191 漆黒の悪夢を焼き尽くす不死鳥の翼
フィン王国の南門前。そこは神話の再現のような戦場と化していた。
圧倒的な殲滅力で配下の魔界兵団を葬り去られ、影霊子爵ヴァル・ノクタリスは怒りに身を震わせていた。白磁の肌に血管が浮き上がり、真紅の瞳が憎悪で燃え盛る。
「おのれ……おのれぇぇぇッ!! 人間風情が、この影霊子爵をここまで愚弄するかッ!!」
ギリリ、と歯ぎしりをする音が響く。プライドの高い悪魔貴族にとって、二度目の敗北などあってはならない屈辱だ。
カリナは『女神刀』の切っ先をヴァルに向け、静かに告げた。
「無駄な足掻きはやめろ。……そろそろ、お前の最期の時が近づいて来たようだな」
その声には、勝利を確信した者の余裕と、敵への憐れみすら含まれていた。 だが、ヴァルは歪んだ笑みを浮かべた。
「ククク……! やるではないか。だが、その程度で我が復讐の炎は消せはせんぞ!!」
ヴァルが両手を広げると、足元から巨大な黒い紋章がゆっくりと回転しながら浮かび上がった。周囲の影が、まるで息を吸うかのように一点に収束していく。
「シャドウ・レクイエム!!」
ゴォォン……!
低音の鐘のような響きと共に、闇が爆ぜた。光を持たない漆黒の衝撃波が、全方位へと広がる。触れたものの影を引き裂き、物理的な破壊をもたらす広範囲攻撃だ。地面が抉れ、空気が悲鳴を上げる。
しかし、カリナは一歩も退かなかった。
「無駄だ」
衝撃波がカリナに到達した瞬間、真紅のバトルドレスの周囲に展開された魔力のヴェールが輝きを増した。闇の波はヴェールに弾かれ、霧散していく。
「なっ……!?」
驚愕するヴァルに対し、カリナは瞬時に間合いを詰めた。
「迅風返し!」
高速の踏み込みから繰り出されるカウンター気味の斬撃。ヴァルは咄嗟に手の甲をなぞり、影の剣を形成した。
「ノクターン・スラッシュ!!」
黒曜石のように鈍く光る刃が、残像を残しながらカリナに迫る。衝突した瞬間、斬られた場所の影が先に切断され、遅れて肉体にダメージが走る――はずだった。だが、その刃もまた、カリナのヴェールを貫くことはできない。
「遅いッ!」
カリナの剣が、ヴァルの影の剣を弾き飛ばし、その肩口を深々と切り裂いた。黒い血が噴き出す。
「ぐあぁっ!」
ヴァルは後退り、屈辱に顔を歪めた。物理攻撃も、魔法攻撃も通じない。この小娘は、以前とは次元が違う。
「ならば、これならどうだ!」
ヴァルは杖も持たずに指先で空間をなぞった。空中に黒い月輪が描かれ、それが砕けるように散ると、半径数十メートルの地表が一瞬で夜の闇に包まれた。
「エクリプス・ドミニオン! 貴様の魔力を封じ、影の餌食にしてくれるわ!!」
かつてルミナス聖光国でカリナを苦しめた、影の結界。範囲内の影が生き物のように蠢き、カリナの足に絡みつこうとする。
だが、その時。
「それは既に、前回見切っています!」
凛としたサティアの声が戦場に響いた。彼女は『メイデンロッド』を高々と掲げ、聖なる祈りを捧げていた。
「ホーリー・セイント・ハルモニア!」
悪魔の魔力場を無効化しながら浄化する聖女の術。清らかなハーモニーが響き渡ると、支配的だった闇の領域に亀裂が走り、ガラス細工のように砕け散った。
「ば、バカなッ!? 我が結界を一瞬で……!?」
ヴァルが狼狽する隙に、カリナが追撃をかける。
「聖煌一閃ッ!」
純白の光を帯びた刃が、ヴァルの展開していた影の防壁ごと切り裂く。
「おのれぇぇぇッ!! アビス・ハンド!!」
ヴァルが片手を握り込むと、カリナの足元の影が巨大化し、黒い海となった。そこから巨人の腕のような“影の手”が伸び上がり、カリナを握り潰そうとする。
「邪魔だッ!」
カリナは女神刀に聖属性の魔力を込めた。
「光輪天断!」
円弧を描いた斬撃が光輪となり、巨大な影の手を根元から切断した。崩れ落ちる影の塊。
「くっ、くそぉぉぉッ!!」
ヴァルは追い詰められた。自らのプライドをかなぐり捨て、禁断の手段に出る。彼は自らの胸に手を差し込み、どす黒い『影血』を掬い上げた。
「ダスク・サクリファイス!!」
その血が地に落ちると、黒い火花となって散り、闇の魔力が爆発的に増幅した。ヴァルの身体から黒い焔が噴き上がり、周囲の空間さえ歪めるほどの圧力が生まれる。
「死ねぇぇぇッ!!」
放たれた極大の闇の魔弾。カリナは左手の『聖剣ティルヴィング』を素早く鞘に納めると、右手の『女神刀』の柄を両手で強く握り締め、正眼に構えた。
「魔法剣技・魔封剣」
相手の魔力を剣身で受け止め、吸収し、そのまま相手に返すカウンター技のカリナの魔法剣技。闇の魔弾はカリナの剣に吸い込まれるように収束し、次の瞬間、倍以上の威力となってヴァルへと跳ね返された。
ズドォォォォォォンッ!!!
「ぐぎゃぁぁぁぁっ!!」
自らの魔力に焼かれ、ヴァルは無様に吹き飛ばされた。地面を転がり、黒焦げになった身体を起こす。
「ハァ……ハァ……!」
満身創痍。もはや勝負はついていた。
「これで終わりか。……ならば勝負あったな。今、楽にしてやる」
カリナが魔法剣を構え、最後の一撃を放とうと踏み込む。だが、ヴァルはゆらりと立ち上がり、不敵に笑った。
「ククク……フハハハハッ!! 終わりだと? 誰が決めた!?」
彼の背後の空に、ひび割れた黒い月が現れる。そこから、漆黒の炎が雨のように降り注ぎ始めた。炎は燃えるというより『存在を蝕む』ように溶かし、地面に落ちるだけで石を影の灰に変えていく。
「見よ! これぞ我が最強の奥義! グラジオール・インフェルナ!!!」
ヴァルは黒月の下で腕を広げ、処刑宣告をするように叫んだ。影界の獄炎を呼び出し、この一帯すべてを焼き尽くすつもりだ。
「カリナさん! あれは危険です! この辺り一帯が獄炎に飲み込まれるほどの一撃です!」
サティアが叫び、グレイスフル・カヴナントを展開して騎士団を守る防御壁を張る。
カリナは降り注ぐ黒い炎を見上げ、ふっと笑った。
「獄炎か。……ならば、お前に本当の炎を見せてやろう」
カリナは剣を納め、両手を広げて祝詞を紡ぎ始めた。
「灰に帰り、灰より甦りし
不滅の焔よ――
天を翔け、死を焼き、
魂を照らす者よ。
いま契約に応え、
この身に宿れ。
我が名に、我が心に、
我が炎に応えよ――
出でよ、炎の不死鳥フェニックス!」
ゴウッ!!!
カリナの足元に、巨大な炎の魔法陣が展開された。その中心から、全身が燃え盛る炎に包まれた伝説の霊鳥、不死鳥フェニックスが顕現する。
「召喚に応じました、我が主カリナよ」
荘厳な声が響く。
「久しぶりだなフェニックス。だが再会を喜んでいる暇はない。目の前の悪魔を消し炭にするために、お前の力を借りるぞ」
「承知したぞ、我が主よ」
フェニックスが大きく翼を広げると、その姿が炎の粒子となって分解され、カリナの身体へと収束していく。
カッッ!!
眩い閃光と共に、カリナの姿が変わる。炎の羽毛で出来たかのような真紅の全身鎧が装着された。水平に伸びた優美なショルダーアーマー。神秘的な輝きを放つブレストプレートと、スカートのように展開されたウエストガード。頭部には不死鳥の意匠を模したサークレットが輝き、腕には燃え盛るガントレット、脚には太ももまでを覆うレッグガードが装着された。そして背中には、炎のオーラで出来た巨大な不死鳥の翼が揺らめいている。
体から溢れ出す圧倒的な炎の精霊力。これこそが、召喚体の力を身に纏う、召喚術士の究極の『聖衣。
「聖衣か……ッ!」
ヴァルが忌々しげに顔を歪める。
「ルミナスのスコーピオンとは違う姿だが、小賢しい! だが、この我が奥義の前では紙屑も同然よ!! 消え失せろォォォッ!!」
漆黒の獄炎が、津波のようにカリナへと押し寄せる。だが、カリナは微動だにしない。
「受けろ! ……星も砕け散る、不死鳥の羽搏きを!」
カリナは両手を大きく広げ、羽搏くような動作をとった。そして、交差させた両腕に高まった炎の精霊力を集中させ、下から上へと撃ち上げるように解き放った。
「鳳翼天衝ッ!!!」
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
カリナの足元から、天を貫くほどの巨大な炎の竜巻が巻き起こった。竜巻はヴァルの放った黒い獄炎を巻き込みながら上昇し、全てを焼き尽くす紅蓮の嵐となる。
「な、なんだこの熱量はあああっ……!?」
ヴァルがその竜巻に巻き上げられた瞬間、カリナはその炎の竜巻の中でヴァルに向かって左拳を突き出した。
「燃え尽きろッ!!」
拳圧と共に、背後の炎のオーラが巨大な不死鳥の姿となって羽搏いた。翼の一振りで空間すら焼き焦がす圧倒的な熱波が、ヴァルを直撃する。
「な、なにィィィィッ!?」
ヴァルの奥義も、防壁も、その身すらも、不死鳥の炎の前では無力だった。
「おのれえええ!!! ウギャアアアアアア!!!」
断末魔の叫びと共に、影霊子爵ヴァル・ノクタリスの身体が炎の渦に飲み込まれた。影も、闇も、邪悪な魂も、全てが聖なる炎によって浄化され、灰となって消えていく。
やがて炎が収まると、空からカラン……と乾いた音がして、闇の魔力結晶が落ちてきた。カリナはそれを片手でキャッチした。
「ふぅ……、しぶとい奴だったな」
カリナが力を抜くと、炎の鎧が光の粒子となって解け、元の姿に戻ったフェニックスが現れた。
「悪は滅びる、これが世の常。さすがです、我が主よ」
フェニックスが恭しく頭を下げる。
「いや、お前の力がなければ危なかったよ。ありがとう」
カリナは優しくフェニックスの首筋を撫でた。
「また私の力が必要な時はいつでも召喚するがいい、我が主カリナよ」
フェニックスは満足気に鳴き声を上げ、光の粒子となって還っていった。 雲が晴れ、南門前に再び太陽の光が戻ってくる。
「す、すげえ……」「なんだあれは……! 凄すぎる……!」「悪魔が……消滅したぞ! フィンは救われたんだ!!」
背後の騎士団から、どっと歓声が上がった。そこへ、サティアが駆け寄ってきた。
「カリナさんッ!」
彼女は勢いよくカリナに抱きついた。
「お見事でした、カリナさん! 不死鳥の聖衣|……美しくも凄まじい力でした! 私達の勝利です!」
サティアの豊満な胸がカリナに押し付けられ、甘い香りと温もりが包み込む。
「……ああ、またお前にも助けられた。ありがとう、サティア」
カリナは換装を解き、バトルドレスから元のフリルのついた衣装に戻ると、サティアの背中に腕を回して抱き締め返した。戦いの緊張が解け、安堵感が広がる。
「やったにゃ! さすが隊長にゃ! あんなのもう雑魚にゃ!」
足元では、ケット・シー隊員がピョンピョンと飛び跳ねて喜んでいた。
「そうだな。私達の絆は、あんな奴には負けないさ」
カリナは二人に微笑みかけた。
「サティアが守ってくれたから、私は前だけを見て背中を気にせず剣を振るえた。……私一人の力じゃない」
「カリナさん……。私達はずっと一緒です。これからも、どんな敵が来ても一緒なら大丈夫です」
サティアは潤んだ瞳でカリナを見つめ、さらに強く抱き締めた。互いの鼓動が重なり合う。
「お見事でした、我が主様」
「さすがだねー、主様」
ワルキューレの七姉妹が跪き、ウィスプが満足気に微笑む。
「ありがとう、お前達の力の御陰だ。またよろしく頼む」
召喚体達は皆笑顔で送還されて行った。
こうして、フィン王国は影霊子爵ヴァル・ノクタリスの魔の手から守られた。カリナ達は、歓呼の声で迎える騎士団と共に、王城への凱旋を果たしたのだった。




