214 星空の下の誓い
アーシェラ王城、玉座の間。
天井高く吊るされたシャンデリアが煌々と輝き、円卓に並べられた山海の珍味からは芳醇な香りが立ち上っている。グラスが触れ合う音、兵士達の豪快な笑い声、そして勝利を祝う歓声が、広間全体を熱気で満たしていた。
エリックは上機嫌で紹興酒の杯を干し、メンバーであるテレジアやディード達と笑い合っていた。その背中に、カリナがそっと近づく。
「おい、エリック。ちょっと来てくれ」
カリナは周囲に聞こえないよう、声を潜めて言った。エリックは振り返り、カリナの真剣な眼差しに気づくと、ふざけた態度を引っ込めた。
「……何だ、カリナ。どうした?」
「ああ、ちょっと大事な話がある。……場所を変えよう」
カリナは顎でテラスの方をしゃくった。既に事情を察しているサティアとグラザも、静かに席を立つ。
四人は喧騒を離れ、玉座の間に隣接する広い石造りのテラスへと出た。夜風が心地良く吹き抜け、火照った頬を撫でる。頭上には満天の星空が広がり、眼下には祝宴の明かりで彩られたアーシェラの城下町が一望できた。ここにはテーブルがあるだけで、衛兵もいない完全な密室空間だ。
テラスに置かれたガーデンテーブルを囲み、四人は席に着いた。カリナは深く息を吐き、夜空を見上げてから口を開いた。
「……今から話すことは、以前アレキサンドの剣術大会の前に、女神アリアから直接聞いたことだ」
カリナの瞳が、星の光を反射して鋭く光る。
「そしてこれは、私が信頼できるPCにしか話してはいけないことになっている。もし他言すれば、魂を制約で縛られることになる」
「制約……?」
エリックが眉をひそめる。
「ああ。女神アリアは星の目で、この世界全てを見渡せる。私達がその約束に反したら、即座に感知され、魂ごと縛られると思ってくれ」
カリナの声には、冗談めかした響きは一切なかった。
「はい。神の言葉に約束は重いということです」
サティアが補足するように静かに言った。その表情もまた、厳粛なものだ。グラザは腕を組み、短く頷いた。
「わかった。お前達がそこまで信頼して話してくれるような内容だ。誰にも喋らないと誓おう」
「あの女神か……。わかった、俺も信頼を裏切るような真似はしねえ。大丈夫だ、約束するぜ」
エリックも真剣な表情で頷いた。
二人の承諾を得て、カリナは声を落とし、語り始めた。この世界の根幹に関わる、衝撃的な真実を。
この世界はある高位の存在によって創られた虚構の世界であり、それを創った天界の神に敵対する存在がいるということ。女神アリアは天界の命を受けてその存在を追っており、その敵対者が時間を加速させ、五大国の力を削ぎ、長い時を生きたPCがどのような行動をするのかを試している『魂の実験場』であるということ。
来た時間が異なるのは加速させている時間の途中に取り込まれたこと。魂の強い者だけを取り込んだため、プレイ人口が多いのにこの世界にはPCが少ないこと、それは現実世界に強い魂の存在が少ないからだという理由。
そして、カリナ自身も一度その制約で縛られた経験があり、その後解除してもらったこと。この世界から抜け出すためには、世界の楔となっている悪魔を駆逐しなければならないこと。その敵対者は人間では決して敵わない存在であり、アリアが「そいつは必ず私が討つ」と言っていたこと。だからこそ、自分達人間にできることは、楔である悪魔の討伐だということだ。
淡々と、しかし重みを持って語られる真実に、初めてその話を聞いたグラザとエリックは言葉を失った。しばらくの間、夜風の音だけがテラスに響いた。
「……マジかよ」
沈黙を破ったのはエリックだった。彼は額に手を当て、天を仰いだ。
「この世界が実験場で、俺達はずっと試されてたってのか……? スケールがデカすぎて目眩がしそうだぜ」
「……タドリアの古代神殿で、悪魔大公が悪魔の繁殖力は弱いと言っていた」
カリナは手元のグラスを見つめながら続けた。
「今回の戦いで多くの悪魔を討伐できた。厄介な公爵級も残りわずかだ。それ以下の雑魚がどれだけいるかはまだ何とも言えないがな」
彼女は自嘲気味に笑った。
「そして……この世界から出た時、現実がどうなっているのかは『出てからのお楽しみ』だとさ。神様は気まぐれだな。それに、過剰に人間に肩入れすることは、天界の掟でできないらしい」
「そうですね……」
サティアが寂しげに微笑んだ。
「それほどの力があれば全て解決してくれてもいいような気がしますけど、神様も色々としがらみがあるようです」
「ああ。あの剣術大会での、災禍六公の一柱を瞬殺できるほどの異常な能力があるのにな。不便なことだ」
カリナは肩をすくめた。その言葉に、エリックが反応した。
「あの悪魔を瞬殺した力……あれは確かに、まさに神の御業だったな。……そいつが言うのだから、嘘じゃないだろう」
エリックは拳を握り締め、強引に納得するように言った。
「まあ、やることははっきりしたぜ! 悪魔を見つけ次第、片っ端から潰していけばいいんだ! 話は簡単だぜ!」
「ああ、そうだな」
グラザも重々しく頷いた。
「悪魔はどの道、討伐しなければいけない。やることは単純だが……」
彼の言葉の端には、隠しきれない懸念が含まれていた。
「ああ。奴らの中には、この世の理すら書き換えるほどの能力を持っている者もいる」
カリナはネフロスとの戦いを思い出しながら言った。
「今回の災禍六公の能力も、剣術大会のときの奴もそうだ。普通に戦って勝てる相手じゃない。気を引き締めないと、やられるのはこっちだ」
「ええ……。それに、魔大陸にはいつか乗り込むことになるかもしれませんが、そこにもまだ得体の知れない悪魔が存在する可能性もあります」
サティアが表情を引き締めた。
「そして今の悪魔の軍を統括する『深淵公ネグラトゥス・ヴォイドロード』。悪魔が復活を目論んでいる『主』とやらに次ぐ、序列第二位の存在がいますからね」
「深淵公に、悪魔の主か……」
グラザが低い声で唸る。
「そいつが復活する前に、潰さなくてはいけないな」
「そうだな、だが各地で暗躍する悪魔共はまだいるかもしれないが、精霊の力を奪って、その復活の力に使っていた『ヴォイド・リチュアル・サンクトゥム』は壊滅したはずだ」
エリックが自信ありげに言った。
「奴らの主の復活とやらは、そう簡単にはいかないはずだぜ」
「ああ、その通りだ」
カリナは同意した。だが、彼女の表情は晴れない。瞳の奥に、拭い去れない不安が揺らめいている。
「だが……気になるのは……」
カリナは言葉を詰まらせ、夜景に視線を移した。そこには、平和を取り戻し、笑い合う人々の姿があるはずだ。
「この世界が虚構だとして、私達がこの世界を抜け出すとき……アリアがその存在を討ったとき……この世界はどうなるのかは、わからないんだ」
「……!」
この話を初めて聞くエリックとグラザが息を呑む気配がした。
「元NPC達が消えてしまうのか。ただのデータになってゲームに戻るのか。……それとも、何もかも無に帰すのか。それはわからないんだ……」
カリナの脳裏に浮かぶのは、共に戦った『シルバーウイング』のセリスやエリア達。『ルミナスアークナイツ』のカーセル達や各国の王族達。そして何より、無償の愛を注いでくれるルナフレアや、笑い合うエデンの民達。今日出会ったサキラ女王や、シリュウ王子の笑顔。
彼らは生きている。笑い、泣き、怒り、そして明日を信じている。それが全て「虚構」として消え去ってしまうとしたら?
「……そうか。それは確かに、不安になるな」
エリックの声が沈んだ。
「俺もテレジアやディード、シャオリン、ドラゴンベイン・オーダーのメンバーは大事に育てて来たからな。……あいつらの存在が消えてしまうのは、やりきれなくなるぜ」
彼はグラスを強く握り締めた。ギルドメンバーへの愛情は、誰よりも深い。
「ああ、それと同じことをシルバーウイング団長のPC、セリスも言っていたよ」
カリナは静かに言った。
「それだけが不安だ。……だが、いつまでもこの虚構の世界にいるわけにはいかない。いつかは現実世界に戻らなければならない。そのために戦っているのに……どうしようもなく不安になることがある」
彼女の声がわずかに震えた。気丈に振る舞っていても、その胸の内には巨大な葛藤が渦巻いている。
「はい。ですが……」
サティアがそっとカリナに寄り添い、その肩を抱き寄せた。
「私達なら、きっと良い方法が見つかると思っています」
彼女はカリナの赤髪を優しく撫でながら、力強い瞳で全員を見渡した。
「神様がどう言おうと、私達はこの世界で絆を育んできました。その絆は本物です。……運命なんて、変えてみせましょう」
「……そうだな」
グラザが顔を上げ、ニヤリと笑った。
「未来は俺達の手で掴まなければ意味がないな。誰かが決めた結末なんて、俺の拳で砕いてやるさ」
「へっ、違いねえ!」
エリックも豪快に笑い飛ばした。
「きっと見つかるはずだ! 希望は捨てたらいけねえ! 俺も魔大陸に乗り込むときは一緒に行くぜ! 最後まで付き合ってやるよ!」
エリックが右手を差し出した。その上に、グラザが大きく分厚い掌を重ねる。サティアが白く柔らかな手を重ねる。カリナは三人の顔を見渡し、心の霧が晴れていくのを感じた。一人ではない。共に背負い、共に戦う仲間がいる。
「……ああ、そうだな」
カリナは強く頷き、一番上に自分の手を重ねた。
「私達の力で未来を勝ち取ってやろう。この世界に生きる人々も、一人残らず救ってみせよう!」
四人の手が固く握られ、星空の下で新たな誓いが結ばれた。
「話は以上だ」
カリナは手を離し、憑き物が落ちたような笑顔を見せた。
「まあ、今すぐどうにかできることじゃない。……今は、祝宴を楽しもうか」
「そうだな! 今は今日の勝利を祝おうぜ!」
エリックが立ち上がり、背伸びをした。
「ああ、先のことを気にし過ぎても仕方ないしな。今は今を楽しむべきだ」
グラザも晴れやかな表情で立ち上がる。
「はい、この瞬間も大切な時間ですからね」
サティアも微笑み、カリナの手を取った。
「じゃあ、会場に戻ろう」
◆◆◆
四人が玉座の間に戻ると、祝宴は最高潮の盛り上がりを見せていた。音楽隊の演奏に合わせて人々が踊り、笑い声が絶えない。
カリナが席に戻ろうとすると、小さな影が駆け寄ってきた。
「カリナおねえちゃん!」
シリュウ王子だ。彼は満面の笑みでカリナの足に抱きついた。
「おお、シリュウ。どうした、ご飯は食べたか?」
「うん! 食べたよ! ねえねえ、たかいたかいして!」
シリュウは甘えるように両手を伸ばした。
「ははっ、高い高いか。よし、任せろ」
カリナはシリュウをひょいと持ち上げると、そのまま肩車をした。小柄なカリナが肩車をしても普通の大人程度の高さにしかならないのだが。
「わあ! たかーい! すっごーい!」
シリュウはカリナの頭の上で大はしゃぎだ。その光景を見て、サキラ女王が優しげな眼差しを向ける。
「ふふ、シリュウは本当にカリナが気に入ったようじゃな。重くないか、カリナ?」
サキラが心配そうに聞くが、カリナは笑って首を振った。
「これくらい何でもありません。王子様を乗せているのですから、光栄ですよ」
カリナは臣下のロールプレイで丁寧に答えた。シリュウの小さな足を手で支えながら、会場を練り歩く。エリックやサティア達も、その微笑ましい光景を温かい目で見守る。この子の笑顔も、この国の平和も、全て守り抜かなければならない。先程の誓いが、より強く胸に刻まれる。
その時。
ヒュルルルル……
城の外から、甲高い音が響いた。
ドンッ!! パラパラパラ……
「おおっ!?」「花火だ!」
窓の外が一瞬明るくなり、色とりどりの光が差し込んだ。
サキラ女王が立ち上がり、声を張り上げた。
「皆の者! テラスに出よ! 魔法花火が上がるぞ! ここからが一番よく見える!」
女王の言葉に、参加者達は歓声を上げてテラスへと移動した。カリナもシリュウを肩車したまま、仲間達と共に夜風の中へ出る。
ドォォォォンッ!!!
夜空に巨大な華が咲いた。赤、青、緑、金。魔法によって生み出された花火は、通常のものよりも鮮やかで、幻想的な光の粒子を撒き散らしながらゆっくりと消えていく。
「きれい……!」
シリュウが呟き、カリナの頭に頬を寄せる。
「ああ、綺麗だな……」
カリナは夜空を見上げ、その輝きを目に焼き付けた。隣にはサティアが寄り添い、反対側にはエリックとグラザが並んでいる。少し離れたところでは、テレジア達やケット・シー隊員がはしゃいでいる。
光が弾けるたびに、人々の歓声が上がる。それは平和の音であり勝利の音だ。
「この平和を……守らないといけないな」
カリナは誰に言うともなく呟いた。その言葉は、決して悲観的なものではなく、確固たる意志に満ちていた。
「はい。私達なら、きっとできます」
サティアがカリナの手をそっと握る。その温もりが、不安を溶かしていく。
「ああ。この拳は、平和を守るためにある」
グラザが拳を握り締め、力強く頷いた。
「俺達もついてるぜ、カリナ。……神様がどうとか関係ねえ。俺達がこの世界をハッピーエンドにしてやるんだよ!」
エリックがニカっと笑い、夜空を指差した。
ドォォォォォンッ!!!
最後の一際大きな花火が打ち上がり、アーシェラの夜空を黄金色に染め上げた。その光の下で、英雄達の笑顔が輝く。
こうして、アーシェラを襲った災禍六公の脅威は消え去った。人々は平和を謳歌し、宴は最高潮に盛り上がり、賑やかな一日は幕を閉じた。だが、彼らの戦いは終わらない。この夜の誓いを胸に、英雄達はまだ見ぬ明日へと進んでいくのだった。




