代行のクリスへ、そして謎の黄金の矢の件は弓術士代行のエリアスへ伝えるためだ。
ダイヤルを回し、特記戦力代行室へと繋ぐ。
『はい、こちら代行室、ジュネです』
通信機から、真面目で落ち着いた女性の声が聞こえてきた。神聖術士代行のジュネだ。
「カシューだ。そこにクリスとエリアスはいるか?」
『これは陛下。はい、お二人共自室におられますが』
「今すぐ私の執務室に来るように伝えてくれ」
『はっ、畏まりました。すぐに向かわせます』
カシューは受話器をカチャリと置いた。
数分後。
コンコン、と控えめだがしっかりとしたノックの音が執務室のドアを叩いた。
「クリスです」
「エリアスです。陛下、お呼びでしょうか」
水色のツインテールが特徴的な小柄な魔人族の格闘術士代行・クリスと、長身で黒髪のエルフの男性である弓術士代行・エリアスの声だ。
その声を聞いた瞬間、室内の空気が一変した。だらけきっていたエクリアは瞬時に居住まいを正し、足組みをやめて背筋を伸ばす。カグラも和服の胸元を整え、凛とした表情に変わる。カリナとサティアも、ソファーに深く座り直し、隙のない「エデンの特記戦力」としての顔になった。
カシューもまた、気さくな好青年から、威厳に満ちた『カシュー王』のロールプレイへと切り替える。
「入れ」
カシューが重々しい声で告げると、扉が開き、二人が入室してきた。二人は一直線にカシューのデスクの前まで進み出ると、揃って片膝をつき、恭しく頭を下げた。
「ただいま参りました、陛下。何か急ぎの御用でしょうか?」
エリアスが代表して尋ねる。
「ああ、まずはクリス。……グラザの件だ」
カシューの声に、クリスの肩がピクリと跳ねた。
「グラザは今、アーシェラからこちらへ帰還中だ。カリナが本当にぶん殴って、奴の目を覚まさせてくれたのだ。……礼を言うといい」
「……っ!!」
クリスは弾かれたように顔を上げ、驚愕と歓喜の入り混じった表情でカシューを見つめ、そしてソファーに座るカリナの方へと向き直った。彼女はそのままカリナの御前へと進み、深く跪いた。
「カリナ様……ありがとうございます! それに、御一緒されたサティア様も! これで、グラザ様は帰還されるのですね……っ!」
クリスの声は震え、その目には大粒の涙が浮かんでいた。
カリナは静かに立ち上がり、クリスの肩に手を掛けて立たせた。
「ああ。あの馬鹿は、色々とくだらないことでうじうじと悩んでいたからな。数時間ほど素手で殴り合いをしたが、もうすっかり目を覚ましてくれた。アーシェラを襲った災禍六公の一柱も討ち取ったくらいだ。……ただ、あの脳筋は『鍛錬がてらに走って帰還する』と言って聞かなくてな。数日でここに戻って来るだろうさ」
カリナが呆れたように、しかし温かい声で伝えると、クリスは堪えきれずに涙をポロポロとこぼした。
「はい……! ありがとうございます、カリナ様……っ。これでまた、グラザ様に……師匠に会えるのですね……っ」
クリスは武闘着の袖で乱暴に涙を拭い、満面の笑顔を見せた。
「本当に良かったですね、クリスさん」
サティアも聖女の微笑みで彼女を労う。
「はい! サティア様にも、師匠が大変な御迷惑をお掛けしました……!」
クリスの件は、これで無事に片付いた。カシューは再び重々しい声を出した。
「クリスの件は以上だ。……次はエリアス。前へ」
「はっ」
エリアスが立ち上がり、カシューのデスクの前へと進み出る。カシューは引き出しから、あの一本の矢を取り出し、エリアスの目の前に差し出した。
「お前は、この矢が何だかわかるか?」
黄金の輝きを放ち、矢尻にエデンの黄金の獅子の国章が刻まれた矢。それを見た瞬間、長身のエルフの目が驚愕に見開かれた。
「はい。これは……間違いなく、我が師エヴリーヌ様の矢です……! ですが、なぜこれがここに……?」
「南の五大国の一つ、マギナ魔法国の北門の岩に、突然現れたそうだ」
カシューの言葉に、エリアスは息を呑んだ。
「さらに、各地の組合からも奇妙な報告が上がっている。ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム壊滅後、『地図に記載されない空間が現れた』『近づくほど遠ざかる地形がある』、そして『矢痕だけが空中に残り続けている場所がある』とな」
カシューは鋭い視線でエリアスを射抜いた。
「精霊のバランスが崩れたことが原因と推測されるが、エヴリーヌが関係している可能性もある。彼女があの組織に関係しているとは到底思えんが、しかし『矢痕が空中に残る』などという現象は、エヴリーヌほどの使い手でなければ関与は難しいだろう」
カシューはゆっくりと立ち上がり、エリアスを見下ろした。
「100年前の五大国襲撃事件。あの時、エデンの防衛戦で、お前はエヴリーヌの補佐として側にいたはずだな?」
「……はい。あの時はまだ未熟でしたので、エヴリーヌ様の補佐をしておりました」
「その後、彼女は姿を消した。……エリアス、お前は何かを知っているのではないか?」
王の威圧感を含んだ問いかけに、エリアスは苦渋の表情を浮かべた。
「……それが、俺……いえ、私にも、よくわからないのです」
エリアスは絞り出すように語り始めた。
「あの時、エヴリーヌ様は最後に、弓技の究極奥義『アルテミス・ジャッジメント』を放たれました。その一射が悪魔の中枢を射抜き、悪魔の大軍を一瞬にして消滅させたのです。……しかし、次の瞬間には、エヴリーヌ様は放たれた光に溶けるようにして、そのまま消滅してしまったのです」
エリアスの声には、未だに拭い去れない混乱と恐怖が滲んでいた。
「私にも、何がどうなっているのか全く理解が及びませんでした。……誰に話しても、信じてもらえないと思い、今まで話せずに降りました」
「ほう……」
カシューの目が、スッと細められた。
「それほどの重大なことを、この私にも報告しなかったのか、エリアス」
静かだが、底冷えするような怒気を含んだ声。カシューの『王としての怒りの演技』が、執務室の空気を凍りつかせた。
「……っ! 申し訳ありませんでした! 未だに自分の中でも理解ができず、報告もできず……」
エリアスは顔面を蒼白にし、その場に深く跪いて頭を床に擦り付けた。
「そうか。……まあ確かに、弓を射ったことで自らが光に溶けて消滅してしまうなど、普通に考えれば理解はできん。お前の混乱する気持ちもわかるが……それでも、特記戦力に関わる重大事だ。報告するべきであったな」
カシューは冷徹な眼差しでエリアスを見下ろし続ける。張り詰めた緊張感の中、カリナがソファーから静かに立ち上がった。彼女もまた、完璧な臣下のロールプレイに入っている。
「まあ、カシュー王よ。残る行方不明者はエヴリーヌ一人となりました。マギナのその場所に行けば、何かがわかるかもしれません。……ここでエリアスを責めても、状況は変わりませんよ」
「ええ」
カグラも優雅に立ち上がり、カリナに同意する。
「最初に探すのがエヴリーヌだったら、確かに情報不足は問題でした。ですが、この今の奇妙な現象は、精霊のバランスが崩れたからこそ現れた証拠でもあります。これから私達がマギナに行けば、彼女の足跡を辿れるかもしれませんわ」
二人の特記戦力の言葉を受け、カシューは「ふむ……」と息を吐き、怒りの演技を解いた。
「そうだな。……エリアスよ。この度はお前のこれまでのエデンへの忠誠と、戦場での功績に免じて許そう」
「はっ……! 寛大なる御心に感謝致します……!」
「だが、まだ黙っていることはないな?」
「はい。私が知っていることは以上です。エヴリーヌ様が今、どこにおられるのか……全く見当もつきません」
エリアスが力なく首を振ると、カリナは彼に歩み寄り、その肩にポンと手を置いた。
「心配するな、エリアス。これまでも、何とかなってきたんだ。必ず見つかるし、私達が見つけて、エデンに呼び戻してみせる。だから、お前は代行として、自分の部隊をしっかり鍛えておけ」
「カリナ様……」
エリアスは涙を流し、カリナを見上げた。
「はい、ありがとうございます……! エヴリーヌ様を、どうかよろしくお願い致します!」
エリアスは深く、深く頭を下げた。
「うむ、わかった。エヴリーヌの捜索はこちらで何とかする。お前達は下がれ。ご苦労だったな」
カシューがいつもの柔和な顔に戻って告げると、クリスとエリアスは「失礼致しました」と一礼し、執務室を退室していった。
◆◆◆
重厚な扉が閉まり、NPCの気配が完全に遠ざかったのを確認すると、室内の空気が一気に弛緩した。
「ふぅ———っ」
極限まで居住まいを正していたエクリアが、大きな溜め息と共にソファーに背もたれ、だらしない姿勢に戻った。
「にししっ、いやー、国王のロールプレイも大変だな、カシュー。しめるとこはしめないとな」
「ふぅ……」
カシューも大きく溜め息を吐き、デスクの椅子に深く沈み込んだ。
「まあね。でも、必要なことだから仕方ないんだよ。僕が規律をしっかりしておかないと、この国の風紀がエクリアになっちゃうからね」
カシューが冗談めかして言うと、カグラが堪えきれずに「あははははっ!」と大爆笑した。
「くくっ……『風紀がエクリアになる』は、うまいこと言うな」
カリナも腹を押さえて笑い声を上げる。
「ふふっ、確かにそうですね。それはエデンの危機です」
サティアも上品に、しかし確かな同意を含んで笑う。
「おいおい、お前ら、毎回毎回俺をオチに使うよな?」
エクリアが文句を言いながらも、楽しそうに笑う。かつてのVRMMO時代と変わらない、和気藹々としたPC同士のやり取り。
――だが、その和やかな空気を引き裂くように、突如として『声』が響き渡った。
『――召喚術士カリナに、その仲間達よ』
「なっ……!?」
カリナは弾かれたように立ち上がった。その声は耳から聞こえたのではない。カリナの脳内に、そして彼女を通じてこの場にいる全員の精神に直接響いてきたのだ。荘厳で、途轍もない力を持った、不可視の存在からの語りかけ。
『――南の大国の、黄金の矢が刺さった大岩の前に来るがいい。弓術士の真実を伝える』
その言葉に、全員の顔色が変わる。
『――その後は、この国で今帰還している仲間も揃った状態で、真実の場所へ案内しよう』
「精霊王……!? どういう意味だ! おい、答えろ!」
カリナが虚空に向かって叫ぶが、その声はもう二度と響くことはなく、ただ静寂だけが残された。
「……今のが、精霊王か。……途轍もない力を感じたね」
カシューが額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、真剣な顔で言った。
「そしてあの言い草だと、まずはマギナに行って、その岩を調べないといけないみたいだね。全員で行くのは無理だけど……『その後はエデンで仲間が揃ってからじゃないとどうにもならない』ってことなんだろう。つまり、グラザが帰還するのを待ってから、真実の場所とやらへ行くことになる。……先にマギナだね」
「ああ。私には精霊王の加護があるから、いつでも精霊王の下には行ける。でも、わざわざ向こうからこうして伝えてくるくらいだ。まずはマギナに行くしかないな」
カリナがカグラとエクリアを見ると、二人も力強く頷いた。
「そうだね。でも、まずは最低でも一週間は休んでからだよ」
カシューはカリナを気遣うように言った。
「カリナの今の身体は、精神的にも肉体的にも疲労が溜まりやすいみたいだからね。適度に騎士団の訓練に参加して体を動かすくらいはいいけど、無理はしないこと。いいね?」
「ああ、しっかり休むのと、適度に訓練するよ。心配掛けて悪いな」
カリナは素直に頷いた。
こうして、世界に起きている異変と、行方不明の特記戦力エヴリーヌの謎を追うため、しばらくの休暇を挟んでから、南の初期五大国の一つ『マギナ魔法国』への出発が正式に決まったのだった。




