210 終末預言と無我の拳
話数の数の表示ミスってました。
その内修正します。
抜けがある訳ではないので気にしないで下さい。
アーシェラの東門前、戦場の中心。カリナ達が周囲の魔界兵団と悪魔共を殲滅し、光と轟音に包まれる中、ただ一箇所、異様な静寂に包まれた空間があった。
そこには、二人の男が対峙していた。一人は、黄金の闘気を全身から立ち上らせ、精霊王の加護により七色の輝きを纏った拳王グラザ。もう一人は、豪奢な輿から降り立ち、古き黙示録を手にした災禍六公、『沈黙と終末預言』ネフロス・オルディナ。
精霊王の加護により、ネフロスの強大な魔力は半減している。だが、彼の口元には不敵な笑みが張り付いていた。
「……その結末は、既に定まっている」
ネフロスは静かに、しかし絶対的な響きを持って呟いた。
「お前の配下は全て消えた。次はお前の番だ」
グラザが鋭く言い放つ。その拳は固く握りしめられ、大気が震えるほどの圧力を放っている。
「ククク……これが精霊王の加護か。力が削がれる感覚……不快だが、いいハンデだ」
ネフロスは目隠しの奥から、値踏みするような視線を向けた。
「さあ、始めようか。お前の『敗北の歴史』を記す作業を」
戦いの火蓋が切って落とされた。
グラザの背後では、黄金の聖衣を纏ったカリナと、駆け付けたサティア、そしてエリック達が見守っている。
「手を出すなよ。これは俺の戦いだ」
グラザは背中越しに語る。
「ああ、お前の力を見せてやれ」
カリナは腕を組み、信頼を込めて頷いた。
「ですが、危険なときは有無を言わさず介入しますからね!」
サティアはメイデンロッドを握り締め、いつでも支援できるよう構えている。
「拳王の本気が見られるんだ。お前ら、しっかり見とけよ!」
エリックがテレジア達に声をかけると、彼女達も真剣な表情で頷いた。
ダンッ!!
グラザが大地を蹴った。音速を超え、一瞬でネフロスの懐へと飛び込む。
「轟拳!」
右拳に全力を込め、ネフロスの顔面へと叩き込む――はずだった。
ピタリ。ネフロスは動かない。避ける素振りすら見せない。ただ、手にした黙示録のページが、風もないのにパラパラとめくれただけだ。
ガギィンッ!
グラザの拳が、見えない壁に阻まれたかのように空中で止まった。いや、止まったのではない。まるで最初から『当たらなかった』かのように、拳の軌道が不自然に逸れ、何もない空間を殴り抜けたのだ。
「なっ……!?」
グラザが目を見開く。その隙に、ネフロスが指先を動かした。
「……『ラスト・プロフェシー』。第一節、愚かなる獣は、自らの勢いで吹き飛ぶ」
ドォォォォォンッ!!
グラザの胸に、不可視の衝撃が直撃した。彼はボールのように後方へと吹き飛ばされ、地面を何度もバウンドして転がった。
「ぐはっ……!」
グラザはすぐに受け身を取り、立ち上がる。だが、胸には鋭い痛みが走っていた。攻撃を受けた覚えはないのに、ダメージだけが刻まれている。
「何が起きた……? 俺の拳は、確かに奴を捉えていたはずだ」
カリナが眉をひそめる。
「……未来は、既に記された」
ネフロスは黙示録を開いて見せた。そこのページには、既に文字が刻まれている。『グラザの攻撃は空を切り、不可視の衝撃を受けて吹き飛ぶ』と。
「これが私の固有災禍能力、『アポカリプス・レコード』。この書に記された未来は、確定した運命となる」
ネフロスは淡々と語る。
「攻撃が当たる未来が書かれれば当たり、致命傷を受ける未来が書かれれば、必ずそこを斬られる。お前がどう動こうと、結果は変わらない」
「未来を……書くだと!?」
エリックが驚愕する。
「そんなデタラメな能力があるかよ!」
「あるさ。災禍六公とは、理そのものを捻じ曲げる存在だ」
カリナが低い声で言った。
「グラザ……! 相手のペースに乗るな!」
「分かってる!」
グラザは再び構えた。闘志は衰えていない。
「なら、書かれる前に叩き潰すまでだ!!」
グラザは神速拳で姿を消し、四方八方から高速の連撃を浴びせた。
「烈風掌! 迅雷掌! 鬼砕拳!!」
風、雷、そして破壊の拳。回避不能のラッシュがネフロスを襲う。だが……。
「……無駄だ」
ネフロスは一歩も動かず、ただ黙示録を見つめていた。ページがめくれる音が、戦場の轟音の中でも鮮明に響く。
『全ての拳は届かず、挑戦者は自らの無力さを知る』
その一文が刻まれた瞬間。グラザの拳は全て、ネフロスの黒衣を掠めることさえできずに空を切った。足がもつれ、バランスを崩し、あるいは謎の突風に阻まれる。まるで世界そのものが、グラザの攻撃を拒絶しているかのようだ。
「くそっ……! なんで当たらねぇんだ!!」
グラザが焦りを滲ませる。
「サイレンス・ドゥーム」
ネフロスが指を鳴らすと、周囲の空気が重く淀んだ。グラザの動きが鈍る。身体に鉛を詰め込まれたような重圧。
「この領域では、叫び、闘志、気合、魔力詠唱が封じられる。意志が弱まるほど、黙示録の未来はより強固に固定される」
ネフロスの声が、直接脳内に響く。
「沈黙の鎖」
ジャララララッ!
黒い言霊の鎖が虚空から現れ、グラザの手足を拘束した。物理的な鎖ではない。闘志と集中力を吸い取る、呪いの鎖だ。
「ぐぅぅ……っ!」
グラザはその場に膝をついた。
「グラザさん!」
サティアが叫ぶ。
「させません! オーロラ・セイント・シャイン!」
サティアが杖を掲げると、虹色の光がグラザを包み込んだ。仲間の弱体化を全解除し、士気を高める聖女の祝福。黒い鎖が光に溶かされ、消滅していく。
「……チッ、小賢しい真似を」
ネフロスが初めて不快そうに眉を寄せた。
「サティア……すまん、助かった!」
グラザは鎖から解放され、再び立ち上がった。だが、状況は変わらない。どんな攻撃を繰り出しても、先に『失敗する未来』を書かれてしまう。これは、完全な「詰み」だ。
「……あがくほど、書は完成する」
ネフロスは冷酷に告げた。
「ドゥーム・クロック」
黙示録のページが、一枚、また一枚と、ひとりでにめくられていく。最後のページが開いた瞬間、『書かれた敗北』が現実になるという宣告だ。
「終わりだ、拳王。お前の死に場所は、このページに記されている」
ネフロスが最後のページを開こうとした、その時。
フッ……!
グラザの身体から、荒々しい闘気が消えた。彼は拳を下ろし、脱力したように立ち尽くした。
「……?」
ネフロスの手が止まる。諦めたのか? 絶望したのか? いや、違う。
「……なら、俺が『未来を作らなきゃ』……負けるってことか」
グラザは静かに目を閉じた。闘志も、恐怖も、勝ちたいという欲すらも消し去る。思考を止め、自我を薄め、ただ『在る』だけの存在へと回帰していく。
100年の隠遁生活。来る日も来る日も滝に打たれ、座禅を組み、己の内面と向き合い続けた日々。その果てに辿り着いた、究極の精神領域。
『無我の境地』。
「……何をする気だ?」
ネフロスが怪訝そうに黙示録にペンを走らせようとする。だが……。
「……書けない……?」
ペンの先が止まる。未来が見えない。定まらない。グラザの行動には意志も選択も伴っていないため、『予言する対象』として認識できないのだ。
ゆらりとグラザが動いた。予備動作のない、幽霊のような動きだ。
「来るか……! ならば、強制的に書き込むまで!」
ネフロスは焦り、適当な死因を書き殴ろうとした。しかし、その時にはもう、グラザは目の前にいた。
ドンッ!!!
グラザの拳が、ネフロスの腹部に深々と突き刺さった。
「がはっ……!?」
ネフロスは目を見開いた。防げなかった。読めなかった。これは攻撃ではない。ただの『現象』だ。風が吹くように、川が流れるように、グラザの拳がそこにあっただけだ。
グラザは目を開いた。その瞳は澄み渡り、一切の感情を映していない。
「無心・天破拳」
ドゴォォォォォォォォォッ!!
拳から放たれた衝撃波が、ネフロスの体内を駆け巡り、背中から突き抜けた。予言されていない一撃。書かれていない終焉。
パリィインッ……!
ネフロスの手から黙示録が滑り落ち、空中で粉々に砕け散った。運命支配の崩壊だ。
「……沈黙せよ、預言……」
グラザが静かに呟く。
「ば、馬鹿な……、未来を持たぬ拳だと……!?」
ネフロスはよろめき、膝をついた。その身体が、端から崩れ去っていく。彼はグラザを見上げ、震える声で問うた。
「お前は……運命に抗ったのではない……運命の外へ出たというのか……?!」
グラザは答えなかった。ただ、静かに拳を収めた。
「……見事だ……」
ネフロスの身体が完全に崩壊し、後には漆黒の闇の魔力結晶だけが残された。勝負はついた。
「ふぅ……」
グラザは大きく息を吐き、その場にどさりと座り込んだ。『無我の境地』が解け、一気に疲労が押し寄せてきたのだ。全身傷だらけで、体力は空っぽだった。
「グラザさん!」
サティアが駆け寄る。
「セイントリー・ミラクル・アマリア!」
彼女がグラザの肩に触れると、温かな光が溢れ出した。触れた者の傷と苦痛を瞬時に消し、疲労すら洗い流す奇跡の治癒術。グラザの顔色が、みるみるうちに戻っていく。
「……ありがとな、サティア」
グラザは苦笑しながら礼を言った。そして、地面に落ちていた闇の魔力結晶を拾い上げ、歩み寄ってきたカリナに放り投げた。
「ほらよ、お前の戦利品だ」
カリナはパシリとそれを受け取り、ニヤリと笑った。
「さすがだな。お前こそが『拳王』だ」
「……その呼び名はやめてくれって言っただろうが」
グラザは照れくさそうに頭をかいた。
「これで……俺もまた、お前達の仲間になれたかな」
「何を言っている」
カリナは呆れたように肩を竦めた。
「お前はずっと仲間だ。100年前から、何も変わっちゃいない」
「……そうか」
グラザは安堵の表情を浮かべ、満面の笑みを見せた。
その時、東門の方から爆発的な歓声が上がった。
「うおおおおおっ!! 勝ったぞぉぉぉっ!!」「アーシェラは守られた!! 英雄万歳!!」「ドラゴンベイン・オーダーも最高だぁっ!!」
兵士達が武器を掲げ、互いに抱き合って喜びを爆発させている。長きに渡る防衛戦の勝利。そして、伝説の英雄達の帰還を祝う声だ。
カリナはふと自分を見下ろした。黄金の聖衣が、午後の陽光を受けて輝いている。
「……さて、そろそろ戻すか」
彼女が念じると、聖衣が光の粒子となって解け、元の双魚の姿に戻った。
「お見事でした、主カリナよ」
アルバフィカがヒレを揺らして賞賛する。
「無粋な悪魔に、主が負ける訳がなかろう」
アフロディーも満足気に同意する。
「ありがとう、お前達。助かったよ」
カリナが礼を言うと、双魚は光となって天へと昇り、消えていった。
続いて、ワルキューレ七姉妹、セイレーン、ウィスプ、フェンリルも次々と現れた。
「主様、またいつでもお喚び下さい!」「楽しかったよー!」「お疲れ様でした!」「我が力は主様のために」
彼らもそれぞれ一言告げ、光の中に消えていった。静けさが戻った戦場に、心地良い風が吹き抜ける。
「さて……戻ろうか」
カリナが伸びをしながら言うと、エリックが魔剣を背負い直して豪快に笑った。
「おう! とりあえずウチのギルド本部で風呂と飯だな! 今日は朝から働き詰めだったからな!」
「賛成です! 汗を流したいですね」
テレジアも笑顔で同意する。
「祝勝会もやりましょう!」
シャオリンがはしゃぐ。
「ああ、王城に戻ってくるように言われてたが、まあ後でいいか……」
カリナはぽつりと言う。
こうして、アーシェラを襲った災禍六公からの侵攻は、英雄達の活躍によって完全に阻止されたのだった。新たに拳王グラザが復帰し、カリナ達の旅はさらに続いていく。




