112 災害と暴虐の激突
南西の戦場。
そこは今、一人の超越者の憤怒によって、現世に出現した焦熱地獄へと変貌しようとしていた。
砂塵舞う荒野に、ヒールの音が鋭く響く。
戦場には不釣り合いなほど優雅に、しかし圧倒的な覇気を纏って歩を進めるのは、エデン筆頭魔法使い、エクリアだ。
彼女が纏う純白のタイトな魔導ローブの下には、真紅に輝くネックレス。派手なブレスレットにリング。セクシーなドレスを思わせる青いドレスのインナーが見え隠れする。白と黒の洗練されたデザインが、彼女の完璧なプロポーションを際立たせ、足元のストラップ付きの赤いハイヒールが瓦礫の山を蹂躙していく。
これら全ての装備は、単なる装飾ではない。すべてが「魔力の底上げ」と「自動回復」に極限まで特化された最高級の逸品だ。元々、カリナやカグラをも凌駕するエクリア自身の魔力回復速度に加え、これらの装備補正が乗算されることで、彼女の魔力量は事実上の「無尽蔵」となっている。
その無尽蔵のエネルギーが、今、行き場のない怒りと共に解き放たれようとしていた。
「……あー、腹が立つ。本当に腹が立つぜ」
エクリアは金髪を乱暴にかき上げ、眼前に広がるオーガの群れを睨みつけた。
「てめぇらが、俺のショッピングを邪魔したクソ野郎どもか?」
ライアン率いる王国騎士団は、既に後方への退避を完了していた。いや、させられていた。
彼らは震える瞳で、戦場の中心に立つ金色の背中を見つめることしかできない。聖女サティアもまた、メイデンロッドを強く握りしめたまま、息を呑んで戦況を見守っている。エクリアから放たれる魔力の密度があまりに高く、周囲の空気そのものがビリビリと震えているのを肌で感じていたからだ。
オーガ達が咆哮を上げ、一斉に襲い掛かる。丸太のような腕が、鋼鉄の棍棒が、エクリアを圧殺しようと迫る。だが、エクリアは鼻で笑った。
「消えろ、雑魚共」
詠唱など不要。思考が即座に世界への命令となる。素手の掌を、無造作に突き出した。
放ったのは、魔法使いの基礎中の基礎、『ファイア・ボール』。
だが、彼女の掌から生み出されたのは、小石程度の火球ではない。圧縮された太陽の欠片とも呼べる、直径数十メートルの超高熱エネルギー球だった。
ドゴオオオオオンッ!!
放たれた火球は、着弾と同時に戦略級の爆発を引き起こした。爆心地の岩盤が瞬時に蒸発し、周囲数百メートルにいたオーガ達が、悲鳴を上げることすら許されず炭化し、影も残さず消滅する。
「なっ……あれが、初級魔法の威力なのか!?」
後方のライアンが愕然と呟く。だが、エクリアの蹂躙は始まったばかりだ。
次は『ウィンド・カッター』。彼女が指先を振るうだけで、暴風の刃が視認できない速度で戦場を駆け巡る。鋼鉄のように硬いはずのオーガの皮膚が、バターのように容易く両断され、巨体が次々と崩れ落ちる。
「遅ぇ! 止まるな! 次だッ!」
エクリアは『瞬歩』と『空歩』を併用し、戦場を高速で立体機動しながら、三属性以上の合成魔法を素手から乱れ撃つ。
彼女は派手な戦闘を好む。そして今、鬱憤を晴らすかのように、その破壊衝動を全開にしていた。
「――『フレイム・トルネード』!」
真紅の炎と暴風が絡み合い、火炎旋風となって敵陣を舐め尽くす。逃げ惑うオーガ達を、容赦なく焼き尽くす紅蓮の地獄。
「――『ディヴァイン・ジャッジ』!」
黒雲渦巻く空から、神罰の如き無数の雷柱が降り注ぐ。轟音と共に大地が揺れ、雷光が視界を白く染め上げる。
ものの数分。
数千を数えたオーガの群れは、文字通り「消滅」していた。残っているのは、燻る大地と、漂う硝煙の匂いだけ。
だが、エクリアは構えた手を下ろさなかった。その視線は、戦場のさらに奥。小高い丘の上に立つ、異様な影へと向けられていた。
鉄色に輝く硬質な肌。額に刻まれた、折れた角。
ただそこに立っているだけで、周囲の空間がぐにゃりと歪んで見えるほどの、異常な質量の塊。手には、人の背丈を優に超える巨大な処刑具――鎖杭、グラヴィオン・スパイクが握られている。
その男は、眼下で繰り広げられた一方的な虐殺劇を見ても、眉一つ動かしていなかった。ただ、退屈そうに鼻を鳴らし、エクリアを見下ろすのみ。
「……脆い」
その声は低く、地響きのように重く響いた。男は一歩前に出ると、腹の底から響く声で名乗りを上げた。
「我が名はバルザ・グラウス。……災禍六公が一柱、暴虐と重圧の化身なり」
悪魔としての名乗り。それは、相対する者を絶望させるための儀式。だが、エクリアは『空歩』で宙空に静止し、冷ややかな視線でバルザと対峙した。
「バルザだァ? 知らねぇな。……てめぇ、俺がどれだけ留守番で鬱憤が溜まってるか知ってんのか?」
エクリアの全身から、どす黒い殺気が噴き上がる。
「ずっと城で待機、待機、待機……! ようやく訪れた休日のショッピングまで邪魔しやがって……! その罪、万死に値するぜ!」
対するバルザは、鎖杭を片手で軽々と持ち上げた。その動作だけで、周囲の大気が悲鳴を上げ、地面に亀裂が走る。
「……潰す」
――開戦。
バルザが跳躍した。その巨体からは信じられない速度で、流星の如くエクリアの頭上へと迫る。
「グラウンド・クラッシュ」
鎖杭を地面に叩きつけるフェイントから、空中のエクリアへ向けて衝撃波を放つ。同時に重力が局地的に数倍へと跳ね上がった。
ズガァァァァァンッ!!
エクリアが直前まで浮遊していた空間ごと、大気が粉砕され、真空の歪みが生まれる。
「チッ、単純な力押しかよ!」
エクリアは間一髪で『瞬歩』で回避していたが、余波だけで吹き飛ばされそうになる。だが、彼女は空中で体勢を立て直し、即座に反撃に転じた。
「――熱と冷よ、交わりて砕け。『サーマル・クラッシュ』!」
指先から放たれた火と氷、相反する二属性を合成した魔弾が、バルザの背中に直撃する。急激な温度差による物質崩壊を狙った一撃。
しかし。
「……ヌルい」
土煙の中から現れたバルザは、無傷だった。その鉄色の肌は、魔法障壁よりも強固な魔力耐性を持ち、中途半端な魔法など弾き返してしまうのだ。バルザは鎖杭を豪快に横に薙ぎ払った。
「……吹き飛べ。タイタン・スイング」
鎖杭自体は届かない距離。だが、そこから生み出されたのは「質量を持った衝撃波」だった。見えない壁が迫る。エクリアは即座に両手を前に出し、防御魔法を展開する。
「『マジック・シールド』! 『フロスト・アーマー』!」
半透明の障壁と、氷の装甲。二重の分厚い防御が展開されるが――。
パリィンッ!
ガラス細工のように容易く砕け散り、エクリアの体は砲弾のように後方へと弾き飛ばされた。
「ぐっ……! 重いな、畜生!」
空中で受け身を取り、着地するエクリア。だが、バルザは追撃の手を緩めない。
ジャラララッ!!
鎖杭から伸びた鎖が、生き物のようにエクリアの周囲を取り囲む。
「逃げ場はない。ヘヴィ・ドラッグ」
鎖が輝き、エクリアの四肢に凄まじい重力がのしかかる。 地面に縫い付けられるような感覚。指一本動かすのも億劫なほどの拘束。
「ぐ、ぅ……!」
バルザが鎖を引き絞り、エクリアの体を引きずり寄せる。 その先には、振り上げられた巨大な杭。
「終わりだ。アイアン・ピラー」
防御魔法ごと貫通する、純粋な質量攻撃が振り下ろされる。だが、エクリアは笑った。
「捕まってたまるかよッ! 『チャージ』!」
自身の体に雷撃を走らせ、魔力を強制的に活性化。重力の鎖を魔力爆発で無理やり弾き飛ばす。自由になった一瞬の隙に、エクリアは三属性合成魔法を構築した。
「――全てを止めよ。『アブソリュート・ゼロストーム』!」
絶対零度に匹敵する冷気と、紫電の雷撃が交差する嵐。至近距離で放たれたその魔法は、バルザの巨体を一瞬にして氷像へと変貌させた。世界が静止したかのような静寂。
だが、次の瞬間。
バキィッ!!
氷に亀裂が走り、内側から砕け散った。バルザが、力任せに凍結を破ったのだ。しかし、その動きは明らかに鈍っていた。鉄色の肌からは黒い血が流れ、足元は僅かに沈んでいる。
「……チッ」
バルザが初めて舌打ちをし、苛立ちを露わにした。
「……鬱陶しい魔法だ」
彼の全身から、どす黒いオーラが噴出した。この悪魔の本気域。周囲の小石が浮き上がり、次の瞬間に粉々に砕ける。
「……消えろ。オーバー・グラヴィティ」
ズズズズズズッ……!!!
周囲数百メートルの重力が、数十倍に跳ね上がった。地面が陥没し、空気が鉛のように重くなる。魔法陣を展開しようとしても、その形を保てずに重圧で歪み、霧散していく。 呼吸すら困難な、死の領域。
「ぐ、ぁ……! やって、くれるじゃねえか……!」
エクリアは膝をつきそうになるのを、精神力だけで堪える。普通の魔導師なら、この重圧だけで肉体が崩壊しているだろう。だが、彼女はエデン筆頭魔法使い。魔力が底なしなら、力技で押し返すまでだ。
「面白れえ……! なら、こっちも全力で壊してやるよ!」
エクリアの赤い瞳が、金色の光を放つ。重圧の中で、彼女は五つの属性魔法を同時に、思考のみで構築した。
「――空は燃え、雨は刃となり、風は叫び、地は砕け、雷が裁く! 五属性合成『アポカリプス・ペンタ』!!」
自然五大要素の完全暴走。炎、水、風、土、雷が混ざり合い、混沌の渦となってバルザへと殺到する。対するバルザも、鎖杭を最大出力で振り抜いた。
「砕けろォッ!!」
魔法と質量。災害と暴力。二つの力が正面から衝突した。
カッッッ!!!!
閃光と衝撃波が世界を白く染め上げ、周囲の地形を更地へと変えた。遥か後方にいたライアン達騎士団ですら、その暴風に吹き飛ばされそうになる。
やがて、土煙が晴れると、両者は対峙していた。エクリアは肩で息をしている。魔力は無尽蔵だが、この高重力下での魔法行使は精神を削る。
対するバルザも、全身から黒い血を流し、片膝をついていた。鉄色の肌はボロボロに砕け、鎖杭も半ばからひしゃげている。
「……貴様」
バルザが顔を上げ、初めてエクリアを「敵」として認識し、言葉を発した。
「壊れない、か」
その瞳には、怒りではなく、純粋な闘争本能への称賛が宿っていた。エクリアは口角を吊り上げ、不敵に笑った。
「壊れるわけねぇだろ。俺は……災害そのものだ」
エクリアは両手を広げた。もはや、属性魔法ではない。
自身の魔力、精神、存在位階、その全てを一点へと収束させる。風が止まり、音が消え、色彩が失われる。空は昼夜の区別を失い、黒と白がマーブル模様のように混ざった空間が広がる。世界が、彼女の力を恐れ、拒絶するかのように震えだした。
「てめえに絶望を見せてやるぜ。これは魔法じゃない。……ただの、終わりだ」
エクリアの意思そのものが、詠唱となる。彼女だけが行使できる、禁呪すら超越した極災大破壊魔法。
「――全てを、無に還せ。世界よ、私を拒め!」
――時が凍り付く。
「――『カタストロフィア・エクリプス』!!!」
発動した瞬間。世界が「剥離」した。
バルザの周囲の空間ごと、地形、大気、法則、その全てが、絵画の絵の具が剥がれ落ちるように消滅していく。防御も、耐性も、再生も、全てが無意味。存在そのものを否定し、最初から無かったことにする「終わり」の力。
「クソ……!」
バルザは迫りくる絶対的な「無」を前に、ひしゃげた鎖杭を構えた。逃げず、怯まず、最期まで己の暴虐を貫くために。その顔には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「だが……強い!」
バルザの体が、鎖杭が、空間ごとねじ切れ、剥がれ落ち、消失していく。断末魔はなかった。ただ、強者との戦いに満足したかのような気配を残し、彼は完全に消滅した。
◆◆◆
静寂が戻った戦場。そこには、直径数キロメートルに及ぶ、底知れぬ巨大なクレーターだけが残されていた。
「無」が通り過ぎた痕跡。
その中心に、一つだけ残されたものがあった。黒く輝く、闇の魔法結晶。バルザ・グラウスという暴虐が存在した、唯一の証。
エクリアはふらつきながらその結晶を拾い上げ、ふぅ、と息を吐いた。
「……次はもっと、マシな相手を用意しな」
結晶を宙に放り投げ、再びキャッチする。
「……俺のショッピングを邪魔した罪、その身で償え……」
呟き終わると同時に、限界を迎えたエクリアの体がぐらりと傾いた。禁呪を超える魔法の反動。世界を歪めた代償が、一気に押し寄せてきたのだ。意識が暗転し、地面へ倒れ込む――。
だが、その体は硬い地面には叩きつけられなかった。
「エクリアさん!!」
瞬歩で一瞬にして距離を詰めたサティアが、倒れるエクリアを抱き止めたのだ。
「……サティア、か……」
エクリアの瞳から金色の輝きが消え、いつもの穏やかな瞳に戻っていく。
「遅いぞ……。危なく、顔から……落ちるところだった……ぜ」
「ごめんなさい、エクリアさん。……でも、すごかったです。本当に」
サティアは膝をつき、エクリアの頭を優しく膝枕した。そして、慈愛に満ちた聖女の光で、消耗しきった英雄を包み込む。
「お疲れ様でした。……ゆっくり休んでください」
サティアの温もりに包まれ、エクリアは安堵の息を漏らし、静かに目を閉じた。勝利した彼女達を、戻ってきた色彩と風が、優しく祝福していた。




