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第四十話 歓喜とアクシデント

 不安と迷いを抱えて出発したけれど、スタジアムに到着して、ナッツィオナーレ八知又の試合が始まったとき、俺はそれらを忘れるほどの熱狂に巻き込まれることになった。


 アウェイ席ってこともあって、この試合では相手チームの観客の方がずっと多くて、キャパ約1万5000席のスタジアムはほとんど相手チームの観客で埋め尽くされていた。


 お互いに、昇格を懸けたライバル同士で、両チームともかつてはJ1にいたのにここ数年はずっとJ2の沼に沈んでいるから、何が何でも勝利して優勝、最低でも昇格プレーオフ入りをするために絶対に負けられない戦いだった。


 しかし、ナッツィオナーレ八知又のファンは熱狂的なことで知られている。


「うぉぉぉぉぉ、ナッツィオナーレ!」


 隣の夏向は、ちょっと大きめに見えるナッツィオナーレ八知又のレプリカユニフォームを身にまとい、拳を突き上げて大声を上げていた。


 チケットを取ったタイミングのせいか、俺たちが座る座席はピッチから少し遠かったのだが、熱心なサポーターが陣取るゴール裏では巨大フラッグが舞い、ピッチサイドの席では私設応援団がドコドコ太鼓を鳴らしながら会場のボルテージを上げていて、現場の大迫力を体感できていた。


「ほら、新太も座ってたらダメじゃん! 立って応援しよ」

「えっ、俺も……?」

「新太の愛はその程度なの!?」

「いや、俺はじっくりプレーを観たい派だから」


 現地観戦だと、テレビや配信と違ってボールが関与していない場面でのプレーも観れるから、自分の技術を高めるためにはもとても参考になるのだ。


「そんなの、立って応援しながらでもできるだろ。ほらほら、新太が応援しないせいでチームのみんながあと一歩の頑張りができなくなったらどうするの。負けたら新太の責任問題だよ。だからほら」

「スパルタだなぁ……」


 夏向に逆らう気にもなれず、長時間座るにはちょっとばかり固いベンチから立ち上がる俺。


 お互いナッツサポだとは知っていたけれど、まさかこんな熱狂的だとは。

 俺の経験上、この手の熱狂的サポは両親もまたチームのファンで、親譲りなことが多い。


 そういえば、夏向と一緒にこうしてナッツィオナーレ八知又の試合を観たのなんて初めてだった。


 俺が夏向について知らないことなんて、まだまだいっぱいあるってことだろうな。

 知った気になっているから、受けるショックもデカいんだ。


 夏向に対する疑問や不安の根源が、夏向のことを知っているつもりでいた思い上がりのせいなんじゃないか、という仮定ができたことで、ほんの少しだけ気持ちが楽になった俺は、夏向の熱気に乗っかるかたちで応援を始めた。


 アウェイということで押され気味で、スコアは動かないながらも終始劣勢を強いられたナッツィオナーレ八知又だったが、アディショナルタイムに突入した瞬間、コーナキックからのこぼれ球を泥臭く押し込んで待望の先制点が訪れた。


 当然、アウェイ席を中心に会場内のボルテージは最高潮になる。


「やった! ……やった! 取った!」


 語彙力を失った夏向が、声を震わせて喜びを示したと思ったら。


「ここで勝ち点3はデカいよ!」


 ガバッ、と俺に抱きついてきた。

 興奮しているのは、夏向だけじゃない。


「ああ! 優勝争いしてるチームを直接叩けたからな!」


 勝利がどちらに転ぶかわからない熱戦を見守った末に訪れた歓喜の瞬間だ。

 つい俺まで、抱きついてきた夏向を抱き返してしまう。


 まるで、俺と夏向との間に、初めから何のわだかまりもなかったみたいに。


 大事な試合は、得てして試合終了直前にゴールを食らって、同点に追いつかれたり、最悪の場合逆転負けすることだって全然あり得るわけだけど、今回は俺たちアウェイサポの渾身の祈りが通じたのか、チーム全員が守備に徹して虎の子の一点を守りきった。


 この勝負強さを維持できれば、今年こそ、推しのチームが昇格、もしかしたら優勝だってできるかもしれない。


 おそらく来場したナッツィオナーレサポはみんな期待感を胸に秘めながら、試合終了後にアウェイ席まで挨拶にやってきたチームに万雷の拍手を送っていたことだろう。


 隣の夏向も、感涙しながら拍手をしている。


「よかったぁ、よかったよぉ……」

「まだ泣くの早いって」


 シーズンは長い。

 これでようやく中盤戦に差し掛かったくらいだ。


 シーズン前半戦は良くても、中盤に差し掛かってきたあたりに失速して結局は昇格ならず……という姿を何度も目の当たりにしているだけに、俺は気を緩めることはなかった。


 遠征をしてまでのアウェイ戦は最高の結果になったものの、試合終了直前から雲行きが怪しくなっていたことは気がかりだった。


 この日の天気予報はくもりで、直射日光を防げるから観戦日和だね、なんて夏向が呑気に言っていたことを思い出す。


「……これ、やばくない?」

「マズいよな……」


 スタジアムのロビーで、豪雨に晒され、爆撃みたいに雨粒が地面を弾ける光景を目の当たりにする状況になれば話は別だ。


 スタジアムの外は、速射砲みたいな雨粒のせいで、カーテンが掛かっているみたいになっていた。


 立ち往生で困っているのは俺たちだけじゃなくて、周囲にいる観戦客も、このときばかりは敵味方関係なく困っているようで、不安そうにスマホで連絡を取り合っている。


「新太、新幹線大丈夫かな……?」

「待ってろ。調べてみる」


 慌てて俺はスマホを取り出す。

 ここまでの悪天候は予想していなかったし、日帰りのつもりで来ているから、帰りの手段を絶たれると困ったことになる。


「マズいな。全線運休だ……」

「えっ!? 動かないの?」

「この調子だと、すぐ動くのは難しいだろ。運行中の新幹線は線路で立ち往生してるらしいし……」


 当然のことながらというべきか、SNSでは大騒ぎになっていた。


「じゃあどうするの?」


 19時キックオフの試合で、時刻はすでに21時を過ぎている。

 このままだと、日帰りは無理だ。


「……泊まれる場所、探すしかないだろ」

「と、泊まれるところ……?」


 俺を見上げる夏向は顔が真っ赤になっていた。


 俺だって、顔色こそ変わっていないかもしれないけど、背中に汗が浮かぶのを感じていた。


 だって、今の夏向と泊まりなんてことになったら……。


 落ち着け。

 夏向とお泊りどうこうよりも、健康と安全のためにちゃんと雨風をしのげる場所を確保しておかなければ。


「大丈夫だ。いざというときに備えて、金は持ってきてあるから。野宿するなんてことはない!」


 俺は慌てて近場で泊まれそうなところを探す。

 まさか、こんなことになるとは。


 熱戦で忘れていられたけど、ただでさえ俺と夏向は今微妙な仲なのに。

 けれど、慌ただしく動いているのは俺だけじゃなくて、周囲の観戦客も同じ。

 こんな状況で、考えることなんてみんな同じだよなぁ。


 絶望的な気分になりながらも、俺は必死でスマホを操作するのだった。


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