第二話 洗濯かごの中のこれって……
「いや、実はさ」
夏向の部屋に入ったあとも、夏向は十秒に一回くらいのペースでぷんぷんした態度を取っていたし、口でもぷんぷん言っていたから、流石の俺も折れてお隣さんが男子でよかった理由を素直に話すことにした。
「もう、なに!? ぼくまだぷんぷんしてるんだけど!?」
頬をぷっくら膨らませながら、夏向は胸の前で腕組をしてあぐらをかいていた。
夏向の方から部屋に引っ張り込んだくせに、さっきからずっとこんな調子だ。
俺なりに再会を喜んだつもりだったのだが……そんな怒るようなこと言ったかな?
「そう怒るなよ。実は俺、隣が夏向ってわかって嬉しかったんだから」
「……ほんとに~?」
「ああ。だって久しぶりの再会だったしさ、なんならもう会えないとすら思ってたから」
「ふ、ふーん、そっか。まあぼくも嬉しかったけど」
よし。だいぶぷんぷんしなくなってきた。
「本当に助かったよ。隣が女子大生だった日には、どうなっていたことか……」
「え、なんで女の子じゃダメなの?」
独り言が聞かれていたみたいで、夏向は怪訝そうにする。
「あ、ああ。そりゃ初めての一人暮らしなんだから、男子の方が気が楽だし。でもあれだぞ? 異性に気を使いすぎちゃうあまりどうしたらいいかわからなくなるっていう極めて紳士的な理由で、緊張するわけじゃ――」
「はいはい、わかったよ。新太は女の子が苦手なんだね」
「違う違う。誤解するな。ちゃんと説明すると……」
「ふふっ、新太ったら。ぼくの前ではカッコつけなくてもいいのに。しょうがないなぁ、新太のことちゃんと相手してあげられるのはぼくだけなんだよね」
くそっ、よりによって夏向に知られてしまった。
からかいの対象になりそうだから、異性が苦手なことは秘密にしておきたかったんだけど。
せめて、女子が苦手なあまり発作を起こすところだけはなんとしても見られてしまわないように気をつけよう。これだけは、絶対に嫌だ。
「そんな調子じゃ、きっと今まで彼女もできたことないんだろうねー」
「う、うるさいな……。いいだろ、別に、男同士でつるんでばかりの青春があったって」
「モテない人同士で傷の舐め合いをしてたってことー?」
「なんだよ、急に刺してくんなよ」
「ごめんごめん」
にしし、と笑う夏向は、もうすっかり機嫌を直してくれたみたいだ。
「しょうがないから、ぼくも新太と傷の舐め合いをする一人になってあげるよ」
「そんな悲しい同情はいらん」
「強情だなぁ。ありがたく受け取っておけばいいのに」
相手が夏向ってところが厄介なんだ。
どこからどう見ても男子って感じの相手なら俺だって冗談込みで「お前も傷舐め同盟に参加しようぜ!」って喜んで誘ってたよ。
でも中性的な夏向の場合、ふとした瞬間に女の子の代替として見てしまう罪悪感に襲われそうだから嫌なんだ。
すっかりご機嫌な夏向は、テーブルに両手で頬杖を付いて俺をニヤニヤ見つめてくるんだけど、俺の視線は夏向の肩越しに向かってしまう。
「それより夏向」
「なに?」
「お前、今もナッツのサポなの?」
夏向の肩越しに見える壁際には、27型サイズのモニターがあるのだが、その横にはチームカラーのブラウンとホワイトをあしらったチームフラッグと、ホームとアウェイのユニフォームが飾ってあった。
ナッツィオナーレ八知又は地元のプロサッカーチームで、夏向は小学生の頃からこのチームを推していたはず。
「当たり前だろー。地元だもん。え、まさか新太は推し変してないよね?」
「昔ほど熱心じゃないけど、今もナッツィオナーレの動向は気にしてるよ」
「よかったー。二部落ちして長いからって常勝チームに浮気するようなグロハン行為してたら見損なうところだったよ」
「俺らが小学生の頃は、J1でトップ争いするくらい強かったんだけどなー」
「いいユースを持ってても今はトップチームに昇格したらすぐドイツとかベルギーのチームに安く引き抜かれるからねー。うちらは金満チームじゃないし、補強もなかなかできないからズルズル落ちて行っちゃったよね」
近年では稀に見るほど戦力的に充実した今期もJ1に昇格できなかったらもう一生J2沼にハマり続けるだろうな……という贔屓チームへの懸念と不安を一通り話したところで。
俺は、そんな推しチームのグッズのすぐ下に置いてある簡素なトロフィーが気になっていた。
「また懐かしいもん飾ってるな」
「ああ、これね。実家に置いといてもよかったんだけど、これがないとぼくの部屋って感じがなくて」
「そんなに俺のチームに勝って優勝したのが嬉しかったのか?」
「もちろん。新太をぶち抜きまくったのは最高だったよね」
「いや、あの決勝で俺を抜ききったのは一回だけだろ? それ以外は俺が全部シャットアウトして、お前試合中なのに半べそかいてただろうが」
「そんなことあったかなぁ? 汗が目に入って泣いてるように見えただけじゃない? ていうか、新太こそ、ぼくのチームに負けて準優勝のメダルしかもらえなかったとき、メダルを地面に放り投げて悔しがるっていう失礼なことしてたじゃん」
「そ、そんなことあったか……?」
「試合でもマナーでも負けるなんて、ぼくに完敗しすぎてるって思ったよ」
これが、俺と夏向の縁ってやつ。
俺たちは小学生の頃、同じ地域のサッカー少年団に入っていたのだ。
とはいえ、通っている小学校は別々で、所属している少年団も同じ地域にあるってだけで別のチームだった。
それどころか、力関係が拮抗しているライバルチームに所属する者同士だった。
健全なライバル関係で、毎週のように練習試合をしながら切磋琢磨していたから、学校が違う夏向とも試合を通して仲良くなることができたのだ。
ちなみに夏向はフォワードで、俺はディフェンダー。
小学生のときの夏向は身長こそ低いけれどドリブルがめっちゃ上手くて足も速かったから、対峙する俺はとても手を焼いた。
「でもお前、あれだけ上手かったのに、今は?」
「サッカーは小学生のときだけで終わっちゃったよ」
「もったいないな……お前ほどの才能が」
「いいだろ、別にー。色々理由があるの。新太こそどうなの? そのガチムチボディなら大学でも続けてるってこと?」
「いや、高校3年の県大会で負けてからはガチではやってないな。たまに誘われて遊びでやるくらいで」
「新太こそもったいないじゃん。身長二メートルあるマッチョなのに、遊びで済ませるなんて」
「そんなにねえよ。185センチだ。お前が小さすぎるから実際以上にデカく見えるんだろ」
「いや160センチあるからそんな小さくないし」
「小柄だろそれは……」
どうして自信満々に答えたのかわからん。
男子としては、160センチは決して満足いく身長じゃないと思うんだが。
「もう! なんなの? ぼくの身長煽りしたかっただけ?」
「身長の話振ってきたのはお前が先だろ」
もしかしたら、夏向はフィジカル面で不利を感じてサッカーを辞めてしまったのかもしれない。
その辺の自分ではどうすることもできないところで諦めたのなら、俺からあまりしつこく言うことはできない。夏向だって辛いだろうしさ。
「でもほら、ボール蹴りたくなったら、言ってくれればいいフットサルコート教えてやるから。俺の友達に楠野拓弥ってヤツがいてな、そいつがチーム組んでて俺も混ぜてもらうことあるんだよ」
「ぼくはいいよ。そういうのは気が乗らないから」
ため息をつく夏向の態度を見る限り、本当に興味がなさそうだ。
この調子じゃ、無理に誘わない方が良いだろう。
でもこうして再会できたわけだし、どこかで夏向とちゃんと一緒に遊びたいという気持ちはある。
小学生のときは、練習や試合を通して関わっていただけで、オフの日に一緒に遊びに行くってことは結局できなかったから。
「そんなことより! もっと楽しい話しようよー」
夏向からつんけんした雰囲気が消えていて、その後は懐かしい話に花を咲かせることができた。
こんなに楽しく話せたのはいつぶりだろう?
「悪い、ちょっとトイレ。すぐ戻るわ」
「もしかして新太の部屋戻るの? うちのトイレ使っていいよ?」
「……それもそうか」
これが異性の部屋なら、遠慮して俺の部屋まで戻ると言い張っていただろうが、そこは夏向のこと。男同士なのだから遠慮することはないだろう。
「新太~。場所わかる?」
「わかるよ。同じ造りなんだから」
玄関すぐ右手側には扉があって、そこを抜けるとささやかな洗面所兼トイレがある。ちなみにその左手側が浴室だ。
学生向けの安アパートなのだが、ここの大家は頻繁にリノベーションをしてくれているらしく、水回りは綺麗で助かる。
「ん?」
洗面所に入ったとき、浴室前に洗濯かごが置いてあるのが見えた。
意識して見ようとしたわけじゃない。
でも、ついつい俺の視界に入ってしまったんだ。
洗濯かごの中には、俺にとって見慣れないモノが放り込んであった。
「え……これ、女性用の下着じゃね……?」
どう見てもブラとパンツだ。
どうして夏向が女性物下着を?
すると、急に背後からドタドタとした音が迫ってきて。
「あらたーっ!?」
「な、なんだよ?」
猛突進してきた夏向は、洗濯かごを抱えると、俺から遠ざけるように背中に隠した。
「きみは今、なにも見なかった。いいね?」
「すまん。見えた」
「素直に謝ればいいってものじゃないんだよ!?」
「いや、マジで申し訳ないと思ってるんだって。お前も大学生だし、カノジョが泊まりに来ることくらいあるよな……」
俺の個人的な印象じゃなくて、夏向の顔立ちは10人が見れば10人とも美少年だと言い切れるくらい綺麗な見た目をしている。
だから泊まりに来るような恋人がいたって全然おかしくない。
俺が急にご挨拶に来ちゃったものだから、片付ける時間もなかったんだろうさ。
俺は夏向を昔のノリでライバルと思い続けているけれど、少なくとも異性関係では完敗で、ライバルと名乗ることすらおこがましい気持ちになってきた。
「新太? どうして凹んだ顔してるの?」
「なんでもない……」
「……ていうか、新太は勘違いしてない?」
「なんでだよ。俺がどう勘違いしてるっていうんだ?」
「この下着は、その、ぼくの姉のだよ」
「姉……? いたの? そんなこと、今まで一度も」
「い、言う機会がなかっただけだから! たまたまうちに来てて、今朝帰ったんだ」
真偽の程は不明だが、夏向がちょっと気まずそうにしているのが気になる。
まあ、自分のじゃないとはいえ肉親の下着を他人に見られれば、気まずくもなるか。
「そっか。ともかく悪かったな」
「わかってくれればいいよー。ぼくだって放置しちゃってたのが悪いんだしね」
「でも、そうか……夏向の姉のか……」
「な、なんなの!? まだ何か引っかかってるとこでもあるの?」
「いや、夏向の姉ってことは、夏向より年上ってことだろ? それにしては……子供っぽい下着だなぁと」
「人に見せる用じゃないんだからしょうがないだろ!? 来るってわかってたらもっと悩殺できそうなのにするよ!?」
「えっ?」
「な、なんでもない……。ほら、ぼくの姉ってそういうところ無頓着だから。ていうか、姉の下着を品評しないでくれる?」
「す、すまん! お前相手だとつい言いたいことが口に出るから……本当、失礼なことだったよな」
人の姉の下着をどうこう言うなんて、俺はどうかしている。
「それより、行くなら早くトイレ行ってきなよ! いくらなんでも漏らしたあとの掃除はしないからね?」
「あ、ああ!」
夏向に促された俺は、そそくさとトイレへ向かうのだった。




