106 アリア
謁見の間には、レオン王の宣言が重々しく響き渡っていた。
一週間後に開催される剣術大会。それは、人類の脅威に対抗するための精鋭を選抜する重要な儀式でもある。しかし、カリナには一つ、どうしても確認しておかなければならない懸念があった。
「陛下。剣術大会ということは……まさかとは思いますが、真剣を使う訳ではないのですよね?」
冒険者ギルドの訓練や一般的な模擬戦では、刃引きをした剣や木剣を使うのが通例だ。Aランクの実力者同士が真剣でぶつかり合えば、手加減をしたとしても事故は避けられない。だが、レオン王は鷲のような鋭い瞳でカリナを見据え、短く答えた。
「いや、真剣での立ち合いになる」
「なっ……真剣、ですか?」
カリナが眉をひそめると、隣に控えていたカグラも扇子で口元を覆い、懸念を示した。
「陛下。いくら腕に覚えのある者同士とはいえ、真剣勝負となれば、下手をしたら死傷者が出る恐れがございますわ。未来の戦力を選抜する場で、有望な若者が命を落としては本末転倒では?」
「うむ、そなたらの言い分はもっともだ。だが、案ずることはない。それについては、ここにいるアリア殿が、特別な『魔道具』を準備してくれているのだよ」
王の言葉を受け、アリアが一歩前に進み出た。彼女が何もない空中に手をかざすと、誰も見たことがない未知の魔法陣が展開され、そこに闘技場の様子を模した鮮明な立体映像が投影された。
「ご心配には及びませんよ。私が開発した、この『身代わりの水晶』があれば、誰も死ぬことはありません」
「身代わりの水晶……? ずいぶんと大きいな」
カリナが驚くのも無理はない。投影された映像では、闘技場の舞台の両端に、優に人ひとり分の大きさがある巨大な水晶が設置されていたからだ。
「はい。大会には大観衆が押し寄せますから、遠くの客席からでも状態が視認できるよう、このサイズに設計しました」
アリアはカリナ達に向き直り、落ち着いた丁寧な口調で説明を始めた。
「これは対象の魔力と生命力をリンクさせる特殊な魔道具なんです。勝負の前に、この水晶に自分の魔力を流して記憶させておけば、戦闘で受けたダメージは全てこの水晶が肩代わりしてくれますよ」
アリアはニッコリと微笑み、続ける。
「例えば、腕を斬られたとしましょう。その瞬間、痛みと衝撃は走りますが、肉体には傷一つつきません。代わりに、舞台の端に設置されたこの水晶にヒビが入ります。そしてダメージが蓄積し、水晶が完全に砕け散った時点で『戦闘不能・死亡』とみなされ、勝負アリとなります」
「なるほど……。つまり、HPバーを可視化したようなものか」
カリナはゲーマーとしての知識で納得した。ゲーム内でのHPがゼロになれば負け、というシステムを、高度な魔術で現実に再現しているわけだ。
「刃で斬りつけても、対象の身体に流血などの致命的な怪我は一切残りません。ですから、存分に死力を尽くして戦える……というわけです」
涼しい顔でとんでもない技術を語るアリアに、カリナとカグラは驚愕の眼差しを向けた。ダメージを完全に置換する魔道具など、聞いたこともない。それはもはや、この世界の魔導技術の常識を逸脱している。
「そんな魔道具を作れるなんて……。アリアさん、あなたは一体、何者なんだ?」
カリナが真剣な眼差しで問うと、アリアは真紅の瞳を細め、悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ……。何者、ですか? そうですねぇ……」
彼女は人差し指を唇に当て、意味深な雰囲気で答えた。
「――『女神』ですから」
その言葉には、単なる冗談とは切り捨てられない、不思議な説得力があった。レオン王は豪快に笑い、玉座の肘掛けを叩いた。
「はっはっは! 彼女の技術は本物だ。そういうことだから、カリナよ。安心してその剣技を振るってくれ」
「……分かりました。それなら、遠慮なく全力を出させていただきます」
カリナが頭を下げると、レオン王は満足げに頷き、話題を切り替えた。
「うむ。大会へのエントリー手続きは、こちらで済ませておこう。開催までの期間、そなたら二人は我が国の『国賓』だ。城内に最高級の部屋を用意してあるゆえ、そこに滞在するがいい」
「城に泊めていただけるのですか? 宿を取ってしまいましたが……」
「構わん、構わん。英雄を市井の宿に泊まらせたとあっては、アレキサンドの名折れだ。こちらで断っておこう。それに、そなたには頼みたいこともある」
王はニヤリと笑い、窓の外に見える広大な演習場を指差した。
「城内にある騎士団の演習場を、自由に使う許可を出そう。大会に向けて鍛錬や実戦の勘を失わないためにも、好きに使ってくれ。……ついでに、ウチの若い騎士団も練習相手として鍛えてやってくれんか? Aランク冒険者の剣技、彼らにとっても良い刺激になるはずだ」
「なるほど、稽古をつけてくれということですね。お安い御用です」
「感謝する。食事は部屋に運ばせよう。城の大浴場も自由に使ってくれて構わん。……おい、これへ」
王が合図をすると、控えていた侍女が進み出てきた。
「この者達を丁重に貴賓室へ案内せよ。城内の案内も怠るなよ」
「はっ、畏まりました」
侍女が恭しく一礼する。
退出の際、カリナがふと視線を向けると、アリアが楽しげな、どこか全てを見透かしたような不思議な笑顔を浮かべてこちらを見ていた。その瞳の奥にある光に、カリナは胸のざわめきを覚えながら、謁見の間を後にした。
◆◆◆
侍女に案内され、城内の長い回廊を進む。途中、巨大な扉の前で侍女が足を止めた。
「こちらが、城内にある大浴場でございます。陛下のお言葉通り、皆様はご自由にお使い頂けます」
侍女が扉を開けると、そこには宿屋の浴場とは比較にならないほどの大空間が広がっていた。高いドーム状の天井、壁一面に施された美しいモザイク画。そして中央には、ライオンの彫刻からお湯が噴き出す巨大な浴槽が鎮座している。湯気の中に浮かぶその光景は、まさに王族のための楽園だ。
「わあ……! すごいわね! まるで神殿みたいだわ」
カグラが目を輝かせる。カリナも呆気にとられて呟いた。
「すごいな……。エデンのカシュー専用の風呂よりも広い。ここで泳げそうなくらいだ」
大浴場を後にし、さらに階段を上って最上階へ。通されたのは、王族や他国の要人が利用する特別客室だった。
「こちらが皆様のお部屋になります。何か御用がございましたら、備え付けのベルでお呼び下さいませ」
侍女が一礼して去っていくと、カリナ達は部屋の中を見渡して再び息を呑んだ。
床にはふかふかの最高級絨毯が敷き詰められ、壁には芸術的な絵画が飾られている。窓からはアレキサンドの街並みと、その向こうに広がる湖が一望できた。そして中央には、天蓋付きの豪奢なベッドが二つ、優雅に並んでいる。
「ふぅ……。昨日の宿も良かったけれど、やっぱり王城の貴賓室は格が違うわね」
カグラが感嘆の声を上げ、ソファーに腰を下ろす。ケット・シー隊員も「ふかふかにゃー!」と叫びながら、ベッドにダイブして転げ回った。カリナも剣を置き、深く息を吐き出す。
「……なぁ、カグラ」
「ええ、分かっているわ」
カグラの表情が、先ほどまでの穏やかなものから、真剣なものへと変わる。
「あのアリアという女性……。只者ではなかったわね」
「ああ。私も感じた。彼女が纏っている雰囲気、そして底知れぬ魔力量……。Aランクの冒険者どころか、あの悪魔の災禍伯メリグッシュ・ロバスすら目じゃない。まるで、魔力の塊が人の形をしているような……」
カリナは自身の両手を握りしめる。対峙した瞬間に肌で感じた、圧倒的な格の差。敵意はなかったが、もし敵対すればどうなるか分からないという本能的な恐怖。
「おいらも、あの人からはとんでもない力を感じたにゃ……。毛が逆立つかと思ったにゃ」
ベッドから顔を出した隊員が、ブルブルと体を震わせながら言った。
「でも……決して悪いものではない感じがしたにゃ。怖かったけど、どこか懐かしいような、温かいような……不思議な感じだったにゃ」
「懐かしい、か……」
隊員の言葉に、カリナは記憶の糸を手繰り寄せた。そして、ずっと胸の内に秘めていた仮説を、初めてカグラに打ち明けることにした。
「カグラ。実は……、心当たりがあるんだ」
「心当たり?」
「ああ。……以前、私がエリア達『シルバーウイング』のメンバーと一緒に『死者の迷宮』を攻略した時のことだ。カグラには話していなかったが、最深部の祭壇に鏡があるのは知ってるよな」
「あっ、あの中級ダンジョンの死者の鏡のことね?」
カグラが興味深そうに小首を傾げる。
「ああ。その鏡を見たのは私だけなんだが……あそこで私が見たのは、現実世界で、私が何よりも大切に思っていた人の姿だったんだ」
カリナの声が少し震える。脳裏に浮かぶのは、幼い頃の記憶。和士にとっての初恋であり、病によって若くして失われた幼馴染の少女。彼女の姿が、あの鏡には映っていた。
「死に別れたはずの彼女が、鏡の中で笑っていた。そして、こう言われたんだ。『女神様の力で、別の世界に転生させてもらった』と」
「転生……? そんなことが……」
カグラが驚きに目を見張る。
「そして、その女神が私を探している、とも言っていた。……さらにだ。少し前に、私の最強の召喚体であるカイザードラゴンのアジーンを呼び出した時、あいつも言っていたんだ」
「え? あのアジーンが? なんて言っていたの?」
「『龍の谷に、赤い髪の女神を名乗る女性が滞在していたが、もう去って行った』と」
カリナは窓の外、謁見の間がある方向を見つめた。
「赤い髪、女神を名乗る女性、そして私を知っているような口ぶり……。あのアリアという女性、もしかしたら……」
「その女神様ご本人、あるいは深く関係している存在……ということね」
カグラが扇子を閉じ、得心がいったように頷く。
「状況証拠は揃いすぎているわね。それに、彼女のあの髪色と容姿……あなたのアバターと瓜二つだったわ。まるで、貴女のルーツを知っているかのように」
重苦しい沈黙が部屋に流れた時、コンコンと控えめなノックの音が響いた。
「失礼致します。騎士団長より、カグラ様へお届け物です」
扉を開けると、先ほどの侍女が分厚い封筒を持って立っていた。カグラが受け取ると、そこには『機密』の文字が記されている。
「ヴォイド・リチュアル・サンクトゥムの支部殲滅に関する詳細報告書ね。レオン陛下が手配してくださったのね」
侍女が退室すると、カグラは早速封筒を開け、書類に目を通し始めた。その瞳は、瞬時に元・相律鎮禍連棟梁としての鋭いものへと変わる。
「……なるほど。確かにこれは、通常の騎士団の手に負える相手ではないわ。改造された魔獣に、禁忌の術式……。それを単独で制圧したとなれば、アリアさんの実力は本物よ」
カグラは書類から目を離さず、しかし優しくカリナに声をかけた。
「カリナちゃん。気になっているんでしょう?」
「え?」
「顔に書いてあるわよ。……私はこの資料を精査して、残党の動きや術式の解析を進めるわ。あなたは、今から彼女に会ってきなさい」
カグラは悪戯っぽく微笑み、背中を押すような仕草をした。
「聞きたいことが山ほどあるんでしょう? モヤモヤしたままじゃ、剣術大会にも集中できないわよ」
「カグラ……」
「行ってらっしゃい。場所なら、さっきの侍女さんに聞けば教えてくれるはずよ」
「……ああ、ありがとう。行ってくる」
カリナは力強く頷くと、部屋を飛び出した。
◆◆◆
城内の廊下を、カリナは早足で進んだ。すれ違う侍女にアリアの滞在先を尋ねると、彼女は王族用の離れにある特別室を与えられているという。
教えられた扉の前に立つ。重厚な木の扉。その向こうに、全ての謎の答えがあるかもしれない。カリナは深呼吸を一つし、震える手を抑えてノックをした。
「……カリナです。アリアさん、いらっしゃいますか?」
返事を待つ間、心臓が早鐘を打つ。数秒の沈黙の後、中からあの鈴のような声が響いた。
「ええ、開いてますよー。どうぞー」
許可を得て、カリナは扉を開けた。部屋の中は、昼下がりの陽光に満ちていた。窓辺のテーブルには、湯気を立てる二つのティーカップが用意されている。まるで、来客があることを最初から知っていたかのように。
アリアは窓辺に立ち、外の景色を眺めていたが、カリナが入るとゆっくりと振り返った。先ほどの真紅のバトルドレスではなく、今はリラックスした深紅のドレスに身を包んでいる。
「いらっしゃい、カリナさん」
アリアは優雅に微笑み、向かいの椅子を勧めた。
「来ると思っていましたよ。……私に、色々と聞きたいことがあるんでしょう?」
その赤い瞳は、カリナの心の奥底まで見透かしているようだった。カリナはゴクリと唾を飲み込み、一歩、部屋の中へと踏み出した。
「ああ……教えてくれ。あなたは一体、何者なんだ? なぜ私を知っている? そして……女神というのは、本当なのか?」
問いかけるカリナに対し、アリアは静かに目を細めた。運命の歯車が、今、大きく動き出そうとしていた。




