第2話 図書館の地下で出会うもの
夜風が、薄く開けた窓から忍び込んできた。
レオンは机の上の紙をもう一度確かめ、深呼吸をした。――三度目の人生、初日の夜。
記憶の中では、二度目のこの日、彼はまだ「変われる」と信じきれず、ただ授業の復習ノートを書いていた。けれど、今回は違う。もう“動く”番だ。
校舎の灯りは消え、廊下には見回りの魔導燭だけが淡く浮かぶ。
階段を下り、さらにその下。図書館の奥へと進む。
禁書庫への通路を開く鍵は、二度目でアメリアと共に発見した。壁の第三書架の裏――『賢者の黙示』という分厚い本を抜くと、歯車音が鳴り、壁がずれる。
狭い通路。埃と鉄の匂い。
魔石灯をともすと、青白い光が湿った石壁を照らした。
「……やっぱり、ここは変わらないな」
この先にあるのは、王立学園が隠し続けてきた“原典の写本”――《回帰素描録》。
ループの理を研究していた古代賢者の手記。
二度目の人生では、ここでそれを開き、“なぜ自分が時を戻るのか”を知った。
そして――同時に、“誰かが自分を観察している”という恐怖も、知った。
扉の封印を、慎重に解除していく。
魔法陣に刻まれた符を順に指でなぞると、赤い光が消えていった。
最後の線を描いた瞬間、背後で音がした。
「……誰?」
振り向くと、そこに立っていたのは――アメリアだった。
寝間着にローブを羽織り、灯を掲げている。
「レオン、やっぱりここにいたのね。あなた、何か隠してると思ってた」
「ついてきたのか……危険だ」
「危険でもいい。あなたが何をしようとしてるのか、知りたいの」
言葉に迷う。彼女を遠ざけるのは簡単だ。でも、二度目の人生では――彼女を“遠ざけた”ことで、結果的に死なせた。
だから今回は、信じることを選ぶ。
「……いい。見せるよ」
二人で扉を押すと、重い空気が流れ出した。
地下室はひんやりと冷え、棚に古文書が並ぶ。
中央の石台の上に、一冊だけ封蝋の切られた本が置かれていた。
《回帰素描録》
レオンが指を伸ばすと、アメリアが息を呑む。
ページを開いた瞬間、淡い光が立ちのぼり、文字が浮かび上がった。
――“観測者が記録を保つ限り、世界は反復する”。
その一文に、アメリアの目が見開かれる。
「これ……まるで、時間が何度も……?」
「そう。俺は、もう三度目なんだ。学園の崩壊も、仲間の死も、全部見た。だからやり直してる」
「そんな……でも、どうしてあなたが?」
「それを調べるために、ここに来た」
ページの続きには、もう一行だけ、黒いインクで書かれていた。
――“観測者は一人ではない”。
その瞬間、空気が歪んだ。
背後で棚の本がぱらぱらと動き出し、ページが勝手に開いていく。
魔力の波動――生きている本だ。禁書が、侵入者を感知して目を覚ました。
「下がって、アメリア!」
レオンは杖を抜き、呼吸を整えた。循環式導魔呼吸。
肺が灼けるように熱くなる。青白い光が指先に集まる。
「《転写・零式》!」
光弾が放たれ、本の群れを一瞬で弾き飛ばす。
だが、一冊――ひときわ古びた革装丁の本が、床を滑ってレオンの足元へ寄った。
その表紙には、金文字で《賢者レオン・グレイ》と刻まれていた。
――自分の名。
アメリアが息を呑む。
レオンの頭の奥で、鈍い痛みが走った。
視界が揺れ、過去と現在が交錯する。
声が聞こえた。“次の回帰では、選べ。三人までだ”。
それは確かに、自分の声だった。
気がつけば、本は静かに閉じ、部屋の光が収まっていた。
アメリアが震える声で問う。
「レオン……あなたは、“何度目”まで繰り返すつもりなの?」
レオンは答えなかった。ただ、封蝋を再び閉じ、心に刻む。
三度目――この世界はもう、同じではない。
そして“観測者”は、自分だけではない。
階段を上がる途中、遠くで足音が響いた。
誰かが、地下への通路を覗き込んでいる気配。
灯りが一瞬、揺れた。
影の奥に、もう一人の自分とよく似た“誰か”の輪郭が、確かに見えた。




