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第四十四話 俺の昔の話

 夜が明けたときには、あの嵐はなんだったんだってくらい快晴の空模様が広がっていた。


 ネットカフェを出た俺と夏向は、駅前のマックで軽く朝食にして、帰路につくべく午前中の新幹線に乗り込んだ。


「すかー」


 俺の隣、窓際の席で、夏向は呑気に爆睡していた。

 ネットカフェにはベッドも布団もないわけで、床に雑魚寝だったから、十分な睡眠が取れなかったのだろう。


 俺だって、しっかり眠れたとは言い難いから。


「せっかく昼用の駅弁買ったのに。食べそびれるぞ?」


 座席背面の折り畳みテーブルを下ろして、弁当の箱をそっと置いてみるのだが、食欲につられて目覚めるような気配はない。

 仕方なく俺は、一人でもそもそ弁当を貪る。

 夏向に誘われてやってきたアウェイ観戦の旅は、結果的に一泊の小旅行になってしまったけれど、十分な満足を得て終わった。


 それでも俺には、気になることがあって。


「……お前も、俺の知らないところで苦労してたんだな」


 夏向が中学高校時代をどう過ごして来たのか、俺は全然知らない。


 俺の中高時代は、練習がキツいながらも部活に打ち込むことができたし、周りの人間にも恵まれていたから、異性が苦手なことで悩んでしまう苦しみをいくらか緩和することができていた。


 夏向の場合、俺と違って人間関係の苦しみがあったように思う。

 以前、鷹木さんと話したとき、そういうようなことを言っていたから。


 夏向のライバルにして仲間として、そのとき一体何があったのか、気にならないといえばウソになる。


「まあ、焦らなくてもいつか教えてくれるか」


 俺から根掘り葉掘り訊ねるようなことはしたくない。

 夏向の気まぐれで話したい気分になったら、そのときにちゃんと耳を傾ければいい。


 共闘関係にあったという鷹木さんと一緒にいたことで解決済みの問題なのであれば、それはそれでいいしな。


 隣の席で無防備な寝顔を晒す夏向を見ていると、ふと過去のことを思い出してしまった。

 こうして一緒に小旅行なんてして、恋人役として振る舞う夏向の姿は、出会った直後の夏向の姿からは想像できないし、そういう意味では俺だって、あの頃の俺とは全然違う。


 小学校三年生のときのことだ。


 温厚と評されることが多い俺だが、あの頃は人生の中でも、最も気持ちが荒んでいた。


 今でこそ雨降って地固まるなのか円満な両親だけど、当時は離婚寸前まで揉めていた。

 二人の間に正確には何があったのか、子どもだった当時の俺には知る由もないし、今だって踏み込んで訊ねたことはないから、よくわかっていない。


 どうやら堅実に働いていたはずの父さんが会社を辞めて友達と一緒に新しい事業を立ち上げたがっていて、幼い子どもを抱えているのにギャンブルみたいなことをするな、と母さんが猛反対したことが発端らしいということは、一つの推測として兄貴から教えてもらっていた。


 両親は顔を合わせれば揉めるような有り様だったから、ケンカの絶えない家の外にいるより方がずっと気持ちが落ち着いた。


 それは兄貴も同じだったのだろう。


 俺より3つ上の兄貴は、小学校6年生ながら体格も交友関係もほぼ中学生みたいなもので、俺よりやんちゃだったから、似たような人種とつるんでいて、夜中過ぎになるまで帰ってこないことなんてザラだった。まあ、この辛い時期を過ぎると、ヤンキーとつるむのをやめて、陽キャでパリピな連中と比較的健全な夜遊びを始めるのだが、それはまた別の話。


 ともかく小学校3年生の頃の俺にとって、市沢家は自分の居場所じゃなくなっていたんだ。


 家にいたくはないけれど、兄貴のように社交的になれない俺は、サッカー少年団の練習がないときは学校近くの公園で、夜遅くなるまでボールを蹴っていた。

 そういうとき、同じサッカー少年団の仲間が付き合ってくれることもあったけれど、彼らは夕食時になれば帰っていく。


 帰る場所のない寂しさを感じながら過ごしていたある日、うちの少年団のライバルチームに神童が入団したらしいという噂を耳にした。


 それが、大嶌夏向だった。


 夏向は小学校3年生で今の街に転校してきたそうだ。


 初めて練習試合で顔を合わせたときの夏向は、今よりずっと短い髪をしていたから、超の付く綺麗な顔立ちが目立っていて、おまけに細身で、いかにも女子からキャーキャー言われそうな見た目をしていたから、ガキの俺も一丁前の嫉妬心を出してしまった。


 一つのゴールどころかドリブル突破すら絶対許さないという気持ちで夏向に挑んだ。

 徹底的に敗北を味わわせて泣かせてやる!って意気込んでいたんだけど、俺はあいつをナメていたんだ。


 いざ試合が始まれば、嫌になるほどその天賦の才能を見せつけられてしまった。

 家庭環境が安定しない不安を練習にぶつけた分だけ積み上げていた俺の自信は、粉々に砕け散ってしまった。


 試合の勝ち負けなんてどうだってよかった。

 対峙する夏向に好き放題ドリブルで抜かれ、体を左右に揺さぶられるフェイントに完全に引っかかって尻もちをつき、パスを通され、ゴールすら決められたことが悔しくて仕方がなかった。


 練習試合に負けただけで泣いたのなんて、あれが初めて。

 でも、夏向の対応は違ったんだ。

 試合後の挨拶のとき、わざわざ俺のところまで来て。


「きみ、凄いね」


 妙に爽やかに微笑みながら口にしてきたものだから、追い打ちの嫌味かと思った。

 称えられるようなことなんて、何もしていないと思っていたから。


「ぼくのドリブルを止めたの、きみが初めてだよ」


 冷静な頭になってから思い返したとき、あの練習試合で夏向のドリブルを止めたのなんて一度だけだ。


 それも、手も足も出なくて当てずっぽうで脚を伸ばしたらたまたまボールに当たってゴールラインの向こうに飛んでいっただけというようなラッキーなものだ。

 しかもその後、夏向が蹴るコーナーキックが相手チームのヘディングをアシストして、ゴールを奪われているわけだし。


「またやろうね、楽しかったよ」


 夏向はチームメイトに呼ばれて、去り際すら爽やかに去っていった。

 取り残された俺は、完全に負けたというのに、妙にスッキリとした気分だった。

 夏向と勝負している瞬間だけは、煩わしい家庭内のゴタゴタなんて忘れられていたんだ。


 積み上げた自信と一緒に、つまらないプライドや不安まで粉々にされたのだろう。

 代わりにやってきたのは、次は大嶌夏向に負けないぞ! という熱い気持ちだった。


「大嶌夏向!」


 気づいたら、夏向の背中に向けて叫んでいる俺がいた。


「次は……次は、負けないからな! 何度だってお前のことを止めてやる!」


 急にこんなこと言われたら、普通はびっくりするよな。笑うヤツだっているだろうよ。

 でも夏向は違ったんだ。


「ぼくも負けないよ」


 なんともリラックスした微笑みを浮かべて、そう答えた。

 ああ、こいつは心の底からサッカーが好きなのだろうし、勝負が好きなんだろうなって思ったよ。


 あとに聞いた話だと、このときの俺にチームメイトはびっくりしていたようだ。

 俺はそういう熱いタイプだと思われていなかったみたいだから。

 感情の引き出し方が下手だったっていうか。


 夏向を超えるという目標ができた俺は、もう家庭内の事情に振り回されてくよくよすることはなくなった。


 毎週のように行われる練習試合を待ち遠しく思いながら、練習に打ち込んだ。

 良いこともまた連鎖するらしく、父さんは仕事より家庭を選んで母さんと仲直りをし、放蕩者になっていた兄貴もちゃんと家に帰って来るようになった。


 だから、離婚問題の反動で過保護気味になっている両親を説得して一人暮らしを始め、夏向と再会することができたのも、もとはといえば夏向が俺の目標として立ちはだかってくれたから。


 あのとき、家庭内の不和に巻き込まれて俺まで潰れてしまっていたら、こうして一緒にサッカー観戦に出掛けることもなかったに違いない。


 そして今。


 夏向は、座席の背もたれの背中を預けてのんきに眠っている。


 その顔には、小学生のときにグラウンドで見せたようなギラギラとした勝負師の鋭い雰囲気はない。


 おまけに俺の偽恋人だ。

 あの頃より、ずっとずっと厄介な存在になって、こうして再び立ちはだかっている。


「昔のことはお前は知らないだろうけど、今も昔も散々世話になってるし、何かあったら今度は俺が味方になってそばにいてやるからな」


 無防備に寝顔を晒している夏向を前にして、そう呟いてしまう。


「……何を言ってるんだ、俺は」


 頭を抱えて、その場でゴロゴロ転がりたくなった。

 未だに異性を相手にすると何もできなくなる俺が、まるでスーパーヒーローのような言い草。なんという思い上がりだ。


 これはこれで、間違いなく俺の本音。


 でも、わざわざ口に出さなくてもよかったかなぁ……恥ずかしいし。


 らしくないことを言ってしまったのは、俺もまた寝不足だからだろう。

 本来寝る場所ではないネットカフェでの一泊だっただけに、俺も十分な睡眠が取れなかったから。


「俺も寝るか」


 食べ終わった弁当を片付け、背もたれに背中を預けて目を閉じる。

 一眠りしている間に、目的の駅に到着するはずだ。


「…………」


 片目だけ開けた俺は、ちらりと隣に視線を向ける。


「……聞かれてないだろうな」


 完全に夏向が眠っているものと思っていたから、つい口に出してしまったけれど。

 これが狸寝入りで、夏向の耳にしっかり届いていたのだとしたら、恥ずかしさで爆発してしまいそうだ。


 夏向が小賢しいな手段を取っていないことを祈りながら、俺は再び目を閉じるのだった。


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