196 祝宴の夜、重なる想いと儚き夢
フィン王城、玉座の間。
煌びやかなシャンデリアの下、祝宴は最高潮の盛り上がりを見せていた。楽団が奏でる軽快な音楽、グラスが触れ合う軽やかな音、そして人々の笑い声。悪魔の脅威が去り、平和が戻った安堵感が、会場全体を包み込んでいた。
その喧騒から少し離れたゆったりとしたソファー席。そこには、真紅のツインテールの美少女が、幼い王女を膝に乗せて座っていた。
「はい、あーん」
カリナはフォークに刺した一口サイズの肉料理を、レナの口元へと運んだ。
「あーん!」
レナが大きく口を開け、パクりと頬張る。モグモグと噛み締めると、満面の笑みが弾けた。
「おいしー!」
「そうか、美味しいか。よかったな」
カリナは目尻を下げ、レナの頭を優しく撫でた。その様子を、隣に座ったサティアが微笑ましそうに見つめながら、新しい料理を取り分けた皿を差し出した。
「カリナさんもどうぞ。これ、すごく美味しいですよ」
「ああ、ありがとうサティア」
カリナもまた、豪華な料理に舌鼓を打つ。そして、カリナの反対側のソファーでは、ケット・シー隊員もちょこんと座り、器用にフォークを使って山盛りの魚料理と格闘していた。
「隊長はどこに行っても人気なのにゃ。誇らしいのにゃ」
隊員は口の周りをソースで汚しながら、誇らしげに胸を張った。そこへ、王妃レイラがグラス片手に近づいてきた。
「カリナさん、ごめんなさいね。レナがべったりで、大変でしょう?」
申し訳なさそうな、しかしどこか嬉しそうなレイラの言葉に、カリナは首を横に振った。
「構わないよ。こんなに可愛いんだ。そんな子に懐かれたら、世話をしてあげたくなるよ」
心からの言葉だった。膝の上の温もりと、信頼しきって体重を預けてくる小さな身体。それが愛おしくてたまらない。
「ふふ、カリナさんはいつも可愛がられている立場ですからね。こうして自分から可愛がるのは、新鮮なことなのでしょう」
サティアがくすりと笑う。
「む……。まあ、確かにそうかもな」
カリナは少し照れくさそうに鼻をかいた。
「そうですか。でも、レナがこんなに懐くなんてね。珍しいこともあるのね」
レイラは不思議そうに呟いた。普段は人見知りする娘が、初対面の相手にここまで心を許すとは。やはり、カリナには何か特別な魅力があるのだろうか。
「美味しいか、レナ?」
カリナが再び尋ねると、レナは大きく頷いた。
「うん! おいしい!」
「でも、いつも王女なんだから、ご馳走が食べられるんじゃないか?」
カリナの問いかけに、レナは少し考えてから答えた。
「うん、いつもちゃんとたべてるけど……いまはカリナおねえちゃんと一緒だから、もっとおいしい!」
純真無垢な笑顔。カリナの胸が、きゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
「そうか……。いつもちゃんと食べてるのか、偉いな」
カリナはレナの頭を撫でた。さらさらとしたピンク色の髪の感触。レナは「えへへ」とくすぐったそうに身をよじる。
これが、みんなが私に抱いているような感情なのだろうか。守りたい、愛でたいという……母性本能というやつなのかもしれない。中身は男であるはずの自分が、母性を感じる。以前なら戸惑っていたかもしれないが、今はその感情を自然に受け入れている自分がいた。
「カリナさん」
サティアが耳元で囁いた。
「みなさんがカリナさんを可愛がる気持ちが、わかったんじゃないですか?」
見透かしたような言葉に、カリナはドキリとした。
「それが母性本能ですよ。私達があなたに対して感じているような感情です」
「……そうか、これが母性本能か。私にもそんな感覚があったんだな」
カリナは自分の掌を見つめた。
「きっと、その女性のアバターの影響もあるかもしれないですね」
サティアは優しく微笑んだ。肉体が精神に影響を与える。今の状態でのこの世界では、それは避けられない真理なのかもしれない。
「そう言えば……」
レイラがふと思い出したように言った。
「エデンとのPvPのときには、カリナさんはいなかったですね。あの聖騎士カーズの妹さんなら、一緒に参加しててもおかしくなかったのに」
その言葉に、カリナの背中に冷や汗が流れた。正体バレの危機だ。自分がカーズ本人であることは、エデンのPC達とルナフレアしか知らないトップシークレット。もしここでバレれば、同じ風呂に入り、愛娘を抱いている自分の内面がカーズだと知られ、レイラに不快な思いをさせてしまうかもしれない。
どう答えるべきか迷っていると、サティアが助け船を出した。
「カリナさんは、各地を巡って召喚体を集めていたので、エデンでのPvPには参加していないんですよ」
サティアはさらりと嘘をつき、悪戯っぽくウインクしてみせた。
「それに……実の兄と一緒にプレーするのは、さすがに恥ずかしいでしょうからね」
「あ、ああ、そうだな! さすがに兄妹で一緒にプレーは恥ずかしいよ!」
カリナは慌てて話を合わせた。
「まあ、それもそうよね。同じゲームをしていても、兄と同じところでプレーするのは抵抗があるわよね」
レイラは納得したように頷いた。カリナとサティアは、密かに安堵の溜め息をついた。
「おお、しっかり食べているか?」
そこへ、国王ドルガンがやって来た。グラスを片手に、上機嫌な様子だ。
「現実世界だからな。食べれるときに、ちゃんと食べておけよ」
「はっ! 陛下、楽しませてもらっています!」
カリナとサティアは咄嗟に立ち上がり、臣下のロールプレイで答えた。だが、ドルガンは手を振ってそれを制した。
「気にしないでいい。この盛り上がりでは、誰も俺達の会話など聞いてないからな。ロールプレイはしなくていいぞ」
気さくな言葉に、カリナは少しだけ肩の力を抜いた。
「そうですか。じゃあ、普通に喋りますよ」
「そうさせてもらいますね、ドルガンさん」
サティアも微笑んで座り直した。ドルガンは、カリナの膝の上でご機嫌にしているレナを見て、目を細めた。
「カリナよ、ウチの娘がすまんな。お前達が功労者なのに、子守をさせてしまって」
「レナがカリナさんから離れないのよ。こんなにも懐くなんてねえ」
レイラもやれやれといった風に溜め息を吐くが、その表情は幸せそうだ。
「いえ、この世界で生まれた大切な命です。全然迷惑などではないですよ。……可愛いものです」
カリナはレナの頬を突っつきながら微笑んだ。
「そうか。……カリナのような姉がいてくれれば助かるのだがなあ」
ドルガンが冗談めかして言うと、レイラが窘めた。
「ドルガン、それはカリナさんに迷惑がかかるわ。……でも、明日お別れになると、きっとこの子は悲しむでしょうね」
レイラは心配そうにレナの頭を撫でた。
「そうですね……。ルミナス聖光国のセラフィナ姫もお別れの際は大泣きでしたからね。レナちゃんが寂しくて泣いてしまうのは、少し悲しいですね」
サティアもしんみりとした表情になる。
「まあ、アーシェラでの用事が済めば、帰りにもフィンに寄るさ。私もレナと離れるのは何だか寂しい気がするからね」
カリナが言うと、サティアは嬉しそうに目を細めた。
「あら、カリナさんにも可愛い妹分ができてしまいましたね」
「カリナおねーちゃん……あした、もうかえっちゃうの?」
会話を聞いていたレナが、不安そうに見上げてきた。
「ああ。明日からまた、西の武大国アーシェラに向かうからな」
カリナはレナの目線に合わせて語りかけた。
「魔導列車の開通のために、アーシェラのサキラ女王に会わないといけないし、私達の仲間のグラザがアーシェラにいるんだ。あいつを迎えに行かないといけないからね」
「やだ! いっちゃやだー!」
レナはカリナの胸に顔を押し付け、ぎゅっと抱き着いた。
「レナ、カリナさんは大事な旅があるの。迷惑をかけてはダメよ」
レイラが優しく言い聞かせる。
「きっと帰りには立ち寄ってくれるし、魔導列車が開通したら、いつでもエデンに行けるわ」
「うぅ……ぐすっ……」
レナは泣きそうな顔でカリナを見つめた。
「ほんと? かえりに、くる?」
「ああ、約束する。帰りにも寄るようにするから、少しのお別れだ」
カリナは小指を差し出した。
「ゆびきりげんまん、な?」
「うん! やくそく!」
レナは小さな小指を絡ませ、ようやく笑顔を見せた。
「はは、良い子だな」
カリナは再び頭を撫でてやった。
「魔導列車か……。カシューの計画に、エデンの魔法工学の技術はさすがだな」
ドルガンは感心したように言った。
「魔導ドライヤーなども、エデンからもたらされた物だからな。あいつは凄いよ」
「そうね。この世界に鉄道を敷いて、既にエデンからは魔導列車が走っているのよね」
レイラも同意する。
「カシューさんは、現実世界の科学とこの世界の魔法を融合させた技術を創り出したのですから、凄いと思います」
サティアは尊敬の眼差しで語った。
「彼のアイデアで、この世界が豊かになるのは素晴らしいことですね」
「それに、あいつは騎士としてもトップランカーだったからな。鍛錬は欠かしていないとも言っていた」
ドルガンは懐かしむように目を細めた。
「あの『聖剣エクスカリバー』と『レーヴァテイン』の二刀流は、相当強かったからな」
「そうですね。騎士クラスのくせに盾を持たないとか、意味がわからないプレイスタイルですから」
カリナは苦笑した。
「でも、あいつが負けるのは想像がつかないです。今でも高位の悪魔相手であっても負けないでしょうね」
「そうですね。カシューさんとカーズさんのコンビは、PvPではほぼ無敵な強さでしたし」
サティアが補足すると、ドルガンは深く頷いた。
「懐かしいな……。もうこの世界で、国同士でそんなことができる状態じゃないからな」
彼はグラスの中の液体を見つめ、寂しげに呟いた。
「ゲームを純粋に楽しんでいた時期があったとは信じられないほどの時間が、流れてしまったからな……」
100年。それはあまりにも長い歳月だ。かつての栄光も、興奮も、遠い記憶の彼方にある。
「……私達がこの世界から抜け出ることができたのなら、またゲームに戻ってしまうのだろうか」
カリナはレナの背中を撫でながら、ポツリと漏らした。
「でも……この世界で出会った人達が、データに戻ってしまうのは……嫌だな」
温かい体温、心臓の鼓動、笑顔。それらが全て「0と1のデータ」に過ぎないのだとしたら。元の世界に戻るということは、この世界の「死」を意味するのだろうか。
「そうですね……」
サティアもまた、複雑な表情を浮かべた。彼女はカリナの不安を察し、その髪を優しく撫でた。
「でも、きっと良い方法が見つかりますよ。私達が諦めなければ」
「そうね。いつかは出ないといけないのだろうけど……その時、この子がどうなるのかは心配ね」
レイラはレナを見つめ、母の顔で言った。PCの子供はNPC扱い。システムの一部として処理されるのか、それとも……。
「そうだな……。この夢は、いつか覚めるのだろうか」
ドルガンの言葉が、重く響いた。
ドォォォォォンッ!!! パラパラパラ……
その時、城下から大きな音が響き渡った。窓の外が色鮮やかに照らされる。
「おお、花火だ!」
ドルガンが声を上げた。
「テラスに行こう。花火がよく見えるぞ」
皆でぞろぞろと、玉座の間の窓際のテラスへと移動した。夜風が心地良い。見下ろせば、城下町は祭り提灯の明かりで埋め尽くされ、人々の歓声や笑い声が風に乗って聞こえてくる。そして夜空には、大輪の魔法花火が次々と咲き乱れていた。
赤、青、緑、金。光の粒子が降り注ぐ中、カリナはレナを抱き直した。
「きれいー!」
レナが花火を指差して喜ぶ。
「ああ、綺麗だな」
カリナは夜空を見上げ、そして隣に立つサティアと顔を見合わせた。花火の光に照らされたサティアの横顔は、切ないほどに美しかった。
この平和を守る。
カリナの心に、迷いはなかった。悪魔を駆逐し、いつかこの世界から抜け出す。その未来がどのような形であれ、今ここにある絆と温もりは、決して嘘ではないのだから。
フィン王国の平和な祝宴と夜は、美しく、そして静かに更けていくのであった。




