208 双魚の薔薇葬列
アーシェラの東門前。絶望に覆われていた戦場は、今や光と轟音、そして圧倒的な力の奔流に支配されていた。
カリナ達の到着と、召喚された騎士団、ワルキューレ、精霊達の猛攻により、先陣を切っていた魔界兵団は瞬く間に壊滅状態へと追い込まれていた。
『精霊王の加護』による虹色の加護。悪魔の力を半減させ、こちらの攻撃全てに「存在特攻」を乗せるこの力は、戦力差を覆すどころか、一方的な蹂躙劇を生み出していた。
さらにサティアが展開した、カノン・オブ・ザ・ディヴァイン・ブライドにより、戦場全域の魔力場は神聖な光に包まれ、悪魔達にとって呼吸すら苦しい浄化の領域と化している。
「はっ、雑魚共がいくら湧こうが無駄なんだよ!」
エリックが魔剣バルムンクを一振りし、十数体の『影霊騎士』をまとめて薙ぎ払いながら吠えた。その剣閃は普段よりも鋭く、重い。
「はい! カリナさんの加護に聖女様の術、私達の力も普段より数倍に強化されています!」
テレジアが氷の刃で敵を凍結させながら答える。身体の奥底から魔力が尽きることなく湧き上がってくる感覚だ。
「ええ……。ですが、後ろに控えていた悪魔共が来ます! 気を抜かないで下さい!」
ディードが連接剣で敵を粉砕しながら警告を発した。
先陣の兵団が霧散したその向こうから、どす黒い瘴気を纏った第二波が押し寄せて来たのだ。それは、ただの兵士ではない。男爵、子爵、伯爵といった、明確な階級と自我を持つ悪魔の軍勢だった。
「グガガガッ! 人間風情が、調子に乗るなよ!」
「我が爪の錆にしてくれる!」
数百という悪魔が、殺意を膨れ上がらせて迫りくる。
「……このままだとキリがないな」
カリナは冷静に戦況を見据え、小さく息を吐いた。そして、決意を込めて右手を天に翳した。
「開け、黄道十二宮の扉よ! 双魚宮から顕現せよ、黄金のピスケスよ!!」
カリナの声に応え、天空に巨大な黄金の魔法陣が展開される。眩い光の中から、二匹の巨大な鎧に覆われた魚が泳ぎ出た。一体は、黄金の鱗に銀色のヒレを持つ『アルバフィカ』。もう一体は、白銀の鱗に黄金のヒレを持つ『アフロディー』。尾を光のヴェールで繋がれた双魚は、優雅に空を舞い、カリナの周囲を旋回する。
「召喚に応じました、我が主カリナよ」
アルバフィカが厳かな声を響かせる。
「ふふ、悪魔の軍勢とは美しくないものだな」
アフロディーが不敵に笑い、優雅にヒレを揺らめかせた。
「お前達の力を借りるぞ。来い!」
カリナが命じると、双魚は強烈な輝きを放ちながら交差した。光の粒子となった双魚は、黄金の鎧へと姿を変え、カリナの身体に装着されていく。
ガシャンッ! ジャキィィィンッ!
光が収まった時、そこに立っていたのは、神話の女神のごとき姿をしたカリナだった。これこそが、召喚体と真に心を通わせた者のみが纏える最強の鎧――『聖衣』である。
その姿は、戦うための鎧でありながら、舞踏会にも出られそうなほどの美と格式を兼ね備えていた。
頭部には魚の背びれや尾びれを模した、鋭角的かつ優雅なデザインのサークレットが輝き、額の中央には深海のような青い宝石が神秘的な光を湛えている。
肩には幾重にも重なったヒレ、あるいは花弁のような形状をした大型のショルダーアーマーが、肩から二の腕にかけてアーチを描くように覆っていた。それは硬質な金属でありながら、ドレスのパフスリーブのような柔らかなボリューム感と華やかさを演出している。
胸部から腹部にかけては、カリナの肢体に沿うようにフィットした黄金のプレートが守っており、その表面には唐草模様のような繊細なレリーフが刻まれ、芸術品のような美しさを放っていた。
そして腰回りを守る装甲は、フロントとサイドに分かれたスカート状のデザインとなっていた。黄金の金属板であるにもかかわらず、まるで上質なシルクのように柔らかなラインを描いており、これが『聖衣』としての印象を決定づけている。
太ももから爪先までは、流線型の装飾が施された黄金のレッグアーマーが完全に覆い、足首部分にはヒレのような突起状の装飾が付いており、水中を駆けるような軽やかさを感じさせる。
背中からは、巨大な魚のヒレを模したような、あるいは天使の翼のようにも見える黄金のパーツがマントのように広がり、カリナの存在感を神々しいまでに高めていた。
まさに優雅にして至高、ピスケスの聖衣である。
「な、何だあの圧倒的な力は……!?」「召喚体を身に纏っただと? あんなものが存在するのか……!」
東門前で呆然と見上げていたアーシェラの兵士達が、驚愕に目を見開く。
「あれこそが、召喚体と真に心を通わせた召喚術士が身に纏う最強の鎧……『聖衣』です」
後方で結界を維持していたサティアが、誇らしげに微笑んで言った。
戦場は新たな局面を迎える。エリックの目の前には、身の丈3メートルはある巨体の悪魔侯爵が立ちはだかった。全身が岩のような筋肉と外骨格で覆われ、丸太のような大剣を構えている。
「我は『剛腕の侯爵』ガルドロス・ギガント! 貴様のその剣、へし折ってくれるわ!」
一方、テレジアとディードの前には、人間の二倍ほどの背丈があり、四本の腕に曲刀を持った悪魔伯爵が現れた。
「ヒャハハ! エルフの女か、切り刻み甲斐がありそうだ! 俺様は『千刃の伯爵』ゾルフ・ヴァイパーだ!」
強敵の出現に、サティアが動く。
「シャオリンさん、あの二人の援護に向かって下さい! 戦場の均衡は私が維持します!」
サティアの声に、シャオリンは即座に頷いた。
「わかりました!」
シャオリンは疾風の如く駆け出し、テレジアとディードの元へ合流した。
カリナは、黄金の聖衣を輝かせながら、無数に押し寄せる悪魔の群れを見下ろした。その両手の指の間に、精霊力で形成された深紅の薔薇が無数に出現する。
「さあ受けろ、薔薇の葬列を……。『ロイヤル・スウィート・ローズ』!」
カリナが腕を振るうと、数千本の紅き薔薇が吹雪のように舞い散り、敵陣へと降り注いだ。物理的な攻撃ではない。薔薇から放たれる甘美な芳香が、戦場を支配する。
「な、なんだこの匂いは……」「力が……抜ける……」
その香気を吸った悪魔達は、恍惚とした表情を浮かべ、次々とその場に崩れ落ちていく。五感を奪われ、陶酔の中で死に至る凶気の薔薇。男爵、子爵レベルの悪魔は、その一撃で生命活動を停止し、黒い炎となって燃え尽きていく。
伯爵以上の悪魔達も、膝をつき、苦悶の声を上げた。死には至らないものの、五感が麻痺し、力の大半を削がれている。
「ぐぅっ……! 目が霞む……! 力が入らねぇ……!」
エリックと対峙していたガルドロスも、テレジア達の前のゾルフも、動きが鈍る。
「さすがに伯爵以上となるとしぶといな」
カリナは冷ややかに言い放つと、今度は漆黒の闇を凝縮したような黒薔薇を形成した。
「ならば、触れる者全てを粉砕する黒薔薇を食らえ! 『ディストラクション・ローズ』!」
シュババアアアッ!
放たれた黒薔薇は、鋭利な刃の嵐となって敵陣を蹂躙した。黒い花弁に触れた瞬間、侯爵レベルの悪魔の鋼鉄の皮膚が紙切れのように裂け、肉体が食いちぎられ、粉砕されていく。
「ギャアアアアッ!!!」
断末魔と共に、数十体の上位悪魔が黒い炎となって消滅した。
その隙を逃すエリック達ではない。
「けっ、悪魔風情が調子に乗るんじゃねーぜ!」
エリックは弱体化したガルドロス・ギガントに対し、一気に間合いを詰めた。ガルドロスが大剣を振り下ろすが、五感を狂わされたその攻撃は大きく空を切る。
「遅せぇんだよ! これで終わりだ!」
エリックは高く跳躍した。
「フォールン・ジャッジメント!!!」
落下速度と全体重、そして魔剣バルムンクの破壊力を乗せた、審判の一撃だ。
ズドォォォォンッ!!!
脳天から股下まで一刀両断にされたガルドロスは、断末魔を上げる暇もなく両断され、衝撃波によって肉体が霧散した。
一方、テレジア、ディード、シャオリンの連携も冴え渡る。ゾルフ・ヴァイパーは四本の腕を振り回すが、三人の連携の前には無力だった。
「グレイシャーディバイダー!」
テレジアが氷の巨剣でゾルフの退路を断つ。
「スネア・カーネージ!」
ディードの連接剣が、ゾルフの四本の腕を絡め取り、動きを封じる。
「今です! 相克術・沸衝!!!」
シャオリンが懐に飛び込み、ゼロ距離から熱と冷却の爆発的な衝撃波を叩き込んだ。
ドガアアアッ!!!
内側から破裂したゾルフは、原形を留めずに吹き飛んだ。
戦場の大勢は決したかに見えた。だが、カリナの前には、ネフロスへの道を阻む最後の砦が立ちはだかった。漆黒のマントを羽織り、霧のように実体のない身体を持つ悪魔公爵。
「ネフロス様の下へは行かせん……! この公爵ヴェリガン・ナイトミストが相手だ!」
ヴェリガンは無数の闇の刃を放ち、カリナを襲う。しかし、カリナは動じない。
「邪魔だ」
黄金の聖衣が輝き、周囲に展開された『ディストラクション・ローズ』が自動的に刃を迎撃し、粉砕していく。
「な、何!? 私の闇が……!」
ヴェリガンは驚愕するが、既に『ロイヤル・スウィート・ローズ』の香気が彼の身体にも浸透し始めていた。霧の身体が薄れ、実体を維持できなくなっていく。
「面倒だ、一気に片をつけてやろう」
カリナは静かに告げ、左手の人差し指と中指の間に一本の純白の薔薇を形成した。それは、他のどの薔薇とも違う、冷たく、そして絶対的な死の気配を纏っていた。
「そんな白薔薇一本で、この私に何ができると言うのだ!!」
ヴェリガンが激高し、全魔力を込めた闇の波濤を放とうとする。
「さあ受けろ、最強の白薔薇を……。『ファイナル・ローズ』!!!」
バシュンッ!
カリナが指を弾くと、白薔薇は音もなく虚空を走り、ヴェリガンの闇を突き破って、その胸の深奥――核となる心臓へと吸い込まれるように突き刺さった。
ドシュッ!
「……な、なんだ? この程度で……」
ヴェリガンは胸に刺さった白薔薇を見下ろし、嘲笑しようとした。だが、次の瞬間、彼の顔色が絶望に変わった。
白かった花弁が、じわりと黒く染まり始めたのだ。ヴェリガンの体力が、魔力が、そして生命そのものが、凄まじい勢いで薔薇に吸い取られていく。
「『ファイナル・ローズ』……。放たれたが最後、それは敵の心臓目掛けて飛んで行く」
カリナは冷徹に見下ろした。
「そして、その白い花弁が敵の血を吸い尽くし、染まりきった時……敵は必ず死に至る」
「ぐ、ぐわあああああっ!! や、やめろぉぉぉっ!!」
ヴェリガンが絶叫する。見る見るうちに彼の身体は干からび、白薔薇はドス黒く変色していく。最後の一滴まで吸い尽くした瞬間。
パァンッ……!!!
黒く染まった薔薇が散ると同時に、暗霧公爵ヴェリガンは灰のように崩れ去り、黒い炎となって完全に消滅した。
圧倒的な静寂が、一瞬だけ戦場を支配した。カリナは黄金の聖衣を翻し、視線を前方へと向けた。敵陣の最奥。そこには、拳王グラザと、災禍六公ネフロス・オルディナが、互いに凄まじい闘気を放ちながら睨み合っていた。
「後は任せたぞ、グラザ」
カリナが呟く。エリックも、テレジア達も、そして兵士達も、手を止めてその光景を見つめた。ここから先は、彼らの領域だ。拳王と災禍六公。頂上決戦の行方を、全員が固唾を飲んで見守っていた。




