190 影を焼く聖炎と神速の乱舞
フィン王国の南門前。そこは、この世ならざる異形の闇に侵食されていた。日中のはずだが、空は鉛色の雲に覆われ、太陽の光は完全に遮断されている。地面からは黒い霧が這い上がり、空間そのものがねっとりと重い。
その中心に君臨するのは、影霊子爵ヴァル・ノクタリス。白磁のように冷たい肌、闇そのもので編まれたかのような黒衣。側頭部から伸びる二本の角と、背中にはコウモリのような巨大な翼。仮面のような白い素顔には表情がなく、ただ真紅の燐光を放つ瞳だけが不気味に輝いていた。
「……愚かな。弱者に用などない」
ヴァル・ノクタリスの声は、冷たく、そして傲慢だった。彼の周囲には、影から生まれたおびただしい数の魔界兵団が展開していた。黒い鎧に蒼い霊紋を浮かび上がらせた『影狼兵』と『影霊騎士』。口から漆黒の焔を吐く『影喰犬』。影の粒子でできた弓を構える『影霧弓兵』。そして、不定形の影の塊となって空を漂う『幽影兵』の群れ。
「用があるのは『召喚術士カリナ』と『聖女サティア』だけだ。ここにいるのは分かっている。さっさと差し出せば、貴様らごときの命は見逃してやろう」
ヴァルは嘲笑うように言ったが、その身体からは黒い血がポタポタと滴り落ちていた。かつてルミナス聖光国でカリナに刻まれた、14発の『スカーレット・スティンガー』の傷痕。それは今も癒えることなく、彼を蝕み続けているのだ。
フィンの騎士団は、その圧倒的な数の暴力と、未知の恐怖に晒されながらも、必死に戦線を維持していた。だが、剣は影の体をすり抜け、魔法は黒い霧に吸収される。防戦一方だ。
「……悪魔を前にして、フィンの誇り高き騎士団が後れを取ることなどできん!!」
騎士団長が血まみれの剣を掲げ、声を張り上げた。
「我等の命を懸けてでも、貴様のような悪魔に負けることなど許されないのだ! 総員、奮い立て!!」
「おおおおおおっ!!」
傷つき、膝をついていた騎士達が、震える足で再び立ち上がる。絶望的な状況下でも、彼らの瞳から闘志の炎は消えていない。
「……フン、愚かな」
ヴァルはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「そうまでして死に急ぎたいのなら、望みを叶えてやろう」
彼が指先を騎士団に向ける。影の霧が収束し、巨大な闇の刃となって放たれようとした、その時だった。
ヒヒィィィィィンッ!!
頭上から、嘶きと共に純白の閃光が舞い降りた。天翔る神馬、ペガサス。その背から、二つの影と一匹の小動物が、流星のように戦場の只中へと飛び降りた。
ズドォォォォンッ!!
着地の衝撃波が、群がる『幽影兵』達を吹き飛ばす。土煙の中から現れたのは、真紅のツインテールを揺らす美少女剣士と、神々しい法衣を纏った豊満な美女。そして、青いマントを翻した二足歩行の猫。
「……ようやく来たか」
ヴァルの真紅の瞳が、憎悪と愉悦に歪んだ。
「召喚術士カリナ、聖女サティア……! この時を待っていたぞ!」
彼は両手を広げ、叫んだ。
「ルミナスでの屈辱、決して忘れん! 災禍六公などに頼らずとも、貴様らはここで我がその魂を、我らが主に捧げてやるわ!!」
カリナはヴァルを一瞥すると、すぐに背後の騎士団長に声をかけた。
「お前達は下がっていろ。こいつの狙いは私達だ」
「し、しかし……!」
「いいから下がれ! ここからは私達の戦場だ!」
鋭い一喝。その背中から放たれる圧倒的な覇気に、団長は息を呑んだ。
「……あ、ああ、分かった。すまない、我々では歯が立たないのだ……!」
団長は悔しげに唇を噛み締め、部下達に撤退を命じた。騎士達が背後の南門の前まで退いていくのを見届け、カリナは改めてヴァルを見据えた。
「性懲りもなく滅却されに来たとはな、ヴァル・ノクタリス」
カリナは腰の『女神刀』と『聖剣ティルヴィング』の柄に手を掛けた。
「だが、関係ない者達を巻き込んだのは許さん。……お前はここで、今度こそ消してやる」
「ええ」
サティアも一歩前に進み出た。手にした『メイデンロッド』が、清浄な光を帯び始める。
「この平和な国を踏みにじろうとしたその暴挙、聖女の名において、決して許しません」
「ククク……! 威勢だけはいいな!」
ヴァルは狂気じみた笑い声を上げた。
「未だに貴様に刻まれた14の傷が疼く……! さあ、復讐の時だ! 殺れ! 奴らを八つ裂きにしろ!!」
主の号令と共に、影の軍勢が一斉に襲いかかってくる。だが、カリナは動じない。
「力を貸してくれ、精霊王の加護よ――『レグナ・スピリトゥス』!」
カリナの叫びと共に、七色のオーラが爆発的に広がった。それはカリナとサティア、そして背後の南門前に控える騎士団達をも包み込む。
『魂の共鳴』により精霊との同調率が最大化され、『完全耐性』が悪魔による精神干渉や呪いを無効化する。さらに『王の循環』が魔力を無限に供給し、悪魔に対する絶対的な『存在特攻』が付与される。
「おお……! なんだこの温かい光は!?」「力が……力が漲って来るぞ!?」
騎士団達が驚きの声を上げる。一方、ヴァルはその光を浴びて苦悶の表情を浮かべた。
「ぐぅっ……!? これが、精霊王の加護の力なのか……!?」
神聖な輝きに焼かれ、影の力が半減していくのを感じる。
「来い、私の軍勢よ!」
カリナは左手を天に翳した。まず、カリナの足元の地面に巨大な幾何学模様の魔法陣が展開される。そこから重厚な金属音と共に、精強な騎士達が競り上がってきた。
黒い甲冑に身を包み、大剣を構えたシャドウナイト。白銀の甲冑に大盾と片手剣を携えたホーリーナイト。光と闇、対極の属性を持つ騎士団が、カリナを守る城壁となって整列する。
さらに、空中に七色の魔法陣が展開された。
「戦乙女、ワルキューレ七姉妹よ、顕現せよ!」
炎を纏う片手剣を携えた長女ヒルダ。紫電を帯びた長槍を持つ次女フルンド。風を操る弓矢を構えた三女カーラ。流麗な水流を纏う二刀の剣士、四女ミスト。大地の如き剛力でバトルアクスを振るう五女エルルーン。凍気の氷の大剣を背負う六女ロタ。そして、光のチャクラムを操り、癒しの力を司る七女エイル。
最後に、青白い炎のような輝きに包まれた、透き通るように美しい女性の姿をした精霊、『ウィル・オー・ウィスプ』も顕現した。
「召喚に応じ参上致しました、我が主様!」
ヒルダ達が空中で優雅に一礼する。
「お久しぶりですねー、主様♪」
ウィスプが軽やかに飛び回る。
「ああ。お前達の力を借りるぞ。……蹂躙しろ!」
カリナの号令一下、召喚体達が敵陣へと雪崩れ込んだ。
「おおおおおっ!!」
ドガァァァァァンッ!!
地上では、シャドウナイトとホーリーナイトが盾を並べて突撃し、『影狼兵』達を吹き飛ばす。シャドウナイトの大剣が闇を切り裂き、ホーリーナイトの聖剣が影を浄化する。
空中からはワルキューレ達の猛攻が降り注ぐ。
長女ヒルダが炎の剣を一閃させると、紅蓮の波が『影霊騎士』を焼き尽くす。五女エルルーンの戦斧が地面を叩き割り、その衝撃波で『影霊甲冑』を粉砕する。次女フルンドの槍から放たれた紫電が、『影霧弓兵』達を次々と貫き、黒焦げにする。四女ミストの双剣が流麗な水流を描き、素早い『影喰犬』の群れを逃さず切り裂いていく。三女カーラの風の矢が正確無比に敵の核を射抜き、六女ロタの氷剣が戦場を凍てつかせる。
「クソ悪魔! お前の闇の力を私の光で浄化してやるわ! セイクリッド・ライト!」
ウィスプが高らかに叫び極光を放った。強烈な聖なる光が戦場を真昼のように照らし出し、影に潜んでいた敵を強制的に実体化させる。光を苦手とするヴァルの配下達は、その輝きに焼かれ、断末魔を上げて消滅していく。
「おのれぇぇぇっ! 小賢しい真似を!」
ヴァルが苛立ち、影の触手を伸ばしてカリナを狙う。だが、その前にサティアが立ちはだかった。
「エピファニー・オブ・セイント・メイデン!」
サティアの背中に、光り輝く幻の翼が顕現した。聖女の自己強化特別儀式。彼女の全身から放たれる神聖なオーラが、ヴァルの展開していた『闇の領域』を物理的に押し返し、消し去っていく。
「さらに……カノン・オブ・ザ・ディヴァイン・ブライド!」
神の花嫁と呼ばれる聖女にのみ許された究極儀式。世界規模で癒しと祝福、そして浄化の波動が広がる。
サティアはその翼を羽搏かせ、南門の前に集まる負傷した騎士団達のもとへ舞い降りた。彼女が優しく手をかざすと、柔らかな光の粒子が騎士達に降り注ぐ。
「……癒やしの雨よ、彼らの傷と痛みを洗い流したまえ。セイントリー・ミラクル・アマリア」
それはまさに奇跡の光景だった。深手を負い、苦悶の表情を浮かべていた騎士達の傷口が、見る見るうちに塞がっていく。切り裂かれた鎧の下から、健康的な肌が再生し、失われた血液や体力までもが瞬時に戻っていく。
「こ、これは……! 傷が……消えていく!?」「痛みがない……力が戻ってくる!」「おお、これが聖女様……! なんという奇跡だ!」
騎士達は涙を流し、サティアを拝んだ。サティアは慈愛に満ちた微笑みで彼らを包み込む。
「みなさん、よく頑張りましたね。もう大丈夫です。後は私達に任せて下さい」
そして彼女は振り返り、鋭い眼差しでヴァルを射抜いた。
「セインツ・ディヴァイン・ヴァーディクト!」
掲げた『メイデンロッド』から、極太の光の柱が放たれる。それは直線的にヴァルを襲い、彼の黒衣を焦がし、影の防壁を粉砕した。
「ぐあああああっ!? 貴様、これほどの力を……!?」
ヴァルが怯んだ隙を、カリナは見逃さなかった。
「換装ッ!!」
カッ!
紅の閃光と共に、カリナの衣装が瞬時に切り替わった。女神アリアから授かった、真紅のバトルドレス。着ていたフリルのついた衣装は自動的にアイテムボックスへと収納される。バトルドレスの周囲には魔力のヴェールが展開され、敵の攻撃を無効化する不可視の鎧となる。
「行くぞ!」
カリナは地面を蹴った。その速度は、まさに神速。右手に『女神刀』、左手に『聖剣ティルヴィング』。二刀流の構えから繰り出される剣技は、芸術的なまでに洗練されていた。
「雷閃斬ッ!」
バヂヂチチッ!!
雷属性を帯びた高速の斬撃が、立ち塞がる『影霊騎士』達を一瞬で両断した。さらに、体を捻って回転する。
「烈風車ッ!!」
ヒュゴォォォォォッ!!
風の刃を纏った回転斬りが、周囲の敵を巻き込み、切り刻んでいく。
「聖煌一閃ッ!」
カッッッ!!
光属性の斬撃が、闇の軍勢を薙ぎ払う。触れた端から影が蒸発し、塵となって消えていく。
「な、なんだあの強さは……!?」「速過ぎて目にも止まらぬ……!」「あれが、エデンの特記戦力……!」
回復したフィンの騎士団達は、その圧倒的な光景に言葉を失っていた。自分達が手も足も出なかった相手を、まるで枯れ木を薙ぐように蹂躙している。カリナの剣技、サティアの神聖術、そして召喚体達の連携。その全てが、規格外だった。
「こ、小娘ぇぇぇぇッ!!」
配下を次々と失ったヴァルが、怒りの形相で影の槍を雨のように降らせる。だが、カリナは足を止めない。
「無影斬!」
影すら残さぬ高速の横斬りで、飛来する影槍を叩き落とす。そして、一気に間合いを詰める。
「これでも食らえ! 紅雷焔牙ッ!」
炎と雷の複合魔法剣技。紅蓮の炎と紫電を纏った二刀が、ヴァルの胴体を十字に切り裂く。
ズバァァァァァンッ!!
着弾と同時に大爆発が起き、ヴァルは後方へと吹き飛ばされた。
「がはっ……! バ、バカな……! 貴様ら、ルミナスの時よりも格段に……!」
ヴァルは地面に転がりながら、信じられないものを見る目で二人を睨んだ。 黒い血が地面に広がる。
「当たり前だ。私達は止まってなどいない」
カリナは剣についた影の残滓を振り払った。その瞳には、揺るぎない意志が宿っている。
「お前が恨みを募らせている間に、私達は仲間と共に前に進んできたんだ。その差だ」
「そういうことです」
サティアがカリナの隣に並び立つ。その背中には幻の翼が輝き、聖女としての威厳に満ちている。二人の英雄の眼差しに射抜かれ、影霊子爵は初めて恐怖を感じたようだった。配下の魔界兵団はすでに壊滅状態。残るは、傷ついたヴァル・ノクタリスただ一人。
決着の時は近い。カリナとサティアは、互いに頷き合い、最後の一撃を放つべく魔力を練り上げた。




