第三十五話 つい視線が……
夏向に伴われて、境内に所狭しと立ち並んでいる屋台や露店を巡ることになった。
「新太、あれやろう、あれ!」
夏向が指す方向には、射的の露店があった。
並んでいる景品はお菓子のようなささやかなものばかりだ。
ちょうどタイミングがよかったのか、それとも単なる不人気なのか、他にお客の姿はなかった。
料金を払った夏向は、コルクを撃ち飛ばす鉄砲を手に取る。
仕切りの台の向こうでは、雛人形みたいに景品が並んでいた。
夏向は鼻歌交じりなくらいご機嫌だ。
「夏向。こういうのやったことあるのか?」
「ぜんぜん!」
「そのわりには自信満々だな」
「そうかな? 自信どうこうより、楽しそうだから張り切っちゃってるだけだよ」
そういうもんか。
夏向は、コルク銃で狙いを定める仕草をしながら、狙いの景品を決めようとしているらしい。構える仕草だけは一流の猟師並のそれだ。
「んー、あれかな」
夏向のお眼鏡に叶ったのは、奥の列に並んでいるものの、なんてことのない飴玉の缶だった。
「もうちょい近づいた方がいいかも」
「おいおい」
夏向は台に身を乗り出して、銃を手にした腕を伸ばす。
これルール違反じゃないの? と思って、無愛想なおじさん店主に視線を向けるのだが、特に意に介していなさそうだった。
しかし、店主のおやじよりも気になるものが視界に入る。
身を乗り出しているせいで、突き出されてしまっている夏向の尻だ。
もちろん俺としては、同性の尻が強調される姿勢だろうが、別になんとも思わない……はずだった。
男子にしては妙にふっくらと丸みのあるそれは、視線を外そうとしてもついつい吸い寄せられるようにして目に止まってしまう。
「えーっと、入射角を考えると、やっぱりこっち側から当てた方が簡単に倒れそうだよね」
夏向は狙いを定めたあとも、身を乗り出しながら左右に立ち位置を変えようとするので、尻を振って誘い込むようなことをしているように見えてしまう。
やめだ、やめだ。
俺も祭りのテンションに引っ張られて、なんでもないことで気持ちを揺り動かされるようになってしまっているのかもしれない。
「早く撃て。狙いすぎると、かえって当たらないもんだ」
俺は夏向の隣に立って、射撃を急かそうとする。
「それもそうだね」
案外すんなりと納得してくれた夏向は、身を乗り出した姿勢のまま、指先を引き金に引っ掛けるのだが。
早く撃たないかな、と夏向の姿を横目に見たところ、浴衣の胸元が山を逆さにした形状になっているように見えた。
えっ、まさかそれ、おっぱいが生えているんじゃないよな……?
違う。何を考えているんだ、俺は。
あれは、浴衣が作り出したたるみだ。
胸が重力に負けたわけじゃない。
よく見てみると、浴衣の胸元がたるんでいるせいで、隙間から浴衣の下が見えそうになっている。
そういえば夏向のヤツ、浴衣の下は何着てるんだ?
……どうしてそんなことを気にする。
これじゃ俺が夏向を異性として見ているみたいじゃないか。
俺の苦手意識も相当深刻になっているのかもしれない。
いつまでたっても異性への苦手意識が改善されないから、夏向を異性だと思いたがるようになってしまっているのだ。
いくらなんでも、夏向を異性の代替として扱うのは失礼だ。悔い改めなければ……素数を数えて落ち着こう。
「新太、新太! 聞いてる?」
気づくと夏向が俺を見上げていて、頬を膨らませていた。
掲げた右手には、クラシカルなデザインの飴玉の缶がある。
「ほら、これ! 獲ったんだよ!」
にへら、と緊張感なく微笑む夏向の姿を見ていると、俺の方まで気持ちが緩んでしまう気がする。
なぜ?
今、俺、夏向が相手なのに、きゅんとした気持ちにならなかった……?
買ったほうが安いくらいの景品を撃ち落としただけで無邪気に喜ぶ夏向の素直さに胸を撃ち抜かれたっていうのか。
「よ、よかったな。もう、ここはいいだろ? 別のところ行こうぜ」
このままここにいたら、余計に心を乱されそうだ。
「せっかく獲ったんだから、もっと褒めて!」
「はいはい、凄いな」
「ちゃんとぼくの目を見て褒めて」
「注文が多い……」
それと、今の精神状態で面と向かって褒めるのはハードルが高いんだよ。
仕方なくちらりと視線を向けて、同じような言葉で褒めると、満足したのか夏向はニコッと微笑んで。
「よくできました。ほら、新太、手出して」
なんだと思って手のひらを向けると、夏向は手にした缶から飴玉を一個落とした。
「新太にもおすそわけね。こっちはぼくの」
夏向も夏向で、飴玉をパクリと口にした。
手のひらで遊ばせておくわけにもいかず、俺も夏向のお裾分けを口に含む。
ハッカ味か……ちょっと苦手なんだよな……。
でも、スースーするから頭を冷やすにはいいかもしれない。
夏向は男、男なんだから。ジェネリック女性みたいに考えてしまってはダメだ。冷静になれ、俺。
どうにかして正気を取り戻そうとする俺の手のひらが、冷たいながらも心地よい感覚に包まれた。
「お、おい、なんで手を!?」
「なんでって、さっきまで手繋いでたじゃん?」
きょとんとした顔で俺を見上げてくる。
「ずっと射的のところにいるわけにもいかないでしょ?」
夏向としては、他の屋台を回るべく移動するつもりで俺の手を握ってきたようなのだが、俺はといえば未だに夏向の中に女性をダブらせてしまったことを受け止めきれずにいた。
「だ、大丈夫だから。手は繋がなくても……」
俺はつい、夏向から手を離してしまう。
「えっ、大丈夫なの? 気絶とかめまいとかしない?」
「大丈夫だって……俺を侮るな」
「そっか。ぼくがいつも近くにいるから、そばにいてもぼくを感じられるようになってくれたんだね」
「そんな進化を遂げたつもりはないんだが?」
勘違いに呆れつつも、夏向が傷ついていないみたいでよかった、という安堵を抱え、俺たちは再び賑やかな祭りの人混みの渦へと飛び込んでいく。
絶好の位置で花火を見ることができる河川敷へは、この境内を通過する必要があるから、花火の時間が近づく今、人通りは更に増していた。
これじゃ小柄な夏向は、人混みに流されちゃいそうだな。
「おい、夏向、俺から離れないように――」
夏向に呼びかけようとするのだが、見慣れた黒髪の女装少年の姿がなかった。
「夏向? どこ行ったんだ?」
右へ左へ行き交いする男女の中心で立ち尽くす俺。
手のひらにぬくもりを残したまま、夏向はどこかへ消えてしまった。




