227 交錯する世界の異変と乙女達の事情
深い安らぎの中で、カリナは心地良い微睡みに身を委ねていた。
少女のアバター特有の精神的な不安定さも、過酷な旅の疲労も、すべてが温かなシーツの感触の中に溶け出していくようだった。エデンの自室のキングサイズベッドは、やはり彼女にとって最高の癒やしの場所だ。
「……カリナ様、カリナ様、ランチの準備ができましたよ」
耳元で優しく囁く声。ふわりと香る、フローラルな甘い匂い。カリナはゆっくりと目を開けた。視界の先には、銀髪の美しい妖精族の側付き、ルナフレアが慈愛に満ちた微笑みを浮かべて覗き込んでいる。
「……ああ。ありがとう、ルナフレア。思ったより、ずっと深く眠ってたみたいだ」
カリナは大きく伸びをして、ベッドから身を起こした。身体の奥底に溜まっていた重だるい疲労感が、すっかり抜け落ちている。
「長旅でお疲れだったのですよ。さあ、ダイニングへどうぞ」
ルナフレアに促され、カリナはゆったりとした寝間着姿のままキッチンのダイニングテーブルへと向かった。テーブルの上には、ルナフレアが腕によりをかけた豪華で栄養満点のランチが並べられていた。
メインは『魔導列車でルミナスから運ばれた新鮮な真鯛のポワレ、爽やかな柑橘とハーブのソース』。内陸の国であるエデンに居ながらにして、こうして海の幸を堪能できるのは、カシューの進めた物流網整備の賜物だ。皮目はパリッと香ばしく焼かれ、ふっくらとした白身からは食欲をそそる湯気が立ち上っている。
サイドには、鮮やかな緑が目に優しい『朝摘みアスパラガスとベーコンの温サラダ』。そして、火照った身体をクールダウンさせてくれる、滑らかな『冷製ビシソワーズ』。主食には、外はカリッと、中はもっちりとした『焼き立てのクルミパン』が添えられている。
「うわぁ……美味そうだな」
カリナは目を輝かせ、席についた。
「いただきます」
まずは真鯛のポワレにナイフを入れる。サクッという音と共に、真っ白な身がほろりと崩れた。柑橘系のソースをたっぷりと絡めて口に運ぶと、淡白な魚の旨味とソースの爽やかな酸味が絶妙に絡み合い、口の中いっぱいに幸せが広がる。
「んっ……! 美味いな。やっぱりここで、お前の手料理を食べるのが一番落ち着くし、最高に美味いよ」
カリナが心からの感想を漏らすと、ルナフレアは頬をほんのりと染め、両手を胸の前で組んでうっとりとした表情を浮かべた。
「ふふっ……、カリナ様にそう言って頂けるのは、側付き冥利に尽きますね。さあ、たくさん召し上がって下さい」
カリナは冷製ビシソワーズの優しい甘みと、温サラダのシャキシャキとした食感を楽しみながら、ボリュームと栄養を完璧に管理されたランチをしっかりと平らげた。
「ごちそうさま。ふぅ……大満足だ」
食後の紅茶を飲み干し、カリナは一息ついた。
「さて、カシューのところに行くかな」
立ち上がろうとするカリナに、ルナフレアがすかさず提案した。
「それでしたら、今日はもう外出はされないのですから、以前モード・ド・エデン・セレストで買った私服にしましょう。リラックスしつつも、お洒落なものを見繕いますね」
ルナフレアは嬉々として自室の衣装クローゼットを開け、大量に買い漁った私服の中から一着のセットを取り出した。
「さあ、お着替えのお手伝いを致します」
カリナは寝間着を脱ぎ捨て、下着姿になった。少女特有の華奢なラインを残しつつも、女性らしい丸みを帯び始めた肢体。そして、PCの身体は変化しないはずだが、まるでそこそこの大きさへと発育途上にあるような、形の良いバスト。
ルナフレアは、その柔らかい双丘を包み込むように、淡いベージュのブラジャーを着けてやった。背中のホックを留め、脇や下乳の肉をしっかりとカップの中へと寄せ集める。
「ふふ、綺麗な形ですね。……では、お洋服を着ましょう」
ルナフレアが用意したのは、これまでのフリル全開のドレスとは少し趣の異なる、大人っぽいカジュアルなスタイルだった。
インナーには、美しい花の刺繍が繊細に施された、白いレースのロングキャミソール。透け感のある生地が、歩くたびに軽やかに揺れる。
その上には、ショート丈のベージュのジャケットを羽織る。肩を少し落として着崩すことで、こなれた雰囲気を演出している。
そしてボトムスは、足のラインを拾わない、ゆったりとしたシルエットの濃紺のワイドデニムパンツ。足元には、涼しげな白いサンダルを合わせた。
「はい、完成です」
ルナフレアに促され、カリナは姿見の前に立った。鏡に映る自分は、戦場の英雄でもなく、お姫様でもなく、等身大のお洒落を楽しむ現代の少女のようだった。
「……うん。こういうのも悪くないな。パンツだし、裾を気にしなくていいしな」
カリナはワイドパンツの裾を軽く揺らしながら、満足気に頷いた。
「はい、さすがカリナ様です! 可憐なドレスも素敵ですが、こうしたカジュアルで少しボーイッシュな要素を取り入れたスタイルも、カリナ様の凛とした魅力を引き立てて、何をお召しになっても本当にお似合いです!」
ルナフレアは目をキラキラさせながら、いつものように息継ぎも忘れる勢いで褒めちぎる。
「まあそれは褒め過ぎだよ。……じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ、カリナ様」
ルナフレアの優しい見送りを受け、カリナは自室を後にした。
◆◆◆
特記戦力の居住区の広い廊下を歩いていると、前方から見慣れた姿が歩いてくるのが見えた。
「あ、カリナさんも今からでしたか」
声を掛けてきたのはサティアだった。彼女もまた、オフの格好として同じブティックで買ったカジュアルな私服に身を包んでいた。
「ああ。ルナフレアが心配するものだから、それにちょっと仮眠を取ってた。……お、サティアも私服か。似合ってるぞ」
カリナが素直に称賛すると、サティアは嬉しそうに微笑んだ。
今日のサティアの装いは、グレーのオフショルダーのトップスに、真っ白なティアードのロングスカートという出で立ちだった。
デコルテや美しい肩のラインを大胆に露出したトップスの胸元には、一際目を引く大きな黒いリボンがあしらわれており、ふんわりとしたフレアな袖が彼女の持つ大人の可愛らしさを引き立てている。幾重にも重なる白いフリルのスカートが歩くたびに優雅に揺れ、足元には黒い厚底のサンダルを合わせていた。
「ふふ、もう今日は外出する訳じゃないですからね。こういう格好は、法衣より楽なのでいいですね」
サティアはそう言って、くるっとその場で回ってみせた。しかし、いかにカジュアルな私服であろうと、彼女の「暴力的なまでのプロポーション」を隠し切ることはできない。動くたびに、胸元の黒いリボンがその奥にある圧倒的な質量の巨乳によって大きく押し上げられ、たゆんと重々しく揺れる。その破壊力は凄まじいものがあった。
「じゃあ、行こうか」
カリナが言うと、サティアは自然な動作でカリナに手を差し出した。カリナはその手をしっかりと握り返し、二人は並んで執務室へと向かった。
◆◆◆
コンコン、と王の執務室のドアをノックする。
「カリナとサティアだ。帰ったぞ」
カリナが声をかけると、中から気の抜けたカシューの声が返ってきた。
「開いてるよー」
カリナがドアノブを回して扉を開けた、次の瞬間だった。
「カリナちゃんっ! お帰りなさい!!」
ソファーから弾かれたように起き上がって駆け寄って来た、いつものラフな和服姿のカグラが、勢いよくカリナに抱き着いてきた。
「むぐっ……!?」
「心配してたのよー! 大丈夫だった!?」
カグラは、はだけた和服の胸元――その豊満で柔らかな巨乳にカリナの顔を思い切り埋め、これでもかとばかりに強く抱き締めた。
「あ、ああ……大丈夫だ……。苦しいぞ、カグラ……そろそろ離してくれ……っ」
カリナは息ができず、カグラの背中をタップして降参の合図を送った。
「あら、ごめんなさい。愛が暴走してしまったわ」
カグラは悪びれる様子もなく手を緩め、楽しそうに笑う。
執務室の奥、立派なマホガニーのデスクにはカシューが座って書類に目を通していた。
そして、応接用のソファーには、エクリアが珍しくパンツ姿でだらけきって座っている。彼女はローブの前を開け放ち、インナーにはへそ出しの赤いチューブトップという、相変わらず露出度の高い格好だ。引き締まったウエストと、形の良い大きな胸の谷間が惜しげもなく晒されている。
「おう、お帰り。色々と今回も大変だったみたいだな。お疲れちゃん」
エクリアは片手を軽く挙げて、いつもの気だるげな調子で労った。
「まあ、座りなさいよ」
カグラに促され、エクリアの向かいのソファーに三人が並んで座った。カリナを真ん中にして、左右をカグラとサティアが挟むという、もはやお決まりの配置だ。
「まずは、これだ」
カリナはアイテムボックスを開き、テーブルの上に黒く輝く結晶を次々と置いた。ごとり、ごとり、という重い音が響く。
「今回の旅で討伐した悪魔の、闇の魔法結晶だ。アーシェラへの道中で斃した『大公ラグナ』、フィンで斃した裏の子爵である『影霊子爵ヴァル』。それから、グラザが斃した『災禍六公のネフロス』のものだ。魔導列車の動力なり何なり、有効に使ってくれ」
途轍もない魔力を放つ三つの結晶を見て、カシューは目を丸くした。
「はは……今回も派手にやったね。さすがは特記戦力だよ。これはありがたく、有効活用させてもらうよ」
カシューは結晶を丁寧に魔法のケースへと収納した。すると、エクリアが不思議そうに首を傾げた。
「あれ? グラザは一緒じゃなかったのか?」
「あの脳筋は、訓練がてらにエデンまで走って帰るんだとさ。今頃、荒野を爆走してるんじゃないか?」
カリナが呆れたように言うと、カシュー達も「あいつらしいな」と苦笑した。
「はい。でも、これでグラザさんも無事に戻りますし、あとはエヴリーヌさんだけですね」
サティアの言葉に、カシューは真剣な表情になって頷いた。
「ああ、そうだね。……実は、南の初期五大国の一つ、『マギナ魔法国』のシャーロット女王からも返事が届いたんだ。魔導列車の開通には賛成らしい。そして、一緒にこの矢が届いたんだ」
カシューは引き出しから、一本の矢を取り出した。黄金の輝きを放つその矢の矢尻には、見覚えのあるエデンの国章が刻まれている。
「その矢は……! まさか、エヴリーヌが使っていた矢じゃないのか!?」
「うん、間違いないね」
カシューは黄金の矢をテーブルに置いた。
「でも、ここエデンからマギナ魔法国までは、かなりの距離がある。向こうの報告によれば、これはマギナの北門前の岩に『突然現れた』らしいんだ。僕にも、何が何やらさっぱりだよ」
カシューは珍しくお手上げといった様子で頭を抱えた。
「マギナの近くに、エヴリーヌがいるってことなのか?」
エクリアが腕を組んで考察する。
「でも、魔法国であるマギナとエヴリーヌさんの間に、何か繋がりがあるようにも思えませんよね」
サティアが冷静に指摘する。
「そうなんだよね。……それと、各地の組合から、妙な報告が次々と上がってきているんだ」
カシューはデスクの上の報告書を手に取った。
「『地図に記載されない空間が現れた』、『近づくほど遠ざかる地形がある』、『矢痕だけが空中に残り続けている場所がある』……などね。どうやら、ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムが壊滅した後に、世界各地でこういった奇妙な現象が観測され始めているらしい」
「……なるほどな」
カリナは顎に手を当てた。
「悪魔の影響じゃないな。世界の精霊のバランスが崩れているんだ。ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムは壊滅したが、世界に与えた影響は大きいのかもしれない。そして、『矢痕が空中に残る』というのは……エヴリーヌの行方不明の痕跡を辿るための、手掛かりになるかもしれない」
「そうだね。でも、今のところはっきりした手掛かりにはならないのがもどかしいよ」
カシューは深く溜め息を吐いた。
「まあ、とりあえずマギナに行って、その矢が刺さっていた場所を調べる必要があるな」
「そうだね。でもカリナ、しばらくは今回の旅の疲労を癒やしてからだからね」
カシューはカリナを気遣うように言った。
「次はマギナだし、エクリアも一緒に行かせる。それと……君の『少女のアバターの精神状態の不安定さ』を支えるためにも、カグラにも同行してもらうよ。出発は、グラザが帰還してからだね」
「そうだな。急いでも仕方ないしな」
カリナは頷き、そしてふと気付いた。
「……それにしても、私のアバターの不安定さのこと、みんな知っているんだな」
「そりゃあね」
カシューは苦笑しながらカグラを指差した。
「最初はカグラから直接聞いたんだけど、『母乳がどうとか』しか言わないからね。君が旅の間に寝ている間に、サティアに詳しく聞いたんだよ」
「……やっぱりか」
カリナはサティアを見た。サティアは「ふふ」と微笑んでいる。
「その身体は、思春期の少女の最も不安定な時期のものだ。君の人格が大人でも、アバターの現実のホルモンバランスなどが、この今の世界では『現実の肉体の問題』として降りかかっているんだろう」
カシューは真面目な顔で分析した。
「だから、今後は一人旅は禁止だ。カグラかサティアに必ず同伴させる。エクリアは……あんな感じだからね。ケアにはならないだろ?」
「おい、何か棘があるな」
エクリアがソファーから身を乗り出して抗議した。
「にししっ。もしかしたら、俺でも母乳が出るかもしれねーぞ?」
エクリアがニヤニヤと笑いながらチューブトップの胸元を指差すと、カリナは即座に顔をしかめた。
「いや、たとえ出たとしてもお前のは嫌だ。内面は同じ性別だからな。気持ち悪い」
カリナの容赦ない一刀両断に、カグラが腹を抱えて大爆笑した。
「あははははっ! 言われてるわよ、エクリア!」
カグラは笑いながら、隣に座るカリナに抱き着いた。
「ねえカリナちゃん、今日は私の自室に来なさい。私がたーっぷり甘やかしてあげるからね! サティアは自分だけ母乳が出たことに優越感を感じてるみたいだからね、私も出してあげるから!」
「あのなあ……」
カリナはやれやれと首を振った。
「常にそういう状態になるわけじゃないからな。寝起きとか、夜とかに不安定になり易いんだ。平常な状態な時にそんなことをされると、逆に困るんだよ。……さっきも、ルナフレアが無理矢理そういうことをしてきたから困ったんだ。あいつからも、なぜか母乳が出たけどな」
カリナがぼそりとこぼしたその一言に、場が静まり返った。
「……ええっ!? ルナフレアからも出たの!?」
カグラが目を剥いて闘志を燃やし始めた。
「むむむ……っ! これは負けていられないわね! 私だってカリナちゃんへの愛なら負けてないんだから!」
「ルナフレアさんからも……出たのですか……?」
一方のサティアは、ショックを受けたように肩を落とした。
「ああ……、私だけの特権が……」
がっくりと項垂れる聖女の姿に、カリナは「お前ら、張り合うところがおかしいだろ……」とツッコミを入れる気力も失せた。
「まあまあ、二人とも。あんまりカリナに負担を掛けないようにね」
カシューが苦笑交じりに釘を刺した。
「にししっ! 相変わらずカリナの周りはおもしれーな!」
エクリアが手を叩いて笑う。
「さてと。とりあえず、クリスにはグラザの帰還のことを伝えて、エリアスにはエヴリーヌのことを何か知っているか聞いておかないといけないね」
カシューがデスクの上の書類をトントンと揃え、王としての顔に戻った。
深刻な世界の危機と、PC同士ならではの賑やかでフランクなやり取り。エデンの執務室の和やかな時間は、こうしていつものように過ぎて行くのだった。




