第三十六話 花火と胸のざわめき
「夏向~?」
もちろん、すぐ夏向を探すことにする。
はぐれたところで、もう夏向だってガキじゃないんだし、めそめそすることもないと思うのだが、夏向と手を繋ぐことを結果的に拒否したかたちになって、その後悔から俺は必死になっていた。
当然、夏向のスマホにも連絡をした。
けれど、夏向からの返事はまだない。
歩くたびに道行く誰かと体がぶつかりかねないほど人混みが激しくて騒々しいこの場所では、スマホに着信が来たことに気づくのも難しいのかもしれない。
「くそっ、あいつはどこに行ったんだ……」
はぐれたのは俺のせいに違いないから、見つからない時間が長くなるほど焦りが増す。
それほど必死に探していたから、意識が夏向に向きすぎていたのだろう。
何度も異性とすれ違おうが、極度の緊張に襲われることはなかった。
「ん? あれは……」
金魚すくいの露店の隣には、別の屋台があるのだが、急遽都合がつかなくなったのか、営業をしておらず無人状態だった。
人が寄り付く理由がなくなっているその場所で、円になっている子どもたちの姿を見つける。
小学生と思しき少年たちに囲まれるようにして立っているのは、絶賛捜索中の夏向だった。
「あいつ、何やってんだ?」
見つけた安堵感はすぐに消え、男児に囲まれ困った顔をしている夏向の姿に呆れてしまった。
「やれやれ、まるでナンパされてるみたいだな」
あいにく、小柄な夏向はちょっと成長の早い高学年男子が相手だとそこまで身長差がなくなるから、同年代の子に言い寄られているようにも見えてしまう。
今の夏向は解像度の高い女装中だから、世間知らずなキッズからすれば女性と勘違いしたっておかしくはない。
けれど、いくら夏向でも、小学生にナンパされるほど隙が多いとは思えない――
「だからぁ、一緒に型抜きしようぜって言ってんの!」
「いいだろ、おまえ、ヒマそうだしさ! おれたちと遊ぼうぜ!」
「金魚すくいおごってやるし! おれ、今日母さんからお小遣いもらってっから金はあるからね」
口々にエサを提示して、どうにか夏向の気を引こうとする男児たち。
いやナンパされてんじゃねえか。
「いや、あのね、ぼくは……」
小学生相手に強く出るのも大人げないと思っているのか、夏向の返事も歯切れが悪く、だから男児たちが調子に乗ってしまっているのだろう。
「おい、夏向」
たまらず俺は、夏向に声を掛ける。
「新太!」
俺に気づいた夏向が、助けが来たとばかりにブンブン手を振ってくる。
「なんだぁ、あのデカいヤツ」
夏向の興味が俺に移ったのが不満なのか、嫌そうな視線を向けてくる男児たち。
「よかったー。新太が来てくれて。困ってたんだよー、はぐれた新太を探してたら、ナンパ? みたいなのされちゃうんだもん」
「はぐれたのは俺じゃなくて、夏向の方だからな」
その辺はハッキリさせておかないといけない。
一体、俺たちの関係性が幼い少年たちの目にはどう見えたのか。
三人いる男児の一人が、無遠慮に俺を指さして、夏向に訊ねる。
「あいつ、おまえのカレシ?」
「えっ!?」
「おいおい……」
同性の相手との関係性を疑うときは、まず友達かもしれないと見当をつけるのが無難じゃないのか?
今の夏向は女装中だし、『異性』が助けに来たらカレシと誤解するものなのかもしれない。
「違う、俺はそいつの友達だよ」
「新太こそ違う! ぼくたちは恋人同士なの!」
夏向がややこしい方向に引っ掻き回そうとする。
「なーんだ、男付きかよ」
小学生とは思えない口ぶりで、男児の一人が肩を落とす。
「いやいや、あのおっさんは友達って言ってるぞ?」
耳ざとい別の男児が言う。あと、おっさん呼ばわりはやめろ。確かに俺はなったばかりとはいえ20代で、小学生からすればおっさんかもしれないが……えっ、何気にショックだ。
「そうだな。おい、おっさん。友達ならおれたちのこと放っておけよ。おれたちがこいつをナンパしようが関係ないじゃん」
仲間の口添えで復活した男児が胸を張る。
「もう! ぼくの言ってることも聞いてよー!」
ぷんすかする夏向だが、男児たちはもはや聞いていないようだ。
おっさん呼びがすっかり定着したみたいで、俺は悲しい……。これだから令和キッズは。
仕方ない。真実を教えてやろう。
この際人は見た目ではないということを、教育してやらなければ。
「あのな、君たちは勘違いしているみたいだけど、そこにいる子はお姉さんじゃなくてお兄さんだぞ?」
「えっ?」
呆気にとられる三人の男児は、値踏みするように夏向に視線を向ける。
「おっさん、何言ってんの?」
俺の耳に届いたのは、まるで俺の方こそおかしいとするかのような言い草だった。
「こいつ、どう見ても女の子じゃん」
そりゃそうだよ、見た目はな。あいにくそいつ、女装中だから。
そう反論することなんて、簡単だった。
簡単な、はずだったんだ。
「そうだよ! だって、こいつ見てたらドキドキして息しづらくなるし」
「近くにいたら、触りたくなる気分になるぜ!」
「おれたちが教室の可愛い女子に感じるのと同じ気持ちが、こいつからはするんだもん!」
口々に言う男児三人衆。
まさか、この子たちは見た目ではなく自身の内から湧き上がる感情で夏向を異性と判断したってことか?
待て待て、まだ彼らが実は同性を好きという可能性も……。
流石に三人揃ってってことはないか……。
「新太……」
心配そうに俺を見つめてくる夏向。
俺も見つめ返して、夏向の姿をよく確認する。
ぱっちりと大きな瞳に、柔らかく緩やかな黒髪の毛先、そして白くきめ細やかな肌に、ほっそりした指先。
俺にも、俺の身近にいる男子ですら持っていない要素ばかり視界に入ってしまう。
えっと……男子……でいいんだよな?
俺、どうして夏向を同性だって認識してたんだっけ?
そうだ、何よりの証拠がある。
本当に夏向が異性だっていうなら、隣にいるだけで俺の体と精神が変調をきたすじゃないか!
「あーっ! こんなところにいた!」
気まずい静寂を突き破ったのは、突如割り込んできた女児たち。
男児たちと同じくらいの年齢で、人数も同じく三人いる。
どうやら男児三人は、同じく女児三人とこの祭りに来るという、小学生にして陽キャムーブをしていたらしい。
「探したんだからね! もう、男子ったらすぐ迷子になって! 子どもみたいなんだから!」
パワーバランスは女児組の方が上らしい。
女児組の中でもリーダー格らしい目立つ女の子が、夏向の姿を見つけて、更に眉尻を釣り上げる。
「あっ、もしかして、他校の女の子いじめてたんじゃないの!?」
「そ、そんなことしてないって! なぁ?」
「そうそう! ちょっと話してただけ!」
たじたじの男子組だけど、俺の動揺はそれ以上だったかもしれない。
小学生男子に続いて、女子の目から見ても夏向が女の子に見えるっていうのか?
確かにこれまでも、道を歩けば夏向のことを女性扱いする視線を向けている人が多かったことは俺もわかっている。
けれど、小学生という素直な子どもにすら夏向が女性と映っているのだとしたら。
俺は……夏向に対する見方を改めないといけないのだろうか?
一緒にいて、何の緊張感もなく過ごせるのに、同性じゃないっていうのか?
立ち尽くす俺をよそに、叱られた男児たちは大人しく女児組に従い、すごすごと人混みの中へと消えていった。
遠くから、花火が上がる音がした。
河川敷のある方向の空には、最初の火炎の大輪が咲いている。
「あっ! ほら、新太、もう始まっちゃってる!」
俺の気持ちを知ってか知らずか、夏向が騒ぎ始めた。
「そうだな、拓弥たちと合流しよう」
自分なりの答えを見つけられないまま、動揺を悟られたくない俺は、極めて冷静に努めたつもりなのだが、もしかしたら夏向にはお見通しなのかもしれない。
俺たちは、境内を離れて河川敷を目指す。
「あっ、忘れてた」
夏向が手を差し出してくる。
変に夏向から疑われたくなくて、差し出された手を取る俺。
「新太、大丈夫?」
「な、何がだよ?」
「だって、なんか、そわそわしてない?」
夏向が心配するように、いつものように手を繋いでいるだけなのに、この瞬間ばかりは様子がおかしかった。
夏向と手を繋いでいるときは、暗闇を照らす明かりの近くにいるみたいに仄かな安心感を覚えていたのに、今は落ち着かない気分になってしまっている。
まるで……飲み会の席で、隣に異性が座ってきてしまったときのような、気持ちの置きどころがないときと同じ感覚だ。
「だ、大丈夫だって。夏向が手を繋いでいてくれたら、人混みの中でも平気って言っただろ?」
「それならいいんだけど」
夏向はどうも納得してくれていないみたいだ。
これから華やかな花火が打ち上がる。
だというのに、俺の中では重苦しい疑問が澱のように胸の内にとどまり続けていた。




