101 初体験の苦しみ
違和感を感じてお腹を押さえるカリナ。それを見たカグラが問いかける。
「どうしたの? カリナちゃん」
「いや……何だか、さっきからお腹と腰に違和感があるんだ。なんかこう、重苦しいというか……腰が抜けるような……」
カリナが不快そうに顔をしかめ、腰をトントンと叩く。その様子を見た瞬間、向かいのエクリアがピンときた顔をした。ニヤリと口角を上げ、同じ女性アバターを持つ者としての余裕と、ここぞとばかりの悪戯心が混ざった笑みを浮かべる。
「おいおい、そりゃアレじゃねーのか? ほほう、カリナもついに来ちまったのか?」
「アレ? 何の話だよ?」
キョトンとするカリナに対し、察しの良いカグラとサティアの表情が一変した。
「カリナちゃん、ちょっと待って。……お腹や腰が痛いの? ズキズキする感じ?」
「あ、あのっ、胸が張っているような感じはありませんか? 体が熱っぽいとか……」
二人がかりで詰め寄られ、カリナは目を白黒させる。
「え、あ、ああ……言われてみれば、胸も少し張っているような……。それに、なんか下腹部がシクシク痛むんだ」
その言葉を聞いた瞬間、カグラとサティアは「あぁ……」と納得の声を漏らした。一方、エクリアは紅茶を飲み干し、先輩風を吹かしておちょくり始めた。
「おめでとうございまーす! 初潮ですな。こりゃ今日は赤飯炊かねーとな! ウェルカム・トゥ・ヘルだぜ、相棒?」
「は? 初潮……? って、はああああッ?!」
カリナの顔が一気に青ざめる。
「ちょっとエクリア! アンタはホントにデリカシーのない! これだからネカマは!」
「そうです! エクリアさん、あなたと違って、望んでこの姿ではない女の子に対してなんてことを言うんですか! 信じられません!」
カグラとサティアが即座にエクリアを睨みつける。カシューは「うわぁ……」という顔で、関わり合いにならないように視線を天井へと逃がした。
「う、うぐっ……! い、痛っ……!?」
その時、カリナが急に腹部を押さえてうずくまった。顔色がみるみる悪くなり、脂汗が滲んでくる。
「カリナちゃん!? ひどいの!?」
「大変……! トイレに行きましょう! カグラさん!」
「ええ! カリナちゃん、立てる? 肩貸すわよ!」
慌てふためくカグラとサティアに支えられ、カリナはよろよろと執務室を出て、近くの化粧室へと駆け込んだ。
◆◆◆
数分後、化粧室の中からカリナの絶叫に近い悲鳴が響いた。
「うわあああっ!? ち、血が! 血が出てるぞ、おいッ!?」
「落ち着いてカリナちゃん! 大丈夫、病気じゃないから!」
「カリナさん、深呼吸してください! ほら、これを使って……」
個室の中では、パニックになるカリナを二人が必死になだめていた。戦闘で負った傷とは違う、初めて見る自分の体からの出血。生理現象とは分かっていても、現実として降り掛かった光景に、カリナは本能的な恐怖と混乱に陥っていた。
「なんだこれ……? なんか気分も悪い……。違和感がすごいぞ……」
「最初はみんなそうなのよ。ほら、このナプキンをこうやって下着につけるの。……そう、羽を折りたたんで」
カグラが手慣れた様子で生理用品の使い方をレクチャーし、サティアが背中をさすって痛みを和らげようとする。
「うぅ……こんなのが毎月来るのか? 女性はみんな大変過ぎるだろ……!」
ナプキンを装着し、何とも言えないゴワゴワ感と鈍痛に顔を歪めるカリナ。やっとの思いでトイレから出てきた頃には、すっかり憔悴しきっていた。
執務室に戻ると、カシューが気まずそうに、しかし優しく声をかけた。
「あー……、大丈夫かい? カリナ」
「大丈夫なわけあるか……。腰が砕けそうだ……」
ソファーに沈み込むカリナを見て、カシューは苦笑しながら言った。
「この調子じゃ、しばらく旅は無理だね。……治まるまでは、自室で大人しくしているといいよ。ここのところずっと各地を飛び回っていた上に、あんな戦いもあったんだ。暫くは休養だと思って休むといい。これは王命だ。カグラ、サティア、すまないけどカリナを部屋まで運んでやってくれないかい? 部屋にはルナフレアがいるはずだから」
「ええ、分かったわ。行きましょ、カリナちゃん」
「はい。カリナさん、無理しないでくださいね」
二人はカリナを左右から支え直し、部屋を出て行った。
「まあゆっくり休めよー。俺も最初はビビったが、慣れりゃなんとかなるもんだ」
エクリアが背後から声をかけるが、カグラに去り際に強烈な一睨みをされ、サティアには冷ややかな目で見下ろされているのを見て、カシューはやれやれと首を振った。
「エクリア……君さあ、もう少し言い方というものがあるだろう?」
「だって事実だし。ま、現実じゃあ中身が男の俺達には、あの痛みばっかりはどうしてやることもできねーからな」
◆◆◆
カリナの自室。カグラとサティアに支えられて戻り、カードキーでドアを開けると、部屋の中では妖精族の側付、ルナフレアが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、カリナ様。おや……? 何やら顔色が優れませんね」
ルナフレアはすぐに異変を察知し、駆け寄ってくる。
「ルナフレア、カリナちゃんが女の子の日になっちゃったみたいでね。初めてだしかなり辛そうなの」
「ルナフレアさん、どうか看病をお願いできますか?」
カグラとサティアの説明に、ルナフレアは目を丸くした。
「なんと……初めて、でございますか? このお年で、まだとは……」
少し驚いた様子を見せたが、すぐに全てを察したように慈愛に満ちた表情へと変わる。
「承知致しました。……カリナ様、お辛かったですね。さあ、こちらへ」
ルナフレアは手際よくベッドを整え、カリナを優しく寝かしつけた。
「カグラ様、サティア様。ここまでありがとうございました。後は私が責任を持って看病致します」
「ええ、お願いね。何かあったら呼んでちょうだい」
「お願いします。カリナさん、お大事に」
二人が退室し、静かになった部屋で、カリナは毛布にくるまりながら小さく震えていた。ホルモンバランスの急激な変化により、身体的な痛みだけでなく、精神的にもどうしようもなく不安定になっていく。
「ルナフレア……、なんかイライラするし、泣きたくなるし……。変なんだ……」
弱々しく呟くカリナの枕元に、ルナフレアが静かに腰掛ける。彼女は温かいタオルでカリナの額の汗を拭い、優しく手を握った。
「大丈夫です、カリナ様。それはお体が大人になろうとしている証拠。そして、心が戸惑っているだけです」
「……痛い。マジで……お腹、痛い……」
「はい、はい……。大丈夫ですから……」
ルナフレアは魔法を使うわけでもなく、ただ母親が愛しい我が子にするように、カリナのお腹をゆっくりと、心を込めてさすり続けた。その手の温もりと、妖精族特有の穏やかな空気が、カリナの強張った心を少しずつ、優しく解きほぐしていく。
「私がついております。誰にも邪魔はさせませんし、何も心配はいりません。……今はただ、私に甘えて、ゆっくりお休みくださいませ」
「ん……ありがとう、ルナフレア……」
カリナはルナフレアの手に触れながら、いつしか浅い眠りへと落ちていく。その寝顔を見守りながら、ルナフレアは慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべ、いつまでもその背をさすり続けていた。
◆◆◆
その日の夕方。
学園での授業を終えたカリナの召喚術士代行、リーサが、血相を変えてエデン王城にあるカリナの自室へと駆けつけた。
リーサははやる気持ちを抑え、ドアの横にあるインターホンを鳴らす。しばらくして、静かにドアが開き、ルナフレアが顔を出した。
「……リーサさん。わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「ルナフレアさん、カリナ様が体調を崩されたと伺いましたが、大丈夫ですか?」
リーサが小声ながらも焦りを含んだ声で尋ねると、ルナフレアは「どうぞ、中へ」と招き入れた。部屋に入ると、ベッドの傍らでルナフレアが静かに控える中、顔面蒼白で苦しげに眉を寄せるカリナが横たわっていた。
「しっ……。今、ようやくお薬が効いて眠られたところです」
ルナフレアが口元に人差し指を当てて嗜める。リーサはハッとして口を押さえ、忍び足でベッドへと近づいた。
「ルナフレアさん……。カリナ様は、一体どうされたのですか? まさか、先日の戦いの古傷が……?」
「いえ、そうではありません。実は……」
ルナフレアは声を潜め、リーサの耳元でカリナの症状――『女の子の日』が初めて訪れたこと――を告げた。それを聞いたリーサは、ぽかんと口を開け、次いで驚愕に目を見開いた。
「えっ……初潮、ですか? カリナ様のお年で、まだ来られていなかったのですか?」
「ええ。私も驚きましたが……どうやらそのようです」
ルナフレアが困ったように微笑む。リーサはまじまじとカリナの寝顔を見つめ、やがてふぅーっと長く息を吐き出し、胸をなでおろした。
「そ、そうですか……。てっきり呪いか、重い病気かと心配しました……。命に関わることではなくて、本当に良かったです」
「ん……うぅ……」
話し声に気づいたのか、カリナが小さく呻き、重い瞼を持ち上げた。
「……ん? リーサか……?」
「あっ、カリナ様……。起こしてしまって申し訳ありません。……お加減はいかがですか?」
リーサがベッドサイドに膝をつき、心配そうに覗き込む。カリナは力なく笑い、天井を仰いだ。
「すまん、心配をかけたな。……なんてことはない、ただの生理現象だよ」
「はい、ルナフレアさんから伺いました。……辛い時は無理なさらないでください」
「ああ……。カシューからも、治まるまでは大人しくしているようにって王命が出たよ。ここんところ、ずっと旅や戦い続きだったからな。……これは休養だと思って、しばらくベッドと友達になるよ」
カリナは自嘲気味に呟く。エヴリーヌやグラザの捜索という重要な任務がある中での足止めは痛いが、今の体の状態では一歩も動けそうになかった。
「はい。学園のことは私にお任せください。カリナ様は、ゆっくり休んでくださいませ」
「ありがとう、リーサ。……頼んだ」
リーサは一礼すると、ルナフレアにも「ルナフレアさん、カリナ様をお願いします」と頭を下げ、部屋を後にした。
◆◆◆
悪夢の本番は、そこからだった。二日目、三日目と、生理特有の重い痛みと倦怠感がピークに達し、カリナを容赦なく襲った。
「うぅ……ぐぅ……。腹が……腰が……ちぎれる……」
ベッドの上で海老のように丸まり、脂汗を流して呻くカリナ。現実の性別では未知の経験である子宮の収縮痛は、彼女にとって拷問にも等しい苦しみだった。
「カリナ様、お辛いですね……。さあ、温かいハーブティーをお持ちしましたよ」
ルナフレアは、そんなカリナに片時も離れず寄り添った。痛みに波が来るたびに、魔法で温めた手で丹念にお腹や腰をさすり、汗を拭い、着替えにナプキンの交換や下着の洗濯まで、嫌な顔一つせず甲斐甲斐しく世話を焼く。
「ルナフレア……悪い……ありがとうな……」
「謝ることなどありません。……さあ、今は何も考えず、私に身を委ねてください」
ルナフレアの母性溢れる献身だけが、今のカリナの救いだった。
その間、カグラやサティアも何度も見舞いに訪れた。
「カリナちゃん、調子はどう? ……顔色がまだ悪いわね。鉄分が取れるスープ作ってきたから、少しでも飲みなさい」
カグラは実の姉のように心配し、消化の良い食事や痛みを和らげる漢方などを差し入れてくれた。
「カリナさん……。少しでも痛みが和らぐよう、祈らせてください」
サティアはベッドの脇で祈りを捧げ、『聖女の神聖術』で少しでも苦痛を取り除こうと尽力してくれた。生理現象には魔法も術も効果が薄いのにも関わらずに。
◆◆◆
そうして、地獄のような一週間が過ぎ去った。
ある晴れた日の朝。カリナは自室の窓を開け、大きく伸びをした。
「ふぅぅぅーっ! ……お、終わった……。終わったぞ……!」
体の芯に居座っていた鉛のような重みは消え、久しぶりに体が軽い。ベッドのシーツを交換していたルナフレアが、朗らかに微笑む。
「おめでとうございます、カリナ様。ようやく体調が戻られたようですね」
「ああ、ルナフレア。お前のおかげで生き返ったよ。本当に助かった」
カリナは清々しい顔で振り返ったが、すぐにその表情を曇らせ、ブルッと身震いした。
「しかし……初めて経験したが、女性の苦しみがよくわかったよ。まさかこれほど過酷なものだとは……」
心底懲りた、という様子で肩をすくめるカリナ。だが、ルナフレアは小首を傾げ、残酷な事実を優しく告げた。
「カリナ様? お忘れですか? これは『月経』……つまり、月に一度、必ず訪れるものなのですよ?」
「…………は?」
カリナの動きが凍りついた。
「つ、きに……いちど……?」
「はい。来月も、再来月も……閉経を迎えるその日まで、ずっと付き合っていく大切な体の営みです」
ルナフレアの言葉が、死刑宣告のようにカリナの耳に響く。
「嘘……だろ……? あ、あれが……毎月……?」
カリナはガクガクと膝を震わせ、その場に崩れ落ちた。
「い、いやだッ! 私は神と戦うより、あっちの方が怖いぞッー!!!」
復活したばかりの朝、エデン王城の一角に、カリナの絶望の叫びが木霊した。これから毎月訪れる血と痛みの恐怖に、カリナの魂は、ただただ怯えることしかできなかったのである。




