第十三話 酔った勢いで……
アパートの部屋で、折りたたみのローテーブルの上に缶チューハイを並べながら、俺は晩酌を楽しんでいた。
「もう、ずるいなー、新太は」
晩酌のパートナーは、今日も今日とて夏向だ。
「俺の何がずるいんだ?」
「ぼくがお酒飲めないって知ってて楽しそうに飲酒するんだから。くそー。悔しいなー。アルコールの悦びを知った顔してる新太を見てるとイラッとしちゃうよ。ムカつくからぼくのこと抱きしめて」
「情緒おかしくね?」
「酔っ払いならそれくらいやってくれたっていいだろー」
夏向が飲んでるのはコーラのはずなのに、こいつの方が酔っ払いみたいに絡んでくるんだけど……。
「そう言うなよ。お前だって、今年のどこかで20歳になるんだろ? あとちょっとの我慢じゃねえか」
「そういうことじゃないんだよ。今、この場で新太と一緒に飲みたいから言ってるの!」
「その気持ちは嬉しいけどさ」
気兼ねなく飲んで楽しめる友人はそう多くはない。
そういう意味では、夏向と一緒に飲めば楽しそうなことは想像できる。
「そうだ! アルコールを飲んじゃいけないなら、こうすればいいんだ!」
「えっ? あっ、おい!」
夏向は俺のすぐ隣に座り直すと、大きな目でじっと見つめてきたと思ったら、おもむろ目を閉じる。
その姿はまるでキス顔。
じっと見てると俺の方が変な気分になりそうだから不思議だ。
万が一唇を寄せてきたら俺はどうすればいいんだ? などと思っていると、夏向は鼻をスンスン鳴らし、とうとう深呼吸を始めた。
「飲むのは無理でも、嗅いでアルコールを楽しむなら全然アリってことでしょ?」
お手本みたいなドヤって顔をする夏向。
どうやら夏向の中では、めちゃくちゃ名案ってことになっているらしい。
「酔っ払うほどのアルコールのにおいなんて出てないだろ」
「ふふふ、ぼくはお酒だけじゃなくて、新太のにおいでも酔っ払う自信があるからね」
「気色悪いこと言うなよ……」
俺なんかのにおいなんて嗅いだって不快なだけ。
あれ? でも俺はうっかり夏向のにおいを嗅いでしまったとき、不快どころか快い気分になって困惑しちゃった記憶があるんだけど……。
「なんか本当にいい気分になってきちゃったよー」
相変わらず鼻を鳴らし続ける夏向は、顔色がほんのり上気していた。
まさか、本当に匂いだけで?
「新太ニウムで酔ってる証拠に、新太にいーっぱいキスしちゃうよ。ぼくは酔うとキス魔になるんだ」
「酔った経験がないならわからんだろうが……」
「ふへへ、新太~」
「こら、寄るんじゃない」
俺にしがみつくように抱きついてきた夏向の顔が間近に迫る。
どうせ酔った演技だろうな、と思っていたのだが、こうして間近で夏向の表情を見るとどうも違うようだ。
これ、ガチでアルコール入った感じになってない?
上目遣いをしてくる瞳はとろんとしているし、何より頬が赤い。
「おい、大丈夫か? 具合悪くなってない?」
俺も初めて酔ったときは、慣れないせいで気分が悪くなってしまったし、夏向も似た状態になっているんじゃないかと疑った。
「大丈夫! 新太にくっついていればすぐ治るよ!」
「あっ、おい!」
夏向が飛びついてきたせいで、俺は押し倒される格好になってしまう。
俺の体を上から両手両腿でガッチリとホールドをしてくるものだから、いくら小柄な夏向が相手でも身動きが取れない。
「ここから抜け出たいなら、ぼくにちゅってしてくれないとダメだよ? ほっぺなんかじゃないよ、唇じゃないとダメだから」
まさかキスしないと抜け出られない自称恋人ホールドに巻き込まれるとは。
「さあ、早くぼくを解き放って!」
圧倒的有利なポジションということを知っているからか、調子に乗り始める夏向。
このままだと、むしろ夏向の方からキスの雨あられを降らされて、俺の初めてを奪い取られかねない。
「お前の思い通りにはさせねえよ!」
仰向け体勢でホールドされながらも、夏向を跳ね除けるべく、俺はブリッジで応戦しようとする。
けれど夏向は体幹が優れているようで、勢いよく跳ね除けようとしても一切バランスを崩すことがない。
磁石みたいにぴったりくっついてやがる……。
これじゃ俺から離れてくれそうにないぞ。
いや、一度ダメだったからと言って諦めてはいけない。
頑張って何度も腰を突き上げる俺。
やはり体力と筋力は俺の方が上らしく、次第に夏向の体もグラつくようになってきた。
よし、もう少し! あれ……?
おかしいな。
夏向の表情が、ほろ酔い気分になっているというよりは恥の意味を含む赤さに変化しているような……。
「あの、新太……」
「な、なんだ?」
腰を突き上げた姿勢のまま訊ね返す俺。
「ぼ、ぼくはまだキスまでで十分だから!」
「えっ?」
「ぎ、疑似セッ……い、いやなんでもないんだけど、とにかくそこまでしてくれなくていいよ!」
真っ赤な夏向は、それまでしつこくしがみついていたのがなんだったんだってくらいのあっさりした感じで俺から離れ、部屋の隅にあるソファまで逃げていく。
ソファの上で丸まってしまったので、その表情を覗き見ることはできないのだが、夏向らしからぬ動揺の姿ではある。
俺は、未だ十分に慣れているとはいい難いアルコールが回った頭で、少し前の己の姿を回想する。
「……やべ」
結構なことをしてしまった気がする。
ブリッジで腰に力を入れたとき、ちょうど俺の腰は夏向の腰と衝突する位置にあったように思う。
俺はそれを何度繰り返しただろう?
とんでもないことをしていたことに気づいて、慌てて夏向のもとへ駆け寄る。
「わ、悪い! そういうつもりじゃないから!」
「わ、わかってるから! 思い出させてくれなくていいよ!」
「俺は夏向を跳ね除けようとしただけだからな?」
「……ぼくだって、ふざけてきみとキスしようとしたんだし、きみのせいじゃないから」
なんとも気まずい空気が流れてしまった。
普段の夏向なら、こういう状況でも茶化そうとしてくるというか、「やっと恋人っぽいことをしてくれたね♡」みたいな言動をしそうなものだけど、夏向でも処理できないくらい生々しいことをしてしまったということだろう。
「悪かったよ。ほら、ここに水を置いておいてやるから、飲んで落ち着いてくれ」
夏向のそばにミネラルウォーター入りのグラスを置いて、夏向から距離を取る。
まさか、初めての酒の失敗が、同性に対するハードセクハラ行為になるとは。
「……流石にもう少し酒量を減らすか」
酔いが回っていない冷静な頭だったら、こんな失態はしないはずだし、そもそも正攻法で夏向を俺の腰からどかすことだってできたはず。
ローテーブルの前に戻った俺は、飲みかけの缶チューハイを脇に避け、夏向と同じくお水で頭を冷やそうとする。
「でも、おかしいな……」
ブリッジによる事故で股間同士が衝突したのだとしたら、同性同士なのだから当然腰元の鍔迫り合いが起こって然るべきだと思うのだが。
感触的に、そんなものはなかった気がする……。
いや、そんなはずはない。
「酔いすぎじゃね?」
体の感触すら曖昧になっているほど酔っているらしいことに猛反省した俺は、一旦アルコールをリセットするべくその場で不貞寝を開始するのだった。




