第四十三話 雷が落ちたあとで
俺を見つめる夏向の瞳は、何らかの決意をしたような感じがあって、俺はつい夏向の口元にばかり視線を向けてしまう。
夏向にばかり意識を集中させていたとき、突然建物が揺れるような轟音が響いた。
落雷だ。
「わっ!?」
腕の中の夏向が怯えた声を出すので、驚いたのは俺の方だ。
「か、夏向……? どうかしたのか?」
「ご、ごめん……ぼく、雷苦手で……」
消え入りそうな声で、夏向が答えた。
「ああ、そうだったの」
「笑わないの?」
「笑わないよ」
異性が苦手過ぎる俺の失態を目の当たりにしても、夏向は笑わなかったし、それどころか俺のために恋人役にまでなってくれた。
そんな夏向を茶化すことなんて、できるはずがない。
「わわっ!?」
二度目の落雷は、ネットカフェの近くに落ちたようで、突然部屋の中の電気が消えた。
これは夏向じゃなくても驚くかも。
「く、暗い……怖い、雷デカい……」
「大丈夫だから。お前を見放すことはしないから落ち着け」
夏向はすっかり雷に怯えきっていた。
未だに夏向に押し倒されたような体勢のままで、体勢を変えるタイミングをうかがっていたのだが、こうなると無理に突き放すのも悪い気がしてきた。
せめて夏向が安心してくれるまでは、どうにか我慢するしかないか。
ついさっきまでは、夏向が密着してくることに不安と戸惑いがあったけれど、自分の中でそれが薄まってきているように思える。
雷が苦手な夏向を守らなければ、という理由付けができていて、ピタリと密着している正当性が自分の中に生まれたせいかもしれない。
まだ目が慣れない暗闇の中のことなので、至近距離ながら夏向の顔はうっすらとしか見えない。
……無言のままでいるのも恥ずかしいかもしれん。
「早く電気が点くといいけどな。このまま停電が続いたんじゃ、営業にも大ダメージだろうし。なぁ、夏向?」
俺の声だけが、静かな部屋に響くだけで、何の返事もない。
「……夏向?」
「な、なに!?」
「いや、返事がないから寝てるのかと思って」
「ね、寝られるわけないだろ、こんな状況で!」
確かに、これだけ雷を怖がっているんだから、呑気に寝てもいられないか……。
「……新太は平気そうだし」
「?」
「ぼく一人だけドキドキしてるなんて、なんか不公平だよ」
「悪いな。俺も雷が得意ってわけじゃないけど、部屋にいる分には怖くはないから」
「そういう意味じゃないんだよー……」
「? どういう意味だ?」
「わっ!」
またもや雷が鳴って、腕の中の夏向が軽く悲鳴を上げた。
今度は、ゴロゴロ音が鳴っただけで、どこかに雷が落ちたわけじゃないようだ。
それでも夏向からすれば、よほど怖いようで、またもやぷるぷる震え始める。
「もうやだ~……」
ただでさえ苦手な雷が鳴っている上に暗闇状態に追い込まれたら、情けない声を出してしまうのも無理ないこと。
「大学生にもなって雷が苦手なんて……ダサダサのクソダサだよ……」
「気にするなって。苦手くらい誰にでもあるんだから」
「だって、こんな恥ずかしいところ見られたんじゃ、もう新太のこと心置きなく煽れない……」
「うーん、もう一、二発、デカい雷鳴らねえかな」
裁きの光によって無闇に人をいじっちゃいけないとわからせてもらいたいものだ。
口ぶりは相変わらずな夏向だけど、声音の落ち込みっぷりからいって、相当参っていることに変わりはないみたいだ。
仕方ない。
いくら試合観戦に誘われたからって夏向に任せるばかりで、天気が不安定なことを楽観視しすぎて何の手も打たなかった俺にも原因がある。
ここは俺も、苦手を晒してイーブンにしといてやるか。
「なぁ、夏向」
「なに?」
「お前が今クッション代わりにしている俺を誰だと思ってる? 大学生にもなって異性相手にビビりまくっちゃう男だぞ? 雷はほら、実害もあってちゃんと危険なものなわけだしさ、それに比べれば俺の方がずっとずっと情けないよ。相手、人間なのに。だから夏向は別に気にしなくたっていいんだ」
「そ、そうだよね! 新太は女の子が苦手過ぎるし!」
「そうなんだよ。それでも、夏向が恋人役をしてくれてるおかげで前よりはマシになってきてる気はするし、そう自分を責めないでくれ」
「そうかなぁ、ぼくって役に立ってる?」
「もちろん、もちろん。そもそも、恋人役を抜きにしても、隣人が昔の仲間ってだけで心強かったから」
「だよね! ぼく、新太のこといっぱいお世話してあげてるもん!」
よしよし、夏向が自尊心を取り戻してきたぞ。
まあ、このせいで俺は再び、夏向から心置きなく煽られてしまうんだろうけどな。
それでも、落ち込んだ姿を目の当たりにするよりは、よっぽどいい。
夏向には、明るいままでいてもらいたかった。
「大丈夫! 新太にもいいところいっぱいあるから!」
褒めの攻守が逆転したようだ。まるで俺の方が励まされている感じになってきた。
「なんだ、褒めてくれるのか?」
「もちろん! だってぼく、新太のおかげで頑張ってこられたんだから!」
「俺のおかげ? なんかしたかな、俺」
「ぼくってほら、新太とは、小学校を卒業したら会えなくなっちゃったでしょ? こうして新太と再会するまで、結構色んなことがあったんだよね」
そういえば以前、鷹木さんから、夏向とは共闘関係にあったと聞かされた覚えがある。
「でも、新太のこと考えてたらね、頑張んなきゃなぁって自然と思えるようになるから、辛くなったら新太のこと考えるようにしてたの」
まさかそんなところで俺が役に立っているとは思わなかった。
夏向も、俺のことを『ライバル』だと思ってくれていたようだ。
「それなら、夏向と再戦する日を夢見てサッカー続けていた俺も、一方的な片思いじゃなかったってことか」
「そう! 両想い!」
また素直に受け入れにくいワードを出してくる。
でも、実際そうなのかもな。
否定も訂正もする気にはなれなかった。
俺の中で、違和感なくスッと馴染む感覚があって、いったい俺はここ最近何にそこまで引っかかっていたのかわからなくなりそうなほどだった。
「――だからぼく、昔も今も、新太のこと好きなの!」
未だ部屋の明かりが消えたままだから、夏向がどんな表情かわからないし、声音で判断するしかない。
俺は、夏向の『好き』という言葉に強く励まされている。
夏向もまた、俺が大嶌夏向というライバルを思い出に抱えながらサッカーの向上に努めてきたみたいに、夏向もまた俺をライバルだと思ってくれていた。
俺は夏向を必要としていて、夏向もまた俺を必要としてくれている。
結局、それでいいってことだよ。
俺はくだらないことを気にしていたみたいだ。
ここ最近は実は女の子なんじゃないかって疑っていたけれど、じゃあ女の子だったらなんなんだよって話だ。
夏向は俺のライバルで、大事な友達。そして今はお隣さんで、お互いに必要としている仲。
それでいいじゃないか。
変に詮索して、疑心暗鬼になって、大嶌夏向って仲間を手放してしまったらもったいない。
恥ずかしい弱点がある俺に、わざわざ恋人役を演じてまで付き合ってくれているんだ。
これからも夏向と一緒なら、女の子が苦手なことなんて克服できるはず。
お互いライバルとして切磋琢磨していけば、いずれ必ず。
そのときが来れば、今よりもっと正しく夏向のことを判断できるようになることだろう。
「ありがとう、夏向。俺もお前が好きだ」
「ええっ!? そ、それじゃあ」
夏向はよほど興奮しているようで、声が裏返ってしまっていた。
「ああ! 俺たちはこれからもずっと、大事な仲間でライバルだ! 仲良くしような!」
「えっ? あれ? ライバル? なんか解釈違う……?」
「おっ、電気が点いた。直ったみたいだな」
部屋は再び、煌々とした明かりに満たされる。
雷の音も聞こえなくなったし、これならもう夏向から体を離しても平気だろう。
「あれー? おかしいなぁ、絶対告白って解釈できる状況だと思うんだけど……わっ!」
呟く夏向が突如でかい声を出したものだから、また雷かと思ったのだが、デスクに乗せた俺のスマホが震えたせいで、地響きのような音が鳴っただけだった。
「悪い、ちょっと取ってくる」
夏向から離れた俺は、パソコンが乗ったデスクの方へ向かう。
ずっと夏向と密着していたからか、胸元と腰のあたりに感じていた熱の変化に妙な寂しさを感じてしまう。
「あれ? 拓弥から?」
着信の通知が収まらないあたり、よほどの急用らしい。無視するわけにもいかず、通話をタップした。
『おお、新太? よかった、出てくれて。ちょうどさっき、新太が出かけたところで天気大荒れってネットニュースで見かけたから、どうしてるかと思って』
「心配してくれたのか?」
『まあねー。オレとキミの仲だろ? 気になって気になってさぁ』
「ありがたいけど、ちょっと不気味だな」
とはいえ、いつも通りの拓弥には安心させられた。
拓弥を心配させてしまわないように、俺は今の状況を説明する。
その間、時間を持て余したのか、夏向が俺の背中にぴったり張り付いてきた。
かといって、優しくではなく、俺の背中にゴンゴン額をぶつけてくるのは何の非難なのか。
「もう、なんでだよー、なんで新太はそうなのー」
どういうわけか、呪詛のような言葉まで呟く。
『――ああ、なんだそっか! 泊まりか! じゃあお邪魔しちゃったかなー?』
拓弥が嬉しそうなのは、根っからの野次馬気質だからだろうな。俺で遊ぶのはもう少し遠慮してくれないものか。
「いや、別に邪魔じゃないよ。男同士なんだから何の問題もない」
『……あー、あー、そうなの、結局そうなっちゃったわけね……こりゃ夏向ちゃんも大変だな』
拓弥はなぜか落胆したようなことを言い、夏向に電話を代わるように要求してきた。
俺からスマホを受け取った夏向は、最初のうちこそ拓弥との会話を嫌そうにしていたけれど、いざ通話を始めると、珍しく拓弥に同調するように何度も頷いて。
「……うん、そうなの。新太ったらさぁ、ホントにニブニブのニブで。もういっそ脱いじゃおうかなってくらい。……いや、さすがにぼくもそこまでしないけどさぁ、納得行かないよ」
非難がましい視線を、こちらに向けてくるのだった。




