223 陽だまりの遊園地
フィンの重厚な城門をくぐり抜け、一行は朝の光に満ちた城下町へと足を踏み出した。
涼やかな風が石畳の上を吹き抜け、カリナの燃えるような赤髪と、毛先の金色のアクセントを軽やかに揺らす。彼女の頭上には、桃色の髪をなびかせた幼い王女レナが、肩車で誇らしげに跨っていた。
「わあーっ! たかーい! すごーい! おねえちゃん、もっとはやくいってー!」
レナはカリナの頭にしがみつき、小さな足をパタパタとさせて大はしゃぎだ。カリナは小柄な体格のため、肩車をしても目線の高さはレイラやサティアとさほど変わらない。しかし、レナにとっては特別な特等席なのだろう。カリナは落とさないように彼女の細い足をしっかりと支えながら、苦笑を浮かべた。
「おい、そんなに暴れると危ないぞ、レナ。……レイラ、フィンの城下街にはどんな施設があるんだ? 行きがけは門番に教わった宿に直行したから、あまり詳しく見て回れなかったんだ」
カリナは、隣を歩く王妃レイラに尋ねた。レイラは動きやすいドレス風の冒険者服を優雅に着こなし、母親らしい柔らかな微笑みを湛えている。
「そうですね。フィンはエデンをお手本に設計されていますから、基本的な区画整理は似ています。東に商業区、西に教育区画、北に工業区、そして南が居住区になっています。今日楽しむなら商業区が一番いいかもしれませんね。小さなテーマパークのような施設もありますよ。エデンの戦車隊が使うような本物の装甲車とはいきませんが、魔法工学で動く小型のゴーカートや、メリーゴーランド、それに小さいですけど観覧車もあります。行ってみますか?」
「へえ、テーマパークですか。エデンにもまだそんな娯楽施設はありませんね。見てみたいです」
サティアが興味深そうに目を輝かせた。彼女は水色と白のギンガムチェック柄のロングドレスを纏い、ウエストの大きなリボンを揺らしながら、清楚な美しさを振りまいている。
「そうだな。ドルガンは案外遊び心がある人なんだな。よし、レナ、そこに行ってみようか」
「うん! いくー!」
一行はレイラの案内で、賑わいを見せる商業区へと向かった。舗装された大通りを歩いていると、街の住人達の視線が一斉にこちらへと注がれる。
「あれは……王妃様にレナ王女様じゃないか! 今日もお綺麗だなあ」「レナ様、相変わらず可愛いわね」「……あら、あのお隣の赤髪の子は誰かしら? もの凄い美少女だわ」「あの黒髪の女性も、清楚でまるでお姫様みたいだぞ……」「おい、知らねえのか? あの方達は先日、この国を救ってくれたエデンの特記戦力だぞ!」「見て、猫が二足歩行してる」「あれは召喚体のケット・シーだ。エデンには凄腕の召喚術士がいるって噂だけど、あの子がそうなのかもしれないな」
老若男女問わず、あちこちから感嘆と噂話の声が聞こえてくる。カリナは、自分に向けられる無数の視線に少しだけ居心地が悪そうに首をすくめた。
「やっぱり、王族が歩くとどこに行っても目立つのは仕方ないことなんだな。お忍びっていうのも大変そうだ」
カリナが呟くと、レイラは困ったように、しかし幸せそうに苦笑した。
「そうですね。小さな国ですし、国民は私達の顔をみんな知っていますから。……でも、カリナさん達もエデンを歩けば同じような騒ぎになるのでしょう?」
「まあな……。私達はエデンの特記戦力だから、どこにいても騒がれるのは仕方ないと思ってるよ」
カリナはそう言いながら、VAO時代には自分もエデンの騎士団長『カーズ』として最前線で盾を構え、多くのプレイヤーから注目と称賛を浴びていた頃を思い出した。姿が変わっても、英雄として衆目に晒される立場は変わらないのだと、奇妙な運命を感じずにはいられない。
「そうですね。どこに行っても注目されますから。カシューさんは特にそれが苦手で、滅多に城下には降りてきませんからね。私達がこうして自由に歩けるのは、まだ恵まれている方かもしれません」
サティアが補足すると、カリナは重々しく頷いた。
「王族はさすがに大変だよな。たとえ小国であっても、一国を統治して政治を行うっていうのは……想像もつかない責任だ」
「ふふ、私達も本当はただのゲーマーだったはずなんですけどね。でも、この世界が現実になった以上、国民の生活を守る義務がありますから。もう『遊び』では済まされないのですよね」
レイラの言葉には、一国の王妃としての覚悟が滲んでいた。かつてのVRMMO時代には考えられなかった重圧。しかし、彼女達はその重みを受け入れ、この地で根を張って生きている。
「凄いな……。私にはとても真似できないよ」
カリナが素直な称賛を送ると、サティアが悪戯っぽく微笑んだ。
「でも、カリナさんは各地で派手に悪魔を討伐していますからね。今や各国でその名は知れ渡っていますよね。いつの間にか『赤髪の戦乙女』なんていう二つ名までついているくらいですから」
「……っ、その二つ名は勘弁して欲しいよ。私はただ、邪魔な悪魔を片っ端から潰してきただけなんだけどなあ」
カリナは赤面しながら顔を背けた。足元では、ケット・シー隊員が「ふふん、隊長は世界中で人気者なのにゃ! おいらも誇らしいのにゃ!」と、これ以上ないほど胸を張って歩いている。
◆◆◆
やがて、レンガ造りの建物の向こうに、ゆっくりと回転する色鮮やかな観覧車が見えてきた。フィンのテーマパークは、商業区の一画を贅沢に使った、どこか懐かしさを感じさせる造りだった。
「あそこです。小さいですけど、現実の世界の遊園地を思い出せる場所ですよ」
一行はテーマパークの受付へと到着した。受付の女性は、目の前に現れた一行を見て、椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。
「い、いらっしゃいま……って、これはレイラ王妃様にレナ王女様! それに、こちらは先日の悪魔討伐で我が国を救ってくださった、エデンの方々ではありませんか! き、今日はお忍びですか!?」
「ごめんなさいね、急に。レナがこちらのカリナさんに懐いて離れなくてね。今日は公務を忘れて、城下で羽を伸ばそうと思って来たのよ」
レイラが優しく語りかけると、女性はレナを肩車しているカリナや、傍らに立つサティアを眩しそうに見つめた。
「エデンの特記戦力の方々が、これほどまでに幼く美しい少女と麗しい聖女様だったなんて……。いやいや、我が国の救世主からお代は頂けません! どうぞ、ご自由にお楽しみください!」
女性が慌てて門を開けようとするが、カリナはそれを制するように首を振った。
「いや、私達は今日、ただの客として来てるんだ。気を遣わなくていい。ちゃんと入場料も払わせてくれ。それがこの場所を維持するためのルールだろ?」
カリナは代金を取り出し、きっちりと支払った。レイラもそれに続く。
「ええ、今日は視察でも公務でもないから、純粋に楽しませて頂くわ」
「は、はい……。ありがとうございます! では、小さい園内ですが、どうぞごゆっくりお過ごしください!」
受付の女性の敬礼に見送られ、一行は中へと入った。園内には楽しげな音楽が流れ、魔法工学によって動く遊具が並んでいる。
カリナはレナをメリーゴーランドの白い木馬に乗せ、隣で支えながら一緒に回った。ゴーカートでは、レナを膝に乗せてハンドルを握り、スピードは控えめながらも風を切る感覚を楽しんだ。レナは終始、「きゃあーっ!」と歓声を上げ、弾けるような笑顔を見せている。
最後に、三人は観覧車へと乗り込んだ。ゴンドラがゆっくりと地上を離れていく。カリナは窓際の席に座り、膝の上にレナを乗せた。
「わあ……たかいね! すごーい! あそこまでみえるよ!」
レナは窓ガラスに顔を押し付け、眼下に広がる街並みに目を丸くしている。
「ほら、レナ。あっちを見てみろ。お城が見えるぞ」
カリナが指差すと、レナは「ほんとだ! おしろがみえる!」とカリナの膝の上で跳ねる勢いではしゃいだ。
サティアはカリナの隣に座り、幸せそうに微笑みながら二人の様子を眺めている。向かい側にはレイラとケット・シー隊員が腰掛けていた。
「カリナさん、ウチの子がずっと甘えっぱなしで……本当にごめんなさいね」
レイラが申し訳なさそうに言うが、カリナはレナの温もりを感じながら、優しく微笑みを返した。
「大丈夫だよ、レイラ。この子の無邪気な笑顔を見ていると、殺伐とした戦場の記憶も忘れられる気がする。それに、この子は紛れもなく、この世界で生まれた大切な『命』なんだ。可愛いと思うのは、当たり前のことだよ」
カリナの言葉を聞いて、レイラの瞳がわずかに潤んだ。
「そうね……。ありがとう、カリナさん」
隊員も窓の外を興味深そうに眺め、尻尾をパタパタと揺らしていた。
ゴンドラが頂上を過ぎ、ゆっくりと降下していく。カリナは窓の外に広がる、これほどまでにリアリティを持った世界を見つめていた。建物の一つ一つ、石畳の凹凸、そしてそこで懸命に生きる人々。
たとえこの世界が女神アリアの言う「虚構」であり、「魂の実験場」であったとしても、今自分の膝の上にいるレナの体温、彼女の心臓の鼓動は、決して偽物なんかじゃない。
――いつかこの世界を抜け出す日が来るとしても。
――私は、この世界に生きる人々を、この命達を救いたい。
カリナの胸に宿った静かな決意。隣のサティアは、その横顔を見ただけで彼女の思考を読み取ったかのように、そっとカリナの手に自分の手を重ねた。
「大丈夫ですよ、カリナさん。私達が諦めなければ、きっといい方法が見つかりますから」
サティアの慈愛に満ちた微笑みに、カリナは力強く頷いた。
「……ああ、そうだな」
ゴンドラが地上に到着し、ドアが開く。待ち構えていた従業員達が、「ありがとうございました、王妃様、王女様!」と一斉に敬礼した。
レイラは「今日はただのお忍びみたいなものだから、気にしないでね」と苦笑し、レナは「おもしろかったー!」と満面の笑みで手を振った。レイラは、現実になってしまったこの立場の窮屈さと、かつてのゲーマー時代の気楽さを懐かしむように小さく息をついた。
一行は従業員達の敬礼に見送られ、テーマパークを後にした。
◆◆◆
太陽はいつの間にか頭上に昇り、正午を告げる鐘の音が街に響き渡った。
「おかあさま、おなかすいたー!」
レナがカリナに抱きついたまま、お腹をさすって訴える。カリナも自分の腹の虫が鳴りそうなのを感じて、ふっと笑った。
「そうだな、もう昼か。楽しい時間はすぐに過ぎるな」
「そうですね。どこかでランチにしませんか?」
サティアの提案に、レイラが名案を思いついたように手を打った。
「では、この近くにセレスティア・テーブルというお洒落なカフェレストランがあるので、そこに行きましょう。この国のPCの料理人が、工夫を凝らしたメニューを出しているんです」
一行は商業区の閑静な一角にある、そのお店へと向かった。外観は白い壁に紺色のオーニングが映える、まるでヨーロッパの街角にあるような瀟洒なテラス付きの建物だ。
カランコロン、とドアベルが鳴り、開け放たれた扉から中に入ると、ハーブの清涼な香りと香ばしいソースの匂いが漂ってきた。店内は高い吹き抜けになっており、大きな窓からは明るい陽光が差し込んでいる。
「いらっしゃいませ! ……って、これは王妃様に王女様!? それに、エデンの英雄の方々まで……!」
お洒落なメイド服姿の給仕の女性が、驚愕の表情で迎え入れた。
「今日は視察とかそういうものじゃないの。レナと彼女達と一緒に城下を楽しんでいるだけだから。席は空いているかしら?」
レイラが落ち着いた声で尋ねると、女性は「は、はい! もちろんです!」と、窓際の最も眺めの良い席へと案内してくれた。レナとケット・シー隊員のために、特別に用意された子供用の高い椅子が手際よくセットされる。
「まずはお飲み物はいかが致しましょうか?」
「私はアイスティーをお願いするわ」
「私もアイスティーをお願いします」
レイラとサティアが注文すると、カリナは椅子の上のレナを見た。
「レナは何がいい? ジュースにするか?」
「うん! オレンジジュース!」
「じゃあ、オレンジジュースを二つ。あ、隊員、お前は?」
「おいらもオレンジジュースにゃ」
「三つ頼むよ」
カリナが注文を終えると、給仕の女性は「畏まりました。では、ご注文が決まりましたらお呼び下さい」と一礼して奥へと下がっていった。
ほどなくして、冷えた飲み物が運ばれてきた。カリナとサティアはメニューを広げたものの、そこに並ぶ魅力的な料理の数々に、思わず考え込んでしまった。
「うーん……どれも美味そうだな。フィッシュステーキもいいし、この特製シチューも捨てがたい」
「そうですね……。迷ってしまいます。カリナさんはいつも初めての店だと悩みますよね」
サティアがくすくすと笑う。
「仕方ないだろ。旅先で行く店は、大抵が初めてなんだから。……サティア、お前は何にするんだ?」
「うふふ、私もいつもカリナさんと一緒にお勧めにしてるじゃないですか。外れがありませんから」
サティアの言葉に、カリナは「そうだな」と頷いた。
「じゃあ、今回もそうするか」
「はい、そうしましょう」
二人のやり取りを見て、レイラが微笑みながら助け舟を出した。
「そうですね。では、私がよく頼むお勧めを人数分お願いしましょうか。ここのシェフは内陸の豊かな食材を活かすのが本当に上手なんです」
隊員も「おいらは魚と肉があればいいにゃ」と身を乗り出す。レイラは給仕の女性を呼び、手慣れた様子で注文を告げた。
「本日のスペシャリテ、『森の恵みのカツレツ・ベリーソース添え』と、『清流ヤマメの香草クリームパスタ』をお願いします。あと、山菜と高原チーズのサラダも」
「畏まりました! 少々お待ちください!」
注文が通り、和やかな雰囲気がテーブルを包む。フィンの穏やかな陽光を浴びながら、英雄達の長閑なランチタイムが、今まさに始まろうとしていた。




