第七話 これから毎日おみそ汁をつくろうぜ
しばらく抱き合うかたちになっていると、やがて夏向も落ち着きを取り戻した。
夏向の腕から解放された俺は、朝の準備を済ませて朝食をつくることにする。
「朝ご飯はぼくがつくるね!」
何に使うのか知らんが、お玉を片手に夏向はやる気満々だった。
へえ、自炊できるんだ。
いや、本当にできるのか?
夏向の部屋に行ったとき、部屋の中は結構散らかっていて、思わず「掃除するから」と申し出ようとしたくらいのレベルなのに……料理ができるとは思えないのだが。
とはいえ、夏向も一人暮らしをしている身。
簡単な料理くらいならできるのかもしれない。
「ちょっと待っててねー」
夏向にそう言われて、俺はテーブルの椅子に座って待っていたのだが、キッチンに立つ夏向の姿を追いかけているうちに、ほんのり存在していた朝食への期待感は薄れていった。
「はいこれ! ぼくの得意料理!」
「食パンにハム挟んだだけじゃねえか」
トースト二枚にハムをサンドするというなんとも料理をナメた一品が登場した。
どういうつもりだ?
そのくせやたら達成感を持っているようなドヤ顔をしているのだから意味不明だ。
「あー、新太ったら、カノジョがつくった料理にダメ出しして。それカレシとして最悪なんだからね?」
「どう見てもこれ、ツッコミ待ちだったろ?」
「ぼくは本気なんだけど?」
マズい。
本気の目をしていた。
じゃあこいつ、ガチでトーストを料理扱いしてるってこと?
この調子じゃ、夏向の普段の食生活もお察しだな。
でもあれだ、俺のために料理を頑張ろうとした気持ちは評価するべきだろう。
「とりあえずは、ありがとうよ。得意の手料理振る舞ってくれて嬉しいよ」
「でしょ! 食べたくなったらいつでも言ってね! いやぁ、ぼく、きみのおかげで料理に目覚めちゃったかも!」
こいつぁ、重症だ。
「でも悪いな、俺は朝飯を食えるときはガッツリ食うタイプなんだ。これじゃ足りないんだよ。だからお前の分に追加させてもらうぞ」
俺は椅子から立ち上がり、エプロンを引っ張り出してきて、キッチンに立った。
「えっ、もしかして、新太も料理できるの?」
「ああ。一人暮らしを許可してもらうためには、必要なスキルだったからな」
大学へは、実家からでも十分通える距離だった。
だから、俺が一人暮らしをすることに当初両親は難色を示したのだが、説得する材料の一つとして、家事全般を一通りできることをアピールしないといけなかったのだ。
朝食をつくるくらい、それこそ朝飯前。
繁忙期の定食屋並の手際の良さで、俺は次々と料理を完成させていく。
「す、すごい……」
隣でずっと見ていた夏向は、よほど感心してくれたのか鼻息荒かった。
「ぼく、料理できちゃう男の人って好きかも……」
夢見がちな表情と声音だったのだが、そこは男子のお前なのだから、料理上手の女子に憧れるものじゃないのか?
まあ、料理上手な男子にギャップ萌えで憧れを持つとかそういう意味なのかもしれないけど。
「あれ? でも2人分ない?」
「お前の分も用意してるからだよ」
「ええっ!? ぼくの分まで? 別にいいのに。ぼく、軽く食べてきちゃったよ?」
「食えない分は俺に寄越してくれればいいから」
「ふ、ふーん、頼もしいじゃん。そんなにぼくをきゅんきゅんさせてどうするつもり?」
「あっ、おい……」
俺の腕の間から、にゅっと顔を出してくる夏向。
「メインディッシュはぼく! とかそんなオチじゃないよね! いいけどそれでも!」
「いいのかよ」
「新太ってば、ぼくを抱く用事で午後は自主休講だね」
自分で自分の体を抱いてくねくねし始めるキモい夏向。
もはや突っ込み疲れた俺は、夏向に構わずさっさと完成させてしまうことにした。
なんで夏向は、こんなにも同性相手の恋人ごっこでハイテンションなんだろうな。
完成した朝食をテーブルに並べていく。
わかめと豆腐の味噌汁に切り身鮭の西京焼き、里芋のツナマヨサラダに、ピーマンのじゃこ炒め。それに、夕食の残りを流用したポテトサラダ。
そして、夏向が自信満々に作ったハムトースト。
夏向がつくったパンを主食にしたから、和洋折衷になってしまったが、まあ構わないだろう。
向かい合って食事を始めると、夏向が箸の先をくわえたままこちらに視線を向けてきていた。
「なんだよ?」
「向かい合って食べるだけで、本当にいいのかなって思ったんだよね」
「なに、どういうこと?」
俺に答えることなく、夏向は椅子を移動させて俺のすぐ隣に座り直した。
夏向の箸は、俺の手元にあるプレートの方へ伸びてきて、ピーマンを摘んだ。
「はい、新太♡」
「どういう意味だよ……?」
「もう! そういうこと聞く? 食べさせてあげようとしてるんだよ」
「これくらい自分でも食えるんだが?」
「わかってないなぁ。いわゆる、あーん、だよ。恋人っぽいことしてあげようと思ったんだ」
マジかよ……。
そんな恥ずかしいこと、したくないんだけど?
しかも男同士で……。
それこそ、夏向が自分で言ったように傷の舐め合いっぽいだろ。
「新太~。まさかここまでされておいて何もしないつもり? 女の子が苦手なの治そうっていう自覚が足りないんじゃない?」
箸にピーマンを挟んだまま、頬杖をついてため息をつく夏向。
夏向め……俺がどれだけ悩んでいるか知りもしないで……。
「わかった。ふふん、そういうことか」
「何がだ?」
「ククク……怖いか? ぼく相手にあ~んされて、とーってもドキドキしちゃうのが、怖いんでしょ?」
「まさかそんな思い違いをされるとはな」
「いいんだよ。新太が新しい扉開いてくれるなら、ぼくとしても嬉しいからさ」
「くそっ、好き勝手言いやがってー」
これ以上何もしなかったらますます調子づきそうだったから、俺はエサに食いつく魚みたいな勢いで、夏向の箸に食いついた。
「ほら、これでいいだろ! もう終わり!」
「ダメだよー、今のじゃ。風情がないもん。ただ食べればいいってもんじゃないんだからね」
「食っちまえば同じだろ」
「恋人の手料理を、その恋人に食べさせてもらってじっくり味わうひとときが大事なんだから。つくってくれた人への尊敬と感謝と愛情がないとね。新太にはそれが足りないよ」
「なんかペラペラ言ってるけどよ、つくったのは俺だが?」
「そっか。じゃあ逆だったんだ」
「は?」
夏向は、付け合せでプレートに乗っているポテサラを箸で示すと。
「これをぼくに食べさせて?」
小首を傾げ、妙にキラキラした瞳を向けてくる夏向。
「ぼくならほら、つくってくれた人への尊敬と感謝と愛情があるからさ」
いや、俺の手料理ごときで喜んでくれるのは嬉しいんだが……。
「新太のお手製、ぼくにちょうだい?」
そこはかとなくキモい言い草が気になるのだが、俺は仕方なく夏向の要望通り箸ですくい取ったポテサラを夏向の口元へ寄せた。
まあ、食べさせてもらうよりは食べさせる方が精神的なハードルは低いしな。
口元をもにゅもにゅさせて咀嚼する夏向は満足そうに見えた。
「新太お手製の栄養がぼくの中に入っていってる感じがする」
「しみじみとキモいこと言うなよ……」
「できれば、ぼくの口を無理やり開けて食べさせる男らしいところも見たかったかも。開けオラァ! みたいな感じで」
「お前は自分から口を開いたんだし、男らしさの解釈歪んでね?」
「でもすっごくおいしいよー。ありがとうね」
「……別に。残り物だし」
夏向のまっすぐな言葉に恥ずかしくなる。
今までの俺には、料理をつくっても褒めてくれる相手はいなかった。
まあ、試食をしてくれた両親はそれなりに褒めてはくれたけど、やっぱり肉親以外からの評価は特別だ。
「きみと結婚したら、いつでもこんな美味しい料理が食べられるんだね」
「え?」
なんか声、いつもより低くね?
急にイケボを出してきた夏向は俺に身を寄せると、顎先をくいっと持ち上げてきて。
「仕事で疲れたぼくのために、きみが毎日美味しい料理をつくって待ってくれてると嬉しいな」
「お前がカノジョ役じゃなかったのかよ!?」
「あくまで『恋人』だからねー。カレシ役もイケた方がいいかと思って」
「それじゃ俺の練習にならないでしょうが!」
「え? 練習? ああ、そうだったねー」
いつものヘラヘラした夏向に戻る。
もしかしてこいつ、ただたんに俺で楽しみたくて練習に付き合ってくれてるんじゃないだろうな?
「でも、家に戻ってきて、新太がいてくれたらぼくは嬉しいよ?」
「……そうかよ」
「新太は? うれしい?」
「まあ、悪くはないけど」
うちは昔から両親が共働きで忙しく、3つ年上の兄貴もアクティブな性格であまり家にいなかったから、迎え入れてくれる相手がいるというのは憧れの一つとしてあった。
「それなら今ここで、ぼくを抱いてもいいけど?」
「そこまでの喜びの感情示したか?」
「ぼくはほら、練習台としてチョロい恋人をやらないといけないから、簡単にぎゅってされてあげるキャラの方がいいかと思って」
「あー、抱くってそっちの意味の」
「あれ? 新太、今頭の中でぼくをどうしようって考えてたの?」
「う、うるさいな……」
「ふふふ、新太が正直に何がしたいか言ってくれたら、ぼくもやぶさかじゃないんだけどなー」
まーたこいつのペースに巻き込まれた。
謎に両腕を広げて小首を傾げる姿は、あざとさは鼻につくもののわりといいなと思えてしまうところがあって、俺としては悔しい。
でも男同士でぎゅってし合ってもなぁ……。体を重ね合わせた途端に虚しさが押し寄せてきそうだ。
「なーんだ、しないの?」
「流石に俺の中の大事な何かを失いそうなことはな」
「新太ったら、まだまだだね」
夏向の興味は食べかけの朝食へと戻り、もぐもぐタイムを再開した。
「うまー」
それにしても、本当に美味そうに食ってくれるな、こいつは。




